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七色の心臓  作者: 九頭坂本
1/8

紫色の酒気


 人を殺して、捕まえて、それで幸せになれる人間な

 んて、他人の不幸を願う汚い人間だけだと思う。

 私に頭を下げる人間のほとんどは目が死んでいるか、

 不気味に爛々と光らせるかしている。誰かを捕まえて

 感謝されるにも、そんな人間にされるのでは嬉しさよ

 りも気持ち悪さの方が勝る。

 そんな人間はみんな死んでしまえばいい。

 何の為に生きているのかは知らないが、この世界の

 癌としか喩えようもない。他人の不幸を願う人間が死

 ねば、相対的に世界は少しだけ幸せになる。少し、そ

 う、ほんの少しだけだ。

 この世界には、そんな腐った人間が多すぎる。

「なあ、相棒。私、何してんだろうなあ」

「人殺し追ってるんですよ!」

 何言ってるんですか、と仕事仲間の葵は狼狽する。

 夜の暗闇が街を包み、月と、もう深夜だというのに、

 そこら中のビルから漏れてくる光を頼りに殺人犯を追

 っている最中だった。

「相棒、今何時?」

「ええ?今ですか?」

 彼は不満気な表情を浮かべながら、そんな義理もな

 いだろうに、走りながら腕時計を確認した。

「二十三時、四十五分です」

「うわ、すごいね」

「何がですか」

「こんな時間まで、こんなに多くの人達が働いてるっ

 てこと」

 頭上を指差し言うと、葵は同情するような目で街の

 光を見つめた。

「みんな、大変なんですね」

「私達もそうだけどね」

「あなたは昼間、サボって、しかも酒飲んでたじゃな

 いですか。今だってちょっと酔ってるでしょう」

「いいや、ちょっと、じゃない。かなり、酔ってる」

「はあ」

 全身黒尽くめの殺人犯が細い路地に入って行ったの

 を目視し、葵へ目で合図をする。

 特にアイコンタクトで伝える意味もなかったのだが、

 葵は深刻そうに頷いた。

 殺人犯の入っていった路地の先は行き止まりになっ

 ている。私達に追われて気が動転しているのか、それ

 ともこの街の地形を知らないのか。それとも、私達を

 誘い込もうとしているのか。

「〈慎重にですよ、慎重に〉」

 葵が目で訴えかけてくる。

 首を横に振って見せてやると、彼は肩を上げておど

 けて見せてきた。

 路地に差し掛かる直前、私は言った。

「私が突っ込むから、相棒は私が傷つかないに守って

 ね」

「そんな無茶な。酒は飲んでも呑まれるな、じゃない

 ですか。呑まれてますって」

「レディーファーストは紳士の基本でしょうよ。ほら

 行くよ」

「ちょっと、待ってくださいよ」

 彼の静止を無視し、路地裏を覗くと、足下に蠢く影

 があるのが目の端に映った。影の中で、何かが光を反

 射し冷たく光った。

 反射的に後ろに体の重心をずらしながら、影に向か

 って思いっきり前足を蹴り出す。

 鈍い音が鳴った。

 人間の顎あたりを蹴った感覚が足に残る。

 後ろに飛び退き、確認すると、倒れ込んでいる全身

 黒色の男の姿があった。光って見えたものは、近くに

 落ちていた小さなナイフで間違いなさそうだった。

 二人で周囲を確認するが、人のいる気配はない。

「よし、後の処理は任せたよ、相棒」

「駄目ですよ、面倒臭いからって俺にばっかやらせて。

 今回は蛍さんがやってください」

 手錠を私に押し付けながら、葵は陽気に笑った。

「嫌だ。ほら、私だって、女なんだから。怖がってる

 女の子にそんなことさせるのは、男としてどうなの」

「怖くなんてないでしょう。それに、もう、女の子っ

 て歳でもないですから」

「え」

 あ、と漏らした後、葵は目を逸らした。

「冗談です」 


 夜の商店街は閑散としていた。

 どこの店にもシャッターが下ろされ、灯りもなく、

 月明かりだけを頼りに歩く。

 殺人犯を引き渡した後、葵と居酒屋へ向かう途中だ

 った。仕事終わりに葵を無理矢理に連れて飲みに行く

 のは、私達のよくある日常のことだ。

「相変わらず、廃墟みたいですね」

「こういう昔ながらの商店街、どんどん無くなってる

 らしいね」

 文目商店街。

 私が生まれる前からあった商店街だ。夜はこれでも、

 昼の間はそれなりに賑わっている印象はある。

 昔のこの場所を、私も彼も知らない。

 しかし、昼の間も上がらないシャッターの数からし

 て、この商店街も衰退の一途を辿っていることを予感

 せざるを得なかった。

「悪い事するのにはこれ以上ない環境だよね。暗いし、

 人も居ない。実際は、不思議と、こういう場所での事

 件ってあんまりないけど」

「この商店街で事件って今までありましたっけ?」

「ないね、私の記憶の中では」

「蛍さんは記憶なんて毎日無くしてるじゃないですか。

 でも、俺の記憶にもありませんね、事件なんて」

 夜風が私達に吹き付け、私の纏う酒の臭いと葵の香

 水の匂いが混じり合って飛んでいった。

 カラン、と缶の転がる軽い金属音が響く。

 どこからか猫の唸り声が聞こえてくる。

 そういえば、今夜は嵐が来る、と今朝、天気予報の

 お姉さんが言っていたような気がした。

 葵は表情を変えず、続ける。

「嵐の前の静けさ、というやつかもしれません。気を

 つけましょう」

「ああ、天気予報士のお姉さんも言ってたね」

「ん、何の話ですか?」

「あのお姉さん美人だよね」

「知らないですけど」

「朝、一緒に観たじゃん。あの鼻の高い天気予報士」

「はあ、それと事件に何の関係が?」

 いくら天気予報士の特徴を伝えても、彼の困惑した

 表情を崩すことはできなかった。

 少し歩き、居酒屋に入った。

 かなり年季の入った店だが、店内は掃除が行き届き

 綺麗で、料理も酒も他の店と比べて値段が安く、美味

 しかった。

 店長は前店長の娘らしいが、この店のサービスの質

 の良さは、彼女と店員達の努力によるものなのだろう。

 唯一問題があるとすれば、それは建物の老朽化くら

 いだ。

「何飲む?」

「蛍さんと同じやつで」

「オーケー」

 席に座り、注文を取りに来たアルバイトに酒と、適

 当に料理を頼む。

 少々お待ちください、と頭を下げ、アルバイトの青

 年は厨房に下がっていった。

 商店街には人の気配すら無かったが、店にはそれな

 りに客が入っていた。

 五人の若い男女が何か真剣に話していたり、くたび

 れた会社員がテーブルに突っ伏して眠りこけていたり、

 青髪の長髪に、ギターケースを担ぎハイボールを傾け

 ているバンドマンのような男がいたり。

 この場所はきっと、昔から、沢山の人間の人生が交

 わってきた場所で、多くの思い出と記憶が、生み出さ

 れ消え、共有されてきた、大切な場所なのだろう。

 私と葵、そして客の彼等の人生は今、確かに交わっ

 ている。

「今日も、殺しませんでしたね」

 葵は水を一口だけ啜り、独り言のように言った。

「それ以上お酒が入ると、全部忘れちゃうでしょうか

 ら、先に言っておきますが」

 私を見つめる葵の目は、笑っていない。

「俺は、蛍さんには死んでほしくありません。少しで

 も危険があれば、銃を使ってください。俺達は、特別

 なんですから。現行犯を撃ち殺すくらいのことなら、

 上が揉み消してくれます。発砲許可も要りません」

「嫌だね。私は、誰も殺さない。人を殺す為に、私は

 警察官になったわけじゃないし」

 言うと、葵は寂しげな顔で俯いてしまった。

「そんな顔しないでよ。私は誰も殺さないけど、誰か

 に殺されることもないんだからさ」

「毎日、殺されかけてるじゃないですか。今日だって

 ほんの少し何かが違えば、あのナイフは蛍さんの体に

 突き刺さっていたかもしれない」

「いいや、それはないね」

「どうしてですか」

「私は一人じゃないからさ」

 俯いていた顔を上げ、こちらを見上げた葵の表情に

 は、かつては無知で純粋な青年だった頃の彼の面影が

 残っているように見えた。

「私が傷つきそうになったら守る。面倒臭いことは代

 わる。常に二人分の飯を作る。毎朝決まった時間に起

 こす。私の服洗濯する。就寝時間は揃える。他にも色

 々あるけど、そういうのが、葵の仕事でしょ?」

「本業は警察官ですけどね」

「葵が私を守るから、私は死なない。そして、私は守

 られるほど弱くない。それだけ。頼りにしてるぜ、相

 棒」

 私が拳を突き出すと、葵は諦めたように僅かに笑み

 を浮かべた。

「面倒事は駄目、料理も駄目、寝るのも起きるのも、

 俺がいないとろくに出来ない。洗濯、皿洗いすらまま

 ならない。俺がいないと、何も出来ないくせに、相棒

 なんて俺を呼ぶんですか。ママ、とでも呼んだらどう

 ですか」

「うるさいな。これまで微塵も女っ気の無い人生を送

 ってきたお前の部屋に私みたいな美女がいてあげるん

 だよ。それくらい我慢しなよ」

「俺の負担と蛍さんじゃ、釣り合ってません」

「私が可愛すぎるって言いたいわけ?」

「俺の負担が重すぎるって言ってるんです」

 おまたせしました、と機械のように告げる声と共に、

 先程と同じアルバイトの彼が日本酒を持ってきた。

 それを一瞥した葵は、何気ない様子で口にした。

「相変わらず、強い酒ばかり飲みますね」

「酔うのが好きなんだよ」

 言いながら、日本酒を口に含む。

「蛍さんは、お酒、好きですか」

 変なこと聞くなよ、と反射的に口から出る。

「好きだから、飲んでるんだよ」

「飲んでいるからって、好きとは限らないです」

「小難しいこと言うなよ、酔っ払いに」

 私の心の奥まで見透かしたような彼の目が、優しく

 細められた。

「蛍さん、あんまり美味しそうにお酒飲んでるように、

 見えないんですよ」

「うるさいな、私の何を知ってるんだよ」

「寝顔から下着のデザインまで知ってますよ」

「うるさい」

 無理はしないでくださいね。

 彼の声が、遠くから聞こえてきたような気がした。


 朝だ、と認識するよりも先に酷い頭痛に襲われた。

 よく知っている、葵のベッドの寝心地だ。

「起きてください!」

 耳障りな声がする。私はまだ寝たりないというのに。

「蛍さん!起きてください!」

「うるさいなあ」

 捻り出すように言うと、葵はいつものように不満気

 に言い捨てた。

「あなたの為に言ってるんですが」

 無視し、目は瞑ったまま、声のする方へ両手を伸ば

 す。すると、すぐに私の背と足に腕が回される感覚が

 あり、体が宙に浮いた。お姫様抱っこの体勢だが、毎

 朝やっていると何の感情も湧かなくなってくるものだ。

「相変わらず、重たいですね」

 美人を抱いておいて、葵は悪態をつく。

「ちょっとは痩せる努力をするべきだと思いますよ。

 毎晩毎晩、暴飲暴食じゃないですか」

 降りかかってくる彼の言葉を聞き流し、夢の続きを

 見ようと試みるが、その前に椅子に座らされた。

「ご飯出来てますから。それ食べて、歯磨いて、顔洗

 って、早く準備してください」

 目を開けると、色鮮やかなサンドイッチに、ソーセ

 ージ、スクランブルエッグ、サラダ、何か、よく分かん

 ない美味しいスープに、コーヒーという、今日も一段と

 気合いの入った朝食が並んでいる。

 食欲をそそられると同時に、二日酔いの倦怠感と脱

 力感が私を襲う。食べたいが、食べたくない。

 とりあえず、一番近くの皿のサンドイッチを一口齧

 る。優しい味がする。

 葵はコーヒーの入ったマグカップを片手に、テーブ

 ルの向かいの椅子に座った。もそもそとサンドイッチ

 を食べる私を見つめ、コーヒーを啜る。

「二日酔いでも、ちゃんと食べないと駄目です。体が

 資本でしょう。特に、蛍さんみたいな人は」

「別に。警察辞めたらモデルになるからいい」

「無理ですよ。顔だけじゃモデルは務まりません」

 彼の言葉に顔をしかめながら、何という名前のもの

 なのかすら分からないスープを口に含む。程よい塩気

 で美味しい。

「それに、もう蛍さん二十七歳ですよ。今年で二十八。

 何の経験もない一般女性にモデルは厳しいと思います」

「じゃあ、働かない」

 言うと、葵は小さく笑った。

 私の脳は段々と覚醒し、昨日までの記憶を取り戻し

 つつあった。適当に話題を探し、話してみる。

「昨日さ、女子高生と喋ったんだよね」

「歳下好きですもんね」

「そうそう、でさ、その時飲んでたハイボールをその

 子にあげたらさ、美味しいって言うんだよね」

「警察官が何やってるんですか」

 葵は呆れ顔で言う。

「その子、酒飲みの才能あるなあって思ってさ。高校

 一年生らしいんだけど」

「どんな子なんです?」

「んー、はっきりした顔つきで、目大きくて可愛い子

 だったよ。髪はハーフアップだった。あ、ハーフアッ

 プって何か分かる?」

「分かりません」

「まあ、とにかく、可愛い子だったよ。私の次にね」

「はあ。俺、蛍さんと違って歳下好きでも何でもない

 んで、外面はどうでもいいです」

「内面としてはね、話してる感じ明るくて、引き込ま

 れるような、思い返してみれば独特な魅力のある子だ

 ったかも。私のこと、ウルフカットのお姉さんって呼

 んだんだよ、その子」

「手入れしてないだけですけどね」

「そんな髪型でも魅力的にキマっちゃうのが私ってこ

 とだね」

「その子、魅力的とは言ってませんよ」

 不貞腐れて黙り込むと、彼は肩をあげておどけて見

 せた。

「それでは、行きましょうか」

「行きたくないなあ」

 支度を終え、仕事に出る時間だった。

「俺の相棒なんでしょう。ほら、行きますよ」

「えー」

 右手を引っ張られながら、私達は外に出る。

 街の至る所に、桜が咲いていた。

「もう春ですね」

「そうだね」

 桜の花びらを見つめながら、適当に相槌を打つ。

「蛍さん」

「何」 

 何気なく、葵の方へ顔を向ける。

 次の瞬間には、唇に柔らかいものが触れる、それで

 いて、痺れるような感触があった。

 頭の中が真っ白に塗りたくられる。

 こういう時、どう応えればいいのか、未だに私には

 分からなかった。

 唇が離れた後も、私の頭の中は真っ白なままで、彼

 の目を見つめることしか出来なかった。

「蛍さんは、いつも、何かに悩んでいるように見えま

 す。苦しかったり、話したかったら、すぐに誰かに頼

 ってください。俺でも勿論良いですが、他の人がいい

 なら、その方に。蛍さんのしたいようにしてください。

 俺は、いつもより、今の間抜けな顔の蛍さんの方が好

 きですよ」

 何か言おうと顔を上げるが、開けた口をまた、彼の

 唇に塞がれた。

 何も考えられない。

 この時だけは、幸せだった。


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