エピローグ4(最終話)
「はぁ……ふぅ……」
『…………』
私は橋の上に座り込んでいる幽霊の少女まで戻ってきた。
年甲斐もなくダッシュである。
膝がガクガクと笑っており、腹と背中も痛い。
「ふぅ……ふーぅ……ぐッ、ゲホッ! ゴホッ!」
『……大丈夫ですか?』
「……?」
自室から持ってきた棒状の金属を杖のようにつき、激しく咳き込んでしまう。
幽霊の彼女には心配され、通りがかりの人にも怪訝な目で見られてしまう。
「ふーっ……いや、大丈夫だ。
これを持ってきたんだ」
『それは?』
バールのようなもの……ではなくバールそのもの、釘抜きである。
私は別にDIYを趣味としているわけではないのだが、近所の工具屋に寄った際に、それが半額で売られていた。
ずっしりとした無骨さに惹かれて珍しく衝動買いしてしまった代物である。
「「???」」
さらに通行人が立ち止まり、眉をひそめられてしまう。
当然である。
彼女は私以外に見えず、声も聞こえていないという。
事情を知らない人にしてみれば、長大なバールを手に持ち息を荒らげて独り言を呟く私は、どうしたって怪しく見えるだろう。
「…………」
羞恥と危機感に駆られた私は、直ちに始めることにした。
せめてまだ人が少ないうちに終わらせるべきである。
私は彼らに背を向けて、バールの先端を藁人形の釘の頭に引っ掛ける。
その状態のバールを、両腕に力を込めて引っ張ったのである。
『……ん』
「「「!!?」」」
固い。そう簡単には抜けないか。
テコの原理を使いたいところだが、支点として押し当てる所がない。
テコを使った場合、釘が刺さっている藁人形を……彼女に『触らないで』と言われた藁人形を、バールの腹で押し潰してしまう可能性がある。
「…………ふー」
私は天を仰いで息を整えると、両手でバールを掴んだまま腰を落とす。
その状態で気合を込めて「フッ! フッ!」と連続してバールを引っ張った。
綱引きの要領である。
『んんん!』
「「「おぉ!!」」」
「ママ、あれ」
「パントマイムかしら?
……すごいわね」
「パントマイム?」
「そうよ。ああやって喋らずに身振りで演技することよ。
ほら、何もないのに鉄の棒で引っ張っているように見えるでしょ?」
「……ほんとだ。スゴイね!」
力を込めて引くに従い、グッ……グッ……と釘が引き出されていく手応えを感じる。
もう少しで釘が抜けるのではなかろうか?
「ぐぬぬぬ……!」
ラストスパートと思い、歯を食いしばって思いっきり引っ張る。
……次の瞬間
『んああぁ!』
「「「「ーーーーッ!!!」」」」
「痛ッ」
最後のは尻もちをついた私のうめきである。
私は地面に尻を付けた体勢で、夕焼け空の下を飛んだ釘が……空中から消える瞬間を目撃した。
地面に金属が落ちる音も聞こえなかった。
「…………」
橋の手すりにも藁人形は存在しない。
供えられている花の中に落ちたのか?
しかし私が花を覗き込んでも、藁人形は見えない。
橋の下……川の中に落ちてしまったか?
「あのーー……?」
私の背に人の声——幽霊の少女ではない女性の声がかかる。
振り返ると、小さな女の子と手を繋いだ母親と思しき女性をはじめ、5、6人程の人だかりができていた。
マズイと思った私は背筋を伸ばし、「何か?」と何事もなかったかのように聞いてみる。
「今のは、パントマイムですよね?」
「パントマイム? ……あぁ!」
なぜあの藁人形が、今日まで手すりの上に残っていたのか?
彼女の霊と同様に、私以外の人に見えていなかったから……と考えると納得がいく。
だとすると周囲の人には、見えない何かを私が引っ張っているように見えたのだろう。
つまり、先程の私の姿は
「そうですパントマイムです!
実は密かに練習してまして……お騒がせしました」
話を合わせることにした。
仮に私が「いや本当に釘を抜いていました」などと突っぱねても、混乱を招くだけである。
「いえいえ、迫真の演技でした。
素晴らしかったです!」
「良かったぞ兄ちゃん!」
────パチパチパチパチ!
なんと! この場で拍手が巻き起こる。
年配の男性が、ピューーッ! と口笛を鳴らした。
上手いものである。
とりあえず私はこの場で頭を下げる。
「ここの天国の娘さんも、喜んでくれたかねぇ」
男性に付き添う年配の女性が、感慨深そうに口にする。
「そうだな。……そうだと良いな」
「そうですね」
「…………」
彼らの目は、手すりの下の花々に向けられている。
私は彼らの邪魔にならないよう、そっと手すりから退いた。
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■■■
■
「ふぅ……」
『…………』
額の汗を手で拭った先に、彼女が待っていた。
制服姿の幽霊の少女が、立ち上がってこちらに笑みを向けている。
『お疲れ様でした。
わたしは嬉しかったですよ?』
「……そうかい?」
感謝を伝えてくれるのは嬉しいが、なぜ疑問形なのか?
私も思わず疑問形で返してしまう。
『ところで体調は何ともないですか?
倦怠感や吐き気は?』
微笑んでいた少女が急に真面目な顔になって聞いてくる。
体調? 疲れてはいるが、吐き気のようなものはない。
私は周囲に聞こえないよう小声で「問題ない」と答える。
……実際には筋肉を酷使して体中が痛いが、それを彼女に言う必要はないだろう。
「そう言うキミの方は、大丈夫なのか?
動けるようになったのか?」
逆に彼女に聞いてみた。
それがそもそもの目的である。
『はい、おかげさまで。
……限定的ではありますが。
ありがとうございました』
そう言って彼女は満面の笑みになり、深々と頭を下げる。
彼女はもう橋の上に座り込んでおらず、しっかりと2足で立っている。
これならば大丈夫であろう。
今この時こそが、彼女の旅立ちの時……彼女との別れの時であると私は理解する。
「うむ、それは良かった。
……では、私はこれで」
私はそう言うと彼女に背を向ける。
また明日から寂しくなるが、彼女が自由になるのに越したことはない。
万事解決である。
これで良い。
今日はもう疲れたから、とりあえず最寄りのコンビニで弁当でも買おう。
早く寝るかと思いながら1歩歩いた所で
「うぐッ……!?」
心臓に後方から引っ張られる感じがした。
一瞬のことですぐに感じなくなったが……今のは?
『待って下さい』
後ろを振り返ると、別れたはずの少女の姿が間近にあった。
「何だろう。忘れものかな?」
持ってきたバールはちゃんと手に持っているし、鞄は自分の部屋に置いてきた。
懐のポケットには財布が入っているし、その中に部屋の鍵もある。
ズボンのポケットにはスマホも入っている。
『忘れものと言えばそうですね。
……まだ、わたしの説明が終わってません!』
そう言って彼女は腕を組み、プンプンと怒った顔を見せる。
私は「それはすまなかったね」と適当に謝り「それで?」と説明を促した。
『歩きながらで良いですよ。
ここはまだ人目がありますし』
本当に怒っているわけではないらしい。
彼女は表情を和らげ、私に気遣いを示してくれる。
「そうだな。ありがとう」
私は礼を言い、橋の出口に歩き出した。
隣に彼女が並び、ゆっくりとした足取りで歩く。
「…………そうだ」
ふと思いついたことを行動に移す。
私はポケットからスマホを取り出して自分の耳に当てた。
こうしていれば、私が人には見えない彼女と喋っていても、不自然に思われまい。
かつての少年漫画に登場した、多重人格であったマフィアのボスを思い出す。
『あなたがあの釘を抜いてくれたおかげで、確かにわたしは動けるようになりました。
けど、あくまでも限定的に……です』
「と言うと?」
彼女は「限定的」という言葉を強調した。
どうにも嫌な予感がする。
『わたしの行動範囲が制限されます。
わたしは今、あなたと繋がっていますので。
具体的にはあなたから……3メートルと言った所ですね』
「なん……だって?」
3メートルだって? 私から?
私は思わず足を止めて、彼女を凝視する。
『その逆のことも言えて、あなたの行動範囲も私から約3メートルに制限されます。
これを越えることはできないかと。
無理に超えると……心臓に穴が空くんじゃないかな?』
彼女は顎に指を当てながら、恐ろしく物騒なことを言ってきた。
彼女から3メートル離れると、私の心臓に穴が空くらしい。
いやいや……笑えない冗談である。
しかしついさっきも、実際に心臓を引っ張られる感があった。
その実体験を踏まえると、決して冗談ではないのかもしれない。
「なんでまた……そんなことに」
私は声を震わせて彼女に問う。
口の中が乾く。
いくらなんでも3メートルとは。
同棲中のカップルや新婚ほやほやの夫婦でも、そんな距離感で生活していないだろう。
プライバシーというものがある!
『なんでって……それはあなたが、釘を抜いたからかと思います』
「…………」
彼女は聞かれたことに答える。
途方に暮れる私を下から覗き込み、笑みを深くして次のように言い放つ。
『言いましたよね?
あなたに迷惑がかかってしまうと。
……にもかかわらず、あなたは釘を抜きました。それって』
「自己責任だと言いたいのかね?
こうなると分かっていたら、私は」
などと苦し紛れに言い返してみるが、実際の所はどうだろう?
悩みながらも彼女を見るに見かねて、やっぱり釘を抜いてしまうのでは?
そのように私が苦悶する様子を見るに見かねたのか、彼女は『大丈夫ですよ』と諭すように言ってきた。
「……大丈夫、とは?」
『ええ、わたしはこの通り幽霊です。
あなたの生活を邪魔したり、干渉するようなことはしないしできません。
そうですね。
橋の上の地縛霊であった者が、あなたの守護霊……一介の背後霊に昇格したものだと思っていただければ』
「背後霊……なぁ」
『はい。あ、お風呂やトイレの時とか、その他にも都合が悪い時には見ないようにしますので』
顔色こそ変わらないが、はにかみを浮かべて言ってくる。
「…………」
いずれにしても、最優先すべきは生活である。
彼女の……幽霊の有無にかかわらず、人としての生活を送らなくてはいけない。
差し当たっての所では
「夕飯、どうするかなぁ」
もはやコンビニに行くのもダルくなってきた。
そんな私の呟きを聞き取ったのか、彼女は生前の写真のように目を輝かせて『ハイ、ハイ!』と勢い込んで手を挙げてくる。
『ハンバーグ!
ハンバーグが良いですッ!!』
「…………」
生活に干渉しないとは何だったのか?
……ハンバーグならファミレスにあるが。
「ファミレスは……この辺だと駅前にしかないと思うのだが」
『はい。駅前にいっぱいありますね』
「引き返さなければならないが」
『良いじゃないですか。
運動ですよ、運動!』
「…………」
運動であれば今日はもう十分以上にしたと思うのだが。
ならばと私は手に持つバールを示し、次のように告げる。
「さすがにこれを持ったまま店には入れないだろう?」
『っ、傘立てに入れれば良いじゃないですか』
などと無茶苦茶なことを言ってくる。
ちょっと舌打ちしなかったか?
「これを駅まで持って歩けと?
人の多いところで明らかに不審者と思われるじゃないか」
『そんなことは……ないと思いますよ?』
そんな目を逸らしながら言われても、説得力がない。
「やっぱりこれは置いて行こう。
話はそれからだ」
『えー。……仕方ないですね』
彼女はまさに渋々といった顔を向けてくる。
私は肩をすくめると、スマホをポケットに入れて彼女と並んで歩き出す。
「…………」
『……キレイ』
間もなく日が沈む。
今のような夕方——昼と夜とが移り変わる時間を、過去には逢魔時と呼んでいたらしい。
妖怪や幽霊などに遭遇するかもしれない時間帯として、恐れられていたそうだ。
『~~♪』
その幽霊が、比較的最近聴いたポップスの鼻歌を歌いながら、気持ち良さそうに私の隣を歩いている。
逢魔時には恐怖の対象であった幽霊と、私は共に歩く。
未来がどうなるかは未知数だが、少なくとも今この瞬間だけを切り取れば、長閑なものである。
時代は変わったということか。
「…………」
ところで彼女は自らを私の背後霊と称したが、背後霊とはこうして隣を歩くものなのか?
そんな取るに足らないことを考えながら、私は彼女と共に、橋の出口に到達したのである。
……またすぐに、駅の方へ引き返すことになるのだが。
トゥルーエンド 共に橋を渡る
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情報開示(条件:トゥルーエンド到達)
呪具「未練の藁人形」
橋の上で腹部を刺された後に川に落とされて死亡した当時16歳の少女が、その時に感じた恐怖と未練によって生じた呪具。
釘に打たれ血に染まった藁人形の形態を取る。
被呪者である少女と、少女の死亡後に最初に通りがかった被呪者である男性を中心に、以下の3つの現象を引き起こしている。
現在では生存中の被呪者の体内に釘と共に取り込まれており、誰にも視認できない状態になっている。
・現象1:「御霊縛り」
少女の「あの世に行きたくない」との願いに応じて生じた現象。
死亡した少女を、その死亡した場所に固定していた。
藁人形の釘が引き抜かれたことで性質が変化しており、少女の霊体を生存中の被呪者に、より詳細にはその者の魂の収容物である心臓に紐づけるものになっている。
彼らを結びつけている紐の長さは、魂同士の繋がり——俗に絆と称されるものの確かさに応じて柔軟に変化する。
・現象2:「時遡り」
少女の「無かったことにしたい」との願いに応じて生じた現象。
生存中の被呪者が第三者によって殺害されたことを条件に、過去の時間に遡る。
なお「時遡り」自体は被呪者の記憶を保った状態で過去に遡るものであるが、次の現象によってその記憶は自動的に失われる。
・現象3:「恐怖の忘却」
少女の「恐怖を忘れたい」との願いに応じて生じた現象。
上記「時遡り」の発生に応じて発生し、被呪者が殺害された時に感じた恐怖心を、その殺害時点までの一定期間の記憶ごと奪うことによって忘却させる。
不安定な現象であり、そのように忘却された記憶は、被呪者が殺害された時と同様の体験をするなどのきっかけで戻ることもある。
なお、上記「恐怖の忘却」および先述した「時遡り」の現象は、生存中の被呪者に対して現在まで2度ずつ発生している。
人物「森安 遥」
上記の呪具「未練の藁人形」を発現させた被呪者であり、学生服を着用した少女姿の幽霊である。
その発現のきっかけになった殺害事件があった当時は、近所の高校に通う16歳の高校生であった。
成績優秀で人当たりも良く、多くの同級生、上級生、教師に慕われていた。
殺害され、上記「御霊縛り」の影響により殺害現場となった橋の上に拘束される。
殺害された当初は、自らを呪った上記の呪具及びその周囲しか認識できない状態にあった。
時間経過に伴い、視覚、聴覚の順に周囲に対する認知能力を獲得し、後述するもう1人の被呪者による声かけをきっかけに、言語能力と記憶の一部を取り戻した。
だだし、殺害されたときのショックと上記「恐怖の忘却」の影響により、自らに関する記憶を失っている。
具体的には、授業や自主勉強などによって習得した学術的な知識や一般常識、周辺地理、流行りの曲といったものは覚えているが、自らの名前を含めた生い立ち、家族、友人については何も覚えていない。
人物「天海 一馬」
上記の呪物「未練の藁人形」によって任意に選択されたもう1人の被呪者である、中年のサラリーマンである。
上記の呪具を視認し、且つ物理的に干渉できる唯一の人物であった。
現在では体内に取り込まれた上記の呪具によって、同じく被呪者である「森安 遥」と霊的に繋がっている。
平日に有給を頂戴した機会などで夕方のテレビのニュース番組を見ていたりすると、理不尽に人が殺害されてしまった多くの事件・事故が報道されます。それこそ枚挙にいとまがありません! 海外では某国間の戦争が泥沼の様相を呈していたりするので、拙草はなんとも言えない気持ちになります。
そうした事から、本作は以上のような結末になりました。本作の少女のように幽霊になって現世に留まったり、本作の主人公のように殺されたのが無かった事にされることは、現実には有り得ません。しかしながら、理不尽な死を乗り越えて、雑草のように、ふてぶてしく生き延びてしまうケースもあっていいのでは? と愚考した次第です。実際の事件・事故の当事者や遺族関係者の方が本作を目にした際は、怒りを覚えるかもしれませんが、本作、所詮は拙草の妄想に過ぎませんので、どうかご寛大なお心でご容赦をいただけると幸いです。
最後に、これまで本作をお読みいただき誠にありがとうございました。本作は、みんなが大好きな「時間逆行」に「忘却」を加えることで、擬似的な「出れない〇〇」を再現できるんじゃ? という草的新発見に基づいています。もし読者様の中に作家様がおられましたら、是非パクってください! あなた様のより良い創作の一助になれば幸いです。拙草も「あの作品を育てたのは……儂じゃ!」とか言ってみたいです。
また、本作を少しでも面白いと思っていただけましたら、ご評価・ご感想をいただけると嬉しいです。拙草の励みになりますᴡ