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エピローグ3


 水曜日になった。

 朝、私はいつものようにアパートを出発し、通勤経路である橋にさしかかる。



「……今日もいるな」



 16歳の女子高生が殺害された現場となった橋の上。

 そこに、殺害された少女の幽霊が今日も座り込んでいる。


 昨日は両手を合わせて彼女の追悼に訪れる人がちらほらと見られたが、今は閑散としている。



「…………」



 その幽霊の少女の目の前で、私は立ち止まった。


 しばし彼女を観察する。

 彼女は、座った姿勢で私を見上げている。


 一昨日からだったか、彼女は明らかに私に向くようになった。


 私が見下ろしても彼女は何も言わず、怖がるような素振りもない。

 最初は私の方が戸惑ったが、今では大分慣れてきた。


 ちなみに昨日と一昨日は、橋を出ても橋の入口に戻されるようなことはなかった。

 これまでのように橋を渡り、まっすぐ自宅に帰れた。


 事件があったあの日とは、状況が違うのだろうか?



「……ふむ」



 私は左右に視線を送る。

 人がいないことを確認し、念のため靴紐を結び直すフリをしてその場にかがむ。

 そして、座っている彼女の高さで視線を合わせて



「おはよう」



 …………彼女からの返事はない。


 元から期待していないので落胆もないので、まぁそんなものだろうと思う。


 それでも概ね満足した私は、「行ってきます」と小声で立ち上がり、駅へと歩みを進めたのである。









『…………』




『…………ィ…テ、ラ……シャ……』







■■■■■

■■■



 昼休み、同僚である後輩との昼食を済ませると、いつもの流れで喫煙スペースに向かう。

 私はタバコを吸わないが、喫煙者である後輩と関わっているうちに何となく身についた習慣である。


 私はタバコを吸う代わりに、自販機で買った缶コーヒーをすする。

 これくらいの贅沢は許してもらいたい。



「…………」



 その後輩である木下君からの愚痴とノロケ話が収まった今、私は彼女――幽霊の少女のことを考える。


 彼女は今も、あの橋の上で座り込んでいるのだろうか?


 幽霊とはいえ、年頃の少女がずっとあんな所にいるのは気が引ける。

 実際に彼女はあそこで殺されてしまったわけで、心情的にも決して良いとは言えないと思う。


 私個人としては、彼女とのコミュニケーション? を楽しみにしている節もある。

 それでも……だからこそ、せめて彼女には報われて欲しいと考える。



「…………どうしたものかな」


「何が『どうした』んすか?」



 思わず口に出てしまっていたらしい。

 私の呟きに、隣でタバコを吸っていた木下君が顔を向けてきた。

 二枚目の優男やさおとこである。



「すまん。何でもないから気にしないでくれ」


「え゛ーーーー!?」



 私の拒絶に、木下君はそのイケメンを歪めた。

 分かりやすく眉間にシワを寄せている。



「んな思い詰めた顔して何でもないわけないじゃないっすかッ!

 水くさいっす!

 自分は悲しいっすッ!」


「…………」



 そんな思い詰めた顔などしていただろうか?

 私は自分の頬を引っ張ってみる。



「そもそも天海さん、月曜からおかしかったっす!

 明らかに凹んでたっす!

 自分、これまで触れないでいたけど、もう限界っす。何があったかとっとと吐くっすよッ!!」


「えぇ」



 どうやら私のことを気遣ってくれていたようだが、その彼の大声による脅迫じみた追求のせいで、無駄に喫煙所の注目を集めてしまっている。

 せっかくの気遣いが、だいなしである。


 ちなみに彼が言った天海あまみとは、私の名前である。



「その、人に聞かせるような話ではないのだが」



 既に40を過ぎた歳にもなって「幽霊の少女が報われることを考えていた」などと言うのは、さすがに恥ずかしい。


 私は左右に視線を送り、この場で話すことの忌避感を示す。



「そういうことっすか。じゃあ……ハイ」



 そう言って木下君は、私に耳を近づけてくる。

 私は後ずさろうとしたが、背後は壁。

 ジリジリと迫る木下君に押され、背中が圧迫される。



「…………しょうがないな」



 木下君の熱意と何よりも周囲から向けられる好奇の視線に根負けし、私は木下君の耳に口を近づける。

 一瞬だけ嘘をつくことも考えたが、結局私は本当のことを言った。


 目の前の彼は鬱陶しくて粗忽そこつ者だが、決して悪い男ではないのである。




「実は、先週末から幽霊が見えるようになってね。女子高生の。

 ほら、この間のテレビでもやっていた連続殺人事件に巻き込まれてしまった子なんだ……が……?」



「……………………」




 話の途中で木下君の耳が離れた。

 彼は眉をひそめ、哀れむような視線を私に向けてくる。



「天海さん……それ、疲れて幻覚が見えてるヤツっす。

 昨日だって帰ったの何時っすか?」


「昨日?

 昨日は確か、9時半過ぎくらいだったか」



 幻覚うんぬんはとりあえず無視し、私は聞かれたことだけ答えた。

 今週は急ぎの仕事がなく、昨日も早く帰れた……と思う。


 私の回答に、木下君は「うわぁ」と引く様子を見せた。

 ちょっと傷つくのだが。



「やっぱ働き過ぎっす!

 労基署に訴えても良いレベルっすよっ」


「そう……だろうか」


「そうっす!

 今日は定時に帰るっすよ!

 ちょっと部長にも言っておくっす」



 そう言い残し、木下君は慌ただしく去って行った。



「……………………」



 もうすぐ昼休みが終わる。

 彼の言うとおりに定時で帰れるかは不明だが、帰るためには仕事を終わらせる必要がある。


 私はおとなしく自席に戻り、粛々(しゅくしゅく)と仕事を進めることにした。



■■■■■

■■■



「…………本当に定時で帰れるとは思わなかったな」



 5時を過ぎ、さぁもうひと頑張りといったタイミングで、私は直属の上司である部長の石崎さんに肩を叩かれた。

「今日はもういいから」と言われ、隣の席の木下君が何やら男らしい顔で頷いてくる。

 そうした状況に甘え、思い切って帰宅した次第である。


 思いのほか混んでいた電車の車内で人に揉まれ、人で賑わう店舗を横目に駅から歩きだす。

 こうして日の出ているうちに帰れるのは、いつ以来か?



「~~♪」



 夕飯はどうしよう。

 平日だけど酒でも飲んでみようかな?


 そんなことを考えながら、鼻歌を交えてウキウキと歩く。



「……お」



 いつもの橋が見えてきた。

 今朝と変わらず、橋の上には彼女の霊が座り込んでいる。

 彼女の顔は、橋の上の通行人ではなくこちらに向いている。


 ……何となく彼女が嬉しそうに見えるのは、恐らく私が勝手に浮かれているだけで気のせいであろう。



「…………」



 私は彼女の前に到着すると、今朝と同様に膝をつき靴紐を結び直すフリをする。

 周囲に人がいないことを確認し、彼女と視線を合わせてこう口にする。



「ただいま」


『おかえりなさい。今日は早いんですね?』


「おぉそうなんだよ。

 後輩と上司が気にかけてくれて……ね……?」



 今、とんでもないことが起きた気がする。

 目の前の彼女が、喋った……のか?



「…………」


『…………?』



 私は驚愕のあまり目の前の彼女をガン見してしまう。

 彼女は微笑みを浮かべており、可愛らしく首をかしげている。



「…………喋れたのか? キミ」


『はい。ただ、あなたにしか聴こえていないようなので、これで「喋れて」いるのかは微妙ですけど』



 なんということだろう。

 非常に流暢な答えが返ってくる。



「その、私のことが分かるか?」



 未だ動揺が収まっていないせいか、自意識過剰に思われるであろうことを聞いてしまった。

 それでも彼女は『はい』と答えてくれる。



『昨日も一昨日も、あなただけがわたしを見ていました。

 あなた以外の人は、わたしに気づかないようなので』


「そう……みたいだな」



 ちょうど後方から近づいてくる気配があった。

 自転車に乗ったその人物は、靴紐を結ぶフリをしている私を回避するが、橋の中央で身体を横に向けて座る少女の足先をいて……はいないのか。

 やはり少女の存在には気づいていない様子であった。

 いやいや、それよりも



「今、自転車がキミの足を突き抜けて行ったが……痛くないのか?」


『はい。痛みは感じません』


「恐くはないのか?」


『そうですね。特に恐いということもないです』


「そうか……」



 今度は橋の向こう側から人が歩いてきた。

 先程とは異なり、少女の上半身を突き抜けて、私の横を通り過ぎて行く。



「その……なんでキミはそんな所にいるんだ?

 ここから動けないのか?」


『はい。わたしはここから一歩も動くことができません』



 これは私の推測が当たった。

 やはり彼女は、決して好きでこの場に留まっているのではない。



「それは大変だな」


『はい。暇すぎて大変です。

 退屈で仕方がありません』


「……なるほど」

 


 この答えは推測していなかった。

 幽霊が「暇」と言うのは意外である。


 しかし考えてみると、彼女は16歳の女子高生であった。

 多感な年頃の子が1つの場所に拘束されるのは、確かに苦痛であろう。



「そもそも、なぜキミはここから動けないんだ?

 怪我でもしているのか?」


『それは……』


「それは?」



 初めて彼女が言いよどむ様子を見せる。

 私は、彼女が一瞬目にした方向にある……それの存在に気がついた。


 ――赤黒く染まった藁人形。


 供えられた花々の上の手すりの所に、今も藁人形が打ち付けられているのである。



「アレか」


『…………』



 彼女は沈黙を返す。

 それこそが答えであろう。


 釘によって固定されている藁人形の状態は、今の彼女の状態を表している。

 そのように直感した。



「あの藁人形の釘を抜けば、キミは動けるようになるんじゃないか?」


『…………っ』



 思いついたことを聞いてみた所、彼女の目が揺れた。

 ——正解ビンゴである。

 

 私はこの場を立ち上がり、藁人形に手を伸ばす。

 そこに『待って』との声がかかった。


 振り向くと、彼女は不安そうな顔を私に向けていた。



『その、藁人形にはなるべく触れないように』


「釘の所であれば問題ないか?」


『釘だけであれば……大丈夫、と思う。

 けれどあなたには迷惑がかかってしまうと思います』


「…………」



 迷惑であれば既にかかっている。

 私は無言で振り返り、その釘に触れてみる。


 冷たく硬質な感触を伝えてくる、普通……の釘である。



「…………」


『…………ん』



 釘の頭をつまんで引っ張ってみる。

 藁人形の先の手すりにがっちりと食い込んでいるようで、動く気配がない。



「簡単に外せそうにはないな。であれば」



 幸い私には対処の心当たりがある。

 まさに、「こんなこともあろうかと」というやつである。



「すぐに戻る。少しだけ待ってなさい」


『あ……』



 そう言い残し、私はこの場から駆け出して行った。



・エピローグ4(最終話)へ


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