エピローグ2
『一昨日の早朝に霧香市の川沿いで遺体で発見された高校生の森安遥さんの殺害事件を受けて、警察は、近所に住む15歳の無職の少年を逮捕しました。
一昨日の正午過ぎに現場近くの公園で警察官が職務質問をした所、刃物を持って暴れたためにその場で身柄を拘束したとのことです。
その後の調べで森安さんの殺害を認める供述をし、また、少年が所持していた刃物が被害者の森安さんの傷口と一致していたため逮捕に至ったとの情報が入っています』
「…………」
月曜日の朝7時半、私はいつものトーストを噛りながら報道番組を聴いていた。
昨日の夕方から夜にかけて繰り返し聴いている内容であり、今更思う所はない。
一昨日の正午過ぎ、私が警察官の谷口さんに公園内の少年の存在を通報した時点で、警察は既に彼の存在を把握していた。
近所で殺人事件があったのに独りで不審な様子であったため、私以外にも何件かの通報が届いていたらしい。
私が通報しなくても事件は解決したであろう。
それでも谷口さんは、
「刃物を持っている可能性を言ってくれたのは非常に助かりました。
お陰様で怪我人を出さずに逮捕することができました!」
と電話で伝えてくれた。
出来た人である。
『───また、逮捕された少年の自宅から、少年の父親である男性の遺体が発見されました。
胸部や腹部を刃物で複数回刺されたことによる失血死と見られており、警察は事件の関連性と少年の動機を含め、慎重に捜査を進めているとのことです』
「…………」
この件については一昨日の夕方に知った。
食料品などの買い出しに階段を降りた所、複数の警察官が未だ慌ただしく動いていた。
付近でアパートの住人による井戸端会議が行われており、そこから得た情報である。
妻とは離婚し一人親だった。
子供が高校受験に失敗して辛そうだった。
最近は毎日のように口喧嘩をしている様子であった。
大人しそうな人なのに怒鳴り声がした。
……そんな話を聞いた。
『ここは事件が起きた霧香市の橋の上、3日前の深夜に、16歳の女子高生である森安遥さんが鋭利な刃物で刺された後に川へ落とされたとされる現場です。
早朝にも関わらずこのように多くの人が集まり、冥福を祈っています』
「……ぉ」
昨日までは、その橋に隣接する公園を含めた広い範囲で警察による規制線が敷かれていた。
なるほど、それが解除されたらしい。
考えてみたら、規制線が解除されずにあの橋が通れなかった場合、駅まで遠回りを強いられ余計な時間がかかる。
にも関わらず、今朝も普段通りの時間に起きて普段のタイムスケジュール通りに動いてしまった。
規制線が解除されなかったら遅刻だぞ……と私は頭を掻いた。
「いかん、本当に遅刻してしまう」
テレビの端に映る時刻を確認し、いそいそと席を立った。
早く準備をしなければ。
『……遥……ううっ、ハルカぁッ!』
「…………」
テレビの中では、制服姿の女の子が友人の肩に頭を預けて泣きじゃくる。
私はその声に背を向けて、洗面所へと向かった。
■■■■■
■■■
■
アパートを出て公園に入る前の時点で、制服姿の高校生、近所の主婦や老人、マスコミ関係者らしき人々でごった返していた。
団子のようになった人のグループがそこかしこに形成され、騒然とした喋り声にすすり泣きの声が混ざる。
「…………」
警察の誘導によって、追悼に訪れた人々の列が形成されていた。
私もそこに並んで彼女の冥福を祈りたかったが、今は時間がない。
心の中で追悼の念を抱きつつ、私と同様に通勤中らしき人の流れに沿って進む。
「ーーーーっ!!」
公園のカーブを抜けて橋が見えた時、私は衝撃を受けた。
橋の上。
追悼に並ぶ人々の真横に、座り込む少女。
私が金曜日の深夜に遭遇した制服姿の幽霊が、未だに存在したのである。
「…………マジか」
彼女の殺害事件が解決し、一先ずの供養も済んだであろうと完全に油断していた。
彼女は座り込んだ姿勢で、ハンカチを目に当ててすすり泣く女子高生をぼんやりとした表情で見上げている。
彼女の膝から先が、そのすすり泣く子の足先に重なって突き抜けているのだが
「気付いていないのか?」
私は橋を歩きながら人々を眺める。
その中に幽霊の彼女に目を向ける人は、いないようである。
彼女の姿は、私だけに見えている……のか?
「…………」
警察の規制線が敷かれていたこともあり、私は土曜日と日曜日でここに来ることはなかった。
その間も、彼女はここに居たのだろうか?
誰にも認識されず、ずっとこの橋の上に。
「だとすると」
とても哀れなことに思えた。
報道によると、彼女は16歳。
まだ子供である。
その子供が、家にも帰れず……一人きりで。
「…………」
この橋の上から臨む川の景色は、雑草が伸び放題である上にごみが散乱しており、決して良好とは言えない。
さぞかし気も滅入るであろう。
「…………いや」
果たしてそうだろうか?
金曜日、私が彼女に触れた時、彼女は私に見向きもしなかった。
私の去り際もそうであった。
彼女は何も見ておらず、現在の自身の状況を認識していない可能性もある。
「…………」
彼女について考えながら、私は橋の上を進む。
前方の彼女の横顔を見ながらである。
その時
「っ!?」
ふと彼女が、こちらを向いた。
私はとっさに視線をそらしたが、一瞬目が合った……気がする。
「……………………」
バクバクと心臓が鳴るのを自覚し、荒くなりかけた呼吸を必死で抑えながら速足で彼女を横切った。
気が付いたら私は橋を渡り切っていた。
私はふう……と大きく息を吐く。
「今日は、問題なく出れた……か」
金曜日のように橋の入り口に戻されるということはなかった。
人目がある日中だと違うのだろうか?
往路と復路で違う、とか。
「…………」
後ろを振り返る。
橋の上の彼女はもう私を見ておらず、隣に並ぶ人の行列に不思議そうな視線を送っている。
その行列の隙間から、釘で手すりに打ち付けられている赤黒い藁人形が
「……何だったんだろうな?」
私は軽く頭を振ってそう呟いてから、駅に向かって歩き始めた。
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