エピローグ1
───ピンポン とインターフォンの音で目が覚めた。
二度寝したい衝動に駆られたが、通販で何か頼んでいたかもと思い起き上がる。
インターフォンのモニター越しの通話機能は故障中である。
仕方がなく肌着の上にズボンだけを履いて玄関に向かう。
念のためチェーンロックを掛けてからドアの鍵を解除し、薄くドアを開いた。
「はい」
ドア越しに見えたのは、白いワイシャツにネクタイの生真面目そうな男と、青いチェックのシャツで胸元の開いた厳つい男であった。
彼らは揃って手帳をこちらに向けてくる。
手帳には、彼ら自身の顔写真が印刷されていた。
「お休み中の所すみません。
霧香署の山本と申します」
「谷口です」
「我々は現在聞き込み調査をしていまして。
……すみませんが、チェーンロックを外して中へ入れていただけますか?」
「はぁ……」
彼らは警察官であるらしい。
有無を言わせない話の進め方に思う所もあるが、国家権力には逆らえない。
私は素直にチェーンロックを外して大きくドアを開けた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。
お邪魔します」
「……」
2人の警察官が頭を下げながら玄関に入った。
「では早速ですが、この少女に見覚えは?」
「…………っ!?」
そう言って生真面目そうな警察官が取り出した写真。
そこは、制服姿でこちらに小さな微笑みを浮かべる少女の顔が写っていた。
昨晩あの橋の上で遭遇した、あの幽霊の少女である。
「…………」
写真の少女の目は瑞々しく光っており、先の未来に向けて大きな期待と僅かな緊張感を感じさせる。
その点で昨日の幽霊とは印象が異なるが、髪型や顔のパーツの造形が一致している。
一卵性の双子とかでなければ、ほぼ間違いなく同一人物であろう。
「……どうしました?」
その声に顔を上げると、2人の警察官が不審そうな目をこちらに向けていた。
「あ! いえ、昨日の帰りにその子とすれ違った……ような気がしたので」
私はしどろもどろに答える。
「それはどこで、何時頃のことでしょうか?」
生真面目そうな警察官がこちらに身を乗り出して聞いてくる。
「場所はそこの公園の先の橋の上で、時間は0時近くだと思います。
……昨日も残業だったので」
「ッ! その時の様子は!?」
「様子、ですか?」
これは困った質問である。
バカ正直に、幽霊になっていて藁人形を見ながら座り込んでいました……などと、警察官相手に答えられるわけがない。
「その、すれ違った気がした……だけなので、様子までは」
「そうですか。
……詳しくお話を伺いたいので署までご同行を」
「——山本」
一歩踏み出して私の腕を掴もうとした生真面目そうな警察官を、もう一人の厳つい警察官の声が止めた。
彼はいつの間にか玄関に膝をついており、なぜか私の靴を手にして首を横に振る。
「すみません。足のサイズはおいくつですか?」
生真面目そうな警察官は私に向くと、そんなことを聞く。
「26.5センチですが?」
「そうですか。……確かに違うな」
「…………」
2人の警察官はうつむいて黙考する。
私はその重苦しい沈黙に耐えかねて、気になった点を質問してみることにした。
「すみません、その……違うというのは?」
「ああ、犯行現場にあった足跡のサイズとは違うなと。
あなたは容疑者から外れるようです」
なんと!
私は危うく容疑者にされるところだったらしい。
結果的に違うと判断してくれたようだが、しかし
「犯行現場……ですか。
それは、その子と何か関係が?」
「「…………」」
この私の質問に、2人の警察官は気まずそうに視線を送り合う。
「捜査上の守秘義務があるので詳しくは言えんのですが……」
厳つい方の警察官が口を開く。
そう前置きをしたうえで、彼は私にこう話した。
「殺されたのです。昨日の深夜、あなたの言うあの橋の上で。
今朝通報があり、川の岸辺で遺体が発見されました。
鋭利な刃物で刺された後、橋の手すりから川に投げ落とされたようなのです。
非常に残忍かつ猟奇的な犯行ですが、犯人は未だ見つかっていません!」
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「犯人はまだ近くにいるかもしれません。
危険なので外出は極力控えるようにお願いします。
玄関の鍵も閉めるようにして下さい」
「もし何かあれば、こちらにお電話ください。
しばらくはこの周辺を捜査していますので直ぐに駆けつけます!」
そんな言葉と名刺を残し、彼らは去って行った。
「……はぁ」
彼女――あの幽霊は、私の幻覚などではなかった。
警察官である彼らの話によると、昨日まではただの女子高生であった、実在する……していた、普通の子だったのである。
写真を見た限り、悪い子には見えなかった。
……むしろその逆である。
きっと友達も多かったであろう。
彼氏だっていたかもしれない。
「そんな子が、何でまた」
そんな凄惨な殺され方をしたのか、私には全く理解できない。
「12時……か」
時計を見ると既にお昼どきであった。
外出を自粛すべき状況で、部屋にはインスタント食品の蓄えがあり食べるものには困らない。
しかし肝心の食欲が、一向に湧いてこない。
これではいけない。
どうにかして、気分を紛らわす必要がある。
「……布団でも干すか」
五月晴れというやつか、昨日は晴天に恵まれた。
今日もそのようで、遮光カーテンの隙間から差し込まれる光は、陰鬱な淀みを浄化してくれる力強さを感じさせる。
既に室内が蒸し暑い。
「そう言えば、カーテンすら開けていなかったな」
とカーテンを開き、その流れで窓も開く。
「……?」
アパートの3階。
そこから私の目に映る景色には、川沿いの児童公園が含まれる。
彼女の殺害現場であったあの橋に隣接する、昨晩は私が辿り着けなかった公園である。
その公園内に、人の姿があった。
殺人事件の犯人が未だ捕まっていない、この状況で。
「彼は……確か」
私はその人物を知っている。
この敷地内で何度かすれ違ったことがある、同じアパートの住民の子供……であったはず。
赤いトレーナーにベージュのデニム、スニーカーといった格好である。
「名前は、何だったか?」
私が思い出せずにいる間にも、彼はフラフラと覚束ない足取りで公園内のベンチに向かっている。
よく見ると、黒い小型の折り畳み傘のような何かを持っている。
「っ!」
私は息を吞んだ。
私の視線の先で彼が立ち止まり、ギョロギョロと左右を見回したのである。
まるで落ち着きがなく、私がここから覗いていることには気づいていない様子である。
それでも目を合わせてはマズイと感じ、私はこの場に身を伏せた。
―――ヒヒッ
そんな声が聴こえた気がした。
私はゆっくりと窓の縁から顔を上げる。
ベンチに座った彼が、気持ちの悪い笑みを浮かべながら、手に持つ黒い何かから幅広の物体を引き出している。
それはギラギラと太陽光を照り返している、金属であろう部分を露出している。
私がそれを見た瞬間、脳内でフラッシュバックしたかのように映像が浮かんだ。
赤い液体を滴らせる剥き出しのアーミーナイフを両手で握りしめ、常軌を逸したように嗤う。
その顔は……
「ーーーーッッ!!!」
気がつくと、私の身体は自室の窓の下にあった。
背中を壁につけて座り込んでいる。
「フーッ……フーッ……!」
腕に鳥肌が立ち、背中から冷たい汗が流れる。
全身が震えてガチガチと歯が鳴る。寒い。
「フーー……ッ」
必死で息を整える。
震えが落ち着くまで、しばらくの時間を要した。
「…………」
何だったんだ? 今のは。
もう一度、私は窓の縁から少しだけ顔を上げて彼の姿を覗いてみる。
「…………」
黒い物体……アーミーナイフの鞘だろうか?
それを彼は太腿の上で抑え、落ち着きなくギョロギョロと周囲を見回している。
私に先程のフラッシュバックのようなものは現れない。
私は音を立てないように窓を閉め、そっと窓を離れた。
「…………」
彼について考える。
彼女の殺人事件──鋭利な刃物で刺された挙句、川に投げ落とされるという凄惨な事件であり、その犯人は未だ捕まっていない。
犯人が近くにいる可能性があり、外出は危険である。
……そんな危険な状況であるにも関わらず
「彼は公園にいる」
その公園で殺人事件があったことを、彼が知らない可能性もある。
しかし私が目にした彼の様子は、まさに不審者そのものであった。
もともと落ち着きの無い子ではあったが、そこまで酷くはなかったと記憶している。
「…………」
彼が持つ黒い物体のこともある。
あれに収められているのが本当に鋭利なアーミーナイフであるとしたら、間違いなく彼は危険人物。
それも、彼女を殺害した犯人である可能性が高い!
「フー……」
私は、深呼吸をして息を整える。
布団の枕元で充電中の携帯電話を拾い、先程もらった名刺の番号を1つずつ確認しながら押していく。
そして
「もしもし、谷口さんの携帯電話でよろしいですか?
先程お話した……はい、そうです。
今、私のアパートの裏にある川沿いの公園に――」
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