道化師の仕事
ライモが次に訪れたのは娯楽室だ。アーチ状で孔雀が向き合っている豪奢な扉を開けると、耳に音楽が飛び込んできた。
ヴァイオリンにチェロ、ホルン、クラリネット、打楽器。様々な音が重なり合い美しい旋律となる。まったく形も音も違う楽器同士がハーモニーするのが不思議だ。
指揮者が指揮棒を下げて音楽を止めると、こちらを振り返った。
燕尾服を着たで四十代ぐらいの女性で、短い巻き毛の金髪を後ろになでつけて、切れ長の目につんと高い鼻をしている。
「お初にお目にかかります。宮廷道化師に任命されたましたライモ・フリッグです」
ライモの城内での立場は、宮廷音楽士と同じ部門とされる。
「話は聞いています。私の名前はリゾルデ・フォークリット。よろしく」
ライモはリゾルデと握手をした。
「私の父は宮廷道化師でした。参考になるかと思い、父の日記をあなたにあげるわ」
リゾルデが楽譜棚の上においてあった分厚い三冊のノートをライモに渡した。
「ありがとうございます! 宮廷道化師がどんな職務なのかよくわからなくて、困ってました」
ノートを両腕で抱えたライモに、リゾルデは微笑みかけた。
「ライモくん、初めまして。僕はオーボエ奏者のジョンだ。君に部屋を案内するよう言伝を受けているんだ。さっそく、案内するよ」
ジョンはまだ十代の面差しが残った、愛嬌のある顔をした青年だ。ライモの部屋はジョンの隣で、何かわからないことがあったら聞くようにと言ってくれた。
優しい人がたくさんいてくれて、よかったとライモはほっとする。
部屋はベッドとクローゼット、机があり清潔だ。もってきた少ない荷物をクローゼットにいれ、机に置いた宮廷道化師の日記を読もうとした時である。
ドアがノックされた。
開けると、息を切らしたメイドがいた。
「ヘレナ姫がお呼びです。早く来てくれと朝からもうお騒ぎで」
くたびれた様子でメイドが言った。メイドから「学校」へ行くよう言われる。そこは姫様と侍女見習い、官僚や大臣の子らの学び場だ。
身分関係なく城に携わる親を持つ子なら誰でも通えて、ライモもそこで学ぶ許可を得た。
とにかく広い城を移動するのは大変で地図を見ながらようやく「教室」にたどり着いた時には昼過ぎだった。
教室城の豪奢さとは切り離された質素な部屋で、まだ木目が若い柔らかな色をしていた。
引き戸をノックすると、眼鏡をかけた女性教師が開けてくれた。
「わあ、あいつだ! ライオン出した魔法使いだ!」
教室に入ると、子供たちが沸き上がって歓声を上げた。年齢は下は五歳から上は十代の子まで、身なりはよかったり普通だったり、いろんな子がいる。
「やっと来たわね、ライモ! ねぇ、約束通りライオンに乗せて!」
ヘレナ姫がライモの手をにぎってねだる。おさげにエプロンドレス姿のヘレナは普通のおてんばな女の子に見えた。
「姫さまの次はおれだよ! おれがのる!」
「じゃあぼくはその次!」
小さい子たちの騒ぎに、女性教師はため息をついた。
「今日はもう授業にならないわね。では、みなさん庭に出ましょう。ライモ君の紹介もかねて、今日は魔法について学びましょう。ライモ君、お願いします。申し遅れました、私は教師のマリアよ」
ライモはマリアと握手をした。
黒髪をお団子にまとめて紺色のドレスを着ているが、華やかな顔立ちの美人だ。
子供たちのために作られた芝生の庭には、大きな樫の木があり太い枝からはブランコが垂れ下がっていた。花壇にはチューリップが色とりどりに咲き、匂いのある風が吹く。
白亜の城壁に囲まれた、春の庭をライモは見渡した。
「魔法使いはアステール国にやってきたのは、貿易の規制がゆるくなってからです。魔術道具を売りに来た魔法使いが移住してきました。私たちの国で革命が起きたその頃、魔術大国は滅びてしまい、生き残った人々が世界中に散らばり、魔法の力が知られるようになりました。
不思議なことに、皆さんも知っている国を守っている世界樹の大木は、遙か昔、魔術師が種を植えたとされています。魔法が仕えるのは、親が魔法使いの人です。血で受け継がれるのです。ライモ君、あなたの魔法について、話してくれるかしら?」
「はい。僕は両親が魔法使いで、二人から教えられました。でも、母が僕を捨ててどこかに行ってしまったので、サーカス団に入れてもらいました。そこで、魔法使いの旅人に教えてもらったり、本で学びました」
「そうなのね。ライモ君は努力家ですね」
マリアが少し悲しそうに微笑む。
「論より見せた方が早いと思います。実はちょっと疲れるけど、みんなと仲良くなりたいから特別だよ
」
ライモはわくわくしている子供たちに、満面の笑顔を見せた。
「ほーら、お待ちかねのライオンだ!」
ライモが叫ぶと、謁見室で出したライオンよりも二倍ある、巨大ライオンが現れた。
お座りをしてライオンが尻尾を振ると、芝生が花畑になった。
子供たちの歓声は、城中に響き渡った。ライオンは大きいがおとなしく、下がった目尻で子供たちを見ている。少し怖がった子供もそれで気を許し、ライオンに近づいてきた。
尻尾や足に触っても、ライオンは怒らない。
「五人ぐらいは同時に乗れるよ。危ないから小さい子たちは僕と乗ろうね」
伏せのポーズをした虎の背中に、ライモは子供たちを乗せる。
「わたし、一番前がいい!」
勢いよく手を上げてきたのは、ヘレナ姫だ。ライモはマリアを振り返っていいですか、と問う。ライオンに圧倒されていたマリアが慌ててずり下がった眼鏡をあげる。
「ヘレナ姫、気をつけてね」
「大丈夫!」
ヘレナはライオンのたてがみを、ぎゅっと握って答える。ライオンは堪えるようで目をつむった。
「よし、ヘレナ姫は僕に捕まって。後ろの子も、僕につかまってね。さあ、行くよ」
ライオンは子供たちを乗せて、ゆっくりと庭を走った。子供たちがきゃあきゃあ歓声を上げる。バルコニーから何事かと大人たちが見学に来ている。
一周して、次の順番の子たちを乗せる。小さい子たちを一通りライオンに乗せてから、ライモは同じ年くらいの子や年上にも声をかけた。
「ライオン、乗りますか?」
「あたくしは怖くて無理です。馬にも乗るなと言われていますから」
身なりの良い令嬢マリアンヌはお辞儀をして辞退した。
「あたしは乗るわ」
突然、ふわりと花の良い香りがした。花冠を頭に乗せられた。
胸元と袖にレースがたっぷりついたブラウスを着た中性的な少年は女言葉を使った。
「あんた何歳?」
「十二歳だよ」
「じゅあ、あたしと同じ年ね。その花冠はあたしが編んだのよ。ライオンに乗せてもらうお礼にね。あたしはレイサンダー・ジャック・ヴィクナー、騎士の子よ」
レイサンダーは自己紹介して、さっそうとライオンにまたがり、悠々と一周した。変わった子だな、とライモは思うが同じ年の子がいてよかった。
「俺は子爵の息子、ウィル・アンドリュー・ホワイトだ。おまえ、初日から目立っていい気になるなよ」
ウィルはライモの肩を軽く押してきた。地位の高い子から受けるこういう態度は想定内なので、ライモは気にしない。
「レイサンダーってあいつ、変だよな。男のくせに女言葉だぜ」
にやにやと笑ってウィルが言う。
「別にそういう人もいるよ。彼の個性だよ」
ライモがそう答えると、ウィルは眉をひそめて離れていった。
「みんな、今日からよろしくね。魔法のライオンに、バイバイしてね」
ライモはサーカスのステージで話していた調子で、みんなに呼びかけた。
ライモはライオンの背中をひと撫でして、翼を与えた。ライオンは前足を上げて飛び立ち、子供たちのバイバイという声を受けて太陽に向かっていった。
「ライモ、また魔法を見せてね!」
ヘレナ姫が手を握って、笑顔で言った。
「もちろんですよ。僕はあなたの道化師ですよ」
ヘレナが笑顔になる。
「わたし、あなたが好き! ずっと一緒にいてね」
ヘレナがライモの手をぎゅっと握った。ライモは小さな手をそっと握って微笑み返す。
この元気な姫様が、もう泣かないようにがんばろう。
後ろから強い力で抱きしめられた。驚いて振り返ると、マリア先生だ。
「あなたは素晴らしい魔術師ですよ!」そう叫んでから、慌ててライモを放す。「ごめんなさい、ここまですごい力をもっていたなんて! 感激してしまいました」
マリアが頬を赤くする。
「あらあら、すごい新人が来たのね。楽しくなりそうね」
レイサンダーが言うと、みんなが笑った。サーカスで大人に囲まれていたライモは、子供たちと学べることがうれしい。
ライオンを出して疲れてしまった。与えられた部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
そういえば、指揮者のリゾルデからもらった宮廷道化師の日記が気になる。
読み始めると止まらなかった。
ライモは立派な宮廷道化師になると、覚悟した。
道化師と王は一心同体だ。
自由自在に批判せよ。
自由自在に愚かにふるまえ。
自由自在に変化せよ。
自由自在に王や貴族を批判せよ。
楽しませる時は命を費やして楽しませろ。
ーーーガルトス・フォークリット