任命
厨房を出ると広い廊下に出た。
「ライモ殿!」
名前を呼ばれた方を見ると、サーカス団にスカウトに来た官僚シモンズがいた。
「お疲れさまでした。もう大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。お世話をおかけしました」
「いいえ。素晴らしい曲芸でした。そして宮廷道化師に選ばれたこと、心よりお喜び申し上げます。私も鼻が高いですよ」
シモンズが胸を張って言う。
そうだ、宮廷道化師に任命されたのだ。まだ実感がない。けれどシモンズが喜んでくれたのはうれしい。
「ライモ、大丈夫か!」
どたばたと団長が走ってきて、ライモの肩に手を置いて顔色をうかがってくる。ライモは頷いた。
「では、また明日、荷物をもって私の元へ来てください。部屋を案内します。おめでとうございます、これから私たちは城で働く仲間です」
シモンズと握手をした。
官僚さまとしがない道化師の自分が、仲間だなんて。とんでもないことになった。
サーカス団のテントに帰ると、ライモは抱擁とキスの嵐を受けた。
強面の火ふき男が歓喜の涙を流して、その涙は止まることがなかった。
「やったな、ライモ。おまえの才能が認められたんだよ」
ピーターが誰よりも喜んでくれた。
「おチビさんだったおまえも、いっぱしの宮廷道化師だ。おれはいろんな道化師を見てきたけれど、魔法と曲芸を組み合わせて人を楽しませる
奴は初めてさ、おまえが選ばれて当然なのさ」
ピーターは目の端に涙を溜めて言った。
サーカス団はやれライモの任命式だとビールを浴びるように飲んではしゃいでいる。
ライモその狂騒が人事のように感じて、目を伏せた。
「そうかな。本当に僕でいいのかな」
不安を口にするとピーターに力強く抱きしめられたた。
「おまえはまた十二才だもんな。不安もあるだろうけど、城へ行くんだ。辛い時や悲しい時はこっそり帰ってこい。どこに行こうと、おまえはおれのかわいい弟だよ」
そうだ、不安なんだ。
知らない人ばかり、しかも王様に仕えるなんて想像もつかない。
ライモはピーターに抱きついて泣いた。
※
ライモは団長と城門へ来た。門番が二人を通し、跳ね橋が下ろされた。
「ライモ、それじゃあ、またな」
団長はあっさりとそう言って、去っていった。またな、という言葉が嬉しかった。
ライモはおそるおそるの足取りで城内に入った。
正面に大階段があり、いろんな身なりの人が行き来するエントランス
に立ち尽くしていると、背の高い男が近づいてきた。
男の顔は怖かった。細い眉と目の距離が近く、鼻筋の通った細長い花、一文字の唇は薄い。黒い髪を後ろにきっちりなでつけ、額は広く四角い。
「君がライモ・フリッグだね。私は大蔵省副大臣ジーモン・サム・ディートフリートだ」
ジーモンの一歩は大きく、ライモは小走りでついていく。
「君は私の年齢がいくつだと思う?」
唐突な質問にライモは首を傾げる。
「私は二十八歳だ。私の年齢を誰も言い当てたことがない。しかし私は人を見た目で的確な判断ができる。ライモ・フリッグ。君は年のわりにませているな、物わかりがよい努力家だ。魔術で巧みな曲芸を披露することからも普通の少年ではない。私はそういう人材を求めていた。君は」
ジーモンが立ち止まり、振り返る。ぶつかりそうになったライモは少しふらついた。
「興味深い。君は私が今まで見たことのない人相をしている」
ジーモンに凝視されてライモは蛇に睨まれたカエルのようになった。
ジーモンが謁見室に立つと騎士が扉を開けた。ライモは扉の前まで走って行き、深呼吸する。
「陛下、連れてきました」
ジーモンが報告して一礼し、下がる。ライモは王座の前に立って、深々と頭を下げた。
「この度はわたくしライモ・フリッグを宮廷道化師に任命して頂き、ありがとうございます!」
ライモは腹から声を出した。
「来てくれてありがとう。そんなに硬くならなくていいよ、道化師は柔らかい者ではないと」
エドワード王が笑った。
「近くに来てくれ」
王に手招きされて、ライモは王座の下に膝をついて座った。
「私はこの国を愛している。君も知っている通りこの国は独裁国家だった暗い歴史がある。私が怖いのは、私も独裁者になることだ。だから君には私の悪口を言って欲しいんだ」
「悪口、ですか?」
「ああ。さあ、さっそく言ってくれないか?」
エドワード王は身を乗り出して期待の目をライモに向ける。
王様の悪口を言うだって?
そんなこと考えたこともない。
しかし期待に答えて何か言わなければならない、必死に頭を回す。
「お、王様は……僕が出したライオンに、びびっておいででした」
言ってからライモは手を口に当てる。びびって、はないだろう。しかし本当に王様はライオンを怖がって、一瞬手で目を隠したのだ。
エドワード王の太い笑い声が謁見室に響いた。ジーモンもにやりとしている。
「そうだ! そうだった、君の魔法のライオンがあまりにも大きいから怖かったよ!」
どうやら期待に答えられたらしく、ライモはほっとした。そして暖かい笑い声を響かせる王を敬愛した。
「陛下、僕は今日からあなたの宮廷道化師です」
ライモは笑顔で言った。