7.商人
「……久しぶりに家に帰ってきたと思ったら、また妙なことを始めたようだな」
屋敷に戻った父が、夕食の席でわたしに言った。
「話術の教師から医師にいたるまで、あちこちに手紙を出しておまえ自ら手配しているそうではないか。どこぞの病弱な娘を、社交界デビューまでに目も覚めるような美姫に仕立ててくれ、とでも依頼が入ったのか?」
「そのようなものですわ。……いずれお耳に入るでしょうから申し上げておきますけど、マクシリティ侯爵家のご次男、ヘルムート様の婚姻のお支度を、ベルチェリ商会に任せていただくことになりましたの」
えっ、と父が驚いたのがわかった。父もヘルムート様のことは子どもの頃からよく知っている。父の心象的には、ヘルムート様は親戚の子どものようなものなのだろう。
「なんと、ヘルムート様の……、それでお相手は? 一体どなたなのだ? まったく何の噂も聞かなかったが……」
「まあまあ、ヘルムート様が。それはおめでたいお話ねえ。……でも、たしかにヘルムート様の婚姻については、わたしも何の噂も聞かなかったけれど……」
母も不思議そうに首をかしげている。ベルチェリ商会当主の妻として社交に励む母は、王都内の噂のほとんどを把握している。その母ですら何の情報もつかんでいないのだから、そりゃ不思議にも思うだろう。
「噂などなくて当たり前ですわ。お相手はこれから探すのですもの」
わたしは落ち着きはらって答えた。
父と母が目をむいているが、気にしない。
「ちなみに、お相手探しから婚約まで、いただいた期間は三か月ですわ。この三か月の間に、ヘルムート様のお相手を見つけ、婚約を成立させねばなりません」
うっ、と父が息を呑んだ。
「三か月……」
「父上、何を驚いていらっしゃいますの? 不可能を可能にするのがベルチェリ商会ではありませんか」
「……ライラ、あなたが有能なのはようくわかっているけれど、それでも人間には出来ることと出来ないことがあるのよ」
母が諭すように言ったが、わたしはキッと母を見やった。
「たしかにその通りですわ。そして、ヘルムート様の婚約は実現可能な案件です!」
「いやまあ、それはそうだが……」
父が言いづらそうにわたしを見た。
「たしかにヘルムート様は能力も血筋も問題ない。ご次男ではいらっしゃるが、苦しい台所事情を抱える貴族の婿にというなら、かえって好都合だろう。……母方の血筋を問題視されるかもしれんが、そこもまあ、貴族ではよくある話だしな、どうとでもなる。しかし、ヘルムート様は魔術師だけあって何というか……、いろいろとクセが強いお方というか……」
わたしは無言で両親を見やった。
二人とも、わたしの視線に気まずげに目をそらす。
両親は、ヘルムート様のことをよく知っている。子どもの頃からその成長を見守ってきた、田舎の親戚のようなものだ。けっしてヘルムート様を見下しているわけではない。
ただ両親は、骨の髄まで商人なのだ。相手に対する愛情が、その価値を測る目を曇らせることはない。
「……ライラ、ヘルムート様は、とっても良いお方だわ。容姿だって、今はそのう……、お仕事が忙しくてちょっとお手入れ不足だけれど、あなたが磨き上げれば、それは素晴らしい仕上がりになるでしょう。でも……」
母は言いづらそうに口ごもった。
わかっている。見かけは変えられても、性格までは変えられない。
両親は、ヘルムート様が魔法にかける情熱を、よく理解している。そしてそれが、ほとんどの貴族には理解されないであろうことも。
ヘルムート様の魔術師らしく実利を重んじる性格も、体面や儀礼にこだわる貴族には受け入れがたいものだろう。
「母上のおっしゃりたいことは、わたしにもわかっております」
わたしは深呼吸し、腹に力をこめて言った。
「それでもです、それでも! わたしはお引き受けしたのです。ベルチェリ家の者として、一度お引き受けした案件を、簡単に投げ出すわけにはまいりません。それに、おそらくこれが、ライラ・ベルチェリとして最後の仕事になるでしょう。……どうです、最後を飾るにふさわしい、素晴らしい大仕事だとは思われませんか?」
わたしの言葉に、母は「まあ」と少し驚いたような声を上げた。
父は苦笑し、わたしを見た。
「……そうか、そこまで考えているのなら、余計なことだったな」
「いいえ、父上と母上のおっしゃる通りですわ。これは大変難しいお仕事です。父上と母上のお力もお借りしなければ、とうてい成し遂げられませんでしょう」
「まあ、ライラ、何でも言ってちょうだい、何でも! わたしにできることなら、何でも手伝いますよ」
母が興奮したように言う。わたしは母に微笑みかけた。
「ありがとうございます、母上。……ではお言葉に甘えて、母上が最近入手なさった東方の化粧水を少しばかり……」
「あれは駄目よ! あの化粧水のためにわざわざ専門の冒険者を雇って、半年もかけてやっと入手したのよ!」
「母上、何でもするとおっしゃったではありませんか」
「化粧品は別よ!」
騒がしく言い合うわたし達を、父が少し呆れたような目で見ていた。