6.もう一人の幼なじみ
ヘルムート様は不信感まんまんだったけど、睡眠と食事が大切なのは本当だ。
体のどこかしらに不調があっても、この二つを改善すれば、あとは本人の体力にもよるが、重篤な病でない限りだいたいは復調する。
ヘルムート様のように、わかりやすく髪や肌に問題があらわれているならば尚のことだ。
まあ、いざとなれば化粧で肌荒れや顔色を隠すという荒業もあるが、やはりそれではカバーできないところもある。
たっぷりの睡眠に栄養をとった体は、何というか芯から潤って輝いてみえるのだ。これは化粧や魔術ではどうにもできない。
そもそも、婚活とはある意味、形を変えた戦争のようなものだ。気力体力を充実させて臨まなければ、とても勝利できない。見た目中身金権力、すべてを兼ね備えているのならば戦わずして勝利できようが、そうでないのなら入念な準備は必要不可欠だ。
わたしは魔術師の塔に戻ると、まっすぐ上司の元へ行き、午後からの休みを申請した。
「申し訳ありません、実家から急用を言いつかりまして」
「ベルチェリ商会からか。大変だな」
上司は鷹揚に頷き、許可してくれた。ベルチェリ商会の信用の高さが、こういう時は役に立つ。
わたしは魔術師の塔から、急いで実家に戻った。
王宮から馬車で一刻、市街地にも王宮にもほど近い、絶妙な立地にある我が家。先触れもなく帰ったのだが、執事のファーガスンが慌てず騒がず出迎えてくれた。
「お久しぶりです、お嬢様。旦那様は夕刻にはこちらにお戻りになるご予定ですが、お急ぎでしたら……」
「いいえ、大丈夫よ。それより、至急用意してほしい物があるの。品名はここに書いてあるわ。商会に使いを出してくれるかしら?」
わたしは執事に必要な品々を書いたリストを手渡した。
承知いたしました、とファーガスンがリストを受け取り、使いを出してくれた。
これでヘルムート様の初期装備がととのう。
この婚活を建築に例えるなら、土台を固めるのと同時進行で内装も仕上げていかねばならない。三か月しか時間がないので、だいぶキツい工程を組まねばならないが、何とかなるだろう。……いや、絶対に成功させてみせる。
わたしは自分の部屋に戻り、急いで何通か手紙を書いた。
書き上げた手紙をメイドに渡し、それぞれに花や小さな贈り物を添えて届けるよう指示する。
そうこうしていると、馬車回しに見慣れた紋章の馬車が入ってくるのが見え、わたしは部屋を出て玄関へ向かった。
「ライラ! 久しぶりだね!」
赤毛に青い瞳のハンサムな男性が、満面に笑みを浮かべてわたしに手を振った。
「お久しぶりです、アルトゥール・クベール様」
わたしが膝を折って挨拶すると、アルトゥールは笑いながらわたしの手を引き、ぐっと体を引き寄せた。
「そんな堅苦しい挨拶はしないでくれよ。昔みたいにアルって呼んで」
いささか近すぎる距離に、アルトゥールのにこやかな笑顔があった。
強引だが、わたしの腕をつかむ力は弱く、簡単に振りほどける。この絶妙な力加減が、アルトゥールの商売人としてのカンの良さをあらわしている、とわたしは思った。
少々無礼なくらいの気安さと、女性を怖がらせない優しさ。人好きのする明るい雰囲気と、何より女性に威力を発揮する整った容貌。それらの武器を十分理解し、適切に使用することのできる、アルトゥールは生粋の商売人だ。父が気に入って手元に置きたがるのも無理はない。
わたしはアルトゥールを見上げ、表情を変えずにきっぱりと言った。
「そうは参りませんわ。わたくしもアルトゥール様も、もう子どもではありませんもの。昔のような振る舞いをすれば、アルトゥール様との仲を邪推されてしまうかもしれませんから」
アルトゥールの手を振りほどくと、彼は小さくため息をついた。
「あいかわらずライラは鉄壁だなあ」
「……アルトゥール様、本日はどのようなご用向きで我が家へ?」
クベール家はベルチェリ家の傍流であり、仕事上の繋がりも深い。互いの家を行き来する仲であるが、今日のように主不在の屋敷を訪れたことはない。
アルトゥールは肩をすくめた。
「卒業祝賀会のため、急ぎ用意しなければならない物がでてきてね。ゲオルグ様は店を離れられないから、代わりに僕がここに来たってわけ」
「祝賀会……、もうそんな季節ですのね」
王都が雪におおわれる頃、国立魔術学院の卒業祝賀会が開催される。国立魔術学院は国内の主要貴族の子弟が在籍する教育機関のため、内輪の祝い事ではあってもその規模はかなりのものだ。
「今年は君の弟が卒業するんだっけ?」
「ええ、おかげさまで。リオンも無事、卒業を迎えることができましたわ」
正直、リオンの学業成績はあまり芳しいものではなかったので、ちょっとハラハラした。しかし何とか卒業試験をパスできて、両親ともども一安心といったところだ。
「……君の弟は、卒業したらベルチェリ商会に入るのかい?」
「それはもちろん。リオンはベルチェリ商会の後継者ですもの」
アルトゥールの探るような視線に、わたしはにっこりと微笑んでみせた。
アルトゥールの言いたいことはわかっている。
リオンが正式に後継者としてベルチェリ商会に入れば、わたしがベルチェリ商会のトップになる可能性は消滅する。つまり、わたしの夫となってもベルチェリ商会の実権は握れない。
正式な打診こそないが、アルトゥールはわたしの婚約者候補だ。彼は野心家だし、商会の後継者がどちらになるか、気になってしかたないのだろう。
だからこそ、ここはきちんと釘を刺しておかねば。
「両親もわたくしも、リオンが後継者としてベルチェリ商会に入ることを心待ちにしておりましたから、本当に喜んでおりますの。これからはリオンを支えるべく、わたくしも一層努力しなければと思っておりますのよ」
ほほほ、と笑うわたしを、アルトゥールがじっと見た。
「……君は、本当にそれでいいのかい? 失礼だが、リオンと君とじゃ明らかに能力に差がある。君のほうが商才はずっと上だ」
「まあ、ほほ、お褒めいただいて恐縮ですわ」
「本当のことだ。リオンには正直、ベルチェリ商会のトップに立つような頭はないと思うね」
わたしは苛立った様子を見せるまいと、にっこり微笑んだ。
よくも言ったな。
確かにリオンに商才はない……というか、商売人としてはおっとりしすぎている。それはアルトゥールの言う通りだ。
しかし、リオンにはリオンの良いところがある。けっしてベルチェリ商会のトップに立つ資質がないわけではないのだ。それに、アルトゥールがこんなことを言うのはわたしを思ってのことではない。単に自分がベルチェリ商会の実権を握りたいだけだ。そのためにわたしを利用するのはともかく、リオンを軽視するのは許せない。
わたしは心の中で拳を握り、表面上はしおらしく言った。
「まあ、そのように言っていただいて、なんと申し上げればよいのかわかりませんわ。ご期待に沿えず、心苦しゅうございます」
「君が望むなら、僕も君がベルチェリ商会を継げるように力を尽くすよ。君は僕の言う通りにするだけでいいんだ」
「アルトゥール様、わたくしを困らせないで下さいまし」
アルトゥールはわたしをじっと見たが、わたしが表情を崩さないままでいると諦めたようにため息をついた。
「本当に君は鉄壁だね、ライラ。女の子は、もう少しわかりやすいほうが可愛いと思うけど?」
「まあ、ひどいわ、アルトゥール様。そんな事をおっしゃるなんて」
わたしは悲しげな表情を作ってアルトゥールを見上げながら、心の中で毒づいていた。
そりゃー、わかりやすい女のほうが扱いやすいだろう。わたしみたいに腹の内の読めない、可愛くない女はごめんだと、そう思うアルトゥールの気持ちもわかる。
でも、しかたないじゃないか。わたしは魔術師の塔に所属していると同時に、ベルチェリ商会トップの娘でもある。将来、リオンをサポートする人間として、これまでずっと海千山千の商売相手と渡り合ってきたのだ。わかりやすい女でなんか、いられるはずがない。
その時、わたしはふとヘルムート様のことを考えた。
ヘルムート様も、わかりやすくて可愛い女が好きなんだろうか。わたしみたいな可愛げのない女は、嫌いなんだろうか。
わたしは小さく笑った。
考えたってしょうがない事だ。わたしとヘルムート様がどうこうなるなんて、ありえない話なのだから。