37.ダンス(わたし以外)
「ぎりぎり間に合ったようだな。……ヨナスとの試合が長引いてしまって……、あやつめ、もう本当に殺してやろうかと思った……」
はあ、とため息をつくヘルムート様を、わたしは呆然と見つめた。
ヘルムート様は、お馴染みの全身黒ずくめの魔術師用ローブを身にまとっていた。最新流行の服やアクセサリーで、全身を隙なく固めたお洒落な貴公子から、いつもの死神風の見た目に戻っている。ただ以前とは違い、髪はサラサラ、お肌はツヤツヤ、目の下のクマもない。不吉な死神からハンサムな死神へ、バージョンアップしている。
「あの……、ヘルムート様?」
「何だ?」
当然のように魔法陣を確認しているヘルムート様に、わたしは混乱する気持ちをおさえて言った。
「なんでここにいらっしゃるんですか?」
「な……なんでって……、んん、その、仕事だ仕事。……えと、ちゃんと担当の魔術師をつかまえて説明を受けたから、問題なく魔法陣を起動させられるぞ。べべべ別に公私混同では……」
真っ赤になってどもるヘルムート様を、わたしはつくづくと見た。本当にこの人、わかりやすすぎる。
「……わたしに、何かお話があるのですね?」
単刀直入に切り出すと、ヘルムート様がビクッと飛び上がった。
「えっ!? なんで!?」
「ないんですか?」
ヘルムート様は上を見て下を見て、無意味にくるりと回ってから、ようやく言った。
「は、はなし……話が、ある」
「わかりました、どうぞ。……あ、ヘルムート様、卒業生たちが入場してきたので、一番目の魔法陣を起動させてください」
「ん」
ヘルムート様は魔法陣を見もせず、軽く手を振った。
すると次の瞬間、広間に幻影の花火がポンポンと打ち上げられた。色とりどりの光が弾け、火花が散る。火花はキラキラと星のように瞬きながら、入場者たちの上に降り注いだ。
わあっと歓声があがり、控室にまでその興奮が伝わってきた。
「え、ヘルムート様……、なんか術が派手になってません?」
「マズかったか?」
「いえ、皆さん喜んでいらっしゃるようですから、別にいいんですけど」
しかし、来年もこれをやってくれと言われたら、新人魔術師が泣くだろうなあ。
わたしが来年の新人魔術師の苦労に思いを馳せていると、
「ライラ。……その、私はやったぞ!」
ヘルムート様が胸を張り、褒められるのを待つ子どものようにわたしを見た。
「え。……ああ、素晴らしい幻影魔術ですわ。さすがヘルムート様です」
花火がそれぞれ、色や形が違ってていいですね、と褒めると、
「そ、そうか? ……あ、いや、それではなくて……、ほら、あの、あれだ。約束しただろう、あの、つまり……」
「あ! リオン!」
もごもごと何か言ってるヘルムート様から、わたしは広間に視線を戻した。
リオンがどこかのご令嬢をエスコートしているではないか! どこの誰だ、うちのリオンの心を射止めた果報者は!
リオンと一緒に広間の中央に進み出たご令嬢は、暗褐色の髪に、リオンの瞳と同じ、鮮やかな緑の髪飾りを付けていた。あれは……。
「ヴィオラ様!?」
わたしは思わず叫んだ。
「あ、リオンとヴィオラ嬢が来たか。よし!」
ヘルムート様は満足そうに頷くと、ささっと宙に何かを描いた。
何かの術式らしいそれは、青く輝く帯となって、ヘルムート様の周りを囲むように浮かび上がった。
『行け』
魔力を乗せたヘルムート様の声に、術式はくるりと丸まった。術式は、青く輝く小さな流れ星のように、そのまま広間目がけて飛んでいった。
術式は広間の天井の真ん中で、パッと開いた。とたん、無数の青い鳥の幻影が現れ、羽ばたいた。
「ええ!?」
わたしは驚いて控室の窓に手をついた。広間でも大きな歓声が上がっている。
青い鳥の幻影は、不思議な歌を歌いながら、人々の間を縫うように飛び交った。卒業生たちの肩に止まる青い鳥もいて、大喜びされている。
すごい。なんて魔術だ。動くだけならまだしも、幻影に歌を歌わせるなんて。
いや、それはともかく。
わたしはヘルムート様を振り返った。
「あの、ヘルムート様、なんでヴィオラ様とリオンが一緒にいるんですか?」
ヘルムート様は、リオンがヴィオラ様をエスコートしているのを、当然のように受け止めている。なぜヘルムート様が知っていたんだ。ていうか、ヘルムート様とヴィオラ様は……。
わたしの質問に、ヘルムート様は不思議そうな表情になった。
「なんで、って……、言っただろう、リオンと高位貴族のご令嬢を婚約させる、と」
「え……」
わたしの驚きをどう取ったのか、ヘルムート様は慌てたように言った。
「いや、だからといって無理強いしたわけではないぞ? ちゃんとリオンの意思を確認した! リオンは言っていた、『ヴィオラ嬢に好意を抱いていたが、無理だと思って諦めていた。もしこの想いが叶うなら嬉しい』と!」
「……ヴィオラ様は……」
「ヴィオラ嬢にも確認した! 公爵家で舞踏会があった夜、令嬢をエスコートさせてもらって、その場で直接、聞いたのだ! ヴィオラ嬢は、初めて会った時からリオンに心を奪われていたとおっしゃっていたぞ! 二人は両想いだったのだから、私利私欲で無理に婚約させたわけでは……、ん、まあ、私利私欲もあるのだが……」
ヘルムート様はもごもごと口ごもった。
わたしは呆然とヘルムート様を見た。
公爵家の舞踏会。あの時のヘルムート様の笑顔を、わたしは思い出した。花がほころぶような、幸せそうな笑顔。
あれは、ヴィオラ様からリオンを想っていると、そう聞かされてのものだったのか。……わたしと結婚できると思って、それであんな表情を。
「いや……、でも、二人の気持ちはともかく、どうやってサムエリ公爵家に婚約を承知させたんです? いったいどんな対価を差し出されたのですか?」
「ああ、サムエリ公爵家は、ご子息の後ろ盾を欲しがっていてな。クラウス卿を宰相とするため、魔術師団と騎士団の協力を望んでいたのだ。だから、私はサムエリ公爵家と契約を交わした。宮廷魔術師団と王宮直属騎士団は、サムエリ公爵家次期当主、クラウス卿の後見に立つ、と」
ヘルムート様は、ふう、とため息をついた。
「魔術師団はともかく、騎士団のほうがな。ヨナスを説得するのに骨が折れた。……うん、比喩ではなく実際に折れたからな。あやつめ、騎士団を動かすかわりに、私との試合を要求しやがった。……しかもマジックアイテム有り無しで、それぞれ三試合も……。ヨナスめ……、殺してやればよかった……」
死神そのままの容姿で、死神そのもののセリフをぶつぶつとつぶやくヘルムート様を、わたしはあっけにとられて見つめた。
それじゃあ、あの舞踏会の夜の、わたしの涙はなんだったんだ。人前で泣くなんて、物心ついて以来の醜態だというのに。ただの勘違い、相手のいない嫉妬だったのか。
恥ずかしい! 居たたまれない!
うつむいて黙り込むわたしをどう思ったのか、ヘルムート様はおずおずと言った。
「その……、ライラ、なんか怒ってるのか?」
「いえ……」
ただ恥ずかしいだけです! とは言えず、わたしは咳払いし、話を逸らした。
「宮廷魔術師団は、サムエリ公爵家の後ろ盾となるのですね。……よろしいのですか? ヘルムート様は、政治はお嫌いでしょう。廷臣どもの思惑に振り回されるのはまっぴらだ、と以前おっしゃっていたではありませんか」
「ん、まあ……、そうだが。しかし、これ以上の政局の混乱は望ましくない。すでに魔術師団に被害も出ているし、何らかの手は打たねばならんと思っていたのだ。それに、その……、それ以外、手段を思いつかなかった。……どうしても私は、ライラと、その……、けけけけっ……こん……、したかったから……」
「ヘルムート様」
真っ赤な顔で、ヘルムート様はわたしを見た。
「それでだな、つまり……、私は条件を満たした。リオンはサムエリ公爵令嬢と婚約する。つまり、つまり……」
「ええ」
「あの、その、だから……」
もじもじするヘルムート様を見ながら、わたしは考えた。
これは、ヘルムート様が言い出すのを待っていたら、夜が明けるのではないだろうか。
それはそれで楽しそうだが、明日も朝早くから仕事がある。寝不足で仕事に支障をきたすのは避けたい。
「ヘルムート様」
わたしはヘルムート様を見つめ、一息に言った。
「わたしと結婚してください」
「……え?」
ヘルムート様はきょとんとした顔でわたしを見た。気にせず続ける。
「わたしの伴侶になって、一生、添い遂げてください。側にいてください。愛しています」
「はんっ……、あい!?」
ぴょんっと飛び跳ね、ヘルムート様はわたしを見た。
「は、はわわわ……」
慌てたようにわたわたと両腕を動かすヘルムート様に、わたしは詰め寄った。
「返事は? ヘルムート様」
「え、あ」
「三秒以内に答えなければ、この申し込みは無効となります。ハイ、いち「すっ、するする、結婚するぅ!」
ヘルムート様は必死な顔で叫んだ。
「け、けこっ……、結婚、する……」
真っ赤になりながら、一生懸命伝えようとする姿に、わたしは思わず胸を押さえた。
なんか今、胸が、きゅんとしたような気がする。
一瞬、自分の正気を疑ったが、まあ恋は盲目と言うし、この際だから、もっとバカげたことをしてみようか。
わたしはヘルムート様のローブの襟首をつかみ、ぐいっと自分に引き寄せた。
「嬉しいです。ありがとうございます、ヘルムート様」
ヘルムート様の口元に、軽く、ちゅっと口づけて囁く。
「愛しいひと」
ぱちっ、とヘルムート様は目を見開き、固まった。
次の瞬間、ぉわああああ! と奇声を上げ、ヘルムート様が飛び上がった。そのまま、くるくると回りながら、謎の踊りを踊り始める。
「……あの、ヘルムート様……」
声をかけても、ヘルムート様の踊りが止む気配はない。
これは長くなりそうだな、と判断し、わたしは控室の隅に置いてあった椅子へ移動して、そこに腰を下ろした。
座ったまま、窓から広間の様子を伺うと、ヴィオラ様と幸せそうに見つめ合い、ワルツを踊るリオンが目に入った。
良かった……。リオンは、ヴィオラ様を密かに想っていたのか。いつもにこにこと楽しそうにしているから、リオンがそんな苦しい恋をしていたなんて、まったく気づかなかった。姉失格だ。
しかし結果的には、ヘルムート様のおかげで、丸く収まった……、と言っていいのだろうか。
わたしはちらりと、謎の踊りを踊り続けるヘルムート様を見た。
どこかでこんな感じの人、見たことあるなあと考えて、気がついた。
状態異常の魔法にかかった人だ。
まあ恋なんて状態異常の一種だし、元々ヘルムート様は、常に状態異常のようなものだし。もっと言えば、そこがヘルムート様の魅力なんだから、気にしない。
ウホホホウ! と山賊のような雄叫びを上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねるヘルムート様を見ながら、わたしは、自分はなんて幸せ者なのだろうと微笑んだ。




