36.冬の足音
「ねえリオン、わたし、うるさい小姑にならないように気をつけるわ」
「突然どうしたの、姉さん」
リオンが不思議そうな表情でわたしを見た。
わたしはアルトゥールの結婚の申し出を断った。いま現在、わたしに他の求婚者はいない。となると、リオンが商会に入っても、わたしの扱いはしばらく、宙ぶらりんのままになる。
アルトゥールの申し出を断ったことは、既に両親も知っているはずなのに、何の文句も言ってこない。
ということは、わたしの決断を尊重してくれたということなのだろうか。
しかし、レーマン侯爵家との決闘騒ぎといい、アルトゥールとの婚姻を白紙に戻したことといい、最近のわたしの行動は、あまり褒められたものではない。
今後のことも考え、せめて次期当主であるリオンとの関係は、良好に保っておこう。そう思って言ったのだが、
「……姉さんなら、僕の妻ともきっと上手くやっていけるよ」
ちょっと恥ずかしそうに微笑むリオンに、わたしはハッとした。
「ちょっと待ってリオン! なになになに、その言い方!? ……あなた、そういうお相手がいるのね!?」
「姉さん、ちょっと落ち着いて」
リオンは苦笑して言った。
「……まだ、正式に決まったわけじゃないんだ。家同士での話は進んでいるけど、でも……、彼女の気持ちをはっきりと確かめたわけじゃないから」
「あら」
わたしは意外に思ってリオンを見た。
「確かめるも何も、リオンに言い寄られて断るご令嬢なんて、この世に存在しないわよ」
家同士で話が進んでいるというのなら、ベルチェリ家と家格の釣り合いがとれたお相手なのだろう。
それなら何の問題が? と思ったのだが、
「姉さんは僕を過大評価しすぎだよ」
リオンはため息をついた。
「僕は子どもの頃から周囲からちやほやされてきたし、家族……、特に姉さんは僕に甘かったからね。まるで僕が王子様であるかのように、大事に大事に守ってくれた」
「あなたは王子様以上の存在よ、リオン」
わたしは心から言った。
「あなたはわたしの自慢の弟だわ。物事の本質を見極める目を持っていて、真面目で謙虚で、何より、とても優しい子に育ってくれた。リオン、もっと自信を持って。あなたはどんな大国の王子様より、ずっとずっと魅力的だわ」
「……姉さんは口がうまくて困るよ」
リオンは本当に困った様子で言った。
「……実は、学院の卒業祝賀会で、彼女から返事をもらえることになってるんだ」
「え!?」
「卒業祝賀会の最初のダンス、あれを一緒に踊ってもらえたら……」
「リオンの結婚が決まるのね!」
「踊ってもらえれば、の話だよ」
少し赤くなるリオンに、わたしは勢い込んで言った。
「なら、決まりだわ!」
わたしは忙しく考え始めた。
卒業祝賀会か。
たしか国立魔術学院は、祝賀会での演出等を、毎年、魔術師の塔へ依頼していたはずだ。
祝賀会の主体は、まだ権力を持たぬ(建前上は)学生なので、これは魔術師の塔へ入りたての新人が担当する仕事になっている。わたしも塔に入ったばかりの頃、祝賀会に必要な物品の調達に携わったことがあった。
今年は誰が担当しているんだろう。早速調べて、上司経由で手伝いを申し出てみよう。塔の新人はいつも、死にかけ直前くらいに仕事を抱えているから、手伝いを喜ばれこそすれ、断られることはないだろう。
「任せてちょうだい、リオン! 学生時代を締めくくる、最高の思い出になるよう、わたしが手を尽くすわ! 楽しみにしていて!」
「ありがとう。……ところで姉さん、ヘルムートは元気?」
いきなりの質問に、一瞬、答えるのが遅れた。
「……ヘルムート様? そうね、最近はお忙しそうで、あまりお会いすることもないわ」
「婚約者探しもやめちゃったんだよね、ヘルムートは」
「……その件では、リオンには迷惑をかけたわね。ごめんなさい」
「そんなことはいいんだ。迷惑だなんて思ってないよ」
リオンはわたしの顔をのぞき込んだ。
「……姉さん、大丈夫?」
「何が?」
意識して微笑んでみせると、リオンはため息をついた。
「姉さんは頑固だから、いくら言っても無駄かもしれないけど。……でも、姉さんが僕を大切に思ってくれるように、僕も姉さんを大切に思っているんだ。何か僕にできることがあったら、いつでも言ってほしい。僕では頼りないかもしれないけど……」
「そんなことはないわよ!」
わたしは慌てて言った。
「あなたを頼りにしていないわけじゃないわ。……ただ、本当に、何もないの。わたしは大丈夫よ、リオン」
強がりでもなんでもなく、これはわたしの本音だ。
わたしは大丈夫。
どちらかと言うと、大丈夫でないのはヘルムート様のほうではなかろうか。
サムエリ公爵家で舞踏会が開かれてから、数日が経過しているが、やはりヘルムート様からの連絡はない。
というか、以前にも増してヘルムート様はお忙しそうで、たまに魔術師の塔に戻ってくることがあっても、いつもお疲れのご様子だ。一度など、明らかに怪我をしたまま、足を引きずっているところを見かけたことがある。その時も、わたしが声をかける前に、ヘルムート様は第一騎士団所属の騎士たちに囲まれ、また慌ただしく塔を出ていってしまった。
きっと落ち着いたら、ヘルムート様から正式にお話を聞くことができるだろう。
あれでヘルムート様は律儀だから、求婚をなかったことにしてほしい、という言いづらい話でも、きちんと説明してくださるに違いない。
わたしにはわたしの仕事がある。感傷にひたっている暇はない。
つい先日、フランケル男爵家のアーサー様が、無事、遠征から戻ってきたのだが、やはり騎士団は性に合わないということで、内々にベルチェリ商会へ入りたいとの打診を受けた。実家であるフランケル商会はいいのかと思ったが、「商会は兄たちが牛耳っていて、わたしが入ることに難色を示されまして」と苦笑された。そういうことならと、わたしからも口添えしたところ、見事アーサー様はベルチェリ商会入りを決め、主に東方との交易を任されることになった。
「これもみな、お嬢様のおかげです」
アーサー様が嬉しそうな笑顔で言った。
早くも口調が、ベルチェリ商会で働く人間のそれに変わっている。わたしのことを「ライラ様」ではなく「お嬢様」と素早く呼び変えていることに、わたしは微笑んだ。
「いいえ、アーサー様……、アーサーの実力ですわ。これからはリオンともども、よろしくお願いしますわね」
この時期、商会は目の回る忙しさだ。各教育機関の卒業時期はだいたい同じなので、その準備のため様々な注文が商会に入ってくる。王都での冬祭りの支度もあるし、人手はいくらあっても足りない。
しかも今年はそれに加え、リオンがベルチェリ商会に入った後、父からリオンへの業務の引継ぎなど、細かい取り決めが残っている。魔術師の塔での通常業務もあるし、リオンの卒業祝賀会の演出の手伝いもしなければ。
思った通り、わたしの手伝いの申し出を、新人の魔術師はとても喜んでくれた。
彼女は光魔法を得意としているが、風や水の魔法が苦手ということで、そこをわたしが補う形となった。
簡単な風と水の魔法陣をいくつか作製し、その組み合わせを提案しただけだが、その魔術師は瞳を輝かせて言った。
「なるほど、こうすれば会場の明かりを利用して、より効果的に魔法を見せられますね! 勉強になります!」
わたしにもこんな時があったなあ、と懐かしく思いながら、わたしは新人の魔術師と一緒に準備を進めていった。
目まぐるしく日々は過ぎ、あっという間に卒業祝賀会の日を迎えた。
前夜の降雪で、目覚めると王都は一面の銀世界となっていた。薄く積もった雪が陽光を弾き、まばゆいくらい輝いている。
わたしは、いつもの魔術師用ローブの上に毛皮のケープを着こみ、魔術師の塔から学院へ向かった。
一緒に準備を進めてきた新人の魔術師は、仕事が終わらず遅れるかもしれないとのことなので、わたし一人で最終準備をすることになった。
とはいっても魔法陣はすでに設置済みなので、あとは頃合いを見計らって起動させるだけだ。途中、術式の入れ替えなどもあるが、それも用意してあるし、今はただ待つだけだ。
わたしは、学院の大広間を上から見下ろせる控えの間に、一人で立っていた。
学院に来るのは久しぶりだ。もうすぐ、今年の卒業生とその家族、婚約者などでこの広間は埋め尽くされるだろう。
彼らの門出を祝うべく、わたしも力を尽くさなければ。
その時、慌ただしく廊下を駆けてくる足音が聞こえた。いささか乱暴に扉を開けられ、
「すまない、遅くなった!」
控室に入ってきたその人に、わたしは目を見張った。
「ヘルムート様!?」
え? なんでヘルムート様が?
新人魔術師さんはどこに?




