34.誠意のない謝罪
舞踏会の当日、少し早めの時刻に、両親とリオンとともに、わたしはサムエリ公爵家を訪れた。
ハロルド様から謝罪を受けるためだ。
さすがに、侯爵家の嫡子が謝罪のために頭を下げる姿を衆目にさらす訳にはいかないので、ベルチェリ伯爵家、レーマン侯爵家、それと決闘を取り仕切ったサムエリ公爵家の人間のみが一室に集まり、謝罪が行われる手筈になっている。
案内された部屋には、既にサムエリ公爵家次期当主、ヴィオラ様の兄君であるクラウス様がいらしていた。
サムエリ公爵の代理ということだったが、クラウス様のお姿を拝見するのは久しぶりだ。
「……そなたがライラ・ベルチェリ嬢か」
クラウス様は、穏やかな声で話しかけてきた。鷹揚な雰囲気が、ヴィオラ様によく似ていらっしゃる。
膝を折り、頭を下げると、
「ヴィオラが世話になっていると聞いた」
思わぬ言葉に、わたしははっと頭を上げた。
「これからも妹と仲良くしてやってもらえると嬉しい。妹には心配をかけたゆえ……」
「もったいないお言葉です。こちらこそ、本日はご面倒をおかけすることになりました。申し訳ございません」
「いや、世話になるのはこちらのほうだ。よろしく頼む」
「は……」
わたしは内心の困惑を表情に出さぬよう、目線を下げた。
世話になる? どういうことだろう。やはり父は、公爵家と何がしかの取引をしたのだろうか。
ベルチェリ家が、レーマン侯爵家を中心とした派閥と距離を置くということは父から聞かされている。しかし、それ以上のことは何も知らないのだが。
その時、部屋にレーマン侯爵家子息ハロルド様が入ってきた。
従者を一人連れただけで、他に侯爵家の人間はいない。……これは、ハロルド様がレーマン侯爵家当主のご勘気をこうむったということだろうか。
ハロルド様は常と変わらぬ華美な装いをされているが、その表情は硬く、顔色も悪い。
「ハロルド・レーマン殿」
クラウス様に名を呼ばれ、ハロルド様がむっつりと押し黙ったまま頭を下げた。
「宮廷魔術師団長ヘルムート殿とレーマン侯爵家代理ヨナス殿との決闘にて、ヘルムート殿が勝利された。……よって、ライラ・ベルチェリ嬢は決闘の権利を行使し、ハロルド・レーマン殿に謝罪を要求する。異議のある者はここに申し立てよ」
部屋に沈黙が落ち、クラウス様が頷いた。
「ではハロルド殿、ライラ嬢に謝罪を」
わたしがハロルド様の前に進み出ると、ハロルド様はじろりとわたしを睨みつけた。それへにっこりと笑いかけると、ハロルド様が気圧されたように視線を逸らした。
「……ライラ・ベルチェリ嬢」
ハロルド様が膝を折り、わたしに頭を下げた。
「先だっての非礼を、ここに謝罪する。……申し訳なかった」
わたしは形式通り、ハロルド様に片手を差し出した。
「謝罪を受け入れますわ、ハロルド様」
ハロルド様はわたしの手をとり、顔を近づけるふりだけをして、さっと手を放した。
「謝罪の儀が滞りなく行われた由、サムエリ公爵家当主代理、クラウス・サムエリがここに宣言する。……それでは皆様、この後はどうぞ当家の舞踏会をお楽しみください」
「ありがとうございます」
わたしはクラウス様に頭を下げたが、ハロルド様は冷ややかな表情で言った。
「お言葉はありがたいが、少々気分が優れぬので私はこれで失礼させていただく。それでは」
ハロルド様は踵を返し、従者を連れて逃げるようにその場を後にした。
ふふ、とリオンのかすかな笑い声が聞こえ、わたしは横目でリオンを睨んだ。
確かにわたしだって「ざまみろ」とは思うけど、クラウス様がいらっしゃる場で、声に出して笑うなんて、咎められでもしたらどうするつもりだ。
しかし、笑い声を聞いたクラウス様は、咎めるどころかリオンに近寄り、親しげに何事か話しかけた。
……リオン、いつの間にクラウス様とまで仲良くなってたんだろう。リオンのアイドル力は知ってたつもりだけど、まさか、ヘルムート様以上の引きこもり、クラウス様をまで魅了してしまうとは。我が弟ながら、ちょっと怖い。
その夜のサムエリ公爵家の舞踏会は、公爵家本館の大ホールで行われた。
かなりの規模で招待客も多かったが、そのほとんどは高位貴族のほか、文官、武官の要職に就いている方々やその家族だった。
とすると、これはやはり、クラウス様の政界デビューと見ていいのだろうか。しかし、騎士団か魔術師団の後押しがなければ、いかなサムエリ公爵家といえど今の混乱した政局をまとめ上げるのは難しいのでは……、と思っていると、
「やあ、ライラ。今夜はひと際、美しいね」
ふいにアルトゥールに声をかけられた。
「アルトゥール・クベール様。あなたもいらしてましたのね」
「なんとかお声をかけていただいたよ。末端貴族の次男坊が、よくやったと思わない?」
いたずらっぽく笑うアルトゥールに、わたしも小さく笑い返した。
アルトゥールの、人の懐に入り込む能力は大したものだ。また、めまぐるしく変化する権力闘争の流れを読み、ちゃっかりサムエリ公爵家という勝ち馬に乗るあたりもさすがである。
「あなたの能力に疑いを持つ者はおりませんわ。わたくしもいつも、感心しておりますもの」
「そう?」
アルトゥールはまんざらでもなさそうな表情でわたしを見下ろした。
「君こそ、あのレーマン侯爵家の高慢ちきなご子息に、頭を下げさせたじゃないか」
「……それは、ヘルムート様のおかげですわ。わたくしは何も」
「あの宮廷魔術師団長殿か。今回の決闘騒ぎは、君が考えたのかい? まったく、君には負けるね。社交界はいま、ヘルムート卿の話題で持ち切りだ。……僕も、ヘルムート卿がヨナス卿に勝利されたと聞いた時は、正直驚いたよ。いったい、どんな魔法をお使いになったのやら」
アルトゥールは半ば、つぶやくように言った。
「とにかく、君はあのレーマン侯爵家に土をつけた。……これからはあの侯爵家も、今までのように大きな顔はできなくなるだろう。何せ、サムエリ公爵家が本腰を入れて宮廷に次期当主を送り込んできたんだから。しかもその後ろには、宮廷魔術師団がついている」
「……それは確実ですの? ヘルムート様は政治を毛嫌いされていますわ。いかにレーマン侯爵家との仲が険悪であっても……」
アルトゥールが首を振り、あれを見ろ、と言いたげに手にしたグラスを掲げ、広間の一角を指し示した。
振り返ると、そこにヘルムート様がいた。
ヘルムート様と、彼にエスコートされたヴィオラ様が。
「以前は、ヘルムート卿とレーマン侯爵令嬢の縁組を君が画策していると思っていたが、いやはや、驚いたよ。もっと大物を君は狙ってたんだな。……サムエリ公爵令嬢とはね。まあ、こうして見ると、たしかになかなかお似合いの二人ではあるが」
アルトゥールの言葉を、うまく理解できなかった。
ヘルムート様とヴィオラ様。……まさか。そんな、あり得ない。
だってヘルムート様は……。
混乱するわたしの目の前で、ヘルムート様とヴィオラ様は華やかな円舞曲にのって、軽快にステップを踏み始めた。その姿はアルトゥールの言う通り、たしかに腹立たしいほどお似合いに見えた。




