33.ドレス選び
嵐のようなイザベラ様の訪問があってから三日後、サムエリ公爵家から正式な書面が届いた。
一週間後にサムエリ公爵家にて舞踏会を開催すること、そこでサムエリ公爵立ち合いの下、わたしがハロルド様から謝罪を受けること等が記されていた。
サムエリ公爵家主催の舞踏会ともなれば、さぞや華々しいものとなるだろう。
そこに集まった大勢の貴族達に、レーマン侯爵家の嫡子が、新興貴族であるベルチェリ伯爵家の娘に頭を下げたと知れ渡るのだ。
これは、レーマン侯爵家の権威失墜になりうる汚点である。これほど早く舞台を整えたということは、サムエリ公爵家もレーマン侯爵家を疎ましく思っていたということだろうか。
舞踏会へは、わたしとともに両親も出席することになった。
ただでさえ忙しい両親に迷惑をかけてしまうことを謝ると、
「まあ、ライラ。こうしたことは女の勲章と誇っていいのよ。あなたを巡っての決闘騒ぎなんて、ロマンチックじゃない」
母は完全にズレた感想を口にし、うきうきしていたが、父の様子は少し違っていた。
「……ベルチェリ家は、これを機に少し方針を変えようと思ってな。今までは中立を保っていたが、レーマン侯爵家を旗頭とする貴族たちとは、今後、距離を置くこととする」
つまりはベルチェリ家、ひいては商会の未来まで、今回の件で変わってしまったということか。
わたしは父に頭を下げた。
「申し訳ございません。……わたしのせいで、ベルチェリ商会に損害を与える結果となってしまいました」
「そう思うのか?」
父は少し笑った。
「今までベルチェリ家が中立を貫いていたのは、それが商会にとって都合がよかったからだ。宮廷は混乱のただ中にあり、誰が失脚し、誰が権力を握るのか、わかったものではなかったからな。……が、今回のことで、大きく潮目が変わった。我らはその波に乗るだけだ。きっかけを作ったのがおまえというのは、実に愉快だ。レーマン侯爵家の横暴ぶりには、何度も煮え湯を飲まされたからな。よくやった、ライラ」
わたしは父を見た。
「ではやはり、サムエリ公爵家が権力を握ると? ヴィオラ様の兄君が、次期宰相となられるのですか?」
「さ、まだ確とは言えぬ。ヘルムート様やヨナス様のご意向もあることだしな。……おまえのほうが、ヘルムート様のお考えには詳しいのではないか?」
父のからかうような物言いに、わたしは顔をしかめた。
まったく、父上も母上も、人の気も知らないで、好き勝手言うんだから。
わたしはため息をついた。
実は、決闘のあった日以降、ヘルムート様とは一度も会えていない。
あの仕事中毒のヘルムート様が、十日間の休暇を申請し、魔術師の塔に一度も姿を見せないのだ。
まあ、怪我をしなかったとは言っても、決闘で魔力も体力も消耗しただろうし、このところ慣れない社交でお疲れだっただろうから、少し休みたいという気持ちはわかる。それはいいのだ。
……でも、それならそうと、わたしに一言くらい、言ってくれてもいいじゃないか。
疲れたから休む、しばらく会えない、と。一言でいいのに。
プロポーズまでしておいて、何も言わずにいきなり姿を隠されたら、心配するし、落ち着かない。
いま何をしているのだろう、とか、ちゃんと食べてるのかな、とか、ふと気づくとヘルムート様のことばかり考えてしまう。
「さあライラ、そんな辛気くさい顔をするのはおよしなさい。舞踏会までもう日がないわ、急がなくっちゃ」
「……なんですか母上。何を急ぐことがあると」
なんとはなしにイヤな予感を覚え、わたしは母から少し距離をとった。
母は、すすっとわたしに近寄り、目をキラキラさせて私の手を握った。
「もちろん、舞踏会のための用意よ。ドレスに靴に宝石に……」
「いや、今からドレスを仕立てていたのでは、とても間に合いませんが」
「それはそうだけど、手直しはできるわ」
母は目をキラキラ……いや、ギラギラさせて言った。
「あなたはいつも、リオンばかりを気にかけて、自分の身なりは後回しにしていたでしょう。たまにドレスを選んでいるかと思えば、いつも仕事がらみだし」
「いや、まあ、それは……」
「まったく、あなたはゲオルグに似て、自分を飾ることにぜんぜん興味がないんだもの! こんなに可愛らしい見た目なのに、もったいないわ!」
たしかに父もわたしも、仕事上、必要な身繕い以外は、あまりお洒落に興味を持たないタイプだが。
「母上、誰かを飾り立てたいなら、ほら、リオンがいますよリオンが。リオンの服も見繕わねば」
「大丈夫よ、ライラ」
母は、ホホ、と勝ち誇ったように笑った。
「リオンの服、靴、カフスボタン、ラベルピンにいたるまで、すべて選定済みよ。……さ、観念していらっしゃい。わたしの部屋に、使えそうなドレスを侍女に運ばせておいたわ。お針子も呼んであるのよ」
なんという手回しの良さ。負けた……、とわたしはうなだれた。
そこから先は、母の独壇場だった。
「サムエリ公爵家の舞踏会や夜会には、何度か招待していただいたことがあるけれど、通常のシャンデリアだけではなく、壁にも魔石を使用したランプが取り付けられてあるのよね。まるで昼間のような明るさだから、肌が暗く見える心配はないわ。……そうねえ、ライラはいつも、瞳の色に合わせた緑のドレスが多いけど、たまには違う色も見たいわね。このピンクのドレスはどうかしら?」
母が手にしたのは、花飾りのついたベビーピンクのドレスだった。袖はふわりと膨らんで、スカート部分はレースで縁取りした薄い生地をバラの花びらのように重ねてある。今のわたしには、少々可愛らしすぎるデザインだ。
「いや、それはちょっと子どもっぽすぎるのでは……」
「もちろんこのままという訳ではないわ。上半身の余計な飾りを落として、大人っぽく上品に直しましょう。そうね、袖はなくして、代わりに花の飾りを胸元から片方の腕に流して……」
母がどんどんお針子に指示を出し、ドレスを魔改造してゆく。
「ライラ、ちょっと試着してちょうだい。……いいわね! ライラは胸があるから、肩を出すととても映えるわ! 上品で可愛らしいけど色気があって、きっとヘルムート様も目が釘付けよ!」
母の言葉に、わたしは思わずむせそうになった。
「母上、あの、ヘルムート様はあまりそういった服装はお好きではないようですが」
「……あら? そうなの?」
意外そうな表情で母がわたしを見た。
「ええ。……あまり、露出の多い服装はお好みではないようでした」
わたしは以前、ヘルムート様が、愛人仕様のわたしを見た時の様子を思い出していた。
あの時のヘルムート様の眼差しは、熱をはらんで欲を感じさせたが、好意的だったかと言われれば、ちょっと違うような気がする。
ヘルムート様はただ、露出の多さに目を引かれただけで、そうした服装を好きかどうかは、また別の話だ。
このドレスを着ても、ヘルムート様に褒めてもらえるとは思えない。なんか思春期男子みたいに、真っ赤になってちらちらこっちを見て、目が合うと顔を背ける、の流れになりそうだ。
だがそれなら、どういうドレスを着れば、ヘルムート様に普通に褒めてもらえるのかと言うと……。
難しい問題だ。たとえ修道女ばりに清楚なドレスを着たところで、ヘルムート様に「綺麗だ」とか「似合ってる」とか言ってもらえる気がしない。
そこまで考えて、わたしははっと我に返った。
「……いえ、やっぱりいいです。このドレスにしましょう」
「そお? じゃあ靴はおそろいでピンクがいいかしら、それとも銀か白、いっそ金……」
楽しそうにあれこれ選ぶ母を見ながら、わたしは面倒な感情を振り払うように軽く首を振った。
ヘルムート様の気に入るドレスはどれだろう、とか、そんなことを気にするなんて。
本当にわたしはどうかしている。
何を着ようとわたしの勝手だ。ヘルムート様が気に入ろうが気に入るまいが、知ったことか。
わたしに何も言わず、何日も姿をくらませるような人のことなんて、これ以上考えたりしない!