32.招かれざる客
審判者が、「ヨナス卿が敗北を認められたため、ヘルムート卿の勝利とする」と宣言した。
が、宣言などそっちのけで、ヨナス様がヘルムート様に絡んでいる。
「なあなあ、後でもう一回、戦わないか? 今度はマジックアイテムなしで」
「断る」
ヘルムート様は即座に拒否した。しかし、ヨナス様はなおも食い下がっている。
「じゃ、おまえはマジックアイテム使っていいから! さっきのあれ、あれは面白かった! おまえ、物理防御じゃなく、素早さを上げるアイテムを使ったんだな!」
「……ああ、そうだ」
「大した度胸だ! もし俺の一撃をくらってたら、冗談でなく即死してたぞ!」
聞き捨てならないセリフに、わたしは思わずヘルムート様を見た。
なんだと。
ヘルムート様、そんな危険を冒してたのか!?
わたしの視線に気づいたのか、ヘルムート様は慌てたようにぐいぐいとヨナス様の肩を押した。
「もういい、おまえはしゃべるな! とにかく、おまえの負けだ、それでいいな!?」
「ああ、俺の負けだ! ……楽しかったなあ……。なあヘルムート、頼むからもう一回」
揉めながら鍛錬場を出てゆく二人を見送り、わたしは唇を噛みしめた。
物理防御を捨てて、素早さを上げていただなんて。それでもし、ヨナス様の剣を防げなかったら、どうするつもりだったんだ。
ヘルムート様……、許せん。
後でとっちめてやる!
怒りに燃えるわたしをよそに、ヴィオラ様がおっとりと言った。
「お二人ともお怪我がなかったようで、本当に安心いたしました。……ライラ様、よろしければレーマン侯爵家からの謝罪の場を、我が家で設けますわ。いかがでしょう?」
「……え」
わたしはぽかんとヴィオラ様を見た。
ヴィオラ様は首を傾げた。
「あの……、今回の決闘は、ハロルド様にライラ様への謝罪を要求するためのものでしょう? ヘルムート様が勝利されたのですから、ライラ様はハロルド様に、公式の場での謝罪を要求する権利がありますわ」
そ、そうだった。すっかり忘れていた……。
わたしは、ヘルムート様が出ていった鍛錬場の出口に視線を向けた。
ヘルムート様、わたしが怪我をしてほしくないって言ったから、あのトリッキーな戦術を用いたのだろうか。たしかに、ヨナス様相手に怪我一つなく勝利するためには、正攻法では無理だろうけど。
しかし、物理防御を捨てるっていうのは、さすがにやり過ぎだ。即死となれば、治癒魔法は効かないのに。
ヘルムート様は、わたしのために、命まで懸けてくださったのだろうか。ハロルド様に決闘を申し込んだうえ、ヨナス様と命がけで戦うなんて……。
「ライラ様?」
ヴィオラ様の不思議そうな声に、わたしはハッと我に返った。
「あ、あの、それでは申し訳ないのですが、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
わたしの返事に、それでは後日、詳細についてお知らせいたしますわね、とヴィオラ様がにこやかに言った。
わたしはヴィオラ様にお礼を伝えると、精神的に疲弊しきって屋敷に戻った。
今日はもう早めに休もうと思ったのだが、執事のファーガスンが慌てたようにわたしの部屋にやって来た。
「お嬢様、お疲れのところ失礼いたします。……レーマン侯爵家のイザベラ様がお越しです」
「え?」
わたしは驚いてファーガスンを見た。ファーガスンは苦虫を嚙み潰したような表情をしている。
「申し訳ございません、お嬢様は既にお休みになられているとお伝えしたのですが……」
「いいのよ、すぐ支度するわ」
先触れもなくいきなり押しかけてくる相手に、道理を説いても仕方がない。わたしはため息をこらえ、簡単に身支度を整えると階下に降りた。
客間に、侍女を従えたイザベラ様がソファに座っていた。
ファーガスンが「何かありましたら、すぐお呼びください。扉の外に控えておりますので」とイザベラ様を一瞥して言った。
うむ、イザベラ様を面倒なクレーマーと即座に見抜いたその眼力、さすが我が家の執事です。
「お待たせいたしました」
わたしが挨拶すると、イザベラ様は扇を鳴らし、ソファを顎で示した。
「いいわ、お座りなさい」
いやここ、わたしの家なんですけど……と言うのをこらえ、わたしは黙ってソファに腰を下ろした。
「何かご用でしょうか、イザベラ様」
「わかっているのでしょう」
イザベラ様は苛立たしげにわたしを睨んだ。
「まったく、あなたの恥知らずな言動には驚かされるわ。……お兄様を誘惑しておきながら、ヘルムート様をそそのかして、お兄様に謝罪を要求するなんて」
「……お互いの立場が違うと、物事もまた、まるで違って見えるようですわね。お言葉ですが、わたくしはハロルド様を誘惑したことなど一度もありませんし、ヘルムート様に決闘をするよう、そそのかしたこともありませんわ」
「白々しい!」
イザベラ様は扇を閉じ、テーブルに打ち付けた。イザベラ様の後ろに立つ侍女が、その音にびくりとしていた。……普段からイザベラ様のこうした言動にびくついているんだろうか、気の毒に。
「今までは大目に見てあげたけど、そろそろいい加減、身の程をわきまえなさい。レーマン侯爵家を本気で怒らせたいのかしら?」
「……イザベラ様は、わたくしに何をせよと仰せなのでしょうか?」
首を傾げて不思議そうに問いかけると、イザベラ様の顔が真っ赤に染まった。
「あなた、わたくしを馬鹿にしているの? そういう態度で殿方を惑わしたの? ええ、いいわ、教えてあげる。……決闘の権利をふりかざして、お兄様に謝罪を要求するのはやめなさい。代わりに、あなたがお兄様に謝罪するのよ」
「謝罪、ですか? 何に対して?」
「お兄様を侮辱したことを、よ!」
「まあ」
わたしは頬に手をあて、考えるそぶりで言った。
「わたくし、何かハロルド様を侮辱するような振る舞いをしたのでしょうか? いきなり後ろから肩をつかまれ、金を払えば相手をするのかと言われ、困っていたところをヘルムート様に助けていただいたのですけど」
「嘘おっしゃい!」
イザベラ様が顔を真っ赤にして怒鳴った。
怒り狂うイザベラ様に、わたしはにっこり笑ってみせた。
ふん。これしきの恫喝で、わたしが怯むとでも思っているのか。甘く見られたものだ。
わたしは息を吸い、背筋を伸ばして言った。
「嘘ではございませんわ。その場にいた方々、全員が証言してくださるでしょう。イザベラ様がどうおっしゃろうと、事実は変わりません。わたくしが申し上げたことを偽りだとおっしゃるなら、それを裏付ける証拠をお出しください。訴えられてもかまいません。受けてたちますわ」
「ライラ・ベルチェリ!」
イザベラ様が怒鳴り、扇をわたしに投げつけた。
眼前に飛んできたそれを、わたしは即座に叩き落とし、足で踏みつけた。
「あら、イザベラ様、手が滑ってしまわれましたの? 扇が落ちましたわ。……ああ、これはもう、使い物にはなりませんわね。要が壊れてしまっていますわ」
わたしはにっこり笑い、侍女に壊れた扇を渡した。
「よければ、これと同じ扇を後で侯爵家に届けさせますわ」
「何よふざけないで! 商人ふぜいが! それで恩を売ったつもり!?」
商人ふぜい。その言葉に、あの夜会でヘルムート様を連れ出したわたしを罵ったのは、やはりイザベラ様だったんだな、と確信した。
「イザベラ様、その扇も、ドレスも靴も、すべて我が商会がお取り扱いした品です。……商人を見下すのはイザベラ様のご勝手ですが、商人なくして人々の生活は立ち行きませんのよ」
「偉そうに! わたくしに説教をするつもり!? たかが伯爵家の、卑しい商人ふぜいが!」
頭から湯気が出そうなほど、真っ赤になって怒り狂うイザベラ様に、わたしは一つ、息をついた。
「卑しい商人ふぜい、たかが伯爵家の娘であっても、心はあるのです。イザベラ様にはお分かりではないようですけど。……わたくしの心を守ろうと、ヘルムート様は命を懸けて戦ってくださいました。わたくしは、ヘルムート様が勝ち取ってくださった権利を行使します。ハロルド様に、公式な謝罪を要求いたしますわ」




