28.夜の庭園
その後のことは、思い出したくもない。
わたしはソフィア様に騒動を詫び、二人とも酒に酔っているから、と言いくるめて何とか穏便に事を収めようとした。しかし、
「そこの阿呆は酔っぱらっているが、私は一滴も酒は飲んでおらん」
「そうだな。俺も見ていたが、ヘルムートは酒を飲んでないぞ」
当のヘルムート様とヨナス様に否定され、逃げ道を塞がれた。
「……言いにくいんだけど、ヘルムート様は正式な作法にのっとって決闘を申し込まれたから……」
「ソフィア様!」
困ったような表情を作っているが、ソフィア様の瞳はいたずらっぽい光を浮かべ、輝いている。面白がってますね、あなた。
「ハロルド様も酔ってはいらしたけど『いいだろう、受けてやる!』っておっしゃってたし」
「そうは言っても、ヘルムート様は宮廷魔術師団長でいらっしゃいますし、剣ではヨナス様に次ぐ実力と聞き及んでおります! 対してハロルド様は、魔力もさほどおありではないうえ、剣の腕前もリオンといい勝負だとか。決闘だなんて、お話にもなりませんわ!」
わたしの言葉に、ハハ、とヨナス様が笑い声をあげた。
「このお嬢さんは、可愛い顔してなかなか言うなあ。……たしかにハロルドとヘルムートでは話にならんが、ハロルドは代理人を立てるだろう。レーマン侯爵家は金持ちだからな、心配いらん!」
そういう心配はしていない!
「しかし確かに、ヘルムートが相手となれば、よほどの手練れでないとまともにやり合えんだろうな。いっそ、俺が相手になりたいくらいだ。ヘルムートと全力で戦えるなど、滅多とない機会だろうしなあ」
「ふざけないでくださいヨナス様!」
いきり立つわたしの肩を、リオンがなだめるようにぽんぽんと叩いた。
「まあまあ、姉さん。……とりあえず帰ろうよ。ヘルムートも。ね?」
「……そうね」
これ以上ここに留まり、噂を大きくするのは避けたい。わたしは不承不承、頷いた。
「その、ライラ、話が……」
「ええ、わたしもヘルムート様にお話があります。しっかりじっくり話し合おうではありませんか! さあ帰りますよ!」
わたしは、なぜかもじもじするヘルムート様の首根っこをつかまえ、馬車に放り込んだ。
「ああ、今夜は少し、疲れたなあ」
馬車の中で、うーん、と伸びをするリオンに、わたしは申し訳ない気持ちになった。
「……ごめんね、リオン。最近、振り回してばかりだったわね。せっかくの社交シーズンなのに、ぜんぜん楽しめていないでしょう? 本当にごめんなさい」
頭を下げるわたしに、リオンはきょとんとして言った。
「なに言ってるの、姉さん。逆だよ」
「……逆?」
「うん、こんなにわくわくする社交シーズンは久しぶりだよ。近年まれに見る楽しさだ。さっきも、ヴィオラ嬢とそう話してたんだよ。話が盛り上がって、ダンスもたくさん踊って、それで疲れちゃったんだ」
ふふっと笑うリオンに、わたしは脱力してしまった。
我が弟ながら、この胆力は大したものだ。
「でも、こんな事になって、明日からきっと色々言われるわよ……」
わたしはリオンの姉だし、ヘルムート様もリオンの幼なじみとして注目されている最中での、この決闘騒ぎだ。リオンも噂に巻き込まれるのは確実だろう。
しかし、リオンはおっとりと言った。
「まあ、僕にあれこれ言う人は、そんなにいないから。ヴィオラ嬢やソフィア嬢の側にいれば、さらに安全だし、気にしないで」
「それは……、そうなんだけど」
わたしは言いながら、キッとヘルムート様を睨んだ。
「それもこれも、全部ヘルムート様のせいです! いったいどういう了見で、あんな馬鹿げたことを言い出したんですか!」
「……別に馬鹿げてなどいない」
「またそんなことを!」
目を吊り上げたわたしに、リオンがにこにこしながら言った。
「あ、屋敷に着いたみたい。僕は疲れたから、先に休むね。後は二人でごゆっくり、どうぞ」
「……ああ、すまなかったな、リオン」
「リオン、ゆっくり休んでね」
馬車から降りたリオンが、ひらひらと手を振り、鼻歌を歌いながら屋敷に入っていく。それを見送った後、わたしはヘルムート様に向き直った。
「さあ、話し合おうではありませんかヘルムート様! どうぞ屋敷へお入りください!」
「いや、ん……、その、あの、少し庭を歩かないか?」
ヘルムート様がどこかそわそわした様子で言った。
「別にいいですけど。……何なんですかヘルムート様。今日はほんとに変ですよ」
「ん……、そうか?」
しかも何だか上の空。ほんとにどうしたんだ。
わたしは本気で心配になってきてしまった。
ヘルムート様、見たところ健康そうだけど、もしかして病気か何か? ……いや、ヘルムート様の奇行は以前から有名だし、これくらいは特に騒ぎ立てるほどのものでも……、いや、しかし。
「……ここを歩くのは、久しぶりだ」
ヘルムート様のつぶやくような声に、わたしははっと意識を引き戻された。
気がつけば、奥庭の中央にある、噴水の前まで来ていた。
月光を弾き、噴水から流れ落ちる水が銀色に輝いている。晩秋の夜空に、無数の星が瞬いていた。
「そうですね、ヘルムート様がこの庭にいらしたのは、子どもの頃以来でしょうか」
マクシリティ侯爵家に引き取られて間もなくの頃、ヘルムート様は時たま我が家を訪れては、この庭を歩き回っていた。どこか思いつめたような、張りつめた雰囲気のヘルムート様を覚えている。
「あの頃は侯爵家に馴染めず、毎日が苦痛の連続だった。……ここにいる時だけ、息ができるような気がしたものだ」
「苦労なさいましたね、ヘルムート様」
「いや。……侯爵家に引き取られることを承知した時から、わかっていたことだ。我慢できなかったのは、私の未熟さゆえに過ぎん。だが、ここに来る事を許してもらえたおかげで、私は今、ここにこうして立っていられる。……ベルチェリ家には迷惑をかけた。いや、現在進行形で迷惑をかけているな」
苦笑するヘルムート様に、わたしは急いで首を横に振った。
「いえいえ、なにも迷惑なことなんてありません! ちょっと現在、迷走してますけど、ちゃんと明日から軌道修正して、ヘルムート様の婚約者を……」
「それなのだが」
ヘルムート様が咳払いした。
「……いろいろ尽力してもらい、ありがたいと思っている。それなのに、こんな事を言うのは気が引けるのだが……、その、婚約者探しは、もう、やめようと思う」
「え」
わたしは驚いてヘルムート様を見上げた。
「やめるって……」
「よく考えたのだが、私は別に、結婚したいわけではなかった」
「ちょっと、ヘルムート様」
わたしは思わず突っ込んだ。
ここにきて、今までの努力を全否定って。
「すまない、本当に申し訳ないと思っている」
ヘルムート様はわたしに頭を下げた。
その姿に、わたしは何だか力が抜けるような、どこか安堵したような気持ちになった。
どうしてヘルムート様が、ここにきて急に婚活をやめようと思ったのかはわからない。
でもわたしは、心のどこかで、良かった、と思ってしまった。
良かった。
それなら、目の前で他の誰かと結ばれるヘルムート様を、祝福しなくてすむ。
「いや……、そういうことなら……、仕方ないというか、まあ、こういうことはご本人の意思が重要ですから……」
わたしは歯切れ悪く言った。
理由については釈然としないが、とにかく、本人がもういいと言うなら、外部がとやかく言うことではない。
しかしどちらにせよ、もうヘルムート様とこんなふうに一緒にいることもなくなるんだなあ、とわたしはため息をついた。
するとヘルムート様が、もじもじしながらわたしを見た。なんかヘルムート様、顔が赤い。
「その……、私は、誰でもいいから結婚したいとか、そういうわけではないのだ。そうではなく……」
「はあ」
「私は、その……、つまり、あれだ、その……」
ヘルムート様は、月明かりでもわかる真っ赤な顔で、一息に言った。
「ライラが好きだ」
「え゛」
「私と、けこっ……、け、結婚してくださぃ……」
頼りない声で、つっかえながら言ったヘルムート様は、がばっと土下座するような勢いでその場にひざまずいた。
正気か!




