18.次戦に向けて
「リオン、それで、あの後どうだったの?」
「うん、姉さんの言ってた通り、あの場にいた皆にヘルムートのことを聞かれたよ。あんなに美しい方だとは知らなかった、ぜひ紹介してほしい、って」
夜会の翌日の夕食後に、我が家の客間にてヘルムート様の初戦の反省会を行っている。残業の合間をぬって、ヘルムート様も来てくれた。
「リオン、……その、助かった。ありがとう……」
ソファに座ったヘルムート様が、落ち着かぬ様子でそわそわしながら言った。
「ううん、面白かったし、とても楽しかったよ」
顔に似合わず度胸のある我が弟は、にこにこしながらお茶を飲んでいる。
「ヘルムート様も、なかなかの演技力じゃありませんか。わたし、見ていて感心しましたよ」
「んっ、んん……、そうか?」
ヘルムート様が嬉しそうにもじもじしながらお茶に口をつけた。
「……正直、レーマン侯爵家の兄妹を見た時は、血の気が引いた。あいつらと言葉を交わすなんて絶対ムリだと思ったが、何とかやり遂げられた。ライラとリオンのおかげだ」
ありがとう、と頬を染め、うつむきながらヘルムート様が言った。
「いえいえ、今回はソフィア様の助太刀もありましたしね。ニブル領の魔獣討伐の件で、騎士団の皆様はレーマン侯爵家に悪感情を持っているようですし」
あの後、詳しくリサーチしてわかったのだが、騎士団とレーマン侯爵家の仲は、かつてないほど冷え込んでいるらしい。まあ、当然だけど。
次期騎士団長のヨナス様はレーマン侯爵家に非公式に苦情を申し入れただけだったけど、騎士達、特に今回の魔獣討伐に随行した騎士達は怒り心頭のようだ。ソフィア様も、共に戦う仲間に無茶な命令が下されたことをご存じで、ある意味ヨナス様より憤っていた。
結婚式の細々とした打合せにソフィア様を訪ねた際、ソフィア様は「ヨナス様にうかがったのだけど、ヘルムート様とハロルド様って、学生時代から犬猿の仲だったんですって? ライラ様、騎士団はヘルムート様の味方よ! レーマン侯爵家と事をかまえる時は、ぜひ一言おっしゃって。必ずお力になるとお約束しますわ!」と目をらんらんと輝かせていた。
ソフィア様、侯爵家が相手でもまったく腰が引けていない。さすが騎士団で働いているだけあって、胆力が違う。侯爵家とやり合う気はないが、騎士団というカードが手に入ったのは心強い。
「ヘルムート様、次に備えて本日からヘルムート様に話術とダンス、マナーの教師をつけさせていただきます。ダンスが必要になるのはもう少し先ですが、マナーと話術……、特に話術ですね、これは喫緊の課題ですから」
「えっ!?」
ヘルムート様が目に見えて動揺した。
「話術って……、アレか、あなたの瞳は星のようだとか何とかがバラのようだとか……、いや無理、無理だ! そんなこと口にするの、恥ずかしくて死ぬ!」
無理ぃいいい! と身をよじらせるヘルムート様に、わたしは冷静に告げた。
「いえ、そんな気障なセリフを言って許されるの、リオンくらいですから。大丈夫、ヘルムート様にはもっと初心者向けの講義をしてもらう予定です」
僕そんなこと言わないよーと笑うリオンに、ヘルムート様は恨めしそうな視線を向けた。
「そりゃリオンなら何を言ったって許されるだろうが。……しかし、初心者向けとは?」
「いわゆる世間話のレベルからです。今日はお暑いですねとか、寒くなってきましたねとか」
「……それくらい、私だって」
「へえ? ヘルムート様、世間話をされたことあります? お天気の話とか、最近流行している劇についてとか、そんな話を誰かとされたこと、あるんですか?」
「………………」
「話題だけではなく、間の取り方、話の聞き方についても教えていただきます。女性相手なら、むしろこっちのほうが重要ですね。話に共感し、身を入れて聞いてくださる殿方に、女性は好感を抱くものですから」
「そんなものか……?」
「頑張ってくださいね。三日後の昼食会で、その成果が試されますから」
そう言うと、ヘルムート様はお茶を噴き出しそうになった。
「三日後!?」
「ええ、サムエリ公爵家の昼食会に、リオンが招かれてまして。ヘルムート様は同伴者、わたしは護衛です」
「公爵家!?」
「そこのヴィオラお嬢様が、リオンのファンでして」
ねっ、とリオンに話を振ると、にこにこしながらリオンが頷いた。
「うん、在学中はあまり話せなかったけど、できればこれを機会に仲良くさせていただきたい、ってこの前の夜会でおっしゃってくださったんだ」
夜会の帰りは公爵家の馬車で送ってもらったよ、と言うリオンに、ヘルムート様が神でも見るかのような尊敬と驚愕の入り混じった眼差しを向けた。
「そ、そういえばリオン、帰りの馬車にいなかったな……」
「いま気づいたんですかヘルムート様」
わたしの突っ込みに、ヘルムート様が焦ったように言った。
「だ、だってあの時は、いっぱいいっぱいだったんだ! ……しかし、そのような……、えええ……、そんな、よく話したこともない人間にいきなり馬車で送ってもらえるなんて、そんなことあり得るのか? 私なんか、約束していても忘れられて先に帰られるとか、ザラにあるぞ」
「それは約束したお相手に問題があるのでは……。ていうか、その場合どうされたんです? 辻馬車を拾われたとか?」
「普通に歩いて帰った」
ヘルムート様の悲しい話を聞きながら、わたしはこれからについて考えを巡らせた。
話術、ダンス、マナーと社交スキルを磨いた後は、ヘルムート様の見た目の、さらなる底上げをしなければ。
わたしは呼び鈴を鳴らし、従僕に用意していた箱を持ってこさせた。
「どうぞ、ヘルムート様」
「これは……?」
「ヘルムート様専用の化粧品です。といっても石鹸、洗顔料、化粧水に保湿クリーム、それから洗髪剤、髪油くらいですけど。あとは香水ですね」
ヘルムート様は箱からテーブルの上に化粧品を取り出して並べた。
「私専用……」
「ええ、この間ヘルムート様のお肌の状態を調べさせていただいたでしょ? それを基に作り上げたものです」
ヘルムート様は、どこか恐々とした手つきで瀟洒な香水瓶に触れ、言った。
「私専用の化粧品を作らせるなど、まるで王侯にでもなったような気がするな……」
「お言葉ですが、平民でもちょっと奮発すれば、これくらい可能です」
実際、ベルチェリ商会の美容部門には、個人の体質に合わせた専用化粧品を提供するサービスがあり、好評を得ている。お値段に差はあれど、平民から公爵まで幅広い層にご利用いただいているのだ。
ヘルムート様だって国内屈指の財力を誇る貴族なのに、こうした問題に関しては、相変わらず修道士のような反応だなー。




