15.作戦
魔術師の塔から、いったんベルチェリ家の屋敷にヘルムート様を連れて戻ると、玄関前で待っていたリオンが出迎えてくれた。
「ヘルムート、久しぶりだね! ……ああ、申し訳ありません、ヘルムート様。久方ぶりなので嬉しくて、ついご無礼を」
リオンが頭を下げると、ヘルムート様が手を挙げてそれを制した。
「いや、私も堅苦しいのは好かん。他人がいない時は、昔と同じに呼び捨ててくれ」
「ありがとう、ヘルムート。……ところで今夜の服装、とっても素敵だね。ヘルムートによく似合ってる」
リオンはにっこり笑い、ヘルムート様を褒めてくれた。
ありがとうリオン。その素直な称賛、ヘルムート様にいま一番必要なものです。
「ん、んん……、その、なんだ、リオン、お前も相変わらず、神がかった美貌だな」
幼なじみの気安さから、ヘルムート様も普通に(当人比)リオンを褒めている。
「リオン、これからしばらくよろしくね。いろいろ迷惑かけると思うけど……」
ヘルムート様の婚活騒動に巻き込んでしまうリオンに、わたしは前もって謝っておいた。
「ううん、久しぶりにヘルムートに会えて僕も嬉しいし、何も迷惑なことなんてないよ」
優しく微笑むリオンに、わたしもヘルムート様もしばし見惚れた。まぶしい。キラキラ輝いてる。なに、リオンって光の神?
「……ライラ、なんかしばらく見ない内に、ますますリオンがすごい事になってないか? こんなの一人で外に出して大丈夫なのか?」
「だからわたしが護衛としてついていくんですよ」
わたしの返事に、あ、そうか、とヘルムート様が納得した。まあ、今回のわたしの役回りは、リオンの護衛兼ヘルムート様のお目付けってところか。
魔術師の塔の馬車を返し、三人でベルチェリ家の馬車に乗り込んだ後、わたしはヘルムート様に今回の作戦について説明を始めた。
「いいですか、ヘルムート様。今回参加する夜会の主催は、ランベール伯爵家です」
「ランベール……、ヨナスの実家か」
ヨナス様はヘルムート様の数少ないご友人の一人だ。ランベール家主催の夜会なら、ヘルムート様の初戦として、ホームグラウンド的役割を果たしてくれるだろう。
「本日の夜会は、ランベール伯爵家のヨナス様とヴァイダ男爵家のソフィア様、このお二人の婚約をお祝いするためのものです。ランベール伯爵家は武の名門ですし、ヨナス様は次期騎士団長となられるお方です。この夜会には王都の主要貴族がほぼ勢ぞろいするとお考えください。その出席者の中でも今回特に重要なのは、レーマン侯爵家のハロルド様です」
「あいつが来るのか!?」
ヘルムート様が目を吊り上げた。
「あの男、よくも恥ずかしげもなく! 魔術師二人に重傷を負わせながら、夜会だと!? あやつめ今夜会ったら、ただではおかん!」
ヘルムート様の怒り、いまだ冷めやらず。
もともとヘルムート様とハロルド様の仲は悪かったみたいだけど、今回の魔獣討伐で二人の仲はさらに最悪な状態になっている。これは今夜の作戦を考えると、逆に良い結果を生むかもしれない。
よしよし、とわたしが頷いていると、ヘルムート様がハッと何かに気づいたように言った。
「……いや、待て。ハロルドが来るということは、もしかしてその妹のイザベラ嬢も来るのか!?」
「どうなさいました、ヘルムート様?」
「い、いや……、その、今夜は悪いがやはり欠席「ぜったいダメです」
わたしはヘルムート様の言葉に押しかぶせるように言った。
「ここまで来ておいて欠席とか、ふざけないで下さい。……どうしたんですか、ヘルムート様。何か問題でも?」
「問題というか……、レーマン家のあの令嬢には、会いたくない。あの令嬢は……、アレは悪魔だ」
うつむくヘルムート様に、リオンが心配そうに言った。
「ヘルムート? 大丈夫? イザベラ嬢と何かあったの?」
「何って……、リオンはあの令嬢、平気なのか?」
ヘルムート様に問われたリオンは、不思議そうな表情になった。
「イザベラ嬢のこと? 同じクラスになったことはないから、よくは知らないけど。……そうだね、一度、顔を褒められたことがあったかなあ」
会う人すべてに顔を褒められるリオンが、うーん、よく覚えてないや、とあやふやな笑みを浮かべて言った。
イザベラ・レーマン様はリオンの同級生であるが、一度もリオンと同じクラスになることはなかった。……まあ、リオンはいつも成績最下位グループにいたから、しかたないんだけど。
「リオンに悪感情を持つ人間は、あまりいませんからね。もしいたとしてもリオンには親衛隊がいますし、侯爵令嬢であっても手出しは難しいでしょう」
リオンは、そのあまりの美貌に学院入学直後、親衛隊が発足している。その中には公爵令嬢もいると聞くし、たとえイザベラ様がリオンを嫌っていたとしても何も出来ないだろう。
「……ああ……、そうか、そうだな」
わたしの説明に、ヘルムート様は暗~い表情で頷いた。
「そうだな……、私とリオンは違う、まったく違う……。私など、人前に出るのも遠慮すべきゴミだ……。貴族令嬢にダンスを申し込むなど、思い上がりもはなはだしい……」
「ヘルムート様、ちょっと待って。……それ、イザベラ様に言われたんですか?」
ヘルムート様は淀んだ目でわたしを見た。
「……私が王宮主催の舞踏会に出席した時、あの令嬢は取り巻きと一緒になって、私のことを名指ししてクスクス笑ったんだ……。髪がボサボサだの、死人みたいな顔だのと。……別にあいつらにダンスを申し込んだわけでもないのに、私なんかにダンスを申し込まれたら恥ずかしくて死んでしまうって、そんなこと言って笑ってたんだ……」
うーん。わたしも似たようなことをヘルムート様に言ってしまったな、と少し反省した。ヘルムート様に現状を伝え、危機感を持ってもらうという目的のためだったけど、ヘルムート様の傷をえぐってしまったかもしれない。
「ひどいね、そんなこと言われたの? ヘルムート、気にしないで!」
リオンがヘルムート様の肩を、優しくぽんぽんと叩いた。
「今夜のヘルムートは、とっても素敵だよ。そんな風にヘルムートを笑う人なんて誰もいないから、自信を持って!」
「リオン……」
ヘルムート様が涙目でリオンを見た。
「そうですよ、ヘルムート様。リオンの言う通り、ヘルムート様が引け目に思うことなんて何もありません。イザベラ様も、今夜のヘルムート様をご覧になったらきっと驚かれて、そのようなひどい言葉を投げつけたことを後悔なさるはずですわ」
「後悔とかいいから、顔を合わせたくない……」
後ろ向きなことを言うヘルムート様に、わたしは力強く言った。
「大丈夫です、ヘルムート様。今夜のわたしは、リオンとヘルムート様の護衛ですから。たとえイザベラ様が悪意をもってヘルムート様に何かしようとしても、わたしがヘルムート様をお守りいたしますわ」
「ライラ」
ヘルムート様は驚いたようにわたしを見て、ちょっと顔を赤くした。
「……私のほうが魔力があるぞ」
「ええ」
「それに、剣だって私のほうが強いし……」
「わかっておりますわ。ヘルムート様は戦闘において、それはお強く頼りになるお方です。ですが社交界では、魔法や剣で戦うわけにはまいりません。社交界での戦いは、どうぞわたしにお任せください」
「……わかった……」
ヘルムート様はちょっと悔しそうな表情で頷いた。
「こうした場では、私は何の役にも立たん。すまんがよろしく頼む。……その代わり、ライラが魔獣討伐や国境紛争等に赴く際は、必ず私が守ると約束しよう」
いえ、わたしは一介の事務官ですから。そんな物騒な場所に行く予定、ありませんから。
そうは思ったが、わたしは一応、ヘルムート様にお礼を言った。
「ありがとうございます、ヘルムート様。……それでは、こちらをご覧いただけます?」
わたしは、筒状に丸めた紙を取り出し、ヘルムート様に差し出した。
「……何だ、これは?」
「今夜の夜会における台本です。おそらくここに書かれている通り、ヘルムート様に声がかけられるでしょう。それに対してヘルムート様がどのように振る舞うか、ここが一番の要となります」
「…………」
ヘルムート様が眉根を寄せ、わたしの渡した台本に目を落とした。
これまでヘルムート様が出席された催しにおいて、どのような方がヘルムート様に声をかけ、何を言い、どう振る舞ったのか。出来うる限り調べ上げ、それを基に作ってみた。
が、いかんせんヘルムート様は公の場に出席すること自体が少なく、データ不足は否めない。計画を立てるうえで、足りないデータはほぼほぼわたしの推測で補った。これでは万全の策とは言いがたい。
しかし、わたしとリオンが側についていれば、何とかなる……だろう、たぶん。そう思いたい。
わたしは、不安そうな表情のヘルムート様に、自信に満ちた態度を装って言った。
「いいですか、ヘルムート様。この夜会を利用し、ヘルムート様の印象を良くするのです。令嬢がたに、なんて素敵なお方でしょうとため息をつかせるような、そんな貴公子として振る舞わねばなりません。事をうまく進めるため、くれぐれも短気は起こされませんよう。この台本に忠実に従ってください」
ヘルムート様は難しい顔をして、手にした紙を見つめた。
「わかった。……が、本当にここに書かれた通りになるのか? どう考えても無理だと思うが」
「まあ、ヘルムート様」
わたしはにっこりとヘルムート様に笑いかけた。
うん、ヘルムート様の言う通り、この計画は半分賭けだ。……が、それを正直に言っても、ヘルムート様を余計に不安がらせるだけである。
わたしは顎を上げ、強気な口調で言った。
「こう申してはなんですが、わたしはヘルムート様よりも社交界に通じております。ヘルムート様、どうぞご心配なさらず、わたしを信じてくださいませ」
「お前を疑いはせん。……わかった、もう四の五の言わぬ。お前の言う通りにする」
キリッと表情を引き締めるヘルムート様を、リオンがすかさず褒めてくれた。
「ヘルムート、偉いね! 今日は一緒に頑張ろうね!」
「ん、んん……っ、わかった、やるぞ!」
気合を入れるヘルムート様に、よし、とわたしはコート裏から例の香水を取り出した。
「ヘルムート様、これが最後の仕上げですわ」
わたしは一度、香水を自分の手に落としてから、それをヘルムート様のうなじと手首に軽く付けた。
「……これは?」
「最近、手に入れた東方の香水です。今夜のヘルムート様にピッタリでしょう? エキゾチックで、神秘的で」
「ん、ん……、まあその、いい香りだな」
くんくんと手首の匂いを嗅ぎ、赤くなるヘルムート様。
よし、準備は整った。
わたしは静かに深呼吸し、気合を入れ直した。
この夜会でヘルムート様のイメージを一新し、麗しい貴公子として令嬢達の意識を上書きしてみせる。
ヘルムート様の幸せのために、頑張るぞ!




