14.いざ出陣
吠えるだけ吠え、ぐったりと執務机に突っ伏すヘルムート様に、わたしは優しく声をかけた。
「それはそうと、ヘルムート様、きちんと約束を守ってくださったんですね」
「あ?」
半眼でわたしを見上げるヘルムート様に、わたしはにっこり笑って言った。
「髪はツヤツヤになりましたし、お肌もだいぶ状態が良くなってます。目の下のクマもだいぶ薄くなったし……」
顔をのぞき込むと、ヘルムート様が少し赤くなって下を向いた。
「そ、……そうか? ん、まあ……、そうだな、言われた通り八時間睡眠を守ったし、栄養補助食品もちゃんと食べたしな……」
「すごい! さすがヘルムート様です!」
「ん……、そうだな、まあ、少しは頑張ったかな……」
「エラいですね! 頑張りましたね、ヘルムート様!」
わたしは、これでもかとヘルムート様を褒めた。
魔術師の塔に入ってからわかったのだが、ほとんどの魔術師は褒められることに慣れていない。
塔の魔術師は強大な魔力をあやつり、時として一個大隊を壊滅させるほどの脅威となるにも関わらず、あまり表立って賞賛されることがない。華やかな騎士に比べると、圧倒的に地味な存在なのだ。
そのせいか、魔術師は軽~く褒めただけで、こっちが引くくらい喜んでくれる。また、喜んでいることを隠そうとするのだが、それがあまりにわかりやすいため、なんかこっちが切なくなってしまう。
こんなに頑張ってるのに、みんな魔術師を無視するのなんで!? 誰かもっと褒めてやって! と思うのだが、まあ、おかげで魔術師のマインドコントロールは割と簡単だ。
褒めて伸ばす。
なんか幼児教育のようだが、ほんとにこれがよく効く。それは魔術師団長であるヘルムート様も例外ではない。
わたしは、頬を染めてうつむき、ソワソワするヘルムート様をさらに褒めた。
「ヘルムート様、お肌と髪の状態がよくなったせいか、すっごく素敵に見えます!」
「ん、いや、まあ……、そ、そうか……?」
「ええ! 見違えました!」
うつむいたまま、ヘルムート様がちらちらとこっちを見る。もっと褒めてほしいんだな、よし。
「ヘルムート様はほんとにすごいですね! 魔力量は国一番だし、部下思いだし、剣もお強いですし!」
「んん……、いや、フ……、フヘ……」
唇を噛みしめ、喜んでいる様を見せまいと頑張っているが、妙な笑い声が漏れている時点でバレバレだ。
「ヘルムート様、さっきも言いましたけど、ほんとに髪、綺麗になりましたねえ! ツヤツヤのサラサラじゃないですか!」
「んっ、んん……、そうか?」
デュフッ、と小さく笑うヘルムート様に、わたしはさりげなく言った。
「後は、ちょちょっと毛先を切りそろえれば、もう完璧なんですけど……。何事も仕上げが大切ですよね、ヘルムート様。ちょーっとだけ、髪を整えてもよろしいでしょうか?」
「グフ、ん、まあ……、別にかまわんぞ?」
上機嫌のヘルムート様に、よし言質はとった、とわたしは執務室の結界を解き、隣の部屋に向けて声を張った。
「ハイ、いいですよ皆さん! さあ、こちらにいらしてヘルムート様の仕上げにかかってください!」
わたしが言うやいなや、バン、と隣の部屋の扉が勢いよく開いた。執務室になだれ込んでくる職人達に、ヘルムート様の顔が引きつる。
「はい失礼しますー、ヘルムート卿お久しぶりです、はい、お顔失礼しますよー」
有無を言わせぬ勢いで、前回ヘルムート様に化粧品を塗りたくった職人(美容部門)が、ヘルムート様の顎をガッとつかんだ。
「は、え? な、なに……、ちょっ、ライラ、こいつら何なんだ!」
「ヘルムート様、髪を整えてもいいとおっしゃったじゃありませんか」
職人数人に囲まれ、髪やら顔やらを触られて身動きできない状態のヘルムート様が、焦ったようにわたしを見上げた。
「いや、だって……、か、髪だけじゃなくて顔もなんかされてるぞ!?」
「仕上げですからね。お肌も整えないと、夜会に行けませんから」
うむ、こうしてじっくり見ると、ヘルムート様、ほんとにいい状態に仕上がってる。間に合わなければ魔術を使おうかと思ってたが、その必要はなさそうだ。
「お肌は産毛を剃って眉を整えて、後は……、保湿するだけで大丈夫そうですね。髪も……、うん、毛先を揃えたら、今日は下ろしたままにしましょう。肌が見える服装なので、紅玉髄の首飾りをつけて……」
次々に指示を飛ばし、ヘルムート様を磨き上げてゆく。
「え、ライラ、ちょっと待て。……夜会? 夜会って?」
「本日のヘルムート様の戦場ですわ」
わたしは指に挟んだ招待状をピシッと掲げてみせた。
「以前、申し上げたではありませんか。魔獣討伐から戻られましたら、毎日、何らかの催しに参加していただくと」
「え、いや、だって……、今日戻ったばっかりだぞ?」
「何ふざけた事おっしゃってるんですかヘルムート様! 魔獣討伐のせいで、一か月近く無駄にしてるんですよ! もう一日だって待てません!」
でもでもだって、と反論しようとするヘルムート様を、職人達が衝立の向こうに押し込める。
「わたしも着替えてきますので、ヘルムート様、抵抗しないで大人しく職人さん達の言うこと聞いて下さいね!」
「待てライラ!」
ヘルムート様がなんか言っているが、無視してわたしは執務室を出た。
さて、急がねば。
わたしは廊下を滑るように歩き、同じ階にある控室に飛び込んだ。ここは午後いっぱい使用許可を取ってあるから、誰も入ってこない。
わたしは用意していた女性用の騎士服を手に取ると、大急ぎでそれに着替えた。夜会に相応しい宝石のブローチをつけ、短い湾刃を腰に下げる。それから今夜のために用意した、特製の耳飾りも。
髪を上の方で簡単に一つ結びにすると、わたしはふたたび執務室に戻った。
「ヘルムート様、着替え終わりました?」
「まっ、まだだ見るな!」
わたしが声をかけると、衝立の向こうで焦ったような声が上がる。とたん、ヘルムート卿、動かないで! と職人(服飾部門)の怒声が飛んだ。
ヘルムート様、その気になればこの部屋にいる人間全員、一瞬で消し炭にできるレベルの魔法の使い手だけど、ぜんぜん怖がられていない……。貴族と違って魔力を持たない平民は、魔力量を感じ取れないせいもあるだろうけど、ヘルムート様は平民に対して威圧的じゃないからなー。
「お嬢様、終わりました!」
やりきった! という表情で、ベルチェリ商会の者がわたしに声をかけた。
「ありがとう、みんな。……ヘルムート様? どうされたんです、衝立から出てきてください。どこかサイズ合わないところでもありました?」
「いや、そうじゃ……、だめ、だめだライラこっち来るな!」
衝立に手をかけると、必死な様子でヘルムート様が衝立を押し返してきた。
「どうされました? サイズ合ってません? 動きづらい?」
「そうではないが……」
「じゃ、ちょっと仕上がり見ますんで、失礼しますね」
イヤだ、だめだと喚くヘルムート様を無視し、衝立の向こう側に回る。
「あら」
背中を丸め、体を隠すように両腕で自分を抱きしめるポーズをしているのがアレだが、これは中々……。
「素敵。お似合いですわ、ヘルムート様」
「ウソつくな!」
ヘルムート様が涙目で叫んだ。
「こっ、こんな派手な服、わ、私に似合う訳ないだろう! み、みんなみんな、私を馬鹿にして……っ」
真っ赤になってぷるぷる震えるヘルムート様の肩を、わたしは無言でつかんだ。そのまま、強引に姿見のほうへ体を向けさせる。
「なんですって、ヘルムート様? 似合わない? 馬鹿にしてる? この麗しいお姿をご覧になって、それでもまだそんな戯言をおっしゃいますの?」
「………………」
ヘルムート様が、呆然と鏡に映る自分を見つめている。
鏡には、エキゾチックな装いをした、どこか謎めいた美しい青年が映っていた。
体にピッタリと沿うような東方風の黒い上着を、金色の刺繍や帯、赤い飾り紐が華やかに彩っている。
服の形は丈の長いチュニックに似ているが、動きやすいように深いスリットが入っている。襟元は大きく開き、ドレスコードぎりぎりのラインで肌が見えていた。おかげで紅玉髄の首飾りがよく映える。
白いパンツはゆったりした作りで、膝下のブーツできゅっと締められている。
いま王都で大流行中の騎馬民族風の服装だが、思った通り、ヘルムート様にとてもよく似合っている。
体にピッタリした作りだからヘルムート様のスタイルの良さが引き立つし、エキゾチックな雰囲気がその美貌を神秘的に見せている。
物憂げな色を浮かべる切れ長の琥珀の瞳、スッと通った鼻筋になめらかな白い肌、肩に流れ落ちるサラサラの黒髪。ちょっと酷薄そうな薄い唇が退廃的で、かえっていい感じだ。よし、上出来。
ヘルムート様は元々整った顔立ちをしていたが、いかんせんめちゃくちゃな生活習慣のせいで、容貌をうんぬんする以前の状態にあった。
しかし、一月かけて健康状態を改善したおかげで、ヘルムート様はため息の出るようなその美貌を取り戻した。今ならアンラスキアの王子様と言っても通るだろう。
「これが……、私……!?」
両頬に手を当てた乙女ポーズで、ヘルムート様が驚愕している。いや、ちょっとそのポーズ……と思ったけれど、突っ込むことはやめておいた。その代わり、わたしはヘルムート様を力づけるように言った。
「ええそうです、まぎれもなくヘルムート様、ご本人ですよ。さあ参りましょうヘルムート様! 武器は揃いました、後は戦いあるのみです!」




