11.お見合い
ヘルムート様がニブル領の魔獣討伐に出発してから、一週間が経った。
帯同したニブル領出身の魔術師にヘルムート様を見張らせ、三日毎にその様子を書き送らせているおかげで(魔術師には、お礼としてベルチェリ商会で取り扱っている商品を好きなだけ進呈すると言ったら、喜んで引き受けてくれた)、今のところ美容計画はとどこおりなく進んでいることがわかった。王都に戻ってくるまで、ぜひこの調子を維持してほしい。
その間、わたしはわたしで片づけておかねばならない問題がある。
お見合いだ。
「今日はどなたですか、母上」
「あなた、お相手に会う前に釣書くらいちゃんと読んでおきなさい」
母に呆れたように言われたが、そんな時間などない。
「申し訳ありません、仕事がたてこんでおりまして」
「……まったく、あなたは父親に似て仕事熱心すぎるわ」
「そのおかげでベルチェリ商会は急成長し、いまや海の向こうの大陸をも網羅するほどの規模になりましたよ」
ふう、と母がため息をついた。
温室へと向かう母の足取りがゆっくりになる。お説教されるのかと思ったが、母はあきらめたように言った。
「あなたと言い争っても、言い負かされるだけね。……今日のお相手はフランケル男爵家のご次男よ。騎士団に所属されているけれど、将来的にはベルチェリ家に入って商会の仕事に携わりたいとおっしゃっているわ」
「それはできませんね」
わたしは肩をすくめた。
「ベルチェリ家はリオンが継ぎます。余計な火種は作らぬべきです」
「……それはそうなのだけど」
母はためらうように声を落とした。
「リオンは、あなたを後継者にと」
「馬鹿なことを」
わたしは母を睨んだ。
「そのような戯言、決して認められません。……わたしがベルチェリ家を継いだら、リオンはどうなります? 騎士になる? 文官として働く? 無理に決まってます!」
「ライラ……」
「母上はそれでよろしいのですか、リオンが不幸になるとわかっていて、わたしに家を継げと?」
「……リオンに不幸になってほしくなどないわ。でも、わたしはあなたにも不幸になってほしくないのよ」
母の言葉に、わたしは思わず足を止めた。
「母上」
「……あなたはそれでいいの? 一生リオンを、ベルチェリ家を支え、陰の存在として尽くし、表に出ることもない。実権はあなたが握るとしても、リオンの子が生まれればどうなるかわからないわ。いいえ、リオンの結婚相手があなたを疎めば、商会をさえ追い出されてしまうかもしれない」
「その時はその時ですわ」
わたしは母を安心させるように笑ってみせた。
「自慢ですが、わたしは多才なうえ、あちこちに伝手があります。たとえベルチェリ家を追い出されたとしても、それで食い詰めて身を持ち崩すようなことにはなりません。ご安心ください」
「あなたが有能で、度胸もあることは、ようくわかっていますとも」
母は苦笑した。
「でも、それとこれとは別です。……言ったでしょう、わたしはあなたに、幸せになってほしいのよ」
わたしは母を見つめ、考えた。
幸せ。わたしの幸せ。……そんなこと、考えたこともなかった。いや、考えるのを避けてきた。考えたってどうしようもない。手に入りっこないからだ。
「……母上がおっしゃったことです。人には出来ることと、出来ないことがあると」
「あなたが幸せになるのは、不可能なことなの?」
「リオンをベルチェリ家の当主とするなら、それを側で支える人間が必要です。実質的にベルチェリ商会を切り盛りしながら、決してリオンから権益を奪わぬ人間が。……わたし以外に適任者がいますか?」
母はわたしから目をそらした。
「それに、リオンが不幸になれば、わたしだって不幸になるんです。これが一番の解決策なんですよ。さあ、行きましょう母上。お相手を待たせては失礼です」
わたしは温室に向かう足を速めた。少しして、母の足音がついてくる。
ベルチェリ家でお見合いが行われる場合、だいたい温室が使われることが多い。
相手は海外の珍しい植物を鑑賞できるし、こっちはベルチェリ家の財力をそれとなく誇示できる。
たしか今は、東方から取り寄せた『月の花』と呼ばれる珍しい植物が蕾をつけたばかりのはずだ。咲くのはまだ先だが、これを話題にしてみよう。相手がどれだけ東方に詳しいか探ることもできる。
そこまで考えて、わたしは苦笑した。
お見合い相手を、まるで職員採用と同じ目線で見てしまっている。どれだけ商会に役立つかどうか、それだけで結婚相手を決めようとしているのだから、わたしも大概だ。
わたしは、ふとヘルムート様のことを思った。
娼婦の子として生まれ、侯爵家に冷遇されながらも、見事に宮廷魔術師団長という地位にまで上り詰めた、わたしの幼なじみ。魔法に関しては天才だが、それ以外のことはまったく知らず、修道士並みに世俗に疎いため、現在、婚活で大苦戦している。
だがヘルムート様は、少なくとも結婚相手を利用できるかどうか、なんて視点では選ばないだろう。彼は、愛し愛される人としか、結婚相手を考えていない。そんなことを望むのが許される時点で、そうとう恵まれた立場にいるとは思うが、その立ち位置まで上り詰めたのは、彼の努力の賜物だ。
わたしは偉そうにヘルムート様にああだこうだと指図をしているが、本当はヘルムート様は、わたしなんかよりよほどまともなのだ。
――わたしに、ヘルムート様にお説教する資格なんてない。
わたしはため息をつき、憂鬱な気持ちで温室の前に立ったのだった。




