特製オムライスとおにぎり2
「あっ……。すまない。先客がいたんだな」
訪ねてきたのはレジスだった。マティアスがいることに気づき、レジスはそのまま扉を閉めようとする。
「あ、大丈夫だよレジス! 僕はもう出るところだから」
「……そうか」
マティアスがレジスにどうぞ、というように席を立つと、レジスはサロンの中へ入ってきた。
「意外だな。君もこういったものに参加するんだね」
「べつに、俺の勝手だろ」
すれ違いざまに、マティアスがレジスに話しかける。レジスはマティアスと目も合わさずにそう言い返した。
「それはそうだ。僕のイメージの中のレジスはこういったものに興味を示さなそうだったから、驚いただけだよ。でもたしかに、レジスは悩みが尽きなそうだもんな。ほら、最近女子生徒に付きまとわれて困ってるところをよく見るし。モテる男もたいへんだな」
「お前ほどじゃない。余計なお世話だ」
冷たく言い放つレジスを見て、マティアスは苦笑いをする。
「じゃあ僕は行くよ。フィーナ、今度はシールをもらえるようがんばるね」
「お待ちしております。でも、悩みがないのはいいことですよ」
「はは。今の悩みは、悩みがないことだな。それじゃあ」
手を振りながらウインクをして、マティアスはサロンから出て行った。
レジスはむすっとした顔をして、おもしろくなさそうに椅子に座り頬杖をつく。なにか嫌なことでもあったのだろうか。
「レジス、どうかしたの? ご機嫌ななめに見えるけど」
「べつに」
「……あ、さっきマティアス様がレジスが女子生徒に付きまとわれてるとか言ってたけど、それは大丈夫なの?」
「俺にはなんの話かさっぱりだ。誰かと勘違いしてるんじゃないのか?」
「そ、そう。ならいいけど」
普段から愛想がいいとはいえないが、今日のレジスはおかしい。いつもサロンにきたときはレジスのほうからいろいろと話してくれるのに、今日はあまり口を開こうとしない。
私もどうしたらいいかわからず、お互いなにも喋らないまま気まずい空気が流れる。
「……フィーナって、マティアスと仲がいいのか?」
そんな空気を破ったのは、レジスのそのひと言だった。
「え? どうして?」
「楽しそうだったし、あいつと話しているときのフィーナの顔が嬉しそうだった」
レジスの前でマティアスと話してたのなんて、今さっきのほんの少しの時間だけだ。そう言われてみれば、マティアスは憧れのひとだし、アナベルと両想いなこともわかって、私の顔が緩んでいたのかもしれない。
「私の顔がどうだったかは自分じゃわからないけど、べつに特別仲がいいとかじゃないわ。停学になってから初めて会ったし、久しぶりだから会話が弾んだだけよ」
「ああ。弾んでいたな。それに俺と話しているときより声色が高かったし、気持ちが浮ついているようにもみえた」
「……そんなつもりはなかったんだけど。レジスと話しているときだって、いつも楽しいと思ってるわ」
「俺とマティアスはフィーナから見たら同じってことなんだな。よくわかった」
まずい。レジスがひとりで暴走している。絶対なにもわかってないし。
じっと据わった目つきで見られ、まるで尋問を受けているかのような気分だ。
「フィーナって……マティアスのことが好きなのか?」
「私が? ああいう王子様って感じのひとには憧れがあるけど、そもそもマティアス様は本物の王子様だし。好きとかじゃなくて、どちらかというと憧れのひとっていえるわね」
「じゃあ、フィーナの好きなタイプってどんなのだ?」
「好きなタイプ? それもやっぱり、王子様みたいなひとになるのかしら。私、昔からずっと王子様って存在への憧れが強かったのよ。いつか素敵な王子様が目の前に現れて〝お手をどうぞ〟って手を差し伸べてくれる……そんな王道ラブストーリーみたいなこと、一度でいいからされてみたくて。きっと、どんな女の子もお姫様みたいな気分になれるんでしょうね。……これも好きっていうより、理想っていうほうが正しいのかも」
「……王子様、か」
レジスは真剣な面持ちで呟く。考えごとをしているのか、それ以上なにも言ってくることはなかった。尋問タイムは終了したようだ。
「私の話は置いといて、今日はどうしたの? また新しい相談? それともシールをもらいに?」
「え? ああ。この前言った悩みが解決したんだ。ほら、気になる子があまり向こうから話しかけてくれないっていう。フィーナの占い結果通りに相手を信じて待つことにしたら、向こうから話してくれるようになった」
「それはよかったわね。悩み解決おめでとう。レジス」
……その悩み相談を受けてから、私はシピでレジスに会うときに、以前より多めに自ら「にゃー」って鳴くことにしたのよね。
レジスにシールを渡すと、レジスはポケットから生徒手帳を取り出した。そして、中から集めていた二枚のシールを取り出すと、今受け取ったぶんを合わせて三枚のシールを机の上に並べる。
「わあ! ついにレジスも三枚集めたのね! 裏メニューゲットよ」
「……よしっ!」
目の前でレジスが声を上げ、立ち上がり思い切りガッツポーズをしている。したあとに自分がやったことが恥ずかしくなったのか、誤魔化すようにコホンと咳払いをすると、冷静を装いながら椅子に座り直した。
「レジス、最近シールをすごく集めたがっていたものね」
「いつも食堂にいる婦人に聞いたんだ。裏メニューは、〝フィーナの手料理が食べられる〟って」
マルトさん、なにを言っているの!? ふたりで作っているから半分正解だけど、その言い方だとまるで私がひとりで作ってるみたいじゃない。
「だから……絶対集めたかったんだ」
「レジス……」
レジスが私の手料理のためにシール集めに必死になるなんて思わなかったから、純粋に嬉しい。
さっきまで気まずい空気が流れていたサロンで、今はふたりとも顔を火照らせ俯いている。まるで私たちの周りに花が浮いているような、ほわほわとした空気が流れていた。
「じゃあ、早速頼んでもいいだろうか? その、裏メニューを」
「ええ。マルトさんに言って準備するから、レジスは出来上がるまで食堂で待っててくれる?」
「わかった」
時刻は二十一時前。私は早めにサロンを閉めて、マルトさんのいる厨房へと向かった。
「マルトさん、今から裏メニューを作ってもいいかしら? レジスがシールを集めたの」
本来なら、食事のラストオーダーは二十時半までだ。少し時間が過ぎてしまっているが、裏メニューに関してはイレギュラーなことが起きても仕方ない。
「ああ、構わないよ。作るのに時間もかからないし。……ん? レジスって、あの水色髪のイケメンくんのことか」
「そうだけど、それがどうかした?」
マルトさんは食堂で待機しているレジスを見て、なにかを思いついたようだ。
「じゃあ今日のオムライス作りは、フィーナひとりに任せることにするよ」
「えっ!? どうして!? 私ひとりじゃ、あのクオリティのオムライスはまだ作れないわ!」
「いいんだよ。やれるとこまでやれば。あたしが食べたフィーナのオリジナルオムライスも、十分おいしかったしねぇ。あのイケメンくんは、クオリティより誰が作ったかのほうが大事なんだと思うよ」
マルトさんに言われて、さっきレジスが言っていたことを思い出した。
『裏メニューは、〝フィーナの手料理が食べられる〟って。だから……絶対集めたかったんだ』
――マルトさんったら、最初からこうするつもりでレジスにあんなことを言ったのね。
こっそり食堂にいるレジスをキッチンから覗くと、待ち遠しいのかそわそわとしている。そんなレジスを見ていると、早くオムライスをレジスに食べてもらいたい、という気持ちになった。
「わかったわ。ひとりで作ってみる。でも、いつもより裏メニューのクオリティが低いって周りに気づかれたらどうしよう……」
「大丈夫だよ。もう夜の九時だ。ラストオーダーは終わってるし、食堂にひとはそんなにいない時間だから、気にすることないよ」
「……それもそうね。よし! がんばって作らないとっ!」
私はエプロンをつけて袖を捲り、オムライス作りを始めた。マルトさんは隣で片付けをしながら私の様子を見守ってくれている。
失敗することなくオムライスは無事完成し、キッチンに美味しそうなにおいが広がった。
「はい、仕上げにはこれが必要だろう」
完成したオムライスを見て、マルトさんはうんうんと頷きながら私にケチャップを渡してきた。どうやらひとりで作ったオムライスは、マルトさんから見ても合格点はもらえたようだ。
――レジスには、そうだ。これを描くしかないわね!
私はケチャップで卵の上に猫のイラストを書いた。前世のメイドカフェなんかで見たことあるような、可愛らしい仕上がりになった。
ほかにひとがいる前でレジスにこんなかわいいオムライスを出したら、きっと注目を浴びてしまう。でもマルトさんの言う通り、食堂にはほとんどひとがいなくなっていたので、その心配はなさそうだ。
「レジス、お待たせ! アルベリク寮食堂の裏メニュー、〝フィーナの特製オムライス〟よ。どうぞ召し上がれ!」
姿勢よく椅子に座っているレジスの前に、私は猫のイラストが描かれたオムライスを出した。
「……猫?」
「そう。かわいいでしょう? レジス、猫が好きだって言ってたから」
「覚えていてくれたのか。ありがとう。これ、フィーナが描いたのか? 上手だな。それに、オムライスも美味そうだ」
レジスはふっと小さく微笑んで、オムライスの端っこをひとくち食べた。
「……! すごく美味い。驚いた。フィーナは料理が得意なんだな」
「えへへ。得意っていうより、趣味なだけだけど」
「謙遜するな。お金をとってもいいレベルだと俺は思うぞ」
ひとりで作ったオムライスを裏メニューとして出すのは初めてだったが、大成功みたいだ。スプーンが止まらないレジスを見て、私までお腹も、そして心も満たされたような気分になる。
「これをほかのやつも食べると思うと、なんだか嫉妬する」
「も、もう。冗談ばっかり」
普通に考えると、レジスは仮にも私に恋愛相談をしている身なのに、こんな思わせぶりなことを言ってくるのはおかしな話だ。でも私は、レジスの好きな相手の正体をわかっているから、そんなの全然気にしていなかった。レジスもレジスで、自分の中では猫の相談をしているだけなので、細かいことまで気が回っていないのかもしれない。
「あの、ここだけの話なんだけど」
「なんだ?」
「レジスのオムライスだけ、実は特別なの」
「特別?」
トレーを抱えたまま近くに立っている私を見上げ、レジスは首を傾げた。
「なにが特別なんだ?」
「それは……内緒ってことにしとく。とにかく特別なの!」
自分からこの話題をふっかけておいて、急に〝ひとりで作ったことが特別〟なんて口にすることに恥じらいを覚える。それにレジスは元々、裏メニューは私がひとりで作るものだと勘違いしていた。言ったところで、大して特別に感じない気がする。
「……気になるな。いつか教えてくれ。ただ、その特別の意味はきっと、俺にとっては喜ばしいことなんだろうな」
そう言うと、レジスは最後のひとくちを平らげて「ごちそうさま」と手を合わせた。
「遅くに作ってもらって悪かったな」
「こちらこそ、かなり遅い夕食になってごめんなさい」
「本当に美味かった。フィーナの手料理が毎日食べられたらいいのにな」
最高の褒め言葉をもらって、今後も料理に精が入りそうだ。
そのとき、レジス越しにふと購買コーナーが見えて、私はレジスにこんな質問をした。
「じゃあたとえば、購買コーナーに私が作ったものが並んだらレジスは買ってくれる?」
「もちろん。買い占める」
即答するレジスに、私はプッと噴き出してしまった。
レジスが男子棟に行くのを見送り、私は鼻歌まじりで綺麗に完食されたお皿を厨房まで持っていく。
「〝君の作る料理を毎日食べたい〟って、あたしが旦那に言われたのと同じ言葉だ」
「マルトさん! 聞いてたの!?」
キッチンに戻るなり、マルトさんはにやついた顔を私に向けた。
「勝手に聞こえてきただけだよ。あのイケメンくんがあんな甘いセリフ言うなんて驚きだ。まさに、好きな子にだけ甘いタイプだね」
「好きとかじゃなくて……私はレジスに懐かれてるっていうか、そう、懐かれてるだけよ」
「懐かれてる? あはは! フィーナ、おもしろいことを言うね」
大笑いしながら、マルトさんは片付けられたまな板取り出すと、キッチンの上に置いた。
「あれ? マルトさん、今からなにか作るの?」
「いいや。作るのはフィーナだよ」
「私!? オムライス作りならもう終わったじゃない! ……まさか」
「勘付いたようだね。あそこまで言われて作らないなんて、女がすたるってもんだよ」
まさかと思ったら、そのまさかだった。
マルトさんは私に、購買コーナーで売る用の料理を作ることを命じてきたのだ。
「べつに今日やらなくたって……」
「あたしは今週の土日はちょっと忙しくてね。来週の月曜から出せるようにするには、今日と明日で仕上げるしかないんだよ」
そんな急ぐ必要があるのか疑問だったが、マルトさんにその後言われた「食べたいと思ってくれたひとが、食べたいと思っているうちに一秒でも早く希望の料理を提供するのが料理人だ!」という言葉に、私は料理人でもないのに妙に納得してしまった。
私はレジスの希望を叶えるために、二日間マルトさんと厨房に籠って、購買コーナーの新商品開発に励んだ。
パンとサンドイッチがメインだったので、私はおにぎりを作ることを考えた。おにぎりなら手軽に持ち運べるし、お米を食べたいと思ったときにちょうどいい。材料費も値段も安く済ませることができる。
ただ購買コーナーに出すと、炊き立てのご飯を使ってもそのうち冷めてしまう。冷めても美味しいおにぎりを作らなければ意味はない。
具は定番の鮭、ツナマヨと、甘辛に仕上げた鶏のから揚げの三種類にしてみた。海苔が食堂になかったのでマルトさんに相談すると、奇跡的に王宮のキッチンで外国から輸入した海苔がたくさん見つかり、それをもらえることになった。
ルミエル国ではそこまで海苔を食べる文化はないので、たまに見かけるおにぎりも炊き込みご飯やまぜご飯で作られていることが多い。でも私は、前世で馴染みのあるあの海苔が巻かれたおにぎりだを作りたいのだ。おにぎりにすれば、この国のひとだって海苔が食べやすくなる――はず。
マルトさんは興味深そうに、私がおにぎりを作るのを眺めていた。
パリパリに焼いた海苔を塩をつけて三角に握ったご飯に巻きつければ、おにぎりの完成だ。
私は敢えて、冷めたおにぎりをマルトさんに食べてもらうことにした。
「……美味しい! なるほど。こういうおにぎりもあるんだね。鮭の塩加減もいい感じだよ。こっちのツナマヨはみんなから好かれそうな味だし、唐揚げは満腹感があって、男子生徒から人気が出そうだね。パリッとした海苔が柔らかいご飯と具材のアクセントになっていて、これだと食べやすいよ」
マルトさんの絶賛を受け、私が作ったおにぎりは朝、夕合わせて全種類二十個ずつの、一日六十個限定販売で売られることになった。
前回同様宣伝ポスターを作り、月曜日に販売されることを寮生に事前告知しておく。
準備万端で迎えた月曜日。
早起きをして朝の分のおにぎりを三十個握った。しかし気合いを入れて早起きをし過ぎたせいか、握り終わったあとにどっと眠気が私を襲った。
販売開始前に少し仮眠をとらせてもらうため部屋に戻ると――起きたころには、もう十時を過ぎていた。
――やってしまった。
私はダッシュで食堂に向かうと、購買コーナーにおにぎりはひとつも残っていなかった。
「マルトさん、ごめんなさい! 私、あのまま今までずっと寝ちゃって……」
「そんなことだろうと思ったよ。おにぎりなら、朝イチですぐに全部売り切れたよ」
「えぇ!? そんなにすぐ!? 宣伝の効果があったのかしら」
「そうじゃなくて……あのイケメンくんが買い占めたんだよ」
そう聞いて、私は目が点になった。
「レジスが!? 三十個全部!?」
「そうだよ。涼しい顔をして……両手におにぎり抱えて部屋に戻っていったよ! あはは!」
マルトさんはその光景を思い出したのか、言いながら笑いが堪えきれなくなっている。
「どうして止めないの!? レジスはお金持ちのご令息じゃないのよ!? 三十個買うなんて、無理をしたに決まってるわ!」
「あたしもそう思って止めたけど、本人が絶対に全部買うって言って聞かなかったんだよ」
「レジス……なにを考えているのよ」
私は頭を抱えた。たしかにあのとき『買い占める』って言ってたけど、本当に買い占めるなんて……。
その日、二回目のおにぎり販売時間にも、レジスはふらっと食堂に現れた。
そしてまたレジスがおにぎりを全部買うと言ってきたので、私は必死にレジスを止めた。既に三十個買っていて、それを食べきるのもたいへんなのに、さらに三十個買わせるわけにはいかない。それに、ほかにもおにぎりを食べたがってるひとだっている。
「どうしてだめなんだフィーナ!」
「だめったらだめ! 全部食べきれないのに買うなんてよくないわ!」
食堂に私とレジスが口論する声が響き渡る。
「食べきる! 俺がフィーナが作ったものを残すとでも? 一日では無理だが、数日に分けて……」
「おにぎりが傷んじゃうわ! 買ったものは今日中に食べてもらわないと困るの!」
「だったら、六十個全部食べ――」
「そんなこと絶対無理! 私、食べ物を粗末にするひとは好きじゃない!」
ああ言えばこう言うレジスにぴしゃりと言い放つと、レジスはやっとあきらめてくれたのか、肩を落として去って行った。
のちに、多数の寮生が食堂でひとり大量のおにぎりを食べるレジスの姿を目撃したという。このことは次の日から〝レジスおにぎり買い占め騒動〟と名付けられ、アルベリクで数日間話題となり、レジスは時のひととなった――。