これまでの話1 sideレジス
「レジス様、本当に付き人をつけなくて大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。心配いらない。それに、〝たったひとりで行け〟と俺に言ったのは父上だ。国王陛下直々の命令に逆らうつもりか?」
「で、ですが心配で……異国の地にたったひとりで行かせるなど! もしレジス様になにかあったら……!」
王宮の門前で、馬車に乗る寸前の俺を、執事のロレンツォが引きとめていた。幼いころから俺の世話をしてくれたロレンツォは、自分の目の届かない場所へ行く俺が心配で仕方がないらしい。
もう十六歳になったというのに、いつまで子ども扱いするつもりなのか。俺はため息をつきながら、ロレンツォに言う。
「ただの留学だ。それに、ルミエル国に悪い評判はない。世界中の犯罪数を見ても、トップレベルで平和な国だ」
なにかあったとしても、今まで培ってきた武術や剣術でどうにかできるだろう。見せる機会が、一度もなければいいのだが。
「そうだとしても不安なのです! 長期休暇の際は、私がルミエル国までお迎えに上がりますから! なにか困ったことがあれば、すぐに私を呼んでください! レジス様のために飛んでいきます!」
「……わかった」
了承しなければ、いつまで経っても馬車を走らせることができないと悟り、俺は頷いた。
「じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて! レジス様! ……ああ、王子がいない二年間なんて、寂しくて仕方ない……」
ひとりで国を離れるのは俺のほうなのに、これじゃあ立場が逆に見える。
泣きながら大きく手を振るロレンツォに軽く手を振り返し、俺はルミエル王国へと向かった。
カフリース王国。ルミエル王国からは、少し離れた場所にある。俺はそこで第一王子として生まれた。
将来、国を背負う王になるため、両親からは厳しく育てられた。いろんな勉強をさせられ、習い事も多かった。俺を甘やかしたのはロレンツォくらいで、気づけば俺はひとに甘えることのできない、鉄仮面のような人間に成長していた。
十六歳になり、俺は父からルミエル国にあるアルベリク王立学園に入学することを命じられた。
アルベリクはあらゆる国から入学希望者が殺到する名門学校と聞く。入学すれば学業はもちろん、婚約者や、将来の仕事相手など、様々な出会いが期待できるという噂もあった。
――そこで婚約者でも見つけてこいってことか。
最初はそう思ったが、俺の思惑は外れた。
『これはお前がひととして成長するための課題だ。王になるには、ひとりでも多くの国民の気持ちに寄り添える人間にならなくてはいけない』。
父に最初そう言われたときは、ピンとこなかった。
課題? ひととしての成長? それがなぜ、アルベリクへの入学に関係あるのか。
顔色ひとつ変えた気はなかったが、父は俺が理解していないことなんてお見通しだったのだろう。そのまま、俺をアルベリクに入学させる理由を話し始めた。
まず父は、俺を一国の王子としてでなく、身分を隠し入学させると言い出した。アルベリクは僅かだが庶民も入学ができる環境にある。つまり、俺は貴族でもなく庶民として過ごすよう命じられたのだ。貴族のふりをしていると、社交界に誘われ、どこかで俺が王子だというのがバレる可能性があるかららしい。
父は、俺が身分の低い位置からいろんな人間を見て過ごすことで、今まで見えなかったものが見えるようになると言った。そしてその経験は、いずれ王位を継いだときに、より多くの人間の心がわかるようになる手助けをしてくれると。
最後まで話を聞き、俺は納得した。だから自国の学園でなく、わざわざ少し距離のある国の学園に通わせることにしたのか。しかし、留学生も多いならオリヴェタンと名乗れば王家と疑うやつがひとりやふたりいる気がするが……そこはうまくやるしかないな。
生まれてからずっと、王家の息子として見られてきた。この先もずっとそうだと思っていた。
――まさか俺が、庶民として過ごす日がくるなんて。
嫌だとは少しも思わなかった。むしろ、楽しみにさえ感じていた。
父の考えにも賛同するまではいかないが、だからといって反論もない。俺はアルベリクへの入学話を受け入れた。そして、今に至る。
婚約者を捜せ、という名目でなかったことに、俺はホッとした。昔から、俺はあまり女性が得意ではなかったのだ。
十六年間で、見た目や地位だけが目的で言い寄ってくる令嬢たちを死ぬほど見てきた。俺のことをなにも知らないで、挨拶のように〝好き〟だと言ってくる。
物心がついたころには苦手意識が強まり、自分から女性に関わることはなくなっていた。
――学園でも、できるだけ関わらないようにしたいな。身分も隠さなければいけないし、大人しく過ごそう。俺は人間観察さえできたらそれでいい。
そう思っていたのに、変な噂を流されたせいで、女子生徒が次から次へと寄ってくるようになった。
これじゃあカフリースのときと同じだ。と思ったが、俺に大した地位がないことがわかると、二度と寄りついてこない者も多かった。庶民の立場になると、こういった変化が起きるのか。まぁ……俺の対応が、あまりにもそっけなかったせいもあるかもしれないが。
「えーっと……あなた、レジス様、ですよね?」
今日もまた、一度も会話をしたことのない女子生徒が俺に声をかけてきた。
「そうだが?」
見ればわかるだろ、さっさと用件を言え。
口に出さずとも俺の意思が伝わるように、鋭い視線を彼女に向ける。彼女は白金の長い髪を揺らしながら、俺の睨みに気まずそうに視線を外した。
――彼女はたしか同じクラスの、いつもルメルシェ公爵令嬢の後ろにひっついている生徒だ。俺にも敬語を使っているが……見たところ、彼女も貴族の娘か。
ルメルシェ公爵家の名前だけは、学園でよく耳にしていたので知っていた。そこの娘であるエミリーは、学園中の男子が〝かわいい〟と噂していたし、ルミエル国の第二王子であるマティアスとも入学早々から親交を深めているとのことだ。
エミリーは学園で注目の的になっていて、そして今俺に恐る恐る声をかけてきた彼女は、そんなエミリーといつも一緒に行動している。
噂によると、家同士に関わりがあるらしい。俺の仕入れる情報源のほとんどは、他人の事情が大好きな貴族たちの噂話だ。いつも黙って学園で大人しくしているだけで、求めずともあちらこちらでいろんな話を耳にする。べつに他人の話に興味はないが、何度も聞けば勝手に覚えてしまうものだ。
「あの、その、よかったら一緒にお話しないかな? と思いまして……」
しどろもどろな物言いで、視線は俺に向くことなくいろんな方向へ彷徨っている。
すぐにでもこの場を立ち去りたい、と思っていることが、見ている俺にまで伝わってくるほどだ。
態度と言っていることがまるで合っていない。俺は小さくため息をつくと、横目でエミリーの姿を確認した。
そこには席に座りながら、本を読むふりをして俺たちの様子を窺うエミリーがいた。俺はひとりで納得する。
彼女はエミリーに命令されて、俺に声をかけたのだということを。
本来、俺と会話をしたいと思ったのはエミリーのほうなのだろう。だが、いつもどんなやつにもそっけない俺の態度を知ってか、先に彼女に声をかけさせ様子見しようというところか。
そうすれば、仮に俺が冷たい態度をとったところで自分は傷つかずに済むし、会話ができた場合は自然と輪に入ればいいだけ。
エミリーは男が好きそうな、かわいらしく純粋な振る舞いをしておきながら、実はずいぶんと計算高い女だということは見ていれば俺にはわかる。
そして俺の目の前にいる彼女もまた、エミリーの本性を知っているはずだ。周りには、エミリーに憧れて自ら好きで取り巻きをやっていると思われているだろうが……実際のところはどうなのか。
「……悪いが、これといって話すこともない」
結局一度も目が合わないまま、俺はそう言い放つと彼女から視線を外し、教室の窓の外の景色を見た。
青い空に身を任せ、気持ちよさそうに流れる雲。存在を主張するよう照り付ける太陽。
「そ、そうですよね。……ごめんなさい」
こんなにも今日は快晴だと言うのに、俺と彼女の周りにはどんよりとしたすっきりしない空気が流れていた。
「フィーナ、なにをしているの?」
「エ、エミリー」
「嫌がっているレジスに無理矢理話しかけるなんて。……ごめんなさいねレジス。私の友達が」
あたかも自分は友人を注意しにきただけ、というように、エミリーは申し訳なさそうに眉を下げ謝ってきた。
返事もせずに、俺はまた目線を窓の外にやる。エミリーは俺を不機嫌にさせたのは彼女のせいだと思っているようだ。
「……ごめんなさい」
一礼して、エミリーに強引に手を引かれ去って行く彼女の後ろ姿をこっそり目で追えば、今度はエミリーに頭を下げていた。
……いやなことは断ればいい。誰かの言いなりで自分の意思と反する行動をとるなんて、滑稽だ。
貴族としての誇りはないのか、などと偉そうなことを言う気はない。でも、あれではただの使用人じゃないか。
このときの俺は、彼女――フィーナに対しても、その他大勢の令嬢と同じ感情を抱いていた。
興味の湧かない、つまらない人間だと。
しかし、夏休みが明けたある日を境に、俺のその考えは打ち砕かれた。フィーナに変化が起きたのだ。
「ねぇねぇ、最近のフィーナ嬢、なんかすごいわよね」
「一学期とは別人みたいよね。あんなにエミリー様にべったりだったのに」
「今やエミリー様が話しかけても知らんぷりだものね」
その変化は、お決まりの噂話と化して俺の耳に届いてくる。今回ばかりは、俺も聞きながらうんうん、とおもわず頷いてしまいそうになった。
フィーナがエミリーの取り巻きをやめたのだ。なんの前触れもなく。
従順な犬みたいにご主人様に仕えていた彼女が、リードから解放されたように生き生きとしている姿がそこにはあった。
誰の目も気にせず、ただ自分のしたいように動く。
派手なことをしているわけでも、目立とうとしているわけでもない。
新しい誰かとつるむこともなく、寧ろエミリーといたからこそあった交友関係もすべて捨ててひとりで行動し、側からみればひとりぼっちの地味な学園生活を送っているようにも見えるだろう。
それなのに、フィーナは堂々としていた。楽しそうにしていた。
しがらみに囚われず、我が道を進んでいる。
そこに俺に話しかけてきたときの、おどおどした彼女の面影はもうどこにもない。
俯きがちで、いつも行き場を彷徨っているかのような瞳は常に前を見据えていた。
誰かの言いなりにならず、自分のやりたいことを、やりたいようにしていた。
態度を急変させたことに腹を立てたエミリーが、ほかの生徒にどれだけフィーナの悪口を言いふらそうが、お構いなしといった佇まい。
マイペースなその姿は――まるで猫のようだった。
気づけば俺は、以前まで気にも留めていなかった彼女から目が離せなくなっていた。気になって仕方がない。フィーナ・メレスというひとりの令嬢のことが。
これは決して恋などという学園時代ならではの甘酸っぱい感情ではなく、ただの興味だ。俺はそう思っていた。でも、そう思った時点でフィーナは特別だったのだ。
なぜなら俺が誰かに興味を持ったのは、フィーナが初めてだったから。
気づかれない程度に、フィーナを目で追う日々が続いた。そんななかで、フィーナが学園を休んだ日があった。
――具合でも悪いのだろうか。前日まで元気そうにしていたのに。
フィーナのいない学園は、俺にはとてもつまらなく思えた。
昼休みになり、俺はいつも行っている裏庭のさらに奥へと足を運んだ。ここには少し近くに使われていない倉庫がある以外にはなにもないが、誰もこないので俺のお気に入りスポットになっていた。誰の目も気にせず芝生に座り、心地よい風を思う存分感じていられる。
その日もそうやって過ごしていると、急に眠気が襲ってきた。昼休みが終わるまでにはまだ時間があったので、俺は寝転び目を閉じた。
すると、しばらくして何者かの気配を感じ、俺はすぐに目を開ける。
俺の目に飛び込んできたのは、なんとも愛くるしい白猫だった。
俺は城の人間にすら誰にも言っていないが、猫が大好きだった。幼いころ、街で見かけた子猫にひとめぼれをしたのがきっかけだ。そこからこっそりと見つけた猫に餌をあげたり、本で猫の生態を調べたりするのにハマっていた。
あの手触りのよさそうなモフモフした毛に触れてみたい。気の済むまでじゃれ合ってみたい……!
しかし、俺のその願いはずっと叶うことがなかった。なぜか俺は、猫に嫌われるタイプの人間だったらしい。近寄ると逃げられ、撫でようと手を伸ばすものならシャーッと鳴き牙を露わにし、毛を逆立てて威嚇される。
そんなことが続き、俺の猫への気持ちは、この先も一方通行なのだと若くして思い知らされていた。
でも、今回は猫のほうから俺に歩み寄ってきたのだ。これは、俺が初めて猫を撫でるチャンスなのではないか。
俺の予想は的中した。この白猫――後に、俺はシピと名付けるのだが、シピは俺が触れることのできた、最初の猫だった。
俺の手で気持ちよさそうに喉を鳴らすシピを見て、俺は夢を見ているかのような幸福感で満たされた。
初めてシピをこの手で抱え、その顔をまっすぐ見たとき、俺はこう思った。
「お前、すごくかわいいな。それに……綺麗な瞳をしている」
思っただけのつもりが、つい声に出してしまうほど。
吸い込まれそうなまんまるの紫の瞳は、俺を虜にするには十分だった。
なにより――似ていたのだ。フィーナに。
シピに出会った直後、フィーナに出くわしたことは驚いた。シピが俺とフィーナを引き寄せたのではないか、なんて思ったりした。
申し訳程度の会話をし、すぐに去っていこうとするフィーナの腕を、俺は無意識に掴んでいた。
驚いて目をまんまるにして、こちらを振り返るフィーナを見て、俺はやっぱりシピはフィーナに似ていると改めて思った。
「な、なにか用?」
「……お前、名前は?」
「えっ?」
「悪い。同じクラスなのはわかってる。でも、クラスメイトの名前を覚えてなくて……」
嘘だ。覚えている。
緊張して、会話に困り覚えていないふりをしてしまった。
「フィーナです。フィーナ・メレス」
知っている。
「フィーナ……覚えた」
とっくの昔に覚えている。
「あなたはレジス様、ですよね」
「……覚えていたのか。俺の名前」
フィーナにとって、俺はエミリーとの嫌な思い出の中に登場した人物のひとりに過ぎないかもしれない。でも、フィーナにまた名前を呼んでもらえたことに、うれしさを感じていた。
「ええ。私、クラスメイトの名前は覚えるタイプなので」
悪戯っぽく笑うフィーナに目を奪われる。以前俺と話したときは、気まずそうに視線を逸らしていたのに……。
それはフィーナと出会ってから初めて見た、彼女自身の本当の笑顔だった。
――ドクン。
心臓が大きく脈打つ。同時に、今まで感じたことのない感情が湧き起こる。
フィーナが気になって仕方ない。頭の中がフィーナのことでいっぱいになり、笑顔は脳裏に焼き付いて、夢にまで出てくる始末だ。
俺は恋に落ちてしまったのだ。クールで掴みどころがなく、女嫌いだと散々噂を立てられていたこの俺が。
一瞬にして甘酸っぱい青春という沼に、ズブズブとハマっていった。
十七歳の秋、俺は知る。恋に落ちるのはあっという間で、そして恋はいとも簡単に、ひとを変えてしまうということを。




