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幸せと、崩壊3

 それからというものの、私はサロンもキッチンに立つことも辞めて、部屋に引きこもる日々を続けていた。

 マルトさんには体調が悪いと言い、寮のみんなにもなにか聞かれたらそう言ってくれと頼んでおいた。

 

 倉庫の修復は、完璧にするにはあと少しだけ作業が残っていたが、今でも理事長には褒めてもらえる状態にはなっている。

 寮だって、私は十分やるべきことはやった。これ以上盛り上げたところで私はどうせいなくなるのだから、がんばる意味を見出せない。

 ――もう、疲れた。


 エミリーからレジスの話を聞いて以来、私はあらゆることへのやる気を失っていた。レジスとも、何日も顔を合わせていない。

 レジスの顔を見ると、私はどう対応したらいいのかわからなかった。真実を確かめたいという気持ちと、知るのが怖いという気持ちが、私の中でぶつかり合い喧嘩している。

 決着がつく目処はなく、私はこうして現実から逃げて殻に籠ることしかできずにいた。


 今日もベッドで一日中布団にくるまっていると、部屋にぐぅーっと気の抜けた音が響いた。

 どんなときでも、お腹は空くらしい。しばらくまともに食事をとっていなかったせいか、腹の虫は元気よく鳴き続ける。


 結局私は遅めの時間帯を狙って、食堂を訪ねることにした。二十二時にもなれば、ほとんどの生徒が部屋に帰っていることが多い。

 今はマルトさん以外、誰にも会いたくない気分だった。

 それに何日もマルトさんの料理を食べていないから、マルトさんの料理が恋しくて仕方ない。この時間なら、まだマルトさんはキッチンに残っているだろう。迷惑をかけたことを謝罪して、厚かましいのは承知で、オムライス でも作ってもらえないか聞いてみよう。

 私はお腹をへこませて腹の虫の音を抑えながら、のそのそと起き上がると食堂へと向かった。


 食堂に行くと、厨房の方で食器を洗う音が聞こえ、私はマルトさんがいることを確信した。


「マルトさーん……っっ!?」


 呼びかけながらキッチンを覗き込むと、突然背後から腕を掴まれる。あまりの驚きで、背筋が一瞬凍りついた。


「フィーナ! ……やっと会えた」


 わけもわからないまま腕を引かれ、くるりと体勢を反転させられると、久しぶりに見る水色の髪が目の前で揺れた。


「……レジス」

「体調は大丈夫か? 何日も顔を出さないからさすがに心配で……毎日ギリギリまで、ここで待たせてもらってたんだ」

「毎日ここで、私を……?」


 マルトさんに頼んで、食堂が閉まってもいさせてもらってたのだろうか。

 すると、食器を洗う音が急に止んだ。マルトさんは空気を読んでか、食堂に顔を出そうとはしない。


「なにか重い病いにでもかかったんじゃないかと思って……気が気じゃなかった。今ここにいるということは、もう平気なのか? 俺にできることがあるなら、なんでも言ってくれ」

「……ありがとうレジス。体調は平気よ。べつに、元々悪くなんてなかったから」

「……どういうことだ?」


 妙な緊迫感が、微かに厨房の灯りだけが照らす食堂に流れる。

 俯いたまま一向に目を合わせようとしない私のことを、レジスは怪訝に感じたようだ。


「フィーナ、様子がおかしいぞ。なにかあったのか?」


 その心配も、演技なのだろうか。明日になれば、教室でエミリーと笑いながら、私の話をするのだろうか。

 レジスのことを信じたいのに、そんなことばかり考えてしまう自分がいた。


 思い返せば、私は一日のほんの少しの時間しかレジスに会っていなかった。それなのにどうして、自分がほかの生徒よりレジスを知った気でいたのだろう。私だけが彼に好かれていると、思い上がってしまったのだろう。 


 一度抱いた疑念は、私の心を蝕むように、大きく穴を広げていった。

 信じられないのはレジスだけじゃない。私は自分を信じてあげられるほど、自分に自信を持つこともできなかったのだ。

 

「なんにも、ないわ」

「だったらどうして、俺の目を一度も見ようとしない?」


 無意識なのか、レジスの私の腕を掴む力が強まった。

 声色から、レジスの不安な気持ちや、そこに僅かに含まれる怒りが感じ取れた。


 見ないんじゃない。見れないのだ。

 レジスの顔を見てしまうと、泣いてしまいそうで、今よりもっと感情がぐちゃぐちゃになりそうで、怖い。

 

 でも――もしここで、私が勇気を出してレジスに獣化のことを聞いてみれば、なにか変わる? レジスのことを信じられる?


 私はできることならレジスのことを信じたいと、心のどこかで強く願っていた。エミリーの言ったことが嘘なら、レジスはまだシピの正体を知らないはず。


「レジス……最近、シピちゃんには会えた?」

「え? いや、会えていないが……それがどうかしたのか」


 私は望みを賭けながら、勇気を出してレジスの目を見てはっきりと告げる。


「そうよね。だって、あの白猫は私だものね」

「……フィーナ?」

「レジスは、知っていたんでしょう?」


 なんのことだ、と否定してほしかった。それか、驚きで固まるお茶目な姿をここで見せてほしかった。


 私の願いも虚しく、青い瞳はまるで意表をつかれたように揺れる。その瞬間を、私は見逃さなかった。


「やっぱり知っていたのね」

「それは……」


 レジスの反応を見れば、シピの正体を知っていたかどうかなんて明白だ。


 レジスはずっと、わかってて私に接してたんだ。

 胸の奥で熱くなりかけたものが、凍り付いたように冷たくなっていく。


 私は所詮この世界では物語のモブキャラ。ヒロインを差し置いて幸せになろうなんて、最初からあり得ない話だったんだ。


「隠してた私も悪かったし、獣化した姿でレジスに近づいたことは謝るわ。……でも、ずいぶんひどいことをするのね。私のこと、馬鹿な女だと思ったでしょう? レジスにバレているとも知らないで、勝手に自惚れて……自分のしてきたことが、恥ずかしくてたまらないわ」

「フィーナ、なにを言ってるんだ。たしかにフィーナがシピだということは、エミリーに聞いて知っていた。でも俺は、お前を馬鹿になんてしていない」


 切羽詰まったレジスの声。泣きたいのは私なのに、どうしてレジスがそんなに苦しそうな顔をするのよ。


「……本当にエミリーから聞いていたのね。これで、私も踏ん切りがついたわ」

「待てフィーナ、話を聞いてくれ」

「お願いだからこれ以上、私を傷つけないで。もう十分、私の心はぼろぼろよ。――退学は決まったも同然だし、もうこれで会うこともなくなるわ」

「退学? なんの話だ」


 ここへきて、まだシラを切るつもりなのか。レジスがなにを考えているのかわからない。


「とぼけないで。どうせエミリーから全部聞いてるんでしょう? ……もう私に話しかけてこないで。私もレジスに近づかないから」

「どうしてそうなるんだ! フィーナ、俺の話を聞いてくれ。なにか勘違いを――」


 すがりつくように、さっきより強く私の腕を掴んだレジスの手を振り払う。レジスは驚いた顔をして言葉を失くした。


 もう話すことなんてない。

 だけど、私がこの数ヶ月レジスと過ごして芽生えたこの気持ちは嘘ではないから、最後にこれだけは言わせてもらおう。自分なりのけじめとして。


「私、レジスのことを本当に――好きだったのよ」

「――!」


 本当は、ずっと言いたかった言葉を、こんな形で伝えたくなんてなかったけれど。

 レジスの目は大きく見開かれ、ふっと息を呑むのがわかった。

 

「……さよなら」


 硬直したようにその場に立ちすくむレジスに私は冷たく言い放つと、涙を堪えて食堂を後にした。

 

 部屋に戻ると、出番がなくなり寂しげにテーブルの隅に置かれたままのタロットカードが目に入った。

 ……あのときレジスにした占いは、当たっていたということか。

 見事なまでの関係の崩壊。今まで積み上げてきたものは、容易く音を立てて崩れ落ちていく。


 引き出しを開ければ、クリスマスにレジスからもらった髪飾りが大事に仕舞われていた。

 叩き返してやりたいが、そうもいかない。

 でも持っていると、この水色を見るたびに、レジスとの楽しかった思い出が映画のように頭の中に流れだす。

 どのシーンに映る私も、あんなに幸せそうに笑っているのに。


「うっ……うぅ……」


 私は髪飾りを胸に抱え、ずるずるとその場に座り込む。

 私の涙が、大好きだった人と同じ水色を、絶え間なく濡らしていった。



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