幸せと、崩壊2
冬休みになり、私は久しぶりに屋敷へ帰ることになった。
屋敷では思っていた通り、散々両親から叱られた。格上の公爵家相手になにをしてくれたんだと。
しかし、エミリーの名前を出されるたびにどうやら私は顔を引きつらせていたようで、そのことに気づいたお母様に『エミリー嬢になにかされたの?』と聞かれた。
私は正直にすべてを話すことにした。エミリーから受けていた扱いに耐えられなかったこと、そのせいでエミリーを怒らせ、停学になったこと。
私の話を聞いた両親の態度は一変し、自分たちの都合で私をアルベリクに入学させたことを謝罪してきた。
エミリーの両親からは、私が人気者のエミリーに嫉妬して、一方的にエミリーを無視し、エミリーを孤立させようとしていたと聞かされていたようだ。
私は、アルベリクに通えたこと自体は嬉しかったこと、停学になってからのほうが、楽しく学園生活を過ごせたことなどを話した。
そして今のままでは、エミリーに嫌わたままきっと退学になるであろうことも。
せっかくアルベリクに通えたのに退学になるなんて、両親からしたらもったいないと思うだろう。ルメルシェ家ともめて、最悪この件で縁を切られてしまうことも、決していいとは言えない。
「フィーナ、今までがんばったわね」
でも、お母様は笑いながら私にそう言った。隣でお父様も、穏やかな顔をして頷いている。
「退学になってももういいわ。ご機嫌とりもしなくていい。残りの学園生活を、悔いのないよう楽しみなさい」
お母様にそう言われ、私は肩の荷がやっと全部降りた気がした。
こうして無事に両親と和解した私は、屋敷でのびのびとした日々を満喫した。テキスト課題も侍女に手伝ってもらえたおかげで冬休みのうちにすべて終わらせることができたし、想像よりずっと、楽しい冬休みとなった。
二週間ほどの冬休みを終え、私はアルベリクの寮へ戻った。
停学中で学園に通えないのに、寮には戻るなんておかしな話だ。でも私は最後の最後まで、課題をやり遂げるという任務がある。
退学になろうと、奇跡的に停学が解けるようなことがあったとしても、そのどちらかが決まるまでは、私は一応この学園の生徒なのだから。
「フィーナ、おにぎりは間に合いそうかい?」
「なんとか! あ、そうだマルトさん。先週サロンでシールを集めた生徒が何人かいたから、オムライスの準備もしておいたほうがいいかも」
「了解。……やっぱりフィーナがサロンを始めてから、本当に寮が賑やかになったねぇ」
新学期が始まり、また寮生たちで溢れている食堂を見ながら、マルトさんは微笑む。
相変わらず私は、寮の食堂でマルトさんの手伝いをしながら、サロンを開き生徒たちの相談を聞く日々を送っていた。もちろん、倉庫の修復もラストスパートをかけている。
倉庫と寮を往復するばかりの毎日には、もうすっかり慣れっこだ。
この毎日がもうすぐ終わるのかと思うと……なんだか寂しい。
最初は〝学費免除のために仕方なく〟やってたことだったのに、いつしか心から楽しむようになっていた。
サロンも、マルトさんの手伝いも、倉庫の修復をしながら、シピとしてレジスに会いにいくことだって。
エミリーとのいざこざを放置してきた以上、私の退学はほとんど決まったようなもの。
退学になると、もうここにはいられない。アナベルにもマルトさんにも――レジスにだって会えなくなるんだ。
そんなのすっごくいやだけど、今さら成す術などないのもわかっている。
私の家に、高額のアルベリクの学費を出す余裕などあるわけない。
エミリーに頼む以外道はないのだが、そうなると私はまた、エミリーにあと一年いいように使われるだけだ。
自分のプライドをかなぐり捨ててまたエミリーに媚を売るなんて、絶対にしたくない。
でも、レジスのそばにいるには、ほかに方法が……。
私はひとりで葛藤していた。やっと両親にも『エミリーのご機嫌とりをしなくていい』と言ってもらえたのに。ここへきて、自分の抱いた恋心が私のプライドの邪魔をするなんて。
退学上等! 学費免除されればオーケー! なんて安直な考えをしていた私は、残念ながらもうどこにもいない。
――とりあえず今は、お母様に言われたように、残りの日々を大切にして過ごさなきゃ。
「……空いてるか?」
「レジス! いらっしゃい」
今日はお悩みサロンの日。
いつものようにアナベルやほかの常連生徒を占い終えたあと、レジスがサロンに顔を出した。
「今日もシピちゃんの相談?」
「いや、今日は別のことを占ってもらおうかと」
「え! めずらしい! いいわ。なんでも聞いて」
さすがにシピ関連の悩みはネタ切れになったのだろうか。レジスがどんなことを聞いてくるのか、私は期待を膨らませていた。
「俺自身のことを占ってほしいんだ」
「レジス自身のこと?」
「ああ。今後の俺の運勢とか、未来のこととか。……俺は今、とあることに対して一歩踏み出していいのかどうかを悩んでいて、できればフィーナの占いで背中を押してほしくて」
「そういうことね。任せて!」
――とあることって、なんだろう?
タロットカードを混ぜながら、ぼんやりと考える。
もしかして、私との関係のことだったり? ……私ったら、レジスの気持ちを知ってるのをいいことに、自惚れすぎてるかも。
私はカードを一枚引き、テーブルの真ん中に置くと、ゆっくりとカードをめくった。
私はそのカードを見て、ごくりと息を呑んだ。
出たカードは、〝塔〟の正位置。意味は〝破壊〟。
タロットカードの中で、最も悪いと言われるカードだった。
今まで何度もレジスの相談を占ってきたけど、こんなに悪いカードは出たことがない。
カードを見たままなにも言わない私を見て、レジスは顔をしかめる。
「フィーナ? このカードはどういう意味なんだ?」
純粋な瞳を向けてくるレジスを見て、結果を言うことにためらいが生じる。
「えっと、そうね。出たカードは塔の正位置。カードから読み取ると、レジスは今後、大きなアクシデントや、今まで積み上げてきたものが壊れていく、なんてことが起きる可能性があるわ」
「……いいカードではないということはわかった。もう少し詳しく教えてもらってもいいか? たとえば……恋愛的な面だと、どういった意味合いがある?」
「――〝関係性の崩壊〟」
「…………」
私たちはお互い無言になる。
だめだわ。私までこの結果に泣きそうになってきた。まるで、私とレジスの未来を表してるような気がしてならない。
「で、でも! 悪いことばかりじゃないわ! 事前になにかが起きると知っておくことで、覚悟できるというか。もしなにか起きても現実を受け止めることが重要で、それをきっかけに新たな関係を築けばいいのよ。むしろ、現状に物足りなさを感じているなら、変化のためになにかを壊せ! ってことかも」
「……変化のための崩壊、か。そう聞けば、怖さは少しマシになるな」
「でしょう? いちばん悪いカードだからって落ち込む必要は――あ」
隠しておこうと思ったのに、つい口をついてしまった。私はすぐに自分の手で口を塞ぐが、時すでに遅し。
「いちばん悪いカード……」
レジスは肩を落として、呆然と塔のカードを見つめながら呟いた。
「レジス、気にしたら負けよ! これはただの占いなんだから!」
「占いしてる本人がそれを言ったらだめだろ」
「そうだけど、私はプロの占い師じゃないし、当たる確率は高いといえないわ!」
レジスは俯いたまま、口を開かなくなった。
まずい。レジスは一歩踏み出すために背中を押してほしかったのに、これじゃあ強く押しすぎて、谷底に落としてしまったようなものだ。
「そういえば、私今朝から気分が優れなかったの! だから占いにも集中できなくて、つまり、この占い結果はチャラになるも同然でっ!」
レジスをなんとか慰めようとしていると、レジスの肩が小刻みに震えだした。な、泣いてる!?
「……ふっ……はははっ!」
と思ったら、急にレジスが笑い出した。肩が震えていたのは、笑いを堪えていたからのようだ。
「悪い。自分のことみたいに必死になってるフィーナがおもしろくて我慢できなかった」
「ひどい! 落ち込んだふりをしていたの!?」
「本当に落ち込んださ。でも、フィーナの必死の慰めが効いた」
相当ツボに入ったのか、レジスはうっすらと涙を浮かべている。レジスがこんなに声を出して笑ってるの、初めて見たかも。
「……それにもし関係が崩壊するようなことがあっても、俺たちなら大丈夫だ」
俺〝たち〟?
サラッとすごいこと言ったような気がするんだけど、本人は気づいてないのか、さっきとは打って変わって清々しい顔をしている。
「レジス、俺〝たち〟っていうのはどういう意味?」
「っ! な、なんのことだ。フィーナの聞き間違いじゃないのか?」
――レジスったら、指摘されてようやく自分のうっかり発言に気づいたのか、誤魔化そうとしているわね。
最近やたらと積極的な発言が多かったのに、こういうときは変に意地を張るんだから!
「いいえ。はっきり聞こえたわ」
「言ってない」
「言った!」
「言ってない!」
しばらく、私とレジスの水掛け論が続いた。
言い合いが終わるころには、テーブルに置かれた塔のカードのことなんて、私もレジスもすっかり忘れていた。
* * *
それから数週間が過ぎ、学年末パーティーが刻一刻と迫ってきていたある日のことだった。
倉庫の修復作業も、今日で無事終えることができそうだ。寮の盛り上げも成功したし、これで課題はすべてクリアした。
学費免除は間違いなしとなったが、私はまだ悩んでいることがあった。
レジスとのことだ。
このままなにも伝えずに会えなくなるのはいやだ。素直に退学のことを話し、自分の気持ちを打ち明けるべきか。
しかし、そうしたらエミリーとの関係も全部話さなくてはいけない。エミリーの召使い同然だったことも、実は学費をルメルシェ家に出してもらっていたことも、全部。
そして――獣化のことも。
もしレジスが私と同じ気持ちでいてくれたとしても、ちがったとしても、シピが私だということは話さなければいけない。じゃないと、私はずっとレジスを騙したままになる。
レジスは私がシピだと聞いて、幻滅しないだろうか。
真剣に悩みにアドバイスをしているふりをして、裏で自分がシピとして動いてたことを知られたら……レジスに嫌われるかもしれない。
そう思うと、私はレジスにこれ以上踏み込むことが怖くなっていた。
今のままの関係がちょうどいい、なんて言い聞かせてきたけど、このままレジスとお別れになったら絶対に後悔する。
「……はぁ」
大きなため息をつきながら倉庫に着くと、中で私を待っていた人物がいた。
「待ってたわ。フィーナ」
「エミリー……!? どうしてここにっ……」
私がこの数ヶ月でぴかぴかに磨きあげた倉庫の壁に、エミリーが寄りかかっている。
特別課題のことをエミリーは知らないはずなのに、なぜ私がこの時間にここへ来ることを知っているのか。
「どうしてって、以前しっかりとこの目で見たからよ。ここでフィーナが獣化して、レジスに会いにいってたところを」
「! な、なに言って」
「誤魔化さなくていいわ。メレス家が獣化できる血を持っているということは、既に調査済みよ」
ニタリといやらしい笑みを浮かべるエミリーを見て、私はこれ以上いいわけをしても無駄なことを悟った。
エミリーは、いつから私の獣化に気づいていたの……?
もしかして、クリスマス前に倉庫の鍵が開かなかったのは、エミリーの仕業だった? 私の獣化のことを知って、わざと邪魔をするようなことをしたのだとしたら納得がいく。
「それと、今日はレジスはここには来ないわよ。先生に呼ばれて、どこかに連れて行かれてたから。だから獣化する必要もないし、ここに私たちが一緒にいることもバレないから安心して?」
「……エミリーは、なにが目的なの?」
わざとレジスが来ない日を狙い私に会いにくるなんて、裏があるに決まっている。
私は警戒心を剥き出しにして、腕を組んで偉そうにふんぞり返っているエミリーを睨みつけた。
「そんな恐い顔しないでフィーナ。私はただ、あなたにネタばらしをしにきただけだから」
「ネタばらしですって?」
「ええそうよ。レジスはあの猫の正体がフィーナってこと、とっくの昔から気づいてたってこと」
どうせ虚勢を張っているだけだと思っていたエミリーの言葉を聞いて、私はひどく動揺した。私のその動揺はエミリーにも伝わったようで、エミリーはおもしろそうににやにやと口角を上げながら、私へと一歩ずつ歩み寄ってくる。
「どういうこと?」
やっとの思いで出した声は、情けないくらい小さくて、掠れていた。今この場で虚勢を張っているのはエミリーではなく、私だ。
「実は私、かなり前からフィーナの獣化のことを知っていたの。その能力を使って、レジスに近づいてたこともね。だから私がレジスに教えてあげたのよ。〝あの猫の正体はフィーナよ〟って」
嘘。嘘嘘嘘。
レジスが知っていたなんてありえない。そうだとしたら、今まで私にシピの相談をしていたのはなんだったの?
シピに――私のことを気になると言ったあのときも、正体は私だとわかっていたの?
「嘘よ。そんなの。レジスは気づいてないわ。そうじゃないとおか――」
「おかしいって? なにが? そもそもレジスがフィーナみたいな平凡な貧乏令嬢に、理由もなく歩み寄ること自体がおかしな話でしょう?」
「それは……」
言い返せない。
私自身、レジスが突然私に話しかけてくるようになった理由が、未だにわからないからだ。
初めてここで獣化したあの日、白猫の姿でレジスに会ったあと、フィーナとしてもレジスと遭遇する羽目になった。
そのとき会話をしたのをきっかけに、レジスは寮でも私に積極的に話しかけてくるようになった。そして私は、どんどんレジスに惹かれていった。
私は、大きな勘違いをしていたのだろうか。
「レジスはおもしろがってフィーナに近づいただけよ。いつまでも正体を隠しているあなたのことを、いつも学園で私と一緒に笑っていたわ」
レジスと私は両想いだなんて、大きな勘違いを。
「……レジスはそんなひとじゃないわ」
目の奥がカッと熱くなる。信じたくない一心だけで、私は声を絞り出した。
エミリーはくつくつと喉を鳴らしながら、わたしの耳元に口を寄せた。
「かわいそうなフィーナ」
いつもの可愛らしい声は消え、エミリーから発せられたとは思えない低音が耳元で響く。悪寒のようなものが、私の全身を駆け巡った。
「本当にレジスに好かれてるとでも思った? 寮でのレジスは嘘の姿よ。仕方ないわよね。フィーナは学園でのレジスをまるで知らないんだから。あなたは私とレジスのおもちゃとして遊ばれていただけよ。私とレジスは学園ではとても仲良くさせてもらってるの」
「そんなことない。レジスと過ごした日々は嘘なんかじゃ……そうよ。レジスは私にプレゼントだってくれたのよ」
クリスマスパーティーに参加せず、私と一緒に過ごすことを選んでくれたレジスが、エミリーと共に私を笑い者にするはずがない。
「プレゼントって、水色で、宝石が散りばめられた髪飾りのことかしら?」
「!? どうしてそれを知って――」
「あの髪飾りは、私がレジスに渡したの。庶民のレジスにあんな高い髪飾りが買えるわけないじゃない。冷静に考えたらわかることでしょう?」
エミリーの言うことなんて、なにひとつ信じたくない。信じたくないのに……。
私を支えてくれていた今までのレジスとの思い出に、ぴしりと亀裂の入る音が聞こえた。ひとたび油断してしまえば、あっという間に壊れてしまいそうなほど、大きな亀裂が。
――もし、エミリーの言っていることが全部本当だったとしたら。
ショックで動けなくなる私を満足そうに眺めながら、エミリーは皮肉たっぷりに言う。
「ふふ。フィーナのその絶望した顔が見たかったのよ。辛いわよね? 悲しいわよね? こんな学園から、早く消えてしまいたいわよね。大丈夫よ。あなたの学費は払わないよう、正式にお父様にお願いしておくから。フィーナがいなくなってもレジスには私がいるから、安心してちょうだいね?」
エミリーは私の背後に周り、後ろから両肩にポンっと手を乗せた。
私はその手を振り払うと、勢いよく倉庫から飛び出した。エミリーから逃げるように、裏口へと全力で走り抜ける。
最後まで私を嘲笑うエミリーの声が、耳にこびりついて離れない。
「はあっ……はあっ……」
息が切れて、胸が苦しい。心臓が痛くて、足元がふらふらする。
全力疾走したから? ちがう。それだけじゃない。
――レジスのことを信じられない。レジスを信じられない自分がいることも、信じられない。
誰もいない道で、私はひとりしゃがみ込む。
目の前がぐるぐると渦巻き、次第に真っ黒に染まっていくような感覚に襲われ、怖くなって目を閉じた。




