02
「……くしゅん」
教室内から、ハンカチで押さえながらの、小さな『くしゃみ』が聞こえた。
その『くしゃみ』の主は、長い黒髪に、白い肌。前髪は、眉毛にちょうどかかるぐらいのところで、真っすぐそろえられていた。
教室内は、朝礼が始まる直前、担任の先生が学校側に呼び出されて出て行ってしまって、気の抜けた生徒たちの雑談で騒がしかった。
「あれ? 知世風邪でもひいたの?」
知世の左隣に座っていた、木村かなえはそうたずねた。
「……」
宝仙寺知世は、口を押えていたハンカチを丁寧に折りたたみポケットにしまう。そのハンカチにはどこかで見たような『H』の飾り文字が紋章として刺繍されていた。
「けど、好きだねぇ、知世も。翼竜とか巫女とか、必殺技とかさ」
「それですけど、昨日の夢は…… いえ、夢ではないかもしれません。いつもよりずっとリアルでしたのよ」
知世と話している、左隣の生徒『かなえ』は黒髪のボブで、右目の下にはホクロがあるのが特徴的だった。
「地面を割って出てくる翼竜とか、剣のように伸びる神楽鈴とか、巫女なのに必殺技の名前はカタカナだったりするところとか。どこにもリアルな要素なかったけど?」
「かなえちゃん、聞いてくださる? 昨日の晩は、私と、使用人の佐川が庭に放りだされていて」
『かなえ』は不思議そうな様子で聞き返す。
「だれかしらないけど、『悪人』に『放りだされた?』っていうこと?」
「夢と同じように『悪人』に連れ去られたかどうかは、わかりませんの。でも実際に私、外にいた訳ですのよ」
「知世とその佐川って人、二人して夢遊病とかなのかもよ。まあ、けど、昨日の夜中に外に出てたら風邪ひくわ。そこは不思議じゃないんだけどね。結局のところ、二人とも、どうして外に出たか覚えていないってことなのね?」
知世はうなずいた。
「おぼえていることもあるのですけど……」
と言って、物憂げに唇を指で触った。そして言葉をつないだ。
「パーカーが警備員と庭を捜索して見つけてもらった時、私、林で横になって倒れていたらしくて」
「パーカーって…… あの、知世んところの執事さんだよね。けど、パーカーさんは何で知世が外にいるのに気づいたの?」
「パーカーにたずねたのですが、実はそれもわからないのです」
「へ?」
「パーカーもよく覚えていないと言うのです。監視カメラで見ると、私も佐川もパーカーも、警備員も、バラバラに外に出て行く様子が映っているのですが」
「よくわからないけど、誰一人、昨日の晩の出来事を覚えていないわけ?」
「そうなんです」
「……」
四人全員の記憶がない、というのは何らか故意に記憶を失わせた、とか、全員に共通の出来事があって、その出来事の影響で記憶を失った、とか。
知世はそんな風に考えたが、それ以上は話せなかった。そして、唯一覚えていることもかなえには話せない秘密の出来事だった。
「起立」
突然、号令がかかった、と思うと、教壇には担任教師が戻って来ていた。
木村かなえも宝仙寺知世も起立して、礼をする。
教室が静かになり、全員が着席すると、担任の児玉先生が言った。
「本日、転校生が…… その…… 何故か、急に私のクラスに…… 来ることになりました」
『ええっっっ!?』
驚いた声が教室に響く。
扉の外で待機している影が、少し揺らいだように見えた。
「あの…… その…… 仲良くして、くださいね」
児玉先生は、タブレットを持ってクラスの生徒の氏名を見て、授業を始めようとする。
一人の生徒が手を上げてから、勝手に立ち上がると、勝手に発言する。
「先生、そこで転校生が出番を待っていますけど」
児玉先生は突然の生徒の発言に、ビクッと背筋を伸ばしてから、タブレットをそっと教壇に置く。
メガネの弦を右手の人差し指で、スッと押し上げると、
「そ、そうでした。転校生を待たせていました」
何もないところでつまずき、転びそうになりながら扉に向かい、慌ただしく扉を開けて、転校生が中へ入るように手を伸ばし導く。
「……」
静かに黒髪ポニーテールの女の子が入ってくる。
立ち止まって会釈をすると全員がその顔に注目した。
目は大きいが、いびつではなく、全体のバランスが整っていた。逆に特徴がないともいえるが、美少女の系統だった。
「!」
児玉先生が扉を閉め、教壇に立つと言った。
「どうしました宝仙寺さん。何か発言があるのなら、どうぞ」
教室全員が知世に視線を向けていた。
一人立ち上がって、右こぶしを握り込んで口の高さまで上げている。まるでガッツポーズをしているように見えた。
声には出していなかったが、転校生の姿が、昨日の『夢の中の巫女』そっくりだったのだ。しかも知世の好みのタイプだ。黒髪でポニーテール、大きな瞳、すらっとした体型。これらすべてが『どストライク』だった。そんな女の子が突然目の前に現れたせいで、気持ちが舞い上がってしまっていた。
知世は、ようやく周りの視線に気づくと、自分の取ってしまった行動を思い返し、みるみる内に頬が赤くなっていった。
今、まさにここで握り込んでいる右拳をどうするか悩んだ末、口を開いた。
「転校生さん!」
転校生は宝仙寺を見つめ返した。
「最初はグー! ジャンケン・ポン!」
両者の手が同時に差し出される。
転校生はチョキ、知世はグー。勝った、と思うと知世の体は反射的に動いていた。
「あっちむいて、ホイッ!」
転校生は、知世の勢いに負け、知世から見て右側、教室の扉側を向いてしまっていた。
「勝ちましたわ!」
知世は両手でガッツポーズをしてから、
「発言は以上です」
と言って座った。『あっち向いてホイ!』これなら突然振り上げた拳も不自然ではない。知世の中では問題が解決していたが、知世を除く教室の全員は呆気に取られていた。
転校生は、動揺した様子で、『ホイッ!』のタイミングで横を向いたまま固まってしまっている。
児玉先生が、転校生にやさしく近づいて、手を引きながら教壇に立たせた。
「で、では、あらためて転校生に自己紹介してもらいますね」
ポニーテールの転校生は、恥ずかしそうな表情をして、頭を下げ上げると口を開いた。
「真光学園恐山校から、本校へ転校してきました天摩晶紀です。よろしくお願いします」
もう一度頭を下げた。
クラスの中から、声が聞こえてくる。
『恐山校?』
そんな疑問符がついた声が大半を占めるなか、数人が声を震わせた。
「恐山校って、確か生徒数人しかいないって。そんなの転校して大丈夫なの?」
「数人ってか、二、三人ほどしかいないって話」
「で、そのごく限られた生徒は超優秀って噂」
「……」
銀髪ショートボブの生徒が、青い瞳で転校生を睨みつけている。
「だってさ、メアリー。どうする?」
銀髪ショートボブの娘に、そう言って話しかける茶髪の生徒。肉感的でグラマラスなボディラインをしている。
「すず。どうするって、決まってるでしょ」
「そうだよねぇ。決まってるよねぇ」
すずと呼ばれた女生徒は、そう言ってニヤリと笑った。
児玉先生は「はい」と声を張って教室内の声を静める。持っていたタブレットに教室の座席配置を表示させる。それから、顔を上げ、ゆっくりと教室を見渡すと、宝仙寺の隣の席が空いているのを肉眼で確認した。
「それじゃ、天摩さん、宝仙寺さんの横の席に」
晶紀が言われた場所を理解できずに戸惑っていると、児玉先生が小声で言った。
「(さっきあっち向いてホイをした娘の隣よ)」
そう言われると、晶紀の表情が、パッと明るくなった。
「はい」
スキップするような勢いで、教室を進んでいく。
銀髪、碧眼の『メアリー』と呼ばれた生徒が、一瞬目配せする。
頭の後ろで腕を組んでいる茶髪の『すず』が何気なく足を動かす。
カッツン、と何かに足がぶつかる音がする。
足を取られた晶紀の体は、勢いあまって宙に浮いてしまう。
晶紀は空中でなんとか態勢を立て直し、次の足を床につくが、バランスは崩れたままだった。
晶紀の行き先で、思わず立ち上がった宝仙寺が、両手を伸ばして両手を広げて受け止めようとする。
そのまま宝仙寺の腕の中に飛び込むが、勢いは止められず、二人は絡み合ったまま教室の後ろへ倒れ込む。
晶紀はとっさに身体を捻り、宝仙寺を抱きかかえるような形で、背中から床に倒れる。
ドン、と二人分の体重を受け、表情が歪む。
しかし、別の感触がなにか分かると、晶紀の背中の痛みは、一瞬で消え去ってしまった。
倒れ込む際、宝仙寺は目を閉じていたが、唇に触れる感触で目を開け、事実を把握する。
目の前に、それも焦点が合わないほど近くに、理想の美少女がいる。その娘と偶然とは言え、キスをしてしまった。
二人は慌てて顔を、体を離す。
「……あっ、あの」
顔を真っ赤にして指で唇を確かめている宝仙寺。
「ごめんなさい。止まり切れずに突っ込んじゃって」
正面にいる美少女に視線を合わせられずに頭を掻く晶紀。
「いえ、こちらこそ、受け止めきれずにごめんなさい」
「私は体鍛えてるんで、これくらい大丈夫」
二人は互いに頬がどんどん熱くなっていくのを感じていた。
「あの…… もしかして…… 昨日……」
宝仙寺が言いかけた時、児玉先生が覗き込んできた。
「二人とも大丈夫? どこか打たなかった?」
先生の顔を見て晶紀が応える。
「大丈夫です。私がちょっと背中を打っただけで」
児玉はそんな言葉は聞き入れずに、保健室に電話を掛けていた。




