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九 草の宿命

 暗い寺内町の路地を、奥へ奥へと歩いて行く。灯火が腰の二本差しをゆらゆらと照らす。提灯を持って先導する海塚信三郎の後を、ナギサが、そして孫一郎と名前も知らぬ少女が、手を繋いで歩いていた。


「キミたちは付き合わなくても良かったのに」


 申し訳なさそうなナギサに、孫一郎は笑顔を返した。


「いえいえ、せっかくですから。旅は道連れ、ですよね」


 ナギサたち三人は海塚信三郎の家に向かっていた。当座の宿を借りるのである。最初はナギサだけが泊まるはずだったのだが、口の利けぬ少女がナギサと離れるのを嫌がった。それを見た孫一郎が、三人で泊まれないものかと提案したのだ。


 やがて提灯の明かりが、路地の奥に壁を映し出した。寺内町の周囲を囲む土塁である。その壁の手前に板葺き屋根の家があった。海塚が振り返る。


「うちは狭いですから、その点は覚悟しておいてくださいね」


 そう言いながら、家の引き戸を開けた。


「ただいま帰りました」

「遅い!」


 家の中から響いてくる怒鳴り声に、ナギサたちの足が止まる。


「こんな時間まで何処(どこ)をうろついているのですか! いい加減にしなさい!」

「母上さま、仕事ですよ。子供ではないのですから」


 呆れたような海塚の声を聞きながら、ナギサたちはそっと家の中をのぞき込んだ。


「おまえのような青二才、子供と何処が違うのですか! だいたい要領が悪いから仕事が早く終わらないのです! 恥ずかしいと思いなさい!」


 家の中には囲炉裏があり、その向こう側に老婆が座っていた。老婆と言ってもヨボヨボ感はない。元気すぎるくらいに元気だ。


「四十を過ぎて、青二才もないでしょう」

「黙らっしゃい! アタシから見ればおまえなど、いつまで経っても青二才のハナタレ小僧です!」


「今日はえらく不機嫌ですね。何か変な物でも食べましたか」


 海塚は奥から出てきた女性にたずねた。海塚の妻であろうか。腰の刀を受け取ると、笑顔でこう答えた。


「逆ですよ。家長のあなたが戻らないと、晩ご飯が食べられないでしょう」

「まったくノロマな息子に融通の利かない嫁だこと! 母を飢え死にさせる気ですか!」


 老婆が怒り狂う。しかし海塚は意に介さない。


「晩ご飯なら昨日も食べましたよ」

「それくらい知っています! アタシは毎日食べたいのです! ま・い・に・ち!」


「やれやれ、飢饉の広がるこのご時世に、贅沢な事をおっしゃる」


 そうため息をつきながら囲炉裏端に腰を下ろし、振り返った。


「何をしているのです。早く入って戸を閉めてください。寒いですから」


 するともう一人、男の子が奥から走り出てきた。孫一郎より少し年下なくらいか。


「お客さまですね、さきほど卜半斎さまからお使いの方がいらっしゃいました。どうぞお入りください」


 弾ける笑顔がまぶしいくらいだ。海塚の息子だろうか。父親にまるで似ていないな、とナギサは思った。


 おずおずと三人が家の中に入ると、海塚の妻が囲炉裏に招いた。


「寒かったでしょう。火に当たってください。たいしたものはありませんけど、鍋が煮えていますから」


 こちらも笑顔がまぶしい。なるほど息子は母親似なのか。


「あ、ありがとうございます。私の名前は」


 ナギサは名乗りかけたのだが。


「そんな話はいいから、さっさと座りなさい! いつになったら食べさせる気なのですか!」


 老婆の怒声に、ナギサたち三人は慌てて囲炉裏端の板張りの床に座った。海塚の妻が鍋の蓋を開く。味噌の香りが広がった。



 ◇ ◇ ◇


 戦国の世では、多くの武将が諜報要員を雇用していた。彼らは『忍び』『草』『乱破(らっぱ)』『素破(すっぱ)』などと呼ばれ、情報収集や離反工作、破壊活動などを担当していた。俗に言う忍者である。


 伊賀や甲賀が有名であるが、戦国時代における実際の忍者の多くは特定の地方に生まれた訳ではなく、また専門的な訓練を受けていた訳でもない。元々は犯罪者や浮浪者が大半であったという。ただし、伊賀や甲賀に忍者を生業(なりわい)とする集団が居た事は事実であるし、その特殊技能や超人的な活躍で名を馳せた忍者が居たことも、また事実なのだ。


 ◇ ◇ ◇



 小瀬村の外れにある惣堂に甚六と与兵衛が着いたとき、まだ空の日は陰りさえしていなかった。だが今、惣堂は闇に覆われ、堂の真ん中に灯された一本の灯明皿の火だけが、命あるもののように揺れている。


「なあ甚六、遅すぎやしないか」

「親父は慎重が服を着て歩いてるような人だ。時間をかけすぎてるのかもしれん」


 与兵衛に答えた甚六の言葉の外には、小さな怯えがあった。もしそうでなかったらどうしよう。そんな事を考えてしまうと、いても立ってもいられなくなる。


 古川の家は、ごく少人数ではあったが、代々草を雇っていた。六衛門は、古川の草の(かしら)を長年務めている。その仕事ぶりを息子として部下として、甚六は見つめてきた。派手な事はしない。しかし常に慎重で堅実で賢明だ。六衛門の言葉に従う限り、大間違いは決してない。それは古川の草の衆、(みな)の一致した見解であった。甚六もそれに異論はない。ならば今は六衛門を信じて待つしかあるまい。だがその時間は無限のように感じられた。


 灯明の芯は三本目の寿命が尽き、その火を四本目に移したとき、惣堂の裏手で物音が聞こえた。甚六と与兵衛が飛び出して裏手に走り込むと、泥まみれの人間が倒れている。最初はよくわからなかった。灯明の光で顔を照らすまでは。


「太助!」


 それは太助の変わり果てた姿。全身の刀傷は深くその身をえぐっており、血が止めどなく噴き出し続けている。


「与兵衛は脚の血を止めろ。俺は腕と胴をやる」


 そう言いながら太助の体を仰向けにしようとして、甚六は右腕がない事に気付いた。


「畜生、誰がこんな事を」


 思わず手が止まる甚六に、与兵衛が振り向きもせずに言う。


「先に血を止めろ、馬鹿野郎」

「クソッ」


 甚六は太助の着物を細く裂き、失われた腕の付け根を強く縛る。太助はうめき声を上げた。


「甚六、気をつけろ」


 息も絶え絶えな太助の目は、もう甚六を見ていない。


「しゃべんな、太助」

「あいつら、ただの乱破じゃねえ」


「血はじきに止まる。助かるぞ」


 甚六は太助の反対側の腕を縛った。だが刀傷から流れ出る血は止まらない。


「ありゃあ、ありゃあ、化け物だ」

「うるせえ、しゃべんなって……太助、おい太助」


 肩を揺すっても、もう太助は返事をしなかった。その目は虚空に見開かれ、体は冷たくなって行く。与兵衛が肩を落とし、深く息を吐いた。風が吹き、灯明皿の火が消える。冬の夜の暗さと冷たさが、音もなく甚六と与兵衛に染み込んだ。


 与兵衛が重そうに口を開く。


「どうする、甚六」

「どうするって、俺に聞くのか」


「太助がこの有様だ。六衛門さまはもう戻ってこないかも知れない。もしそうなら、これからは甚六が頭だ。俺はおまえの言葉に従う」


 与兵衛の言う事はもっともである。だがそんないきなり頭になれと言われて、すぐに命令や指示など思いつくものではない。甚六が困惑していた、そのとき。


「おい、おまえら。そこで何してる」


 蓑と笠をかぶった男が一人、提灯をこちらに向けて立っている。何という事だ、甚六も与兵衛も、この男の接近にまったく気づいていなかった。余程動転していたに違いない。


 男は提灯を太助の遺体に向けた。小さく息を飲む。


「おまえらの仲間か」

「そうだ」


 甚六は正直に答えた。ごまかそうと思わなかった訳でもない。だが、この期に及んで嘘を吐いても、たいした利はないと思ったのだ。


 蓑と笠の男はしばし考えた後、こう言った。


「これを運べ。そのままにされたら、近辺の村が迷惑する」


 太助を背負いながら、与兵衛がたずねる。


「こいつを連れて行ってどうするんだ」

「この先に、百姓が逃げて誰も耕さなくなった畑がある。そこに埋めろ」


「百姓が逃げた土地は、村で見るんじゃないのか」


 と甚六。すると蓑と笠の男は何かを(こら)えるような声を絞り出した。


「紀州の連中が攻めて来れば、そいつらが田を焼き払い、岸和田城の連中が攻め返せば、侍どもが畑を台無しにする。その繰り返しだ。自分の田畑(でんぱた)が荒らされて途方に暮れてる俺らに、()()を心配してる余裕はない。手入れのされてない畑に死体を埋めれば、まあ見つかる事はあるまいよ」

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