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八 異人と従者

 牛滝山の(ふもと)近くで弾けた時ならぬ花火を、遠く街道から見ていた二つの人影があった。


「オーウ、美シイ輝キデスネ」


 紅毛碧眼、頭頂部を()り黒衣の修道服を纏う。異国人の宣教師は楽しそうに暗い山脈を眺めていた。


(いくさ)の火の手でしょうか。しかし一発だけというのは面妖ですな」


 傍らに立つ長身の青年は提灯を手に、良く言えば生真面目そうな顔を宣教師に向けている。月代(さかやき)は剃り、(ちゃ)(せん)のような髷を結い、提灯の灯りにも映える朱色の着物と真っ白な袴を穿()く。背には長々とした長刀を、左胸には金色で小さな十字の刺繍。


「面妖! ちゅーぜんハ難シイ言葉使イマスネ」

忠善(ただよし)にございます、司祭さま」


「細カイ、ちゅーぜん細カイデスネ。デハ、アノ場所ニ行ッテミマショウ」


 忠善は、あぜ道に踏み込もうとする宣教師の腕を、慌てて引き留めた。


「司祭さま。では、ではありません。こんな暗くなってから街道を外れるなど、危険にございましょう。明日にしてください」

「オーウ、明日デハ駄目デスネ。体ガ完全ニ冷タクナッテシマイマス」


 それを聞いて忠善はハッとする。もしや。


「司祭さま、もしやあそこで」


 宣教師は満面の笑みを浮かべる。


「ハイ。火花ノ中ニ、美シイ命ノ輝キ見エマシタ。アソコデ誰カ死ニマシタネ」


 黒衣は闇に溶けている。提灯の灯りに照らされ、まるで宣教師の首だけが宙に浮いているように見えた。そこに。


 闇の中に漂う、何かが燃えるニオイ。忠善はそれを知っていた。火縄だ。


「誰だ、出てこい」


 忠善の声に導かれたかのように、提灯の灯りの中に、五つ六つの影が現れた。みな手に抜き身の刀を持ち、うち一人が火縄銃の先をこちらに向けている。


「誰だ、は俺らが言う事だ」


 忠善の正面に立った、熊のように大柄な男が口を開いた。つまりはこの近辺の者だという事だろう。


「なるほど、近隣の若衆というところか。何か用なのか」

「用があるのはそっちだろ。今、村の中に入ったよな」


 確かに、さっき宣教師があぜ道に一歩入った。それは事実だ。忠善は一つため息をつくと、大男にたずねた。


「それで、我々はどうすれば良い」

「有り金全部置いていけ」


 何とシンプルでわかりやすい要求だろうか。


「それでは追い剥ぎではないか」

「違うね。着てる服まで全部置いてけってったら追い剥ぎだろうが、俺はそこまで言わない。荷物にも手は出さん。それでも追い剥ぎか?」


「なるほど、追い剥ぎでは確かにないな」

「そうだろう」


「つまらぬ盗人だ」


 忠善の言葉に大男は顔を醜く歪ませた。


「……親切ってヤツがわからんようだな」


 突然、大男は水平に斬りつけた。忠善は半歩下がってそれをかわす。その次の動きは、大男の目には止まらなかった。体を回転させながら右手で背の長刀を抜き、大上段から稲妻の速度で剣を振り下ろす。それが瞬き一回のうちに行われた。


 固い金属音が響く。火縄銃が、それを抱えていた手ごと縦方向に真っ二つに斬り裂かれ、地面へと落ちた。忠善は左手に提灯を持ち、そして右手には刀の柄が握られている。提灯の灯の中に浮かぶ、その刀の長い事長い事。


「痛ええええっ、畜生!」


 火縄銃を持っていた男が、斬り落とされた手を押さえた。


「てめえ、やりやがったな!」


 若衆の男たちが一気に殺気立つ。


 そこに水を差すかのように、のんびりとした声が割って入ってきた。


「ちゅーぜん、ちゅーぜん、一ツダケ注意デスネ」


 宣教師は恐れる様子もなく、まるでこの状況を楽しんでいるかのようだった。


「何でしょう、司祭さま」

「良イデスカ、クレグレモ殺シテハイケマセンヨ」


「言われなくとも、なるべく殺生は控えるつもりですが」

「ダメダメ。控エルツモリ駄目デス。誰一人殺シテハナリマセン」


「そりゃ簡単だぜ異人さん」大男は笑った。「そいつは誰も殺せずに死ぬんだからな」


 しかし、それに気を取られる事もなく、宣教師は忠善を諭すようにこう言った。


「彼ラハ雑魚デス。殺シテモ何ノ役ニモ立チマセン」

「何だとてめえ!」


 火中の栗が弾けるように、若衆の男たちは宣教師と忠善に飛びかかってきた。


 一瞬の風音。小さなつむじ風。そして打撃音。男たちは、まるで魔法のように円を描いて尻餅をついた。その中心には、足を開いて立つ忠善。宣教師は、隣で頭を押さえて伏せている。


「……終ワリデスカ」

「さあ、どうでしょうか」


 忠善の返答を待っていたかのように、男たちはヨロヨロと立ち上がった。どれも狐につままれたような顔だ。


「てめえ、いったい何をしやがった」

「峰打ちだ。斬られるよりも痛かろう」


 提灯の灯りに浮かぶ男たちは、額が割れ、鼻が潰れ、頬が裂けて血まみれである。忠善の言葉通りなら、鉄の長い棒で殴り倒されたのだから、さもありなん。


「悪い事は言わん。これくらいでやめておけ」


 忠善の鋭い眼に見つめられると、男たちは顔を伏せ、後ずさった。一人を除いて。


「俺はやめねえ」


 熊のように大柄な男は、口からドボドボと血を吐き流しながら剣を構えた。


「俺の剣は折れちゃいねえ、俺の腕も折れちゃいねえ。それで逃げられるかよ」


 忠善は首を振った。


「勇気は認めよう。だが蛮勇だ」

「知るかそんな事!」


 大男は刀を大上段に構えながら、うなり声を上げて突進した。忠善は刀を持つ右手を軽々と振り回す。身の丈ほどもある長刀は、まるで柳の小枝のように、刀身はしなり、跳ね上がった。その切っ先が、大男の刀の(やいば)に届く。


 チン。


 小さな金属音を立てると、大男の刀は真ん中から折れた。忠善はさらに軽やかに、ススキの穂でも振るかの如く、軽々と刀を操った。大男の着物の帯は弾け、突き出た腹が丸出しになった。フンドシも両端を斬られ、下半身は丸見えになった。事ここに至り、ようやく大男は彼我の実力差を思い知った。ふて腐れた顔で地面に座り込み、折れた刀を放り出す。


「やめだやめだ。こんな化け物、相手に出来るか。馬鹿らしい」


 忠善は長い長い刀を、手品のように背中の(さや)に収めた。


「斬らねえのかよ」


 大男が腹立たしいような、怯えたような複雑な顔で見上げていると、忠善はその冷徹なまでに生真面目な顔を宣教師に向けた。


「師から止められている。それに、百姓を斬っても我が(ほま)れとはならない」

「ソノ通リデス」


 宣教師は服に付いた埃をはらいながら立ち上がった。


「ちゅーぜんノ目指スノハ、()(モト)一ノ剣豪デス。斬ル相手ハ選バネバナリマセン。トイウ訳デ」


 宣教師は再びあぜ道に足を踏み入れた。そして男たちを見回す。


「アノ山ニ案内シテクダサイ」

「あの山ってどの山だ」


 困っている男たちに忠善が助け船を出す。


「先ほど大きな光を発した山だ。何かの爆発かも知れぬが」

「それなら牛滝の辺りだな」


 大男は、ほぼ全裸で立ち上がった。


「俺が案内しよう」

「おまえは帰って服を着た方が良いのでは」


 忠善の言葉に大男は不敵に笑ったが、格好を考えると、何とも間抜けである。


「こんだけ暗けりゃ、誰も見やしねえよ。それに寒さには慣れてる」


 そう答えると提灯も持たず、暗いあぜ道を先に歩き出した。

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