五十二 サヨナラの空
「ピクシー、ドローンの消火剤充填は」
「三分で終わると言えるね」
ナギサの操るオクタゴンは、一揆勢を岸和田の外にまで追い払っていた。まあ実際には一揆勢だけではなく、岸和田方の侍たちまで逃げ出したのだが、それはやむを得ないだろう。町の入り口辺りは、かなりの面積が焼かれていた。板葺き板張りの家々はよく燃え上がっている。放っておけば町全体が丸焼けになるに違いない。
「充填完了と言えるね」
ピクシーの報告にナギサはうなずく。
「ドローン全機発進、消火剤散布」
オクタゴンから七機のドローンが発進し、火の上を飛び回った。それを見た一揆勢が、より一層のパニックに陥ったのは言うまでもない。
「ああそうだ、ドローンって言えば」
ナギサは岸和田の浜で回収され、寺に奉納されたドローンを思い出した。
「あれは回収できるのかな」
ピクシーがうなずいた。
「今、起動を確認した。もうすぐ戻ってくると言えるね」
「戻ってきたらメンテナンスチェック、すぐ飛ばせるようなら消火剤充填して」
「キミは機械使いが荒いと言えるね」
と、そのとき。
「あっ」
みぞれが小さな声を上げた。
「どうしたの?」
のぞき込むナギサに、みぞれは怯えたような顔を見せる。
「竜胆が死んだ」
「……そっか」
ナギサはしゃがみ込み、みぞれを抱きしめた。
「それじゃ、みんなの所に戻ろうか」
「うん」
オクタゴンは、元来た道を戻り始めた。
意識を取り戻した雪姫に、これといった外傷はなかった。昨日から今日まで何があったのかも覚えていない。中村一氏は人目も憚らず、声を上げて泣いた。そこに、巨大なタコが戻ってきた。
タコの化け物が戻ってくる様子を、甚六と忠善は少し離れた所で見ていた。
「あんたの事は忘れちゃいねえ」
そう言う甚六の方を見ず、忠善は「そうか」とだけ答えた。
「だが恨みやしねえよ。草だからな。ただ感謝もしねえ。草だからな。それだけは覚えておいてくれ」
「忘れるまでは覚えておこう」
忠善は答えると、背を向けて歩き出す。何処に向かうのか、甚六はたずねなかった。
あんぐりと口を上げて一同が見上げる中、オクタゴンは脚を折って地面に降着した。そして一本の脚が頭の上に伸び、ナギサとみぞれを乗せると、地面にまで下ろす。
「これは……これは法力……なのですよね」
やけに遠慮がちな孫一郎の問いに、ナギサは複雑な顔を見せた。
「うん、まあそういう事にしといて」
「でも助かりました。法師殿が一揆勢を追い返してくれなかったら……」
「天晴れである!」
中村一氏が飛び出すように前に出てきた。ナギサを抱きしめかねない勢いであったので、思わず孫一郎は間に入る。しかしそんな事など知らぬ顔で、一氏は鼻息も荒くナギサに両手を伸ばした。
「此度の働き、見事であった。望む褒美を取らせよう。如何様な事であっても構わん、申してみるが良い。侍大将になりたいか、それとも町か村が欲しいか、それとも銭か。何でも申せ。今すぐ申せ。どうじゃ、何が欲しい」
「ああー、いや、そういうのは結構なので」
ナギサは満面の作り笑顔で拒否した。しかし一氏は納得しない。
「何故じゃ、褒美がいらんと申すのか。それとも何か気に食わぬ事があると申すのか」
しかしナギサは静かに首を振った。
「ご褒美なら、孫一郎たちにあげてください。私は……もう居なくなるので」
孫一郎は、ハッとナギサを見上げた。
「居なくなる?」
「うん」
ナギサは笑顔でうなずいた。
「イロイロ考えたの。考えに考えて、でもずっと結論が出なかった。たとえばね、孫一郎の嫁になるっていうのも選択肢としてはあると思う。自分でも悪くないと思うよ。だけど、今日こうやってオクタゴンに乗ってみて思ったんだ。私、まだやりたい事がある。それを諦めて生きていたくない」
同じだ。孫一郎は思った。
「国に帰るという事ですかね」
海塚の問いにナギサはうなずく。
「うん、帰るべき所があるから、帰る事にしたの」
「それはそれで良いでしょう。で、その子はどうするんですか」
海塚が指をさす。みぞれは視線を下げ、ナギサのコートにしがみついている。ナギサはしゃがみ込み、みぞれと視線を合わせた。
「みぞれちゃんはどうしたい?」
「みぞれは」
言いたい事はある。だが言い出せない。そんな顔だった。その両目をしっかりと見つめて、ナギサは言った。
「私は、みぞれちゃんと一緒に行きたい」
みぞれの目が、大きく見開かれる。
「一緒に、行って良いの?」
「ちょおっと待ってえ、ナギサちゃん」
オクタゴンの外部スピーカーから間の抜けたような声が聞こえた。ソマ計測員だ。孫一郎たちはビックリ仰天しているが、ソマにはそれに構っている余裕はない。
「それを勝手に決めちゃ駄目でしょ。そんな事したら、パラドックスが発生するじゃない」
「ここが並行世界なら、タイムパラドックスは発生しません。そうですよね、博士」
一瞬の間があって、今度は博士の声がした。
「その通り。並行世界間にはタイムパラドックスの発生する理由がない。だが」博士も逡巡している。「その子の面倒は誰が見るのかね」
「もちろん、私が見ます」
ナギサの即答の後、しばしの沈黙があった。そして博士の声は、小さなため息とともにこう言った。
「我々はこの世界の存在を知ってしまった。ならば我々の世界は、この世界と交流をせずにはおれないだろう。我々には水先案内人が必要だ。この世界の人類も我々と同じ人類である事を科学的に証明し、我々に倫理的基準を提供し得る存在が必要とされるのだ。良いだろうナギサくん、その少女を歓迎しよう」
みぞれはキョトンとしている。ナギサはうなずいた。
「一緒に来て良いってさ」
みぞれは一瞬笑顔を見せると、すぐに顔をくしゃくしゃにしてナギサの首にしがみついた。それを寂しげな顔で孫一郎は見つめていた。見つめ返すナギサと視線が重なる。
「どうする。孫一郎も一緒に来る?」
「行きたいです……でも」
「でも?」
「法……ナギサ殿」
「うん」
そのナギサの嬉しそうな顔。
「それがしにも、やらねばならぬ事があります。そこから目を背けて、生きては行けません」
「そうだよね」
孫一郎の頬に、冷たい物が触れ、溶けて流れた。はらはらと小雪が舞っている。
「ここで、お別れになるのでしょうか」
ナギサはみぞれと手をつないで立ち上がった。
「そう、ここでお別れ。ご免ね、勝手で」
孫一郎は困ったように笑った。
「本当に勝手です。でも、ありがとうございます」
「こっちこそ、ありがとう」
ナギサはほんの少し、声を詰まらせた。
ナギサとみぞれは、再びオクタゴンの脚に乗った。脚はゆっくりと持ち上がり、艦橋側面のハッチが開く。二人はその中に消えた。
そして、風が吹いた。緩やかな、春を思わせるような暖かい風が。オクタゴンは静かに浮上する。舞い散る雪を巻き上げながら、音もなく、名残を惜しむような素振りもなく、ゆっくりと回転しながら灰色の空へと昇って行く。その姿が見えなくなるまで、孫一郎は身じろぎ一つしなかった。
だがやがて、孫一郎は歩き出した。孫一郎の旅はまだ終わらない。会津に帰る旅が続く。いや、帰り着いても旅は続くのだ。ずっとずっと、生きるという長い旅が。
◆ ◆ ◆
【顕如の日記】
岸和田と根来雑賀の大戦は、昼前にすべて終わってしまった。逃げ延びてきた一揆衆は、大蛸に乗った法師に蹴散らされたと語っているそうだが、馬鹿馬鹿しい、夢でも見たのだろうか。
しかし怪我人は多数出たものの、死人は思ったほど出なかったというのだから、何があったにせよ良い事だろう。ただ卜半斎によれば、一揆衆の逃げた後に伴天連の死体があったという事だ。伴天連が一揆に加わっていたのだろうか。それとも
「聞いておられますか、顕如さま」
はいはい聞いていますよ、と背中で答えながら、顕如は書き物から目を離さずにいた。卜半斎は続ける。
「戦は一旦終わりました。しかし、根来雑賀の一揆勢はまた明日にも攻めて参りましょう。対する秀吉公の側からも、いずれ本願寺に要請が参りましょう。すべて知らぬ顔はできますまい。ここは腹の括り時でありますぞ」
その言葉に顕如は筆を止めた。
「つまり紀州を見捨てて大坂に尾を振れと」
さすが、この時代のトップエリートである。一を聞いて十を知る。
「それもまた、一つの答にございます」
卜半斎は否定しない。顕如はひとつ、ため息をついた。
「まったく、嫌な時代ですね」
「しかしなればこそ、あなたさまのような方が居てくださらなくては困るのです。お気張りくださいませ」
はいはい気張りますよ、と背中で答えながら、顕如はまた書き物を始めた。
◆ ◆ ◆
さて、これでこのお話は終わりです。本を閉じましょう。部屋の明かりをすべて消しましょう。
でもこれを読んで、疑問に思った方も多いかも知れません。この物語は、いったい何処までが歴史的事実なのかと。それは難しい質問です。興味のある方は『蛸地蔵伝説』を検索してみてはどうでしょうか。
ただ忘れないでくださいね。それが本当に我々が居るこの世界の物語なのかは、誰にもわからないのだという事を。
それでは、またいつか何処かで。




