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四十 自分のために

 海塚の家の裏にある小さな畑。ナギサはまた一人で空を見ていた。風は強いが雲は少ない。雪は降りそうになかった。


 中村一氏が孫一郎を呼び出す理由など、雪姫の事以外にはないだろう。孫一郎はどうするだろうか。まあどんな頼みであれ、断れはしないだろう。雪姫のためと言われれば、二つ返事で引き受けるのではないか。


「雪姫のためじゃないよ」


 小さな声に、ゆっくり振り返ると、みぞれが立っていた。


「自分のため。孫一郎は自分の事しか考えていない」

「みぞれちゃん」


 思い詰めた顔をするみぞれの頬を、ナギサは軽くつつく。


「あんまり良くないよ、他人の頭の中のぞくのは」

「どうしても見えるの」


 みぞれは悲しげに顔を両手で覆った。そして苦しげに言う。


「孫一郎は、妹が死んだのは自分のせいだと思ってる。自分が悪かったんじゃないかって。雪姫を助けたら、その重さから逃げられるんじゃないかって考えてる。だから自分のため」


「そっか」


 ナギサはみぞれの頭に手を置いた。


「でもね、自分の事を考えられない人は、私は嫌いだな。他人のために他人の事を考えるなんて嘘臭いもの。人間は神さまにはなれないんだから。誰かが助かれば自分も助かる、そう考えられる人が一番優しい人なんだと思うよ。だから」


 みぞれが顔を上げる。ナギサは微笑んだ。


「私も私の事を考えようと思う」



 寺内町の通りに面した家も店も、戸を閉めて閉じこもっている。正月気分など何処へやら、みな戦が怖いのだ。人通りのまるでない――ナギサならゴーストタウンと評したかも知れない――町の中を、孫一郎はとぼとぼと歩いていた。


 もう昼もとっくに過ぎ、そろそろ日が傾こうかという頃合い。しかし孫一郎は、海塚の家に帰れずにいた。別に何か悪い事をしたでもなし、帰れない理由がある訳ではない。ただ、帰ってもナギサの顔をまともに見られないような気がしたのだ。だからずっと町の中を、何時間も歩き続けている。


 本願寺に行けば、海塚にも卜半斎にも会えるだろう。相談もできるかも知れない。しかし、雪姫に伝わってしまう可能性もある。それは避けたい。いや、連れて逃げるとなれば、何も言わない訳には行かないし、伝わってくれた方が話が早い気もするのだが、しかし実際連れて逃げられるのかという問題がある。自分一人でそんな事が可能なのか。


 もし本当に雪姫を連れて逃げるのであれば、ナギサの協力は不可欠だろう。しかし雪姫を連れて逃げるから協力してくれと、果たしてナギサに言えるのか。言いづらい。ていうか言いたくない。それは身勝手なのかも知れないけれど、孫一郎の偽らざる気持ちであった。


 だが戦はもうそこまで迫っている。決断しなければならない。決断を。いや、でもなあ。そんな事を延々と考えていると。


「痛っ」


 後頭部に小石のような物が当たった。慌てて後ろを振り返る。誰もいない。周囲をぐるりと見回して、上にも目をやったが誰もいない。煮え切らない孫一郎を見て腹を立てた天狗か何かが、小石でもぶつけたのかも知れない。とっとと帰れという事だろうか。


「おーい」


 そのとき通りの向こうから聞こえたそれは、ナギサの声。みぞれと手をつないだナギサが駆け寄ってくる。


「やっと見つけた」

「ほ、法師殿、いかがされました」


 するとナギサはジロリとにらんだ。


「いかがじゃないよ。孫一郎がいつまで経っても帰ってこないから、心配して迎えにきたんじゃないか」

「あ、いや、それはその」


「で、どうだった。雪姫さまの事」

「ええっ。な、何故それを」


 孫一郎はあたふたした。白状したも同然だった。


「あのお殿さまが孫一郎に用事だなんて、他にある訳ないでしょうが。で、何言われたの。連れて逃げてくれとでも言われた?」

「ああ、えっと……はい」


 降参である。もうごまかせない。


「そっか。で、何て返事したの」

「断れませんでした」


 うつむいた顔を上げられない。孫一郎はどんな顔をしたら良いのかわからなかった。しかし。


「了解。じゃ、準備始めようか」

「え」


 思わず顔が上がる。ナギサの笑顔が輝いて見えた。


「それはそれ、これはこれ。戦になったら何がどうなるかわからないんだから、雪姫さまを放っておく訳には行かないでしょ。連れて行けって言うんなら連れて行こうよ」


「しかしその、それがし一人では」

「何で一人だって決めつけるの。私も一緒に行くに決まってるじゃん」


「へ」

「それとも何。雪姫さまと二人っきりの方が良かった?」


「い、いえっ、それがしは、そんなっ」


 顔を真っ赤にして慌てふためく孫一郎を見て、ナギサは面白そうに笑った。


「だったら良いじゃない。一緒に行こうよ」


 そして手をつなぐみぞれを見た。


「どうする。みぞれちゃんも一緒に来る?」


 みぞれは迷わずうなずいた。


「じゃあ四人旅だね」

「あ、あの」


 孫一郎は思い詰めた顔をしている。


「ナギ……法師殿は、本当にそれで良いのですか」

「うん、もちろん良いよ。ただし」


 ナギサはニッと歯を見せて、顔をくしゃくしゃにして笑った。


「キミを譲る気はないけどね」

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