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三十八 呼び出し

◇天正十一年十二月三十日


「……という事なのですが」


 囲炉裏端の(あさ)()の席で孫一郎は、昨日卜半斎から言われた事を皆に話した。ここは旅籠ではない。昨日言われたから今日引き払うという訳にも行かない。


「有り難いじゃないか」


 海塚の母が飯を飲み込んでそう言った。


「大戦が始まるってもっぱらの噂だよ。出て行くには丁度良いだろ。おまえさん方は戦に巻き込まれなくて有り難い、うちは厄介者がいなくなって有り難い」


 だが海塚の妻は首を振った。


「いいえ、戦なら寺内町の中にいた方が安全です。出立するなら、戦が一段落してからにしてください」


 息子の信吾も同意する。


「そうですよ、うちはいくら居て頂いても、迷惑だなんて思わないですから」


 それを聞いて海塚の母がへそを曲げた。


「何だい、またアタシが悪者かい」


 海塚の妻は笑顔で首を振る。


「いいえ、お義母さまは悪者じゃありませんよ。単に性格が悪いだけです」

「信三郎! おまえ嫁にどんな躾してるんだい!」


「知りませんよ、私は」


 そんな会話を聞きながら、孫一郎はナギサに目をやった。ナギサは箸が止まり、遠い目で何かをつぶやいている。呪文を唱えているかのようにも見えた。



「それは間違いないの」


 ピクシーはナギサの視界の隅で踊っている。だが心なしか、楽しそうには見えなかった。


「我々の世界の史実においては間違いないね。この戦で岸和田城は落ちるよ。中村一氏は岸和田で死亡する。ただ貝塚寺内町については、記録が見つからない。寺内町自体はその後もずっと続くから、この戦で滅びるような事はないはずだけれど、巻き込まれたりしないのか、誰も死なないのかについては不明であると言えるね」


「じゃあ雪姫はどうなるの」


「それも記録には残っていない。中村一氏に妹が居たという記録はあるけど、それが雪姫の事なのかは不明。この時代で雪姫と言えば、北畠具教(とものり)の娘で織田信雄の正室である千代御前の事しか見つからない。ネットワークに繋がれば、もっと詳しい事も調べられるのだけれど、今は何とも言えないと言えるね」


「もっと早く教えてくれればいいのに。何で今頃」

「だって質問されなかったよね」


「この人がいつ死ぬかなんて、普通聞かないでしょうが」

「人間の普通は、僕らにはよくわからないと言えるね」


「法師殿、いかがされました?」


 気づくと、孫一郎がのぞき込んでいる。他の皆もナギサを見ていた。ナギサは椀を置くと、孫一郎を真っ直ぐ見つめた。


「孫一郎はどうしたいの」

「えっ」


「戦を避けてここを出たい? それとも」ナギサは小さく息を吸った。「雪姫のために残りたい?」


 孫一郎はしばしナギサと見つめ合っていたが、やがて目をそらし、うつむいた。


「それがしは……」


 その言葉を遮るように、玄関の閉じられた戸口の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ご免。こちらは海塚信三郎殿のお宅か」



 海塚の妻が戸を開けると、そこに立っていたのは岸和田城の細身の与力。


「河毛源次郎と申す。古川孫一郎殿は、こちらにいらっしゃるか」


 自分の名を呼ばれて、孫一郎は返事をした。


「河毛さま、どうなされたのです」


 すると河毛は敷居をまたぐ事なく、その場で孫一郎に頭を下げた。


「朝早くから申し訳ない。殿より命を受け、参上つかまつりました。急いで岸和田城までご足労願えませぬか」

「それがしですか。はあ、構いませんが」


 いささか釈然としないまま、気の抜けた返事をした孫一郎だったが、河毛は再び一礼し、「では表にて待っております」と告げ、戸口に背を向けた。


「いったい何があったのでしょう」


 腰に刀を差しながら、孫一郎は海塚にたずねてみた。漬物をかじりながら海塚は答えた。


「私が知る訳ないでしょう。何か怒らせる事でもしたんじゃないんですか」

「脅かさないでくださいよ」


 そして再びナギサと目が合った。


「あ……あの」


 しかしナギサは笑顔を返した。


「とにかく行ってらっしゃい」

「はい、行って来ます」


 そう言い残し、孫一郎は飛び出して行った。



 ◆ ◆ ◆


【顕如の日記】


 昨日は根来から献上品が届いたという。年末の挨拶だそうだ。この微妙な時期に厄介な。卜半斎が受け取ってしまったらしいが、これはまあ仕方ない。まさか追い返す訳にも行かないしな。そんな事をすれば、根来に敵対した事になる。本願寺は今、雌伏の時。秀吉公とも根来とも適度な距離を保たねばならない。


 だが雑賀には本願寺の信徒も多い。それにもう信長の居た頃とは違うのだ。根来も粉河も高野山も、滅多な事ではこの貝塚御坊に砂をかけるような真似はすまいて。

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