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三十一 計画

◇天正十一年十二月二十六日


 未明の土橋屋敷。灯りのない廊下を音もなく歩く。まだ左手の傷が疼くが、目を覚ますには丁度良い。


 重治の(しん)(じょ)を訪れるのも二度目である。周囲に見張りを立てているかと思ったが、そこまで肝の小さな男ではなかったようだ。襖の前に膝をつき、声をかけた。


「竜胆にございます」


 襖の向こうから声がした。


「入れ」


 襖を静かに引き開ける。また酒のニオイ。そんなに酒が好きなのか、それとも酒で何かをごまかしているのか。ロウソクの火がチラチラと揺れる向こうに、土橋重治が徳利と盃を持って座っている。その目がギラギラと輝いているように見えた。


「おまえさんの申し出を受けてもいい」


 部屋に入った竜胆が後ろ手に襖を閉めると同時に、重治はそう言った。竜胆は静かにうなずく。


「家康公に従われますか」


 重治は盃の酒を舐めるように飲む。


「勘違いをするな。従いはしない。だが大坂城は落とそう。羽柴は雑賀にとって()()(たい)(てん)の敵、今討たねば取り返しのつかぬ事になる。ただし」


「ただし?」

「条件がある」


 竜胆の口元が緩む。それは想定内の言葉であった。


「条件というのは金子(きんす)でしょうか、それとも領国の安堵とか」


 重治は盃に酒をついだ。余裕のある振りをしているのか、それとも。一呼吸置いて重治は竜胆をにらみつけた。


「見くびるな。己の利のために、尻尾を振るような真似はせん」

「ほう、では何をお望みですか」


「岸和田が邪魔だ」


 竜胆の口元が少し締まった。重治は続けた。


「徳川と羽柴との戦が春になるなら、この冬の間に準備を始めねばならぬ。ならばまず、岸和田城を落として中村一氏の首を取らねばなるまい。あれは生かしておいては厄介な男だ。だが大坂を狙う片手間に潰せる相手ではない。我らの総力をもって落とさねばならぬ。その兵糧弾薬を頼めるというのなら、春の戦も引き受けよう」


 重治の思った以上の慎重さに、竜胆は驚いていた。悪く言えば臆病な、天下に覇を(とな)えるほどの豪胆さには欠ける男だ。しかしこの戦国の世を生き抜くために、何が必要かは理解している。なるほど、運やマグレだけで雑賀の頭領を任されているのではないという事か。竜胆は頭を下げた。


「兵糧弾薬の件、引き受けましてございます。必ずや家康公の了承を取り付けて参りましょう。それでは他の雑賀の皆様につきましては」

「仔細ない。我が話を通す。雑賀荘、十ヶ郷、中郷、宮郷、南郷。何処も今は田も畑もない時期だ。五組で八千は出せよう」


「お寺の皆様の側には」


「根来の(ぎょう)(にん)衆は一万は出せるはずだ。粉河寺と高野山からも人を出させる。あとは和泉から人をかき集めれば、軍勢は合わせて三万にはなろう。鉄砲は二千丁あればよかろう。それだけの兵糧弾薬を集められるか」


「その点はお任せを。して、岸和田攻めはいつになりましょうや」

「早ければ早いほど良い。兵糧弾薬がすぐ手に入るのなら、年明け元日からでも攻められるが」


 重治はさっきから盃に口をつけていない。戦の計画に心奪われているのだ。竜胆は大きくうなずいた。


「ならば兵糧弾薬は、元日に間に合わせるように致しましょう。土橋さまも、そのおつもりでご準備ください」

「相わかった。すぐ準備に入ろう」


 重治がそう告げたとき、竜胆の背後の襖が静かに開いて行った。誰も襖には触れていない。向こう側に誰かいるのだ。音もなく立ち上がると、竜胆は摺り足で後退し、廊下へと出た。襖が閉じて行く。そして襖の動きがピタリと止まったとき、襖の向こうに闇が(うごめ)く気配があった。

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