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二十八 確信

「甚六は私を守ってくれるの?」


 それは八歳の椿の姿。そのとき甚六は十二歳。古川の屋敷で、初めて出会った日の光景。薄氷のように儚げな椿は、甚六の手を取ってそうたずねた。


「お守り致します、椿さま」


 それは嘘ではなかった。命を賭けてお守りすると、甚六は心に誓ったのだ。


「でもね、甚六」

「はい」


「私はもう守らなくてもいいの」

「……椿さま?」


 いつの間にか椿は十四歳になっていた。


「私を守る代わりに、兄上を守って欲しいの」

「椿さま、何を」


「お願いよ、約束よ、甚六」


 甚六は叫んだ。手を伸ばした。だがそれも届かず、椿の姿が闇にかき消される。


 ◆ ◆ ◆



「甚六、大丈夫か」


 その声に、甚六は目を開けた。暗い。しかし扉の隙間から薄明かりが差し込んでいる。小瀬の惣堂か。きっと外はもう日が高いのだろう。


「与兵衛……か」

「おう、随分うなされてたな。傷は痛むか」


 傷? そうか、肩を斬られて。甚六が右肩に手をやると、布が巻かれてあった。


「松蔵さんが手当てをしてくれた。もう血は止まってるし、熱も下がったようだ」

「また松蔵さんか。あの人には世話になりっぱなしだな」


「握り飯もあるぞ。食うか」

「いや、まだいい」


 さすがに食欲はまだなかった。


「なあ与兵衛」

「ん?」


「俺がうなされてるとき、何か言ってなかったか」

「いいや、別に何も言ってなかったが」


「そうか、それなら良い。もうしばらく寝る」

「ああ、そうしろ」


 甚六は目を閉じた。また椿さまの夢を見るだろうか。それでも構わない。夢であっても会えるのなら。ただそんな甚六の耳には、あのとき逃げ出す寸前に聞いた、あの声がいつまでも残っている。


――ウチノ六衞門ガ急ニ騒ギ出シテ


 親父。あれは親父だ。だがおそらく、もう自分の知る親父ではない。どうする。そんなヤツを放っておいては、いつか古川の家に災いが降りかかるのではないか。俺が何とかしなくては。何とか……睡魔は疲れ切った甚六の意識を、眠りの沼へと引きずり込んで行った。



 ◆ ◆ ◆


 初めてオクタゴンに乗ったのは、もう半年前になるだろうか。


 艦橋には上から下まで観測機器が詰まっていた。一つ一つはシミュレーションで触れた物と同じだが、これだけ揃うと圧倒される。私はその機械の群れの中に人が居る事に、しばらく気がつかなかった。


「博士のえこひいきで入ってきたそうね。足だけは引っ張らないでくれる」


 おかっぱ頭に四角い眼鏡をかけた女が、初対面で第一声、いきなり吐き捨てるように言った。私が愕然としていると、小柄で赤髪の女性がお腹を押さえて大笑いしだした。


「大丈夫大丈夫ナギサちゃん、サエジマはツンデレだから」


 そして右手を差し出す。


「アタシはソマ。こいつはサエジマ。二人ともオクタゴンの計測員。よろしく」

「あ、はい、よろしくお願いします」


 私が緊張して頭を下げながら手を握ると、今度は観測機器の陰から男の声がした。


「固い固い。ここは体育会系の組織じゃないぞ。もっと柔らかく柔らかく」


 見ると筋骨隆々で短髪で浅黒い、どう見ても体育会系の三十前後の男がいた。


「トガワ技師長がそれ言っても、説得力ないんスよねえ」


 ソマが苦笑する。


「何でだよ。俺はソフトでカジュアルだろうが」

「言葉の使い方、何か変じゃないスか」


 そのソマの言葉を受けて、サエジマが吐き捨てるように言った。


「気持ち悪い」

「ガーン」


 漫画のような擬音を口から吐き出しながら、トガワ技師長は落ち込んでしまった。


 そこにドアが開き、博士が入ってきた。ブツブツと何か言いながら、手にした書類を見つめている。私の方を見ようともしない。そして突然顔を上げてこう言った。


「試験航行を開始する」


「いやいやいやいや」ソマ計測員が慌てて突っ込んだ。「まだ準備中ですから。準備終わったら声かけますって何度も言ってるじゃないスか」


 すると博士はちょっとムッとした顔をしたかと思うと、返事もせずにクルリと背を向け、艦橋から出て行ってしまった。


「家でもあんな感じなの」


 サエジマ計測員の口にしたそれが、私に向けられた言葉だと理解するのに数秒かかった。


「……えっ、ああ、だいたいあんな感じですね」

「そりゃあ大変だ」


 トガワ技師長が笑った。ソマ計測員もうなずく。


「でも良かったよ、来てくれたのがナギサちゃんで。博士がどういう人か、いちいち説明しなくても済むし」

「やっぱり説明するの大変ですか」


 大変なんだろうなあ、と思う。自分だって長年一緒に暮らしていなかったら、博士を理解するのは難しいだろう。


「まあ説明が大変というより、合う合わないで言えば、合わない方が圧倒的に多い人だから。そっちの方が大変」


 サエジマの言葉にも苦労がにじみ出ている。きっと今までイロイロあったのだろう。だが言い換えれば、ここにいる四人は皆、何だかんだありながらも博士を理解し受け入れた、博士と合う人間であるという共通点を持つのだ。そう考えると急に親近感が湧いてきた。大丈夫、ここでやって行ける。私はそう確信したのだった。

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