二十五 我流の限界
この当たり前の鍛冶場に、もしかして当たり前でない物がないだろうか。孫一郎は目を皿のようにして探した。けれど見つからない。やはりここも普通の鍛冶場なのだ。少し意気消沈した孫一郎に、海塚が話しかけた。
「あなた和泉守だったのですか」
海塚が孫一郎に興味を持ったのは、初めてではなかろうか。孫一郎は慌てて手を振る。
「いえ、別に和泉国に領地があったとか、そういうんじゃないですよ。ただ先祖が一代限りでそういう名前をもらったっていうだけです。でもまあ、それがあって和泉国に行ってみたいと思った訳ですけど」
「へえ、お武家はよくわかりませんね」
「はは、かも知れません」
ナギサと少女が金床に近付き過ぎたので、慌てて引っ張り戻す。大鎚の可動域に立っていると、殴られる危険性があるからだ。二人に厳重に言い聞かせて、孫一郎は海塚の隣に戻ってきた。
「ところで海塚さまは、何処かに仕官なされたりはしないのですか」
孫一郎の問いに、海塚はギョッとした。
「しませんよ。所詮地侍は地侍、お武家になどなりたいとも思いません」
「もしかして、武家が嫌いなのですか」
「何故嫌いじゃないと思ったのです」
「だって、あんなに凄い腕前をしているのに」
「あんなものは我流も良いところです。あれで飯を食おうなどと思うほど、無謀でも世間知らずでもありません」
「我流では食えないのですか」
思わず口をついて出たその言葉は、孫一郎の包み隠さぬ本心であった。我流の何が悪いのだ。強い剣が振るえるのなら、我流でも良いのではないのか。美しい刀が打てるのなら、我流でも構わないのではないのか。しかし海塚は即答した。
「食えませんね」
そしてため息をつくと、諭すようにこう言った。
「武芸であれ何であれ、飯が食いたいのなら他人に教える事です。教えられれば飯は食えます。しかし教えるためには、そのための技や理が要るのです。言葉にするのも大事でしょう。けれど私は誰かに教わった事がありません。どうやって他人に教えれば良いのかの筋道を知りません。だから私の剣は私にしか使えないのです。息子にすら教えられません。それが我流の限界です」
つまり教育のためには体系的な技術と理論と、その言語化が重要という事だ。聞くとはなしに会話を聞いていたナギサであったが、海塚をちょっと見直した。ただの嫌みったらしいオヤジではないようだ。
鎚音が重く響く。赤く焼けた鉄が形を変えていく。口を利けぬ少女は魅入られたようにそれを見つめていた。
「だけどさ」
ナギサは会話に割って入った。
「そこまでわかってるんなら、侍になった方が得なんじゃないの、逆に」
「何が逆なのか良くわかりませんが、武家になど、なりたくはありません」
海塚は首を振る。しかしナギサには納得がいかない。
「何でそこまで嫌がるの」
「だって、つまらないじゃないですか」
この答には、さすがに虚を突かれた。ナギサも孫一郎も、しばし言葉が出てこない。
「……えーっと、そういうもんなの?」
首を傾げるナギサに、海塚は呆れたような顔でこう言った。
「戦国の世はもうすぐ終わります。羽柴か徳川かは知りませんが、誰かが天下を平定するでしょう。そうなれば武家の天下になります。でもね、武家の天下とは、武家が好き勝手できる世の中という訳ではないのですよ」
「そうなのですか」
孫一郎も意外そうだ。
「京の公家を知ってるでしょう。彼らとて昔々、本を正せば田舎の土豪に行き着くのです。武家と変わらないのですよ。武家が天下を平定すれば、いずれ武家が公家のようになるだけです。公家が好き勝手にできていますか。地位ばかり高くても何も出来ずに、帝の顔色をうかがっているだけでしょう。そんなのつまらないじゃないですか」
ナギサは思う。何もできないとは、何ができない事を意味しているのだろう。権力を持っているからこそ、自由にできる物事も多いはずなのだが、海塚の言いたいのは、そういう事ではないらしい。
「では生涯、地侍を続けるおつもりですか」
孫一郎の問いに、海塚はこう答えた。
「地侍など、すぐに居なくなります」
「えっ」
「あちこちの大名が刀狩りをしているのです。知りませんか。天下が平定されれば、村にある刀や鉄砲は取り上げられるのですよ。刀のない地侍など、百姓と何が違うのですか」
それは歴史的に正しいと言えるね。ナギサの脳にピクシーが伝える。
「では海塚さまは百姓になるのですね」
孫一郎は少し残念そうだ。だが。
「いいえ、私は町人になります。好き勝手に生きたいですから」
海塚の言葉に、孫一郎はまた絶句。ナギサは思わず突っ込んだ。
「町人なら好き勝手に生きられるっていうの」
「今はまだ無理ですよ。でも見ていてごらんなさい、いつか町人がのさばる時代がやってきます。銭さえあれば、誰でも好き勝手に生きられる世の中になるのです」
海塚の目がらんらんと輝いている。さしものナギサも舌を巻いた。この海塚という男、いったい何が見えているのだろう。教養があるとかないとかのレベルではない。生まれる時代と場所を間違っているのではないか。
鎚の音は響いている。少女もまだ見入っているが、頭領が孫一郎に刀を返しに来た。そろそろ鍛冶場を出る頃合いだろうか。だが頭領から茶に誘われた。ナンパではない。お点前を披露する、あの茶である。こんな所に茶室なんてあるのかとナギサは訝ったが、孫一郎も海塚も、迷惑そうにはしていない。鍛冶場を見せてもらったのだ、それくらいは付き合うという事か。
自分が暮らしていた時代の社会に比べれば、何事にも鷹揚なのだな、とナギサは思った。難しく考える必要もないのかも知れない。仕方がないので、ピクシーに茶道の基本的なマナーを教えてもらおう。寺内町に帰るのは、夕方くらいになるのだろうか。




