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二十三 雪に椿

 雪はまだ音もなく降り続いているものの、積もってはいない。庭の土は溶けた雪を吸い込んで重くなっている。孫一郎は本願寺に居た。卜半斎の部屋の前、広い縁側に一人座っていた。卜半斎に頼み事が一つあるのだ。しかし執務中ということもあり、後ほど出直すようにと海塚には言われたのだが、孫一郎は待つ事にした。他に仕事がある訳ではないし、何より鉛色の空を、雪降る空をここで見ていたかった。


 雪降る空を見ていると、心まで冷たくなるとあの娘は言った。そうなのだろうか。そうかも知れない。自分はあのときより、随分と冷たくなったのではないか。だから忘れないと誓ったはずの事を、忘れそうになっているのではないか。そんな自分を責める言葉もまた、ただ逃げているだけにも思える。自分で自分を哀れんでいるのだ。情けない。まるで成長していない。いつまでもこんな事だから。


「ちょ、こら、押すなってば、もう」


 孫一郎が声のした方をのぞき込むと、廊下の端から姿を見せたのはナギサ。その尻を後ろから押しているのは、あの口の利けない少女であった。


「法師殿。いかがされたのです」

「いや、この子がさ、孫一郎の事が心配みたいだったから」


 少女はドンとひとつ、ナギサの尻を押す。


「まあ、その、海塚さん()にいると、どうもイロイロ訊かれるのが面倒というか……ああ、別に心細かったとか、そういうんじゃないぞ」

「それがしは何も申しておりませんが」


 孫一郎が思わず突っ込んだとき、部屋の障子戸が勢いよく開いた。立っていた海塚がジロリとにらむ。


「うるさいですよ」


 そしてピシャリと障子戸は閉じてしまった。ナギサと少女は声を出さずに舌を出している。


「その様子だと、まだお願い事は聞いてもらってないのか」


 隣に座った小声のナギサに、孫一郎も小声で返した。


「まあ、急ぐ用ではありませんし、気長に待ちます」

「ずっとここで座ってたんだ。寒いのに」


「雪が降るのを見ていました」

「もしかして、雪姫さまの事でも思い出してたとか?」


 ナギサがいたずらっぽい顔で孫一郎をのぞき込む。孫一郎は一瞬躊(ちゅう)(ちょ)したが、小さなため息と笑顔を返した。


「……妹の事を思い出していました」

「へえ、妹さんがいるんだ。名前は?」


「椿と言います」

「椿ちゃんか。可愛い?」


「可愛い……のでしょうか。でしょうね、多分。生きていれば」


 顔いっぱいに『やっちまった感』が溢れるナギサに微妙な笑顔を返すと、孫一郎はうつむいた。


「元々身体が弱かったのですが、二年前に病で。妹が亡くなったとき、庭のツバキの花に雪が積もっていたのです。それ以来、雪が降るのを見ると、あのときの椿を思い出します」


 思い出す、そう言った。だが自分は本当に思い出せているのだろうか。そんな思いが孫一郎の心をよぎった。すると。


「そうやって、思い出すものなの」


 不意にナギサがたずねた。


「は?」


 顔を上げた孫一郎に、ナギサは横顔を見せている。


「私はね、十歳のときに両親が死んだんだ。だけど、思い出す事は滅多にない。たまに夢で見るくらいかな。何でだろうね。自分でも不思議に思ってた」


 ナギサは雪降る空を見上げている。吐く息が白い。


「私は冷たい人間なのかなあ」


 孫一郎は思わず立ち上がった。


「そっ、そんな事はありません! 法師殿が冷たい人間であるなど、そんな事はあり得ません! そのくらい、それがしにもわかります!」


 障子戸がまた、勢いよく開いた。


「うるさいんですよ」


 海塚はジロリとにらむと、再び障子戸をピシャリと閉めた。今度は孫一郎が舌を出している。


 その様子を、少し離れた所から、口の利けぬ少女が見つめていた。果たして、何を思っていたのだろう。



 結局、卜半斎の執務が終わったのは夕方近くになった頃。ようやく目通りのかなった孫一郎は、願いを単刀直入に卜半斎に伝えた。


「刀鍛冶ですと?」


 卜半斎は何とも言えぬ顔をした。それはまるで珍妙な動物でも見るかのような。


「はい、和泉国には和泉打ちの刀鍛冶がおられると聞き及んでおります。もし可能であれば、鍛冶場を見せて頂けないものかと」


 卜半斎は顎をなでる。


「ふうむ、熱心な事ですな。とは言え、寺内町の中には刀鍛冶はござらんのです」

「では近隣に、卜半斎さまがご存知の刀鍛冶の方はおられませんか」


 孫一郎の熱のこもった様子を見て、卜半斎はちょっと面白そうな顔をした。


「左様ですな。刀鍛冶はなかなか鍛冶場を見せてはくれぬでしょうが……良いでしょう、一筆書いてしんぜましょう」

「あ、ありがとうございます!」


 頭を下げる孫一郎を横目に、卜半斎は巻紙にサラサラと文字をしたためると、端を小刀で切った。


「海塚殿、明日にでも古川殿を津田の鍛冶屋に案内していただけますかな」


 そして書状を紙に包み、海塚に渡した。


「心得ました」


 うやうやしく手紙を受け取ると、海塚はそれを懐に収めた。すべては明日である。



 日も沈みかけた夕暮れ時、寺内町の通りのあちこちに灯がともり始めた頃、孫一郎たちは本願寺を出た。


「なーむあーみだーぶ、なーむあーみだーぶ、なーむあーみだーぶ……」


 街角では全身白装束の高野聖が、念仏を唱えている。足を止めて手を合わせる人々が、周囲を囲んでいた。海塚はチラリとそちらを見たものの、黙って通り過ぎた。孫一郎、そしてナギサと手を繋いだ少女が続いて通る。その少女の姿を、ほんの一瞬、しかし食い入るように高野聖は見つめた。

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