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十 今夜の寝床

 夕餉の後、ナギサたち三人が案内されたのは、海塚邸の端の板の間。片隅に藁を編んだゴザが何枚も重ねてある。


「すみません、片付けたのですが、あまり綺麗ではなくて」


 海塚の息子が申し訳なさそうにしている。しかし孫一郎は満面の笑みだ。


「いえいえ、もう充分ですから」


 だがナギサは目を点にして絶句した。しばし間を置いて、ようやく出てきた言葉がこれだ。


「え、布団とかないの」

「フトン……って何ですか」


 海塚の息子は不思議そうにナギサを眺めている。孫一郎もキョトンとしている。ナギサの視界に緑色のこびとが踊った。


「この時代の庶民の家に、布団などというものは存在しないよ。貴族や大名や金持ちであっても、せいぜい畳の上に寝ているくらいで、そもそも布団という概念が存在していなかったと言えるね」


「マジか」

「防寒に関しては、キミの着ている服とコートで、充分対応出来るはずだと言えるね」


「寒くはなくても板の間だぞ。下が固いだろ」

「それについては、ご愁傷様としか言いようがないと言えるね」


 孫一郎が顔をのぞき込む。


「法師殿、いかがされました」

「何か不手際でもありましたでしょうか」


 海塚の息子がオドオドし始めた。


「これ信吾」


 そこに声をかけたのは、海塚であった。


「何を慌てているのですか。こちらは親切で泊めてあげましょうと言っているのです。気に入らないというのなら、出て行ってもらいなさい」

「しかし父上、卜半斎さまから御世話金を頂いたのではありませんか」


 息子のその切り返しに、海塚は一瞬黙ってしまった。金を受け取っているのか。


「信吾、余計な事を申すものではありません」


 機嫌を損ねた顔の海塚に、孫一郎は取りなすように語りかけた。


「あの、それがしといたしましては、屋根の下に泊めて頂けるだけで有り難いのですが。他の皆もそうだと思います」


 それを指さして海塚は言った。


「ほれ、客人もこのように申している」

「父上」


 息子は海塚をにらみつけた。父に似ず正義感が強いのだろう。それを海塚は困ったような顔で見つめた。


「信吾、聞きなさい。確かに今は武家が目立つ時代です。義心や仁心、忠心が美しいものであるかのように、もてはやす者も多いでしょう。しかしいかに正道を行こうと、腕が立とうと、剣を振り回せば飯が食えるなどというのは、あと少しの間なのですよ。これから先は銭がものを言う時代となります。銭は大切にしなさい」


「そんな(りん)(しょく)な」


「吝嗇結構、乞食結構。何と言われようが知った事ではありません。世の中がガラリと変わったときに、銭を持っている者が勝ちなのです。良いですね、くれぐれも銭は大切にするのですよ」


 海塚の息子は呆れ果てたように、深くため息をついた。孫一郎は困った顔で笑っている。だがナギサは知っていた。海塚の言う事が、決して的外れではない事を。おそらく大坂や堺には、すでにそういう傾向が表われているのではないか。海塚は時代の流れを敏感に感じ取っているのだろう。しかしそれを自分が口にすると、ややこしい事になるかも知れない。ナギサは素知らぬ顔を決め込んだ。

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