2粒目「傾きすぎた釜」
人間には聞こえない叫びがここにはあります。
カシャカシャカシャカシャ...
ここは、加藤家。
時刻は午後8時。夕食の食器を洗い終わったあとのキッチンには、珍しく義雄が立っていました。
どうやらお米をといでいるようです。
3分ほど前、佳代子が明日の朝のためにお米をとごうとしているところに義雄が、
「今日は俺がやる。」
そう言いました。
佳代子は驚きの表情を隠せません。
「なにー?悪いことでもしたの?」
「なんとなくだ。」
そんな会話をしながら佳代子は考えます。
この人、不器用だからなぁ、、、
でもこんな事言うの珍しいし、ちょうど見たかったテレビもあるし。
ここはお言葉に甘えておこう。
「じゃあ、任せるよ。ありがとうね」
そう言って義雄に任せることにしました。
そして現在、義雄はカシャカシャとお米をといでいます。
『任せるよ。』そう言った佳代子ですが、やはり、義雄のことが気になる様子。
お目当ての番組そっちのけで先程から、ちらちらと、キッチンの方を覗いています。
オープンキッチンなので、手元は見えないものの顔はバッチリ確認できます。
義雄はかなり真剣な顔つきをしています。
もう、佳代子の耳にはカシャカシャという米とぎの音しか聞こえていないのでしょう。
画面の中で芸人がボケても、微動だにしません。
「大丈夫ー?」
とうとう声をかけてしまいました。
「心配しすぎだ。」
「ごめんごめん」
そっかそうだよね、米とぎくらい大丈夫だよね。
そう思い、佳代子はテレビの方へ意識を移します。
その直後。
「あ。」
義雄から放たれたその一音に佳代子の肩がビクッとなり、一目散にキッチンへと向かっていきます。
「どうかした?」
そう佳代子が問うと、
「水切りが難しくて、、、」
そう言われたので佳代子は視線をシンクに移します。
そこには数粒の米粒が釜の外に落ちていました。
「うん、このくらいなら大丈夫だから。気にしないで」
想定していた事態よりもだいぶ軽く、佳代子はほっと肩をなでおろします。
義雄はわかったと頷き、水切りを再開します。
それによって、先程こぼしてしまった米粒が排水口へと流れていきます。
その後は特に何事もなく米とぎは進み、
「こんなところか。」
そう言って義雄は内釜の周りについている水滴を布巾で拭い、ジャーにセットします。
ひと仕事を終え、義雄はリビングのソファへと向かっていきました。
ふぅ、と一息着くと佳代子が、
「うーん、何か忘れている気が...」
と唸っています。すると、
「あ、排水口ネットつけるの忘れてたんだ!」
そう言って慌ただしくキッチンに向かっていくのでした。
その後、二人仲良くテレビ見ましたとさ。
めでたしめでたし。。。
と、いうわけにはいかないのです。
皆さんは先程、義雄が流した米粒達を覚えているでしょうか。
そうもちろん、その中にも神様達が住んでいました。
ここで、佳代子と義雄が、米とぎの役目を交代した少し前に戻ってみましょう。
ここはお米の中の世界。
以前の床上浸水事件の際、回覧板を届けに行った三人の兄弟も無事生還を果たし、七人揃って転生することが出来ていた。
そんな神様達は広いワンルームにもかかわらず、部屋の中央に置いてあるちゃぶ台のまわりに集合していた。
そこには鬱屈とした重たい空気が広がっている。
というのも、これから始まろうとしているのは、
『米とぎ』なのだ。
この米とぎの摂理。
それは、浮いてしまった米は流される。
そのため神様達は我こそは先に沈むぞと息巻いて、皆一点に集まり沈みやすくするのだ。
それはこの兄弟達も例外ではないようだ。
「また、この時間が来ちゃったか、前回は佳代子さんの神テクでなんとか生き抜けたけど、、、無洗米に転生できたら最高なのに...」
米三がボソッと言った言葉に米二が反応する。
「まぁ心配する事なかろう。なんたって佳代子殿だ。今回も任せておけば大丈夫だろう。」
「ちょ、なんかこの流れ前回もあったような...」
「米三、お前は心配し過ぎなのだ。はっはっは」
2人がそんな会話をしていると、
「ん?なんか義雄さんが近付いて来たんだけど」
声を上げたのは、外の世界と繋がる鏡を見ていた米七だ。
すると、いつの間にか米七のもとに来ていた米二が言う。
「おい、音を上げろ、みんなに聞こえるようにな。」
「わかったよ」
カチカチカチ。
言われた通り鏡の側面、縦に配列してある3つのボタンの内1番上を押し音量を上げてゆく。すると、
『今日は俺がやる。』
義雄の声がワンルームに響いた。
瞬間、先程まで鬱屈としていた空気はさらに悪化。
米星に至っては米神としての白い肌が青く染まり、ガタガタと震えている。
「た、大変だ!米星にぃがもともとの冷水の怖さに加えて義雄さんの米とぎの恐怖でもう限界だ!」
そう慌てたように米三が言った。
「米星兄さんは、冷水弱いもんね、熱血漢だからかな、お湯だと大丈夫なのに。」
意外にも米七は比較的落ち着いているように見える。
そして米七は辺りを見渡す。
だ、だめだ。米星兄さんはもちろんだけど、米二兄さんも真っ白...というか灰みたいになってるし、米四、米六兄さんも顔が真っ青だ。どうしよう。と米七は考えをめぐらせていた。
が、ついに”そのとき”が来てしまった。
ゴゴゴゴゴゴォ
まるで地響きのような音が鳴り響く。
義雄の大きな手によって釜の中の米粒がかき混ぜられる。
米の周りの糠が落ち、透明だった水は白く濁ってゆく。
他の米粒が次々と下へ沈んでいくなか、この兄弟達の米粒はなかなか沈まない。
なぜだろうと米七が考えていると米三が言った。
「そうか!米二兄さんが灰みたいになったせいで軽くなったんだ!」
通常灰みたいになったところで質量は変わらない。しかし、自分たちは神だから有り得るかもな。そう考えた米七はなんだか納得した表情で言った。
「なるほど...」
理由がわかったところで沈む訳もなく、まだ沈みきる前に”水切り”が始まってしまった。
ザザザザー
釜が傾くたびに流れ出る水の勢いは増してゆく。
そして、数粒の米が釜の外に押し出されシンクに取り残された。
案の定そこには、この兄弟達の宿る米も含まれていた。
「終わった...」
そう呟いたのは誰だろうか。釜の外に出てしまった米の中の神様が皆思ったことだろう。
追い打ちをかける第2波により、米粒は先の見えない排水口へと吸い込まれていく。
「なぁ、これからどうなるんだろうな。」
ものすごい勢いで流れていく中、暗い顔で米三が呟いた。
暗い顔なのは米三だけでなく、先程まで落ち着いた表情を見せていた米七もだった。
しかしそんな絶望的な状況のなか、米五ただ1人だけ平気な顔をしていた。
そんな米五に米七が問う。
「米五兄さんはどうしてそんなに平気そうなの?」
「ふふふ、これは、とっておきの情報だよ?」
よくぞ聞いてくれたとでも言わんばかりに嬉々として米五は話し始める。
「実は前に回覧板を回しに行った時に友達になったコメっ子さんが教えてくれたんだけどね、この暗闇を抜けたら川っていうところに繋がっていて、さらにどんぶらこ、どんぶらこと流れて行って、おじいさんとおばあさんが拾ってくれるんだって!だから大丈夫さ!」
「それはほんとうか!良かった良かった!」
米五の話が耳に入ったのだろう。
ついさっきまで灰のようになっていた米二が急に色を取り戻し、元気な声でそう言った。
さらに、米七、米三も少し顔色が良くなったようだ。
そんな話をしているうちに米粒はどんどん流される。
ザー、ザー、ザー。
そうしてどのくらい流れただろう。ようやく暗闇を抜け、米粒は上へと浮かんでゆく。
ポチャっ
そこは人口の川。氾濫を防ぐためだろうか、高いコンクリートの壁が真っ直ぐに続いている。
辺りはまだ暗く、川の水が月を反射している。
「お、おい、夜におじいさんとおばあさんがいると思うか...?」
その米三の問いに誰も応えようとしない。米五の表情も曇ってしまっていた。
一瞬希望を見た兄弟は深い絶望に叩き落とされ、皆俯き、誰も、何も喋ろうとはしなかった。
そのせいもあり、誰も米粒の”下”から近づく影に気がつかなかった。
そしてその影は着々と近づき米粒を一飲み。
どうやら夜行性の魚がプランクトンと勘違いしてして食べてしまったようだ。
こうして、神様達は気づかぬ間に無事、役目を全うすることが出来たのでした。
皆さんはお米を何で研ぐでしょうか。
ジャーの内釜?それともボールでしょうか。
ちなみに私は内釜で研ぎます。