大江山エクスマキナ(終)
舞台が終わると、風津はその裏で冷や汗をぬぐっていた。
最後という最後、反応できたのは半ば偶然であった。
問答を終えたときに響いた笑い声は、行蔵のものではなかった。酒呑童子の腹の底から聞こえてきたものである。そのことに気づいたときから、台本のない舞台が始まったのだ。
あのとき、酒呑童子は確かな意思を持って風津に襲い掛かってきていた。人形に意思が、魂が宿っていたのだ。
「風津殿、大丈夫でござるか!?」
珊が舞台の屋根から飛び降りてきた。彼女は鋼糸を用いた鬼道の技、傀儡の術を用いて酒呑童子を操っていたのだ。しかし、人形が彼女の制御を離れたとあれば、当然に気づいていることだろう。
「申し訳ないでござる、拙者が不甲斐ないばかりに」
「問題ねえよ。いや、そんなことより、あの人形のことだ」
そう言って、風津は酒呑童子人形を見た。
首の落とされた人形はもはや動くことはない。しかし、警戒を怠ってはならない。人の首でさえ簡単に刈り取ってしまうだろうほどの力を持っていたのだ。
風津は人形をうつ伏せに寝かせ、珊から短刀を借りてその背中を裂いた。
そこに張り巡らされてたのは無数の配線であった。鋼糸の束と、歯車や軸が交錯していて、いったいぜんたい、どういう構造になっているかさっぱりだ。一度取り出してしまえば、修復させることは不可能だろう。そのことがむしろ、このときはありがたかった。
そして人形の中へと腕を突き込んだ。ちょうど心臓の位置にあるものを、強引に引き出す。
絡まった配線を引きちぎりながら出てきたのは拳ほどの大きさのある石だった。
見覚えがあった。いや、忘れるはずがない。その石の正体はすぐにわかった。
「鬼核だな、間違いねえ」
「まさか、この人形は、絡繰だったでござるか?」
「そうじゃねえな。舞台に上がる前まで、こいつからは鬼の気配は一切しなかった。こいつはあの舞台の上で、鬼の絡繰になったんだ」
「そ、そんなことがありえるでござるか!?」
「ないとは言いきれねえよ」
物に魂が宿ることはある。触れた者の魂に触れ続けて、少しずつその形を為していくことがあった。あるいは、周囲に暮らす誰もが信奉をする大木が、その信仰によってより強靭な魂を会得することだってあった。
さらに言えば、古くから巫女が行う神楽などはその最たるものであると言えよう。神々の行いをなぞることによって、その魂の在り方を再現しようという行為は、何度も行われてきたものだ。幻覚を見せる薬草などを用いてまで、その世界へと接近していこうという試みさえあった。
真に迫った舞は、本当に神々へと通じることがある。ときに降霊術、交霊術などと呼ばれる。南蛮ではどのようになされているかはわからないが、大差はないだろう。
鬼核などという、鬼が憑依するにうってつけの器があるならなおさらできなくはない、と風津は思った。
「しかし、芝居でござるよ。それも人形の……。歩き巫女であれば望月殿などもいたでござるが、あれは過去千年にも及ぶ技術の研鑽があった。大江山がいかに霊威ある演劇であったと言えど、真に酒呑童子をこの人形に降ろしせしめるほどであったでござるか?」
「いいや、酒呑童子だったらこの程度じゃすまねえだろう。だが、酒呑童子じゃなくていいんだ。ここにとんでもねえ鬼がいる。そう信じられればな」
「……それでも疑念が残るでござる。たかだか百人と少しばかりの観衆が信じた程度で、それは為せるでござるか?」
珊はそう言った。風津は少し考えて、頷く。
「ここは江戸だ。つまるところ穢土なんだよ。……魑魅魍魎が跋扈するのにうってつけの場所だ。そして、それ故に俺はここにいる」
風津がこの台場町にいる理由、それを今まで聞いてこなかった珊は、彼の瞳をようやく見た。
ふっ、と笑って風津は話を締める。
「んなことはいい。とにもかくにも、こいつを仕込んだやつがいる。そいつが当面の敵ってわけだな」
有芭空士なる傀儡師の男がいる。それもきっと、この台場町に。
かつて戦った永尾格次郎もそうだ。ここ、技術の集まる台場町に蔓延る何者かの気配を感じるのであった。
「あ、ああっ!?」
二人がそんな話をしていると、後ろから声が聞こえる。その主は行蔵だった。
彼は慌てた様子で駆け寄ってくる。
「困りますよ、こんなことされちゃあ!」
「え?」
行蔵の言葉を理解できない二人は、首を傾げるのみであった。
* * *
「納得がいかん!」
「し、仕方ないでござるよ。勝手に人形を壊したのは拙者たちでござる」
怒りに震える風津を、珊が宥める。
行蔵は今後もあの人形を使って劇を繰り返していく予定だったらしく、風津がその背を裂いたことについて怒り心頭であった。
風津たちからしてみれば、鬼と成り掛けた人形を放置するわけにもいかない。その事情を説明するも、行蔵は。
「まさか、鬼の存在を信じてもいねえとは思わなかった……」
彼は風津の言葉を世迷言として一蹴したのである。
曰く、鬼などいないし神なんてものもない。だからこそこうして描かれてきたのだ、と。
言いえて妙であったが、実際に鬼と戦っている風津からしてみればその言い分に納得しろという方が無理というものだ。
もしかすると、そういったものが物を作る者の根にあるものなのかもしれない。自らの知らない世界をどうにかして覗こうとする想い、真に迫ろうという意思を見たような気もする。
「しっかし、報酬をがっつり減らされるとは思いもしなかったぜ……」
もらった報酬は三十匁である。これでもかなりの大金であったが、しかし三日間のほとんどを費やし、鬼と戦っての収入と考えれば少ない。
はあ、とため息をつく。二人の帰路の足取りは重かった。
「有芭空士とやら、相当な腕前を持ちながらも、拙者の知るところではないとなれば、よほどの強者でござるな」
「ところどころ自信家になるなおめえ……。十中八九偽名だろうが、物を作るやつってのはたいてい意味ありげでまったくねえ名を持つもんだよ。本当の名とはちげえところに名を置くことで、この世から抜け出せるっていうかな」
「字名や号でござるな。なるほど、わからないわけでもないでござる」
「おめえだって、元は珊って名じゃねえだろ」
「拙者には名などないでござるからな。そういうおぬしこそ、風津などという名ではござらんだろう」
珊の言葉に、風津は黙りこくった。
夕暮れに沈む台場町を二人は歩いた。誰も彼もが帰り支度をしているのか、店じまいをしている者も多い。夜になってしまえば台場と江戸をつなぐ門も閉まってしまうから、これ以上店を開けていても仕方ないのだ。
横を走り抜けていく子どもの姿を珊が視線で追っていた。風津はその時を見計らって口を開く。
「酒吹左之助」
「は?」
「俺の名だよ。おめえに預ける。んまあ、芝居とは言え、酒呑童子をぶっとばせる日がくるたあ思いもしなかったからな、少し気が晴れたんだよ」
この身に流れる血の名を、風津は口にした。
珊は少しだけ、瞬きを繰り返す。絡繰の瞳に瞬きは必要なのだろうか。それとも珊を作った者は、瞬きに何か意味をもたせているのか。
彼女の想いを計ることはできるだろう、とは思う。しかし、絡繰に宿る想いとはなんぞや、と考えたはいいが、風津はそこから先の答えを持ち合わせていなかった。
珊が微笑んで、風津へと一歩近づいた。風津は一歩離れて、明後日の方を向いた。
「んじゃあ、俺はここで」
「待つでござる」
風津が曲がり角を右折しようとすると、珊が引きとめた。
「どこへ行くでござるか」
「決まってらあ、この鬱憤を晴らしによ。ひとっ風呂浴びようと思ってよ」
「そこから先にあるのは花街で相違ないでござるな? せっかくもらった報酬を何に使うつもりでござるか?」
「あ、いや、風呂だよ風呂」
「それは絶対に、ぜーったいに普通の風呂ではないでござる!」
袖を引っ張りながら引き止める珊。その腕力は、さすが絡繰と言うべきか、並大抵ではない。風津では到底敵うようなものではなかったが、しかし男には男の抑えきれない本能があった。
「るせぇ、やってられるか!」
「風津殿は、拙者では、拙者の体では不満でござるかぁあああああ!」
「誤解されるだろ! 叫ぶんじゃねえ!」
やいのやいの、と言い合いをするのはもはや、いつもの光景となっている二人であった。