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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第参話:大江山エクスマキナ
8/28

大江山エクスマキナ(下)

「駄目だ駄目だ、そうじゃなくてだね!」


 行蔵の怒号が響いた。場所は長屋のある裏路地であった。

 その一角に行蔵が間借りしている部屋があった。そこは家ではなく、彼の芝居のための倉庫として使われている。

 怒られているのは当然、風津であった。演技の指導になった途端に様変わりし、厳しくなった行蔵に戸惑いながらも、自分の動きのひとつひとつを確認していった。


「これでも元の脚本からずいぶん削ったんだ! できてもらわなきゃ困る!」

「ああ、いるよなあ、引き受けてもらうまで下手に出て、いざ仕事させるときはこき使う奴……」

「独り言禁止! 演技に集中!」


 なんども繰り返されるやりとりであった。日が出てからずっとこの調子である。明日までに芝居を仕上げなければならないとなれば当然かもしれないが、風津にしてみればやりきれないものであった。

 しかし、体力には限界があった。平時であれば半日走り回ったとしても疲れることのない風津であったが、慣れぬことをするのは疲れるものである。

 結局半日が経つまで指導は続き、少しの休憩をもらったのは日が完全に昇りきったときであった。


「はあ、死ぬ、こんなん。ちくしょう、やってられるか」


 座り込んでため息をついていると、珊が水筒を差し出してくる。それを一口飲むと、人心地つくとともに汗が溢れて出てきた。

 珊はと言うと、いつもの忍者姿ではなく町娘の装いである。さすがに露出の多いあの格好では目立ってしまうだろう。風津としては物足りなくもあったが、これはこれでいいものがある。


「なかなか大変そうでござるな」

「俺はそんなに物覚えはそんなによくねえし、行蔵のやつ、注文つけまくりなんだ。参ったぜ」

「それだけこだわりがあるのでござろう。聞く話によると、南蛮は英蘭イングランドにいたという劇本家、沙吉比亜シェイクスピアに憧れているらしい」

「その何とかって奴は、つまるところなんだ、芝居を考えるような暇人ってことか」

「おぬしは一回、怒られるべきでござるよ」


 珊が冷めた目線を送ってくる。とは言っても、風津の知る芝居と言えば、皆が知る内容を繰り返すものであった。そうした再現は、伝わるごとに本来の形を失っていくものであるが、正しいものなど存在はしないから誰もが信じることができたのだった。

 鬼というものだって、元に言われていたものから遠く離れてしまっている。それは、舞台の上とは言え今回戦う相手、酒呑童子とてそうだ。


「それで、酒呑童子役のお珊よ、そっちの調子はどうよ」

「拙者にかかれば造作もないことでござる」


 彼女が視線を送ったのは人形だった。今回の芝居において、珊が得意とする鋼糸によって人形を操ることになっていた。元は彼女が人形を抱えて演技をする手はずだったが、鋼糸を使うことで解決できると知った行蔵がえらく感激して変更となった。


「ふふふ、これこそが拙者の術の派生形、傀儡の術でござる。この術にて屍体を操り、よく敵軍をかき乱したものでござるよ」

「ときどきおっかねえのがおめえの悪いところだぜ……」

「見るでござるか? 自分が戦う相手を見ておくのは大切でござるぞ。孫氏とて言っていたでござる、彼を知り己を知れば百戦殆うからずと」

「そんな大それたことでもねえだろ」


 とは言うものの、風津は人形へと近づいていく。力尽きたように座り込んでいる人影こそが人形であった。大きさも大人ほどもあって、遠目から見れば人と見分けがつかないかもしれない。

 珊が人形の首を上に向けると、ぞっと背筋に寒気が走る。目を閉じているものの、それがまるで眠っている人のようにも見えた。いいや、一瞬であっても人そのものだと思ったのだ。

 言ってしまえば、珊と同じような絡繰の素体であるのだろう。じっと目を凝らしたが鬼の気配は感じられない。そのことに安堵を覚えてしまうほどの出来栄えであった。

 過ぎた出来の人形は、魂が入っているのかとさえ錯覚してしまう。風津はそう思った。


「恐れ入った。これはどこの誰が作ったんだ? 少なくとも、お珊、おめえと同じかそれ以上の出来だろう」

「……拙者はこの通り、忍者としての務めを果たすために様々な機構が盛り込まれてるでござるが、この人形は初めから人形であるために作られたもの。そもそもからして、求められてるものが違うでござる」


 負けず嫌いな珊がそう言った。ふうん、と風津は彼女の全身を下から上へと見ていく。


「そのわりには、なんというか、中途半端な胸をしてるな」

「よほど胴体とさよならをしたいと見える口でござるな、ははは」


 拙者とて、拙者とて、と言いながら刀を引き抜いた彼女を見て、風津はすまないと謝るので精一杯であった。

 人形の頬に触れてみる。珊と変わらない素材のようで、不思議と柔らかい。よもや人の肌を削いで作ったものではあるまいかと疑いはしたが、そうではないことに一安心する。


「二人とも、何をしてるのですか?」


 そう声をかけてきたのは行蔵であった。彼の手には布が握られている。おそらくは衣装なのだろう。


「なあ行蔵、この人形はどこで手に入れたんだ?」

「それは親切な方が譲ってくださったものでしてね。大江山、好きなんだそうです。確か京の生まれでしたかね。ここまでの出来ですから、高名な方かと思ったのですが、聞き覚えのない名でした」

「それは?」

「確か、有芭空士ありばくうしなどと言いましたか」


 風津は珊に視線を送ったが、彼女は首を横に振った。少なくとも彼女の知る人物ではないようだった。

 もしかすると、珊を製作した者であるかもしれない、とも思った。珊ほど忍びの術、そして鬼道に優れた者を生み出す者は、それ以上の実力を持っていると考えられた。そして自身の作った絡繰から自身についての記憶を消すことだってありえる。

 そうであればその者はいま、幾つになるであろうか。百五十は下るまい。


「まあ、そんなことは良いんですよ。もうすぐ稽古を再開しますよ」

「げぇっ……ぜんぜん休めてねえんだが」

「なにを言っているんですか、これから夜まで稽古して、夜通しで舞台の設営だってあるんですから」

「待て待て、設営だって!? んなこと聞いてねえよ!?」

「もちろん報酬に含めてますから、よろしくお願いしますよ」


 行蔵はそう言ってせわしなく走り抜けていく。その後ろ姿を見て、風津は手をわなわなと震わせた。


「こ、こんなことがまかり通っていいわけがねえ……!」

「戦国の世ではよくあったことでござるが、うむ、悪しき慣習よ」


 二人はぼやいて、はあと息を吐いたのだった。




    *     *     *




 場所は台場町でも海側、壁に沿った場所であった。

 このあたりにあるものと言えば東印度会社の商館に倉庫、そして和蘭オランダ人たちの居住区であった。和洋が交わるこの場所に、舞台が立てられていた。

 そこに集まったのは、最前に東印度会社の社員たち、その後ろに台場町に住む見物客たちであった。

 人形劇の形式の舞台であったと聞いていたが、人々の目線の先には二人の人物がいるようにしか見えなかった。

 片や山伏の姿で、紫の衣に身を包んだ人物、源頼光。

 片や赤髪を冠し、ぼろ布で体を隠した人物、酒呑童子。

 両者が対面している場面から舞台は始まった。

 横から本を持って現れたのはこの舞台を取り仕切る者、行蔵であった。


「皆々様、ようこそお集まりいただきました。この度は日ノ本に伝わります伝承のひとつ、鬼を討つ者の物語を演じさせていただきます」


 鬼に馴染みのある者など、江戸にはそういない。

 和蘭東印度会社の者たちの一部には、海上の怪異を相手取った者は何人かいよう。しかしそれを鬼と同一視できる者はなかなかいまい。

 

「上手におりますは源頼光でございます。のちの徳川へ繋がる血を持ちながら、京を守護せし防人であり、土蜘蛛、牛頭天王など数多の怪異を調伏せしめた勇者でございます。そんな綺羅星がごとく輝く伝説において、とりわけ輝いておりますは京より西にありし山、大江山へと赴き、鬼の大将を征伐せしめた偉業でございましょう」


 行蔵の言葉に従い、観客は舞台の上手にいる頼光に注目していた。

 本来であれば、それは省略される過程であった。大江山の物語はよく知られている。いまさら頼光が何者かであるかなど、みな知っているのである。

 しかしいま相手しているのは和蘭者である。彼らが知るのはせいぜいが戦国の世の者たちであろう。もしくはいまの将軍の名さえも怪しいものである。ともあれ、これは必要な前置きであった。


「さて、いつの頃からか大江山には酒呑童子なる鬼がおりました。かの鬼は、貴族の女を攫っては周りに侍らせ、飽きれば生きたまま食うなどの悪行を尽くしておりました。これを誅するべく時の帝は、この源頼光に命じたのです。そうして大江山へと征伐に向かうことと相成りました」


 酒呑童子の紹介が挟まる。下手にいる酒呑童子は微動だにしない。じっと前を見据えるのみである。

 その不気味さは、彼の存在を鬼であると見るに迫真さを持たせていた。


「さて、大江山へ向かうにあたりまして、頼光は神頼みをするのでした。彼と彼の部下たる四天王はそれぞれ八幡大菩薩、住吉明神、熊野権現へと参拝を済ませました。願いが届いたのか、道中で不思議な三人の老人と出会います。彼らは一行に、さる酒を授けるのでした。神便鬼毒酒と呼ばれるものでありました。人が飲めば神にも通じる力を手にし、鬼が飲めばたちまち身を蝕む毒になるという酒であります」


 そしてその酒が注がれたさかずきは、頼光と酒呑童子の双方の手に握られていた。

 舞台上の光景だけを見るならば、二人が敵対しているようには見えない。友好的なわけでもなく、しかしこれから盃を交わそうとする両者は、いまも戦いを続けている人と鬼であることは微塵も伺えなかった。


「山伏に扮した頼光は、酒呑童子と会席を設けることに成功し、いまこのようにして、酒を酌み交わすのでした」


 行蔵の言葉が終わると同時に、頼光が動いた。盃を高く掲げると、喜びの言葉を述べる。


「本日は城へお招きいただき、大江山の御大将には感謝の念もつきませぬ。印として、酒を振る舞いたい。この酒は神々に捧げられし酒である。酒を名に冠せし酒呑童子は、さぞかし酒が好きであろう。如何か」


 応えるのは酒呑童子。彼はじっと頼光を見ると、同じように盃を掲げる。


「応とも。我、この山に居を構え、浴びるほど酒を飲んできた。極上の酒を初めて飲むときの思いはと言えば、処女の血を飲むのと同じ心地よ」


 そのように笑顔で言った酒呑童子に、観衆の多くはどよめいた。

 しかし舞台の上の二人は止まらない。酒呑童子は、しかし、と続ける。


「よもやお前たち、この儂を謀ろうとしているのではあるまいな? 女たちに聞けば、この酒呑童子を討たんと息巻く者どももいると言う。山伏とやらも怪しいところよ。真に山伏とあらば、儂の悪行を知りながらこうして酒を呑もうなどと申すものか」

「この身の潔白を証明するためには如何すればよいか」

「これはどうだ。儂はお前に一つ問おう。それにお前が答える。次にお前は儂に一つ問う。それに儂が答える。一つの問いに答えるたびに、答えた側がこの極上の酒を一杯呷るのだ。酒にも限りがあろう、より多く飲むためであれば何でも答えようぞ」

「おお、それは名案だ。では、私から参ろうか」

「待て待て。酒は好むかというお前の問いに儂は答えた。であるから、まずは儂がこの酒を頂くとしよう」


 そう言って酒呑童子は盃を傾けた。口から離すと唸る。


「ううむ、美味い! 山伏が持つには、いささかもったいないのう」

「では、問いを」

「そう急くでない。そうだな、まずはお前たちは何故、行などをする」

「これは異なことを。我らが目的など言うまでもなく、神変菩薩の教えに習い、苦しい修行を経て、無相三密、十界一如の妙理を得て、即身成仏を欲するものよ」

「よくぞ言った、そら、飲むが良い」


 源頼光は盃を傾けた。その飲みっぷりに、酒呑童子も感嘆する。


「では問おう。酒呑童子、汝はどこの生まれか」

「伊吹山の生まれよ。父は蛇、母は姫であった。しかし父の顔も知らぬし、母のことも覚えてはおらぬ。これでよいか、では一杯」


 酒呑童子が盃を傾けた。彼はまたもや心地好さそうに唸る。


「儂の問いだ。その手にあるものは何だ?」

「私が握るのは錫杖よ。地に打ち振るい、神仏を覚まし加護を受け、六道輪廻より目を覚まし、罪を払う物である。鈴は百八の音を鳴らし、我が胸の内にある煩悩を転じ菩提とせん」


 源頼光が盃を傾けた。明瞭な答えに、酒呑童子は頷いた。


「では問おう。汝はどのように育ったか」

「十の齢より比叡山に預けられた。かつては最澄の弟子のうち一番の知恵者と呼ばれたが、酒好きが祟り追い出されたのだ。それからは再び伊吹山へと帰ることと相成った」


 酒呑童子が盃を傾けた。未だ酒に酔った様子は見せない。


「儂の問いだ。その頭に戴いているものは何だ」

「星兜と申し、十二の因縁をひだとして備え、黒色が示すは無明のこと。自らの戒めとし、煩悩を打ち据えるものなり」


 源頼光が盃を傾けた。頼光の酒豪ぶりも劣ってはいなかった。


「では問おう。如何にして鬼に成ったか」

「比叡山で身につけた技の中には、使いようでは外法に類するものもあり、それを用いた。母に捨てられた念もあり、悪行の限りを尽くした折に、鬼の面に支配されたのだ」


 酒呑童子が盃を傾けた。さて、酒も残り半分ほどである。頼光はわずかに焦った。


「儂の問いだ。太刀を佩かせているのは何故か」

「これなる剣は不動明王が持ちし降魔の剣が顕れなれば、仏法に害なす者を斬り払いたり」


 源頼光が盃を傾ける。酔いもそこそこに回ってきていた。


「では問おう。大江山には如何にして来たか」

「儂と同じような鬼たちを集わせ、住まわせるためよ。比叡山、高野山にはそれぞれ最澄と空海が座し、伊吹山は我が父の領土。ゆえに我らはここに来た」


 酒呑童子が盃を傾けた。顔の色はすでに髪色と同じ赤に染まりつつあるように見えた。


「儂の問いだ。先に十二の因縁と申したが、その因縁とは」

「それは……」

「それは……」

「それは……」

「答えられんのか、であればお前は真の山伏ではないな?」

「いや、待たれよ。十二の因縁とはすなわち無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死である。これらを分けて説き、苦とは如何なるやと示した理なり」


 源頼光は盃を傾けた。そろそろ飲むのも難しくなってきた頃である。


「では問おう。汝はこの大江山で何をする」

「知れたことよ。我らが鬼の国を造らん。この世に我らの住み処はなく、あの世をここに呼び出し、鬼がその終生を全うできる国を興さんとしているのだ」


 酒呑童子は盃を傾けた。そして彼は笑う。それは大きな笑い声であった。

 彼の存在感が増しているのを誰もが感じていた。姿は変わっていないにも関わらず、舞台の上のほとんどを彼が占めているのではないか、と思うほどであった。

 源頼光の姿がわずかに動いた。しかし彼は、姿勢を正せば、目を閉じている。


「まるで儂が弱き人のようではないか。そして山伏を名乗るお前の方が強き鬼のようだ。そうは思わぬか?」

「いいや、それは違うだろう。鬼とは人として在ることのできなかった弱き者の呼び名よ。我ら人はいつでも鬼になれる。ゆえに様々な戒めによって我が心を人に縛るのだ。して、それは汝の問いとみなすぞ」


 そうして源頼光が盃を傾けようとした。

 同時に酒呑童子が盃を投げ捨て、源頼光へと飛びかかる。

 座った姿勢から、源頼光は刀を抜き放ち、酒呑童子を斬った。その一閃はまさに神業、空に至りし一刀であった。目にも見えぬ一振りはすぐさま鞘へと収まる。

 銀の光は酒呑童子の首を落としたのだった。

 二人は抱き合うような姿勢をとる。首のなくなった酒呑童子は源頼光の腹に寄りかかるようにしていた。対する源頼光は立ち上がり、刀を収めた姿勢で動かないでいる。遠目からそれは、人の文字をかたどっているかのようであった。


「このようにして、大江山の酒呑童子は討たれました。京にしばしの平穏が訪れたのは、彼の活躍があってこそ。しかし鬼は姿を消さず、今も世に蔓延るばかり。源頼光亡き世において、我らは勇者足り得るだろうか。これより今日こんにちまで六百以上もの年月がかかり、その中でも鬼との戦いはいくつもございましたが、語ってしまえば人の一生をかけても終わりはしません。しからば、幕引きましてまずはこれきり」


 行蔵の言葉によって、芝居は締めくくられる。観衆達は拍手によって、その芝居の終幕を褒め称えたのだった。

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