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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第参話:大江山エクスマキナ
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大江山エクスマキナ(上)

 晴れの日である。空には雲ひとつなく、しかし海風は強かった。

 台場町は大きな壁に囲まれているためか、開けた港の方からの風が異様に強い。町の作りは工夫されて風が強くならないようにしているが、あまりにすぎると風通しが悪くなり空気も倦むという致命的な欠陥を抱えていた。

 得てして、商店が集まる大通りが一番過ごしやすいものであった。台場で一番という団子屋にやってきた風津は、ぼんやりとそんなことを考えていたのだった。

 三本目を食べ終わる。特別美味いわけではないが、台場では上等なものであった。入ってくる食料に限りがあり、それも上等なものの多くは大きな商家や東印度会社などが買っているから、貧しい自分はこれがせいぜいなのだと思うことにしている。

 お茶をすすって、はあと一息ついた。そして店員を呼び止める。


「ああ、すまん、あと二本追加で」

「戯け! こんなところで油を売るどころか団子を買ってるとはどういう了見でござるか!」


 注文を受けた店員は風津を睨みつけた。そのおかしなござる口調の持ち主は、他ならぬ珊であった。

 いつもの忍装束ではなく、着物姿に前掛けを身につけた姿は確かに店員ではあった。さらに言えば、髪型を二つ結びにしており、いつもより少女度(風津統計)が三倍になっていた。


「げげっ、おめえ、ここで働いてたのかよ」

「いかにも。収入のないどこかの風津を支えるためにこうして身を粉にして働いているでござる」

「どこかのって思い切り言ってるじゃねえか!」


 二人は何を隠そう、紆余曲折を経て共に暮らす間柄になった。だが、風津の遊びによる借金のために、稼いだ金は端から返済にあてられ、今日一日を過ごすのも厳しくなっていたのだった。

 それぞれがきちんと働いていこうと、半ば強制的に珊に決められた風津であったが、いまこうして団子屋でくつろいでいることは明らかにおかしいのである。珊が怒るのも無理はあるまい。


「仕事はどうしたでござるか。今日は珍しく働きに出たではないか」

「それがなあ、聞いてくれ」


 風津はそう言いながら、お茶をすすって口を滑らかにした。


「幽霊に取り憑かれたとかいう婆あのところに行ったは良いんだが、どっからどう見てもぎっくり腰なわけよ。鍋を運んでたら急に痛くなったとか言ってたからまず間違いねえ。だけどその婆あ、腰に悪霊がついてるんじゃあの一点張りでな。何遍説明したって聞きやしねえ」

「むう、それは災難でござったな……して、それからどうしたでござるか?」

「腰に一突き、指を入れてやったら動かなくなったもんで、あとは医者に任せた」

「それはお主が悪いでござるからな!?」


 やいのやいのと言い合っていると、珊の頭が盆で叩かれる。その持ち主を見ればこの店の看板娘であった。最近、風津がようやく聞き出したところによると名前は福というらしい。

 福は少し怒った様子で、珊に言う。


「いまはお仕事中よ。お客さんとお話するのは良いけど、大きな声をあげたりしないの。他のお客さんの迷惑になるでしょ」

「ううっ、すまぬ」

「ほら、仕事に戻りなさい。風津さんの相手は私がするわ」


 そう言って福は注文通り二つの団子を持って、風津の隣に座った。風津としてはむしろ嬉しいのだが、そんなことは顔に出してしまえば台無しであることはよく知っている。


「珊ちゃんのおかげで助かってるのよ」

「そうは見えなかったがなあ」

「風津さんの前でだけよ。仕事もよくできるし、他のお客さんの評判もいいんだから。もう私も看板娘なんて言えないわね」


 そんな風に苦笑いをする福を見てふうんと唸った。悪い気分でもなかった。

 それよりも風津には気になることがあった。


「看板娘が看板を下ろすなんておかしな話だな。なんだ、結婚でもすんのか」

「いろいろお話は来てるみたいだけど……言ってなかったかしら、私、一人娘なのよ」


 それじゃあ何も言えん、と風津は諦める。いっそのこと口説いてしまおうかとも思ったが、珊の耳に入ればあとが怖い。ここは黙っておくのが吉だろう。


「そんなことより、私は風津さんと珊ちゃんがどうやって出会ったかの方が知りたいわ。あんな良い子、そうそういないもの」

「そうかねえ、あんな口うるさいやつ。もうちっと俺の好きにさせろっての。それに、俺とあいつはそういう関係なんかじゃねえ」

「まだ何も言ってないけど、思うところがあるの?」


 じろり、と風津は福の様子を見る。怒鳴りたくなったが、楽しそうな彼女を見るとどうでもよくなってくる。団子を口に入れた。やはり、特別に美味しいわけではない。


「風津殿は拙者の主人でござる」


 ひょっこり、と珊が顔を出す。福の言う通り仕事はよくできるようだった。なんて言っても公儀隠密の身である。この程度の仕事、造作もないのだろう。


「あら、結婚してたの?」

「そうじゃねえ! いや、主人というのは合ってるようで間違っているというかだな」

「拙者を所有する者、という意味でござる」


 福は二人分の席を空けた。気まずそうに目を逸らしている。明らかに勘違いされていた。


「待ってくれ。これには深い訳があってだな」

「そう、珊ちゃん、大変なのね」

「拙者の必死の献身にも満足いただけず、この通り日の食い扶持を稼ぐしか拙者はお役に立てず……」

「珊ちゃん!」


 がしっ、と抱き合う福と珊。決してそうした趣味はないが、見目麗しい女性が抱き合っているのは壮観であった。眼福、と言うべきだろうか。尤も、三文芝居に付き合うつもりなど毛頭ない。

 それをぼうっと眺めてると、大慌てでやってきた青年が前に現れた。

 よほど腹が減っているにしてもこうは焦るまい。風津はその男を見上げると、彼は息切れをしながらも満面の笑みを浮かべていた。


「み、見つけた、見つけたぞ!」

「なんだ、仕事の話か?」

「そうとも! ああ、僕はなんて運がいいんだ!」


 そんな風に大仰に言う姿はあまりにも目立つ。どうどう、と収めようとするよりも前に、その人物は風津の手をとって言った。


「探してたよ……赤い髪の鬼殺し、風津さんとお見受けします! ぜひ僕の芝居に出て欲しいんです!」

「は、はあ!?」


 なにを言っているかさっぱりわからんと、声をあげる風津であった。





      *       *       *




 団子屋の軒先で、青年は水をぐっと飲んだ。台場町は埋立地であるから水はとても貴重なのだが、お構いなしである。

 仕事の話ということもあり、珊も店主より許しを得て風津の隣にいた。すっかり相棒気取りの彼女であったが、風津は特になにも言わずそのままにしていた。

 この青年の名は行蔵ゆきぞうと言うらしく、その職は芝居舞台だと言った。


「それで、てめえの芝居に俺が出ろってのか」

「その通りです! 東印度会社の方々に日ノ本の伝承を舞台で見せよと申されまして、その準備に手間取っており……どうかお助けください!」

「断る」

「な、なんでですか!」


 風津が素っ気なく答えると、行蔵は悲鳴にも似た叫びをあげる。


「だってなあ、俺は万屋じゃねえんだぞ。なんでそんな仕事をせにゃならんのだ」

「風津殿、拙者たちは仕事を選べる身ではないでござるよ」


 横から珊がそう口を出す。すると行蔵は顔を明るくしてこくこくと頷く。

 珊の言うことは風津にとって痛いところでもあった。なにせ懐事情はとても寒い。日々を生活するのがやっとである。食うに困る状況ではないが、いつ食えなくなるかはわからなかった。

 少しずつ暖かくなってきているとはいえ、また冬がくるまでに布団を買う貯金すらできていない。

 そしていま、財布はしっかり珊に握られている。さすがは忍者、手が早い。

 背に腹は変えられないか、と思わないでもないが、やはり躊躇いはあった。

 それに、薪割りであったり店番であったならばともかく、芝居の仕事であれば話は別である。それは修練を必要とする仕事だ。


「俺らはずぶの素人だぜ。舞台の上に立ったって上手く振る舞うことなんてできやしねえよ」

「ご安心を、拙者はできるでござる。よければ教授するでござるが」

「そりゃあおめえが……おっと」


 危うく珊の身分を白昼堂々と明かしてしまうところであった。口をつぐみ、行蔵を見る。ぼけっとしている彼であったが、その目は爛々と輝いていた。


「いやいや、まったく問題ないです! 台詞も覚えてもらわなくて結構なので。風津さんの動きに合わせて僕が横から声を吹き込みます。元はと言えば、人形でやろうと思っていたのですが、人が揃わなくて……」

「人形芝居ってわけか。なるほどなあ」


 傀儡師が操る人形に芝居をさせ、浄瑠璃と三味線を組み合わせて見世物とする人形芝居というものがあった。秀吉の時代から、わずかであったが見られる芝居であった。

 それならできなくもないか、と風津は思った。頭で覚えるのは苦手だったが、身体で覚えることはそれなりに自信があった。


「んで、演目はなんなんだ」

「すでに台本も出来上がっていますし、お二人もご存知かと思います。『大江山』です」


 ぴくり、と風津は反応せざるを得ない。大江山は昔から曰く付きの場所であったが、その名で出てくるのは一つしかない。

 酒呑童子、と呼ばれる鬼がいた。多くの鬼を率いて大江山を拠点にした、百鬼夜行の首魁であった存在だ。おそらく、日ノ本にいる鬼の中では最も有名だろう。酒呑童子はその部下たちを率いて平安の都を襲い、女を次々と攫っては囲い、あるいは食った。

 その被害は甚大であり、朝廷は今に続く徳川家の祖の一人とも言える存在、源頼光に酒呑童子の討伐を命ずる。彼は四天王と呼ばれる配下の勇将たちを率いて、大江山に向かった。神々だか菩薩だかに様々な知恵と武具を託された彼らは、酒呑童子に酒を飲ませ眠らせた隙にその首を切ったのだという。

 だまし討ちと言うことなかれ、これは太古の昔に素戔嗚尊スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチを討伐せしめたときの再現である。話によれば酒呑童子は八岐大蛇の血を継いでいるという。

 その時代に生きたわけではないから、本当のところはわからない。しかし風津にはとても馴染みのある話であった。


「本当のところは『石川五右衛門』にしようと思ったんですが、日ノ本の伝承というわけではないですからね。幕府は喜ぶかもしれませんけれども、東印度会社の方々には受け入れてもらえないでしょう」

「それは大英断でござる! うむ、本人も草葉の陰から喜んでいることであろう! 自分の恥を晒されたくはないでござるからな!」


 行蔵の言葉に大きな笑い声をあげる珊の様子は、少しやけくそだった。どうやら彼女にとって、恥じるべき記憶らしい。

 ともあれ、演目が決まっているならばあとは配役の相談である。


「するってえと、俺は酒呑童子の役ってところか」

「鬼殺しの風津であるならば、むしろ頼光でござろう」

「……ほら、俺は髪が赤いじゃねえか。酒呑童子は朱に天と書くことだってある。それに、こんなナリでかの有名な源頼光公を名乗ってみろ、頭叩かれても文句は言えねえよ」


 不満そうな顔を風津も珊も浮かべていた。それに割って入るのは、芝居の長を務める行蔵であった。


「風津さんには源頼光をやってもらいたいと思います」


 そう言われてしまえば、もはや何も言えない。風津は小さな仕返しとばかりに、行蔵の団子を一本奪って頬張った。彼は少し困った顔をしたが、なにも言ってこなかった。


「まあ、仕事はわかったぜ。ひとまず引き受けるとしよう。んで、その芝居とやらはいつやるんだ?」

「明後日になります!」


 ぶっ、と思わず団子を吹き出しそうになったのを必死に堪える。飲み込もうとした結果、喉に詰まらせてしまった。珊がすかさずにお茶を出してくれたので、それをぐいっと飲み込む。


「ばっ、おめえ、全然準備できねえじゃねえか!」

「だから困っていたのです! この時期になって、集めたみなさんが急にいなくなってしまいまして……もう頼れる人もいないとなったときに、たまたま風津さんの話を聞いたのです! 曰く、鬼の専門家であるとか。他にもう何もなく、藁にも縋る思いでこうしてきております。報酬もきちっと支払いますので! よろしくお願いします!」

「鬼の専門家ったってよ……真に迫ったもんはあるが、真に迫りすぎてるような気がするぜ……」


 風津はため息をついた。しかし、光陰矢の如しとも言うし、こうしてもたもたしている時間はないのである。

 しかしよもや、自分が酒呑童子を討つ役になろうとは、夢にも思わなかった、と風津は心の中でつぶやいたのであった。

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