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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第弐話:綿津見ストラテジー
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綿津見ストラテジー(上)

 ひい、ふう、みいと数える声はわずかに七つで終わった。それが命の数である、と知る者はその場にいる二人のみである。

 片や家の主、風津であった。赤い髪はとても目立ち、髷を結わぬ出で立ちはかぶき者の誹りを免れない。赤鬼などと揶揄する者は呼ぶが、その実は鬼を狩る者であった。

 一方の、数えている方は誰もが見向く美少女である。幼いようにも見えるがその実、江戸幕府の公儀隠密であり、義賊として名を轟かせる石川五右衛門その人であった。いいや、厳密には人ではなく絡繰である。鬼道によって駆動する機体であった。いまは名を珊としている。

 二人の関係は主従が一番しっくりくるのだろうか。風津が珊より引き受けた仕事の報酬として、金銭の工面ができなかったために珊自身がやってきたというわけだった。

 それが昨日のことである、今日になり、これからのことを話す必要があるとしたのは珊だ。

 そして二人が視線を落とす先には銭が七つ。これが風津が持つ全財産であり、共に生活をしている二人の共有財産であった。


「……風津殿、この財産でおぬしは幾ばくの夜を過ごそうと思っていたか、お聞かせ願うでござるよ」


 語尾にござるとつく口調は、このときばかりは馬鹿にできなかった。風津は顔を逸らして、なにも言わない。


「まさか手持ちの財産をほとんどすべて女郎屋に使ってたのでござるか!?」

「うるせえ! おめえが報酬を払ってくれてればその分は取り戻せたんだ!」

「そ、そんな……拙者の身体では不満が……?」

「誤解を招く発言はやめろ。おめえの貧相な身体で満足する俺だと思うな」

「なにおう! これでもくノ一の端くれ、色の何たるかは心得ているでござる!」

「ほう、じゃあ見せてもらおうか」


 売り言葉に買い言葉、珊は立ち上がって風津を見下ろす。そして腰に手をあげると、ぎこちなく笑って言った。


「う、うふん」


 冷たい風が長屋の一室に吹いた。戸は全て閉じているはずだ。おかしいな、と思いながらも風津は再び床に置かれた七つの銭を見つめる。


「勘定の話に戻ろう」

「待つでござる! まだ終わってないでござる……うぅ」


 そう言って珊は再び座り込んだ。先ほどよりもいくらか落ち込んだ様子だ。そうしてしおらしくしていれば、文句の付けどころのない美貌なのだが、いかんせん性格と口調が残念だった。

 言い合いをしていても始まらない。これから自分たちは、どうやって金銭をやりくりをするか考えなければならないのだから。

 さりとて、風津にできることには限りがある。魑魅魍魎を斬ることができるとは言え、風津にはそれしかできることがなかった。鬼もめっきり減ってしまったし、様々な事情で人を斬ることができない。さりとて何か技術を持っているわけでもない。日雇いの小遣い稼ぎしかすることはなかった。

 一方の珊も似たようなものであった。公儀隠密の仕事もしばらく暇を出されている。彼女の活躍については誰も文句をつけようがなかったが、絡繰である彼女の修繕にかかった費用は、幕府であっても頭を抱えるものであったのかもしれない。


「こういうときに、運良く仕事でも転がってきたらなあ」

「そんな都合よくはいかないでござるよ。しかし拙者も居候の身、手伝う所存ぞ」

「……いつの間に居つくことになったんだ」

「すでに同じ布団で寝た仲ではないか」

「誤解を招く表現をすんな! 俺は布団を買えるほど裕福じゃねえ!」


 そっちを指摘するのでござるか、と呆れたように珊は言う。布団などとうに質に出しているから、手元にあるのは布団代わりの薄布一枚のみだ。

 二人でため息をついていると、がらりと戸が開いた。


「風津め、うるせえぞ! なにを騒いでやがる!」

「げえっ!?」


 駆け込んできたのは差配の間之助であった。この長屋は表通りにある輸入雑貨店の所有物であったが、間之助が管理を引き受けており、この長屋で暮らす者のまとめ役を務めている。風津とは一年にも満たない付き合いであったが、彼の口うるささはよく理解していた。

 そんな間之助は、肩を怒らせて部屋に入ってくるが、珊を見ると驚いた顔を浮かべた。

 珊と風津の顔を交互に見ると、すっと身を寄せて小さな声で言う。


「おめえさん、いつの間にこんなべっぴんを連れ込んで……見たところ、いいとこのお嬢さんだろ。どうやってだまくらかした。それとも誘拐か」

「ちげえやい、こいつは勝手に俺の家に上がりこんできて、勝手に俺の面倒を見始めただけだ」

「なっ、てめ、押しかけ女房か! ざけんじゃねえ、おい(・・)だってそんな春は来やしなかったぞ!」


 ついに声をひそめるのもやめて間之助は言う。

 すると珊はにっこりと笑って、三つ指をついて頭を下げる。


「お初にお目にかかります。石川珊と申します。我が主人(・・)が大変世話になっております。今後は私もご厄介になりますが、よろしくお願いします」

「へ、へえ、こりゃあ丁寧にどうも。この馬鹿をよろしく頼みやす。では、これにて」


 そう言うやいなや、間之助は飛び出すようにして出て行った。一体なにをしにきたのやらと思うが、それよりも珊に言うべきことがあった。


「おい、主人とはどういうこった」

「今や私の身柄を所有しているのはおぬしでござる、主人には変わりなかろう」

「んなこと言ったって、ありゃあどうにも勘違いされちまってるだろ」

「迷惑でござるか?」


 そう言う彼女は、ここぞとばかりに縮こまった。そんな態度を取られてしまえば、風津とて無言になるしかない。

 どうにも、幼い頃から女の扱いというのは苦手だった。幼馴染などを相手にすると必ず痛い目を見ていた。そして自分が惚れっぽいのも自覚しているから、余計に頭を痛めているのであった。これ以上の追及はお互いのためにならないだろう。

 目下の問題は、二人で食っていく分の金のことである。旅に出てからこのかた、風津はまったく同じ問題に繰り返し直面している。着るのに困り、食うのに困り、寝るのに困った。

 よし、と言って風津は散らばっている小銭をかき集める。


「待つでござる」

「なんでござるか」

「口調を真似ないでほしいでござる! ではなく、この金をどうするつもりか」

「増やしてくるつもりだ」

「博打はいかんでござるよ! あれはイカサマが蔓延る世界でござるからな!?」

「お、俺だって信じてはおらん! だけどもしかしたら当たるかもしれないだろ? それにほら、イカサマ野郎が俺の方に傾くかもしれない。な?」

「決めたでござる、おぬしを真っ当な人に更生させることをこの身の使命とするでござる」


 そう言って、珊は風津が手元にかき集めていた小銭を奪うべく手を伸ばす。躱すようにする風津とのやりとりは揉み合いに発展した。ただの男女であれば可愛らしいものであったが、二人とも武を修めている優れた術者である。子どものようなじゃれあいをしていることが馬鹿馬鹿しく思えるが、その一挙一足の冴えは見事なものであった。使用用途はともかくとして。

 二人が揉み合いから取っ組み合いに発展しそうになったとき、開き放しの戸から再び間之助の声が聞こえてきた。押し倒された風津の上に珊が跨り、胸ぐらをつかむ姿勢のまま入り口を見た。


「おお、まだいたか。あ、こちらでごぜえやす。ほんじゃ、おいはここらへんで……」


 手早く間之助がそう言うと、そそくさと去って行ってしまった。その様子を取っ組み合い直前の態勢のままぽかんと眺めている二人だったが、その後に現れた二人にさらに驚いた。

 三人の男女であった。一人は初老の男。もう一人は屈強な男で、最後の一人は長身の女だった。そしていずれも頭髪は金であり、肌は白である。南蛮人しかありえない。そしてこの台場にいる南蛮人とは、和蘭オランダ印度(インド)会社の者であった。

 南蛮人たちは二人を高い視点から見下ろすと、ふうむと唸る。

 そして女が言った。


「不死殺しの風津という男がいると聞いたのだけれど、それは貴方ね。仕事の依頼で来た。この国は礼節を重んじると聞いたのだけれど、それは商人だけなの?」




     *     *     *




 部屋に上がったのは初老の男と女のみであった。大柄な男は入り口に立って見張り番をしている。

 男の方が何事がを耳打ちしている。風津はこそこそと目の前で話されるのは気にいらない質であるから、その様子を見てわずかな苛立ちを覚えた。女の方は風津を見ると、くすりと笑う。


「ごめんなさい、彼は日ノ本言葉が上手くない。話せはするのだけれど。私は通訳を務めてるシーラ。隣にいるのは東印度会社第十二商艦隊の船長を務めるライン。外にいるのはステファン」

「ふうん、通訳ねえ。ずいぶん上手いもんだ」


 とは言っても、その口調は男のものに近い。おそらく、シーラに日ノ本の言葉を教えた者の口調なのだろう。変に堅苦しいよりかはいい、と風津は思った。


「こういうのは女の方が向いていたりする。他にも言葉は使えるけど、お聞かせした方が?」

「聞いてもわからんからいらんよ。それに、並大抵の努力で身につくことじゃねえんだから、そう簡単に披露するもんじゃねえさ」


 風津は言った。

 そもそも東印度会社と言えば、和蘭の貿易会社のことである。風津を含めて江戸に住む者であれば名を知らぬことはないが、名しか知らないことがほとんどだった。噂に曰く、島原・天草衆が反乱を起こす前より幕府へ提言していた者たちであり、出島で出入りしていた葡萄牙ポルトガルが反乱側につくことも予言していたという。

 いま、日ノ本と南蛮を結ぶ唯一の存在でもあり、南蛮の物品のみならず技術もまた扱っている。朝鮮や清とは一線を画す相手でもあった。

 シーラは微笑んで、風津を見る。


「妻と睦みあってるところを見せられたときはどうかと思ったけど、見所はある」

「誰が誰の妻だってぇ!?」

「シーラ様、お戯れを」


 予想に反して、珊の方が冷静だった。彼女は正座をし、シーラに正面から向かい合う。


「仕事の話とお聞きしてます。ご用件を」

「おい、いくらなんでもツンケンしすぎじゃねえのか」

「……相手は東印度会社でござる。商売とは相手を信用すること。それはすなわち、相手が善意も悪意も持っていることを肯定すること。まるで剣でできた橋を渡るような危うさを、彼らは日ノ本のみならずこの空の下すべてを股にかけてやっているでござるよ。そんな相手に、油断はめされるな」


 風津は目を細めてシーラを見る。武術を身につけているようには見えなかったが、隙のない女だった。もしかするとただの通訳ではないのかもしれない。船長であるラインも、何回も死線をくぐり抜けてきたのだろう威厳があった。三人の中で最も弱いと見ていたのはむしろ大柄の男のステファンだった。

 一理ある、と風津は頷かざるをえない。商売の駆け引きなど知ったことではなかったが、剣に寄らぬ強さというものもあるのだ。


「そちらの彼女は、随分と冴えている。日ノ本でも名のある商家の生まれか」

「お褒めに預かり光栄。身の上話に花を咲かせるのもよいが、まずは仕事の話でござる。拙者は口出しせぬゆえ、あとは風津殿がお相手するでござるよ」


 そう言って珊は一歩引いた。しかし凛とした姿はさすが公儀隠密のくノ一である。いままでもこうして、幕府や大名たちの会談の場に居合わせてきたのだろう。

 くすり、とシーラは笑った。


「大和撫子、というやつか」

「物騒な花もあったもんだ。それで、仕事の話だよ、仕事の。わざわざ()()()()()()が俺のとこにやってきたんだ、何かあんだろ」

「もちろんだ。噂は聞いている。魑魅魍魎デーモンのみを専門とする狩人がいると。頼みというのは、そのことについてだ」


 どうやら噂というのは公儀隠密などの幕府側のみでなく、東印度会社にも伝わっていたようだ。もしかすると幕府が彼らに自分のことを伝えたのかもしれない。


「仕事というのは、ジー・モニック……海坊主の討伐だ。ある海域に頻繁に現れては、船が襲われているのだ」

「海坊主ねえ。そりゃあ構わねえ。金を出してくれるんだったらな。だが、ひとつ聞かせてくれ。あんたらが海坊主の討伐を頼む理由はなんだ」


 海坊主は確かに恐ろしくはある。それは多くの漁師たちにとっては災害のようなものだ。暴風雨と大差はないと言ってもいい。だが、それは魚を獲る必要がある漁師たちだからこその悩みであった。深追いをした結果として痛い目に遭うこともあるだろう。一方で、貿易商である東印度会社などは、その海域を避ければいいことである。


「天草で起こったこと、その顛末は知っているか?」

「あん? 切支丹どもが反乱を起こして、それに葡萄牙ポルトガルの奴らがあっちについて幕府は大敗を喫したという。だが、俺が知ってんのはそれくらいだ」

「聞きたいが、本当に葡萄牙ポルトガルが加わった程度で幕府が負けるとお思いか?」

「そりゃあ……」


 当時、十数万にも及ぶ武士が九州に集結していた。葡萄牙ポルトガルの兵力はわからないが、はるばるやってきた疲労の度合いを考えれば戦力として数えられはしても、幕府軍に勝るとは考えにくい。まして和蘭オランダが幕府側についていたのである。

 残るのは三万七千にも及ぶ農民と、豊臣方の残党数十から数百、そして軍師として森宗意軒、総大将天草四郎時貞。勢いがあったとして、四倍から五倍の兵力を、籠城戦から打ち破るのはあり得ることなのか。


「その疑問にお答えするならば、島原の者たちは鬼を用いたというのが簡潔だ」

「なに……⁉︎」

「アマクサは秘術により三万の信徒たちを生贄に捧げ、鬼を召喚した。それは悪魔かもしれない。天使だとは口が裂けても言えない。だから私たちは鬼と呼んでいる。彼らはそれを巨大な絡繰兵器に載せて、幕府軍へと差し向けたのだ」

「ふうん。生贄か。ちょいと引っかかるが、まあいい。だが、そいつは誰かに討たれたんだろう?」


 でなければ、おそらくは天草衆は京まで迫っていることだろう。いいや、十年もあれば蝦夷地さえも取り込んでいたかもしれない。そうなっていないということは、その鬼とやらはすでに倒されているの違いないのだ。


「二人の剣士が命と引き換えに倒したと聞いている。確か名前は……」

「柳生宗矩、ならびに宮本武蔵」


 後ろから声をかけたのは珊だった。剣を握る者であれば、必ず耳にする名である。隠居していると聞いていたが、よもやすでに亡くなっているとは。

 風津は目を閉じる。少しの沈黙を経て、改めてシーラに向き直った。


「それで、海坊主と天草衆に、どういう関係がある?」

「彼らは鬼を利用している。それも大きな力を持つものを探しているのだ。地上に残る鬼よりも強いものといえば、もはや海上にしかいないだろう」


 それはシーラの思い込みであるが、あえて指摘をする風津ではなかった。しかし道理でもある。天草の反乱軍たちが鬼を利用し兵器として転用しようものならば、海坊主は格好の材料だろう。鬼でなくとも魑魅魍魎の類は大きな力そのものであり、鬼に堕ちることもあるのだ。

 そして珊のような絡繰の原動力は鬼である。鬼核きかくと呼ばれる鬼を原材料にした部品を組み込むことによって動いているのだ。彼女ほど意思がはっきりしているものを生み出すのにどれほどの労力がかかるかはわからないが、ただ戦闘するだけの絡繰であれば、海坊主を用いることで相当な数を揃えられるように思える。

 天草とはすなわち葡萄牙ポルトガルであり、東印度会社は和蘭オランダである。商売を超えた国家の対立か、国家の対立を超えた商売なのかはわからないが、明確な対立があった。


「報酬は?」

「百両を考えている」

「ひゃっ……え、は? まじ? そんなにくれんの?」


 羽振りのいい提案に、風津は即座に頷いた。それだけあれば、一年は余裕で生活ができる。

 いや待てよ、と少しだけ逡巡した。いまの彼らは猫の手も借りたい状態に違いない、と目をつけて、もう一つだけ頼むことにした。


「条件がある」


 風津は笑顔を浮かべる。そして正座をして姿勢を正すと、手を前に出した。目の前に手のひらをつくと、頭を深く下げる。その所作は洗練されていて、彼がいかにこの動作を繰り返し慣れ親しんだかが伺えた。

 人はそれを食うために、あるいは許しを乞うためにする。風津の場合、前者だ。

 その姿勢を人々は土下座と呼んでいた。


「伏してお願い申す。半分でいい、前金としてください」


 ぐう、と腹の虫が鳴った。

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