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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
番外編:逢坂フェルマータ
27/28

逢坂フェルマータ(肆)

 風津と珊、才蔵の三人は台場町を取り囲む壁の上にいた。

 この台場町は天草の反乱での反省とし、異国からやってきた者たちを管理する役割をもっていた。不穏な動きをしようものならば、この壁の上に設置された大量の大砲が放たれるようになっているのだ。

 が、それも異国の者の仕業であれば、である。

 猿飛佐助をどのように扱っているかはわからない。異国の者といえば、そうであろう。しかし彼一人のために、この台場に大砲を撃ち込むことは躊躇われる。

 しかもそこに、珊と霧隠才蔵という絡繰の忍者が二人いるのだから、もはや余人に手出しはできないと悟る。

 鬼と化した猿飛佐助はと言えば、虹橋へと続く扉を何度も叩いていた。決して開くことのない鋼鉄の扉出会ったが、いずれ彼の怪力の前に敗れてしまうだろう。


「楢威流の極意ってのはな」


 その光景を見下ろしながら、風津はつぶやく。珊と才蔵が振り向いた。


「相手より上回るのは、一瞬だけでいいって考え方なんだ」

「一瞬だけでござるか。常に強くなくともよいと?」

「そうだ。そもそも鬼を相手に、それよりも強くあれなんて無理な話だぜ。だから、どんな手段でもいいから、一瞬だけ上回る。その隙を突くのが楢威流だ」


 常に強く在り続ける鬼に対し、それを上回るなど正気ではない。鬼というのは言わば川や滝、あるいは山や海というものなのである。正面切って戦うなどできるはずがないのだ。

 しかし、たった一瞬の勝機があれば。技術や経験、あるいは相性などを考慮して、的確に致命打を叩き込むことができれば。

 武術というのは、基本的にはそうしたものである。技術を磨くのは、自分が勝てると思ったときに、そのための行動ができるようにするためであった。

 楢威流のそれは、あくまで鬼に特化したものである、というだけだ。


「おい、お珊よ、いけるな?」

「そういうことであれば、拙者に任せるでござる。風津殿もしくじるでないぞ」

「おうともよ。才蔵はどうだ」

「妾も余裕じゃ。愛しい姉上と、愛しい男がいるからのう」

「……才蔵、あとで話があるでござる」

「くくく、胸も若さも妾に負けてる姉上には勝ち目などないのじゃ」

「な、なにおう!? たかだか七十年程度の稼働時間で粋がるでない! 姉より優れた妹などいないでござるよ!」

「あー、二人ともいいか? そろそろ行くぞ? ってか、来るぞ?」


 風津が睨み合っている二人に声をかけると、はあい、と間の抜けた声が返ってくる。

 下では奉行たちの悲鳴が聞こえている。もうすぐ門が破られる、という声も。見れば、絡繰の鬼と化した猿飛佐助の苛烈さが増していた。

 まずは才蔵が飛び降りる。続いて珊と風津が下りた。

 すぐに自分たちに気づいた猿飛は、扉から離れることなく才蔵の蹴りを受け止めた。絡繰の右腕と、才蔵の脚に仕込まれた刃ががちりとはまった。

 その隙に猿飛の左右に降り立った風津と珊は、二人ともが同じように印を結んだ。珊の鋼糸を操る動作を風津が真似ているのであった。二人が手繰った鋼糸は猿飛の体を締め付ける。


「とらえたか!」

「いや、まだでござる!」


 四肢を鋼糸に囚われた猿飛は、だが圧倒的な力でその糸を振り払う。そして同様に鋼糸を掴めば石投げの要領で珊を投げた。

 宙に振り回された珊であったが、風津が鋼糸を引っ張るとすぐそばに着地する。


「策の一、放棄! 二で行くのじゃ!」


 才蔵の声がけに、今度飛び出したのは珊と才蔵の絡繰忍者であった。二人の絡繰組手は見事な連携を見せて、猿飛に反撃の隙を与えない。

 全身に仕込まれた刃などの機構が絶え間なく動き、猿飛を攻め立てた。一方の猿飛も、これには唸り声すらもあげることができないでいた。

 風津はそこへ目掛けて駆けていく。刀を抜き、狙い澄ますのは猿飛の右腕である。

 楢威流の剣技を発揮すべく、下段に構える。そして珊と才蔵がわずかに隙間を作り出した。そこへ刀を叩き込む。


「なっ……!」


 猿飛はなんと、肘と膝で刀を挟んで止めた。ありえない反応速度だ。鬼といえど、猿飛佐助という才能を持つのであれば、これほどのものなのか。

 ついで襲い掛かってきた衝撃に、風津は体の中の空気をすべて吐き出す。巨大な右腕が風津の胴を掴み、扉へと叩きつけていたのだ。

 ぎちぎち、と体が締まる音がした。下手すれば骨を持っていかれる。


「門を開くのじゃ!」


 そのかけ声と同時、ゆっくりと背中で門が開いた。それとともに風津は投げつけられる。転がった先は橋であった。

 虹橋。台場から江戸の城下へと続く道である。このまま直進すれば、すぐに将軍の膝下へとたどり着く。

 いま、江戸城下には最低限の見回り衆しかいない。柳生三厳がいるかはわからないが、いまここにいる風津と、珊こと石川五右衛門と霧隠才蔵という絡繰の忍者二人がいるこここそが最後の砦であった。


「へっ、御誂え向きの舞台じゃねえか」


 江戸城を背に立ち上がる。夕暮れに染まった空に、風津を照らす日を遮るものはなにもない。

 珊と才蔵が風津の前に立ち並ぶ。小さな絡繰の少女たちが、とても頼もしく見えた。

 門からは猿飛の姿が見える。いまや異形の鬼となった彼は、肥大化した絡繰の右腕を引きずっている。顔も右半分から角が生えていた。残る半身も、土気色に染まっていた。

 海風が吹いた。壁に囲まれた台場町にはない感触だ。

 ゆっくりと猿飛が歩いてくる。もはや自分たちなど眼中にはないようである。目指すは江戸だ。怨敵、徳川将軍家を討つために彼は動く。

 そういう鬼になってしまった。変わることのできない、鬼に。

 ならばそれを断ち切るのも慈悲だろうか。あるいは友誼というやつか。

 才蔵の想いを酌んで、風津は刀を構えた。

 風が凪ぐ。そのときを見計らって、才蔵が飛び出した。ついで、やはり風津と珊が並ぶ。


「絡繰起動、忍法・霧隠!」


 霧隠才蔵の代名詞とも言える忍術だ。才蔵の体の機構が跳ね板のように開くと、そこから霧が溢れてくる。それは猿飛の視界から三人の姿を隠した。


「絡繰起動、忍法・蜘蛛拍子!」


 次いで、珊の術である。鋼糸を編み込んで強靭にする。蜘蛛の糸というのは、その細さから想定できないほどに頑丈なものである。それを真似て、蜘蛛の巣のように張り巡らした網を鋼糸で生み出す術であった。

 霧の中から猿飛に向かって鋼糸が襲いかかる。それも一本ではない。無数の網がかけられた。正面から、あるいは海中からも忍ばせた鋼糸が猿飛へとかかる。

 がんじがらめになった猿飛であったが、なおも江戸城へと目掛けて迫ろうとする。

 だが、その思考こそが、鬼の弱点でもある。

 霧に中から颯爽と現れたのは風津であった。絡繰ほど頑丈でない風津であったが、鬼の子としての回復力によりすでに傷は治っている。それでもなお、ぼろのようになっている風津の渾身の一撃が迫った。

 すれ違いざまに刀を振り抜く。下段からの一振りだ。

 楢威流・橋姫。渡辺綱が一条戻り橋において、嫉妬の鬼たる橋姫の右腕を斬ったことに由来する技である。

 この技は小さな技であったが、しかしその効果は絶対である。

 猿飛佐助の右腕が飛んだ。肥大化した絡繰の右腕にある鬼核が斬られたことで、本人と接着することができなくなったのだろう。転がった右腕は一瞬だけびくりと動いたが、それきりだった。

 だが、猿飛は止まらない。絡繰の鬼核からの侵食は猿飛の魂を染めていた。

 そこへ霧の中から最後の一人が飛び出してくる。霧隠才蔵は、その右腕から霧を吹かして推進力とし、絶大な速度と威力を誇って猿飛に迫った。


「忍法・霧隠龍星拳!」


 ふざけた名前を叫びながら、才蔵はその拳を猿飛に叩き込む。正確には、その額に生えた角に目掛けてであった。

 ぼきり、と角が折れる。それと同時に、猿飛は背中から倒れた。

 一瞬にして静寂が戻った。風が霧を巻き上げていく。


「……猿飛!」


 才蔵が名を呼んで駆け寄る。風津と珊はその様子を見るしかない。ともに戦場を駆けた稀代の忍び二人の間に、割って入ろうとは思わなかった。

 猿飛の頭を抱えた才蔵は、何度も彼に呼びかける。猿飛はうっすらと目を開けて、才蔵を見た。


「起きたか、猿飛!」

「……お前の声はよく響く。そう叫ばずともいい」

「ふん、戦場で熱くなるのはお前の悪癖じゃ。叫ばなければ聞こえぬなどと言ったのは、どの口か」

「そんなこともあったか」


 力なく笑う猿飛であった。もはや長くはない。もとより、死んだ身を絡繰や鬼の力によって無理やり長生きさせていたのだろう。とっくに来ていたはずの寿命が、このときにようやく迎えることができたのだ。


「初めて負けたな、お前に」

「そうじゃな。だが、それも姉上や風津様の助けあってこそ。やはり、天才じゃったよ、お前は」

「いい顔すんじゃねえか、霧隠。ああ、くそ」


 そう悪態をついた猿飛の口の端から血が流れる。それでもその口元は、やはり笑っているようであった。


「こんないい女の腕の中で死ねるなら構わねえって、思っちまったぜ」

「猿飛……」

「しみったれた言葉はいらねえぜ。それとも本当は俺のことが好きだった、とか歓迎だ」

「お前は本当に阿呆じゃな」

「なに言ってやがる、阿呆ばっかりだったろ、俺たちは」

「そうではない。そうではないのじゃ、猿飛」


 才蔵は猿飛の頭を撫でた。絡繰の無機質な瞳が、潤んでいるようにも見える。


「我らの中に、お前を好かぬ者などいなかったのじゃ」

「……やはり阿呆だな、俺たちは」


 そう言って、猿飛は目を閉じる。その瞼はもう開かないのだとわかりながらも、才蔵は眠る子をあやすようにその頭を撫で続けたのだった。

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