逢坂フェルマータ(参)
何度も何度も刀を振るう。技もへったくれもない、単調で勢い任せの動きだ。
許せなかったのだ。かつての友への物言いに。絡繰でありながら、ずっと亡き者を思い続けた彼女の有様を馬鹿にしたことに。
何も失いたくないと言って、自分の姉を取り戻さんと自分に勝負を挑んだ才蔵のことを、そのように言ってのけた目の前の男を許すことができなかった。
猿飛は冷ややかに風津の刀を捌いていく。そして大振りの一撃をひらりと躱すと、隙だらけの風津の腹へ蹴りを食らわせた。
転がりながらも追撃はさせまいと意地で立ち上がれば、才蔵が目の前に立った。
「風津様! なにをしているのじゃ!」
「そこをどけ、才蔵。俺はあいつに、地面に頭をつけさせててめえに謝らせなきゃ、気が済まねえんだ」
「いまはそれどころじゃなかろうに!」
次いで、猿飛が飛んでくる。巨大な鎌の振り下ろし。風津と才蔵は左右に跳んで避ける。ゆるやかな着地を決めた猿飛は、大きな武器を持っているとは思えぬ軽やかさである。
そして風津に向けて鎌を二振りする。ほとんど同時に振るわれたと思うほどの切り返しである。ほとんど偶然に、風津はその刃を避けた。
後ろから才蔵の短刀がひらめく。それをひらりと躱せば、猿飛は難なく後ろへ飛んで行った。
「噂ほどではないな、風津よ。この程度であれば俺が出張ってくるほどではなかったな」
「ほざけ、いまから逆転してやる」
風津が息を荒くしてそう言った。だが、一人では到底敵わないのはわかりきったことである。才蔵と目配せをすれば、彼女もまた頷いた。
絡繰忍者の戦い方は心得ている。無軌道な動きと、派手な機構による不意打ちが中心なのだ。そこへ風津の技が加われば、届くかもしれない。
まず、才蔵が短刀を投げる。こともなげに、猿飛は鎌で弾いた。
その腕の陰に、風津はいた。楢威流の体術による軽功は忍者にすら匹敵するものである。突如として眼前に現れた風津に、猿飛はわずかに驚きを見せたが、すぐさま脚を振り上げて対処してみせる。
風津は腕を交差して、その脚を受け止める。それと入れ替わるように才蔵が飛び込んだ。全身から蒸気を吹き出し、空中でありながらその身を正確に制御してみせる。
手に持っていたのは鎖鎌であった。まずは寸胴を投げつけると、猿飛の首に巻きつける。そして勢いそのままに、鎌を猿飛の胸に叩き込んだ。
さしもの猿飛佐助であっても、絡繰忍者の技は躱すことができなかったか。風津はそう思い、彼の姿を見る。
「ぐ、がは、あ……!」
「才蔵!」
風津が叫ぶ。猿飛は才蔵の首を掴んでいた。まさか、失敗したのか。そう思うも、鎖は首に巻きついているし、鎌の刃は猿飛の体に突き立っていた。
では、何が起こっているというのか。痛みさえも打ち消すことができる術を使っているのだろうか。そう思って目をこらすと、わずかに視界にずれが生じていることに気づく。
彼の右腕に、何かが居る。
自分の目に映るということは間違いなく、それは鬼だ。右腕の鬼を住まわせているというのか。その疑問の答えは、すぐにわかることになる。
「絡繰は首を絞めたところで意味はないだろうが、このまま潰せば死に絶えることだってある」
右腕の皮が剥がれ落ちた。その内側にあったのは義手である。鉄と木で組み上げられた不可思議な腕は、絡繰であった。
ありえない。絡繰は、いいや、絡繰の動力となる鬼核は人の身体とは適合しないはずだ。それはひとつの肉体に複数の魂を持つことになる。強い方が弱い方を食いつぶしてしまうのが道理だ。人の魂は有無でしかない。鍛えることができない。たとえ内にあるものを見せることができたとしても、魂は全員同じだけしか持っていないのだ。
そして、鬼とは強大な魂である。悪しき魂である。人一人の魂など、容易く食いつぶすことができる。
「猿飛、てめえ、鬼になったか……!」
「大坂で右腕を落とした。一度は死にかけた身を永く生かすためにはやむをえん」
そう言って、猿飛は才蔵へと向き直る。その顔はひどく歪んでいた。人の表情ではない。鬼の形相というやつだ。
「さあ、死ね、霧隠才蔵! 命令に背けぬ己の身を呪いながら!」
「ざっけんじゃねえ、やらせねえぞ!」
そう言って、風津は駆け出す。才蔵を失っては、珊にどう顔を向ければいいのか。いや、一個人としても、才蔵を失いたくない。明るく情も深い彼女が、かつての同朋によって殺されていいはずがない。
だが手立てなどなかった。自分の剣では猿飛佐助には届かない。鬼を恐れぬ風津であったが、猿飛の忍術は恐れるに足るものであった。
刀を大上段に構える。目にも留まらぬ速さで振るうも、猿飛はそれを簡単に避けた。
次には、風津は頭を地面に叩きつけた。足をかけられて転ばされたのだと気づいたときには、頭が踏みつけられていた。
「くそ、猿飛てめえ……!」
「人が相手であればこの程度か、鬼殺しの風津よ」
「ほざけ! てめえは鬼だ! 才蔵を馬鹿にした、てめえは鬼だ! だったら俺が斬らねえ道理はねえんだよ!」
その言葉は自分自身に向けたものであった。なぜ立ち上がらない、なぜ立ち上がれないのだと自分に言い聞かせているのだ。
顔をあげる。猿飛佐助と目があった。彼の目にはもはや、なにも映っていない。
かつて真田十勇士と名乗り、忍術の天才であると言われた猿飛佐助はもう死んだのだ。彼の志はもはや鬼に支配されている。
そう思いながら、風津は猿飛を睨みつける。このままでは才蔵が危うい。そして、自分も危うい。
どうすればいい。あと一手、足りない。そんな都合よく、自分を助けてくれる者など……。
「……あれは、なんだ」
ぼそり、と風津はつぶやいた。空から飛来する何かが見えたのだ。
* * *
空にきらりと光るものがあった。それは巨大な杭のようにも見える。
いいや、それは御柱だった。紙垂が巻かれており、さも神聖なものであるように見せているが、風津の目から見れば、空から降り注ぐ脅威でしかない。
御柱の皮が剥がれていく。部品ごとになってばらばらと散っているのだ。そして、その中から現れたのは、翼を生やした少女である。
銃声が二回響いた。少女は火縄銃を二挺抜き、早撃ちをしてみせたのだ。
一発は猿飛の右腕に、もう一発は頭を目掛けて飛んでいく。音と同じ速さで飛ぶ鉛玉は必殺の威力を持つ。
死角からの攻撃に、しかし音で気づいた猿飛は超人的な反応を見せた。才蔵を手放せば、鎌を両手で構える。一発を避けて、もう一発を鎌で防いだ。
ありえない動きではあったが、おかげ風津は猿飛の下から抜け出せる。立ち上がり才蔵を奪い取れば、大きく退いた。
「忍法・天狗の踵!」
その瞬間に、今度は少女自身が突っ込んでくる。翼を折りたたんで、まるで自分自身が弾であるかと言わんばかりの姿となって、猿飛目掛けて落ちていく。
猿飛はそれをまた、大きく飛びのいて避けた。
土埃をあげて少女は着地した。そして顔をあげると、風津と才蔵を見て言った。
「待たせたでござるな!」
「おせえんだよ、お珊! 」
そこにいたのは珊であった。晴れ晴れとした表情であったが、すぐに顔を引き締める。
翼を折りたたみ、両手に持っていた火縄銃をしまえば、腕を大きく振るった。
「詫びの鉛石でござる。ありがたく受け取るとよい」
「貴様……何者だ」
「我が名は珊。かつては石川五右衛門と名乗っていた者でござる。さて、見覚えのある顔でござるな。猿飛佐助といったか、若輩」
「霧隠の兄弟子、いや、姉弟子か」
「語る言葉はござらん。拙者の愛する者たちが世話になったようでござるからな。疾く去ね」
そう言って珊は印を結んだ。いや、それは印を結ぶと見せかけた鋼糸の操る動作である。地面に幾筋もの跡を刻んで猿飛佐助に迫った。
巨大な鎌を使って捌いてきた猿飛であったが、鋼糸のように広い範囲の及ぶ技に対しては有効な手立てはないらしく、大人しく退く。
形勢逆転しただろう。しかし相手は鬼の力を手にいれた猿飛である。油断してはならない。
才蔵とともに珊の隣に並んだ風津は、再び構える。だが、猿飛の様子がおかしかった。彼はしきりに右手を開閉している。まるで調子を確かめているように。
「なっ、おい、猿飛佐助、そいつは!」
「黙れ……黙れ黙れ、俺の腕のくせに、貴様!」
もはや声は届いていない。猿飛の腕は暴走していた。徐々に猿飛の体を侵食していく。まずは腕から無数の突起が生えた。それは尖った岩のようでもある。額からも硬質な角が生えた。
姿までもが鬼になる。その瞬間であった。
そして異形となり果てた猿飛は、向きを変えてすぐに走り始める。すでに人としての理性など残ってないだろう。
向かう先は、台場町から陸へとあがる唯一の道である虹橋だ。その先には江戸城がある。彼の狙いはそこだと、すぐにわかった。
「猿飛!」
「待つでござる、才蔵」
駆け出しそうになった才蔵を、珊が引き止める。彼女も、姉の言うことにはよく聞くようで、すぐにその足を制止する。
「なんじゃ、姉上。妾はあやつを止めねばならぬ。真田十勇士として、かつての同胞の不始末は自分でつけるのじゃ」
「闇雲に立ち向かって勝てる相手でもござらぬ。ここはひとつ、作戦を立てるべきでござろう」
珊が言った。尤もだ、と頷いたのは風津だった。
「あいつに落とし前をつけさせなきゃならねえのは同意だけどよ。これはおめえだけのことじゃねえ。俺だって命が狙われた……そして他ならぬ才蔵にとっての一大事だ。なら、他人事なんかじゃねえ」
風津が言えば、才蔵も肩を落ち着かせる。そうじゃな、と言って二人の顔を見比べた。
「妾がかっかとしても、仕方ないことじゃったな。すまなんだ。それにしても」
才蔵は風津の目を見る。落ち着いた、慈愛の目である。
珊もそうであるが、才蔵もまたときおり、母のような目で風津を見ることがある。それが風津にはたまらなくむずがゆいのだ。
「風津様、さっきはその……嬉しかったのじゃ。妾のことを大切に思ってくれてると伝わってくる。ふふっ、幸村様を思い出す。風津様は本当に似ておるのう。我ら絡繰に対する在り方、というものがな」
その言葉に、風津は相反する二つの思いを抱く。
風津は鬼と触れ、鬼を殺め、そして鬼と生きる者である。そんな自分は人とは物の見方が異なっている。それは絡繰に対してより顕著に出てしまうだろう。もしかすると、いいや、もしかせずとも、猿飛のように絡繰をただの物として扱うのが普通なのかもしれない。過去において、自分と同じように絡繰のことを考えていた人がいたことと、そうした人物が才蔵の側にいてくれたことに安心した。
しかし一方で、風津は小さな思いを抱いた。不安にも似たものである。危惧とも言えるかもしれない。
風津は才蔵の肩をつかむ。彼女は風津を見ると、弱々しく笑う。
「あのな、才蔵。幸村はもういねえんだ」
「な、なんじゃ急に」
「俺は真田幸村じゃねえんだ。まあ、どう見たってそんな器はねえ。だけど、てめえの前にいるのは俺だろうが。いまは俺を見ておけよ」
それは強がりなのかもしれない、と思った。
死してなお、これほどまでに慕われる真田幸村に対して。あるいは、未だに彼のことを想う霧隠才蔵に対して。
言われた当の本人はと言うと、一瞬だけキョトンとして、頬を赤らめる。そして目を輝かせて顔を明るくした。
「す、す、す……」
「す?」
「好き〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
そう叫ぶ。風津と珊が揃ってずっこけそうになったのは仕方ないことだ。
才蔵は風津の前に正座し、三つ指をついて頭を伏せる。不思議と、珊が初めて自分の元にやってきたときと光景が重なった。
「この霧隠才蔵、風津という男のことを見誤っておりました。これほどの男を前にして、他の者の話をするなどもっての他じゃ。この通りお詫びもうす」
「いや、なにもそこまで」
「そして改めて申し上げる。妾はお前様が好きじゃ。愛おしく思ったのじゃ。かっこよく、可愛く、愚かで、単純で……何より優しいお前様を愛いと」
あまりにも直截な言葉に、思わず風津も言葉につまる。
こういう女なのだ、霧隠才蔵というのは。ひとつ決めれば、曲がらずまっすぐに行ってしまう。ゆえに風津はこの少女を好いているし、それは珊が彼女に抱いているものと同じなのだろう。
「風津様、お願いじゃ。妾はこれ以上、妾の友に生き恥を晒してほしくないのじゃ」
「……斬れってことか」
「あれは鬼じゃ。人に仇なす者じゃ。迷わずともよい」
風津はその言葉に頷いた。
ここにいるのは絡繰少女が二人、いずれも名の知れた忍者である。そして自分は鬼を討つ者だ。猿飛佐助は強い。だが、負ける気がしないのは、きっとこの三人だからだろうと思った。




