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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
番外編:逢坂フェルマータ
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逢坂フェルマータ(弐)

「ったく、なんでこんな目に」


 それからも散々な目に遭う風津である。

 外を出歩けば興味のあるものを見つけて立ち止まり、童がいればともに遊び、悪漢を見ればこれにつっかからずにはいられない。食べたいものを食べたいと叫び、笑いたいときに笑う。

 世間知らず、というわけではない。何も知らない、というわけでもない。

 ただただ子どもなのだと言う風に風津には見えた。

 それは外見の年齢の通りなのかもしれない。だが、風津は違う思いを彼女へ抱かざるを得なかった。


「おうい、風津様や! 妾を一人にするでないぞ!」

「なんで俺が面倒を見てるんかね」


 子守りなど生まれてこのかた、やったことなどない。

 むしろ自分は面倒を見られる側だった。生まれも武士であるし、多くの人に迷惑をかけ、いまだって珊の手の上である。

 それは恥ずべきことなのかわからなかったが、才蔵の相手をするのは途方もなく疲れるということだけは確かだった。

 街中を歩いていると、才蔵から目を離すことができない。放っておいてもいいのだが、いらぬ騒ぎを持ち帰られてはたまらないからだ。


「むっ、幸村様であれば決して手を離さなかったぞ」

「それはガキ扱いされてんだよ」

「な、なにを! 立派な女じゃと、いつも言ってくださったのに!」

「めんどくさくなったんじゃねえの」


 胸のことを言っているのでは、と思わなくもなかったが、口にはすまい。過去に生きた立派な将であったと言えども、男は男である。織田信長に代わり天下統一せしめた豊臣秀吉であっても、女好きの悪評もまた後世に轟いている。

 だが、同時に風津は真田幸村という男に興味が湧いた。彼は『日ノ本一の兵』と多くの者が呼ぶほどの男である。西国無双の立花宗茂、東国無双の本多忠勝よりあとの時代であったが、その評判は嘘ではないだろう。

 自分の知らぬ、生まれる前に生きた人物のことを聞きだせるのは、才蔵や珊と知り合って楽しいことのひとつだ。


「真田十勇士ってやつだったんだよな? 聞かせてくれよ、幸村ってどんなやつだったんだ」

「馬鹿じゃった」


 尊敬しているような口ぶりでありながら、聞けば才蔵はこの言いようである。


「根っからの馬鹿じゃったよ。いつも不利な方へとばかり機運が向いていくというのに、笑って歩いているような。誉れある舞台にあがれたのも歳老いてから。よい方に向くかと思えば、忠義があると言って断る、そんな男だった」

「ふうん……」


 俺とは似ても似つかないじゃねえか、と風津は思った。いつか才蔵がそんなことを言っていたから気にかかっていたが、少し残念だった。

 共通していることとすれば、赤が象徴的な色であることくらいか。しかし自分の呪われた赤髪と真田の赤備えを一緒くたにしては申し訳がない。


「そしたら猿飛佐助ってのは」

「ふん! あんなやつ、知らんのじゃ。名も口にするでない」


 そっぽを向いて才蔵は言った。

 かつて彼女はぽろりとこぼしていた言葉があった。自分を負かしたのは、猿飛をおいて他にいないと。

 もしかすると、対抗意識などがあったのかもしれない。真田十勇士において霧隠才蔵と猿飛佐助は双璧として扱われるが、噂を聞くに猿飛佐助の方が一枚上手である。戦場での武勲もまた、猿飛佐助の方が名高かった。

 だが、風津には想像できなかった。才蔵は絡繰、すなわち鬼道を自在に操る人形である。並大抵の腕では敵うまい。

 よもや、戦国の世とは鬼をも恐れぬ力の持ち主が跋扈していたのか。そう思うと、風津は自分への自信も喪失しそうになる。戦場で名をあげるのをよしとするわけではないが、武芸の果ては遠いと感じさせた。


「……風津様は」


 そう言いかけて、才蔵は立ち止まった。風津も少し間を置いて止まった。

 振り返れば、遠い目をして才蔵は風津を見つめていた。まるで風津の先に誰かがいるような、あるいは風津を通して誰かを見ているような。

 沈黙が二人の間を取り巻いた。風津は思わず笑みをこぼす。こまったような笑みであった。才蔵もまたごまかすように笑う。それは普段の彼女からは考えられぬ、大人びた笑顔だ。

 ふと、行列が通った。芸人の団体だろう。風津と才蔵は道の端に寄ってその一団を避ける。

 このころ芸人とは、遠くの物語などを伝える役目も持っていた。それは忍者の活動とも結びつけられるし、口伝の物語を広く知らしめる役割も持っている。

 歩き巫女などは見たことがあるが、一座なるものを見るのは初めてであった。南蛮から伝わった芸の方式に従った者たちなのかもしれない、と風津は思った。この台場町であればそれもありうる話だろう。

 白拍子に猿回し、あるいは説教師などがいた。これほど大勢の移動となると、大名行列を思わせるほどだ。


「風津様、風津様、妾はこの芸人たちの芸を所望するぞ!」

「いい暇つぶしにはなるだろうが……絡繰が芸を見るってのもおかしな話だよな」


 絡繰はもともと、こうした芸人たちの道具である。それを当の絡繰が楽しむというのは、どこか奇妙であった。

 そのときである。風津はおかしな気配をその一座の中から感じた。次には風津へ銀閃が迫る。

 先に反応したのは才蔵であった。腰から小太刀を抜けば、その一刀を受け止めた。風津もわずかに遅れて抜刀し、才蔵の小太刀と交差させるようにして迫ってきた刃を受け止めた。

 それは刃ではない。鎖鎌である。それも刀と見紛うほどに大きい。ぎしりと鳴る。二人掛かりであっても受け止めるので精一杯であった。

 大きな音をたてて、風津と才蔵は強引に相手の鎌をはじき返し、後方へと飛ぶ。

 旅の一座は雲散霧消する。それは何らかの術による幻であったとすぐに理解した。悲鳴があがり、人々は散り散りになっていく。残ったのは風津と才蔵、そして一人の男だった。

 風津は己の甘さを自覚する。よもや白昼堂々、仕掛けてくるなどとは思いもしなかった。そして自分に因縁のある相手といえば、いまや心当たりがあるのはひとつだけだった。


「てめえ、天草の輩だな」


 そう声をかけると、男はにやりと笑う。

 ずいぶんと大柄な男であった。南蛮の男たちにも負けぬほどである。腕や脚も太く屈強で、身長はおおよそ六尺以上はある。あの膂力も納得できるというもの。

 おまけに術の精度の高さもある。油断していたとはいえ、風津と才蔵という、鬼道を知り尽くした二人でさえ見抜くことができなかった。

 強敵だ、と思った。かつて戦った柳生新陰流の岡崎正次を思い出させる。いや、それ以上の敵だろう。


「衰えたな、霧隠才蔵。以前のお前であれば、ここまでの接近すら許すまい」


 男がそう言った。才蔵はその目を見張る。


「いや、そんな、まさか……お前は死んだはずじゃ!」

「戯け。俺のしぶとさはお前がよく知っているだろう」


 才蔵は苦々しい顔を浮かべる。風津はその男の顔を見た。

 顔に皺を刻んでおり、老齢に差し掛かったその男は、しかし若々しく力強い目をしていた。覗かせている歯は白い。もみあげと髭はつながっており、その姿はまるで猿のようにも見える。

 そう、猿だ。そういう印象を抱いた。そして才蔵の知己であるというならば、正体はほとんど知れたも同然である。


「猿飛佐助……!」


 その名を風津と才蔵は同時につぶやいたのだった。




    *     *     *




 猿飛佐助という男がいた。

 先も言ったように、霧隠才蔵という忍者と双璧をなした者として広く知られ、その実力は真田十勇士の中でも随一だったと言われている。才蔵を負かしたというからには、噂には嘘がないことはわかっている。

 しかし、こうして相対してようやくその実力を知る。目の前にいるのは間違いなく強者である。風津の知る中では、柳生三厳……かの柳生十兵衛すらも超える実力を持っているように感じられた。

 ただ構えているだけで周囲を圧倒するほどの力量だ。見る限り、隙はない。瞬きをするたびに自分が斬られるかのような幻影が、まぶたの裏に焼きつく。

 目が離せない。一刻も早く、ここから逃げ出さねばならない。わずかでも身じろぎしようものならば、倒れているのは自分だ。


「老いてさらに強くなったようじゃな、猿飛」


 才蔵が言った。猿飛佐助はにいと笑って、構えを深くする。


「そういうお前は衰えたか、霧隠」

「言いよる。妾は絡繰の身、成長はすれど衰えることなどありえぬ」

「ならばわかるだろう。お前は俺に勝てたことなど一度もなかった。さらに強くなった俺が、お前に負ける道理などない」


 才蔵は目を細める。もし彼女が人であったならば、冷や汗のひとつでもかいていただろうか。かわりに風津が落ち着かない始末であった。


「いまは、なぜ生きているかなど問うまい。それより、なにゆえ風津様の命を狙ったのか」


 そう、それこそが風津が猿飛佐助を恐れる理由であった。

 彼は明確に、風津の命を狙って襲いかかった。自らが侵入していることを明らかにしてまで、首を取りにかかったのだ。

 なんの狙いがあろうか。風津は鈍化した頭をめぐらせる。


「さて、猿飛佐助の女にでも手を出したっけな。だとしたらそいつはもう九十九の婆さんか」

「冗談を言うだけの余裕はあるか。だが若いな。脚が震えているぞ」


 猿飛の言葉は正確に、風津を射抜いた。

 ぐっ、と唸りながらわずかに距離をとる。一歩下がれば、猿飛もまた一歩近づいた。


「命を狙う理由など、ひとつしかあるまい。お前が邪魔だからだ、鬼殺しの風津よ」

「へっ、戦場の伝説たる真田十勇士の猿飛佐助が目をつけてくれるとは嬉しいね。だけどよ、鬼を殺されてなにが困るって言うんだ。まさか、天に仇なす鬼どもを庇うわけじゃあるまい」

「お前は我らの絡繰をいくつも破壊した」


 ただそれだけで、風津は悟る。この男がどの側に立つ者なのかを。


「まさか、猿飛、お前は天草についたというのか!」

「疑うべくはお前だ、霧隠よ。なにゆえ徳川に味方する」

「決まっておろう、天樹院様……千姫様のためであれば、妾はそちらにつくまでのこと」

「それが腑抜けだと言っているのだ。千姫様を連れて逃れればよかろう。徳川と渡り合ってもよかった。豊臣についたがために冷遇された浪人たちをまとめ上げることだってできたはずだ。それをしなかったことに、我らの主もお怒りだ」

「主じゃと?」


 才蔵の声が震えた。猿飛は顔を引き締める。そしてその名を口にした。


「真田幸村様だ。いまは大助様がその意志を継いでいる」

「……そうか、妾は天樹院様を、お前は大助殿を託されたということじゃな」


 真田大助、あるいは真田幸昌は真田幸村の嫡男だったはずだ。風津は自分の知識を手繰り寄せる。若くして大坂の陣に挑んだ彼は、最後は切腹を命ぜられたはずである。だが、どこかで影武者に成り代わっていたりすれば、と考えることはできる。まして、猿飛佐助の力量を考えれば、切腹間際の彼とともに逃げたとしても無理はない。

 そして彼らは九州へと逃げ延び、天草の反乱に乗じて旗揚げをした……。すべては怨敵たる徳川を倒すために。


「霧隠、戻ってくるならいまのうちだぞ。いまこそ真田十勇士の忠義を見せるべきではないか?」

「笑止。妾は妾が受けた命に準じるのみじゃ」

「……ふん、そうか」


 猿飛はそう言った。風津は背筋にぞわりとしたものを感じた。

 これから彼はなにか、致命的なことを言おうとしている。その予感に震えたのだ。


「呆れたぞ、霧隠才蔵。お前はもはや真田十勇士などではない。命ぜられるままに振る舞うことなら犬でもできよう。所詮は絡繰よ、人の情になど訴えるのが間違いだったか。忠義の心など、最初から持ち合わせてなどいなかったのだな」


 そのとき、踏み込んだのは風津の方であった。

 地面を蹴り上げ、かき消えるかのような速度で迫り刀を振るった。先の折れた刀身であったが、打刀としては十分な長さを誇る獅子丸は猿飛の頭に目掛けて振り下ろされる。一瞬で鎌を引き寄せた猿飛はその一撃を難なく防いだ。

 力量の差は、その一合で明らかであった。猿飛の方が数段上の使い手である。

 余裕の表情の猿飛に対して、怒りに顔を染めた風津は声を張り上げた。


「堕ちたな猿飛佐助ェ! それ以上の狼藉は許さねえぞ!」

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