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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
番外編:逢坂フェルマータ
24/28

逢坂フェルマータ(壱)

「定期検診?」


 風津の言葉が、長屋の一室に響いた。大して大きな声ではなかったものの、狭い部屋では十分すぎるほどだった。

 向かい側に改まって正座をしている珊は、うむと頷いた。


「年に一回ほど受ける必要があるでござるよ」

「そうは言うが、おめえは絡繰だろうが。体調を崩すことなんかあんのかよ」

「違うでござるよ。いざ、身体が動かぬなどという不調があっては事であるから、受けるのでござる」


 それは正論であったが、うろん気な表情を風津は浮かべる。すでに公儀を抜けている珊がいまさらになって定期検診を受けるというのもおかしな話であるが、それは向こうの厚意であると書状まで目の前に用意されている。押印についても疑いようがないし、自分よりも珊の方が精度高く判別できるだろう。

 ううむ、と腕を組んで風津は珊を見た。


「検診って、何すんだよ。まさか、ばらばらにして調べるとか言うんじゃねえだろうな」

「心配はご無用、鬼核さえ無事であれば拙者も無事でござる。初めて会ったときも、そうであったでござろ?」

「そりゃあそうだが……」

「毎年受けているものでござるから、安心めされよ。それに、本当に拙者が壊れてしまったときに直すことができなかった方が恐ろしい。いまのうちに拙者の身体の扱いに慣れてもらった方がよかろう」


 珊がそう言えば、風津は頷くしかない。

 彼女を所有しているのは確かに風津であるのだが、一方で彼女の身体のことは如何ともしがたいものである。絡繰についての知識などろくに持たないから、ここで見ておくのがいいだろう。

 頭でわかっていても、どうにも感情部分で納得ができないでいる。唸って風津は、組んでいる腕を深くした。


「そ、そんなに心配なのでござるか?」


 少し上目遣いで珊が聞けば、風津は、果たしてこの気持ちは心配という類のものであるのかとすら自身に問う始末であった。

 始めは顔を赤らめた珊であったが、どうにも風津の様子が、自分が思ったようなものではないということに気づくと、あからさまに落胆した表情を浮かべた。


「いいでござる、もう」

「何か言ったか?」

「なんでもないでござるよ。それで、拙者がいない間の身の回りのことでござるが」


 気を取り直して、珊は言った。むしろここからが話の本題であるかというように。

 しかし風津は、身の回りと言われたあたりから真に受けていなかった。


「んだよ、おめえがいないのだって、この書状によればたかだか五日だろ? それくらい余裕だっての。もともと俺は一人でここにいたんだからよ」

「食べていくことについては心配しとらん。食べさせるようにと、隣近所の方々にも話はつけてるでござる」

「いつの間にしてんだよ、そんなこと」


 こういうところで抜け目がないのが、彼女が公儀として生きてきたのだと思わされる瞬間であったりする。

 だが、風津としても助かることではある。珊の料理にすっかり馴染んでしまった舌は、おそらく自分の料理では満足してくれないだろう。

「拙者が心配することと言えば、決まっているでござろう」

「と言うと?」

「酒! 賭博! 女! でござるよ!」


 ぎくり、と風津は背筋を伸ばした。珊の言葉はまさに、風津が一人で暮らしていた頃に耽溺していたものである。

 ほどほどであれば、などと巷ではいうが、自制のできない男がいざそれらにのめり込んだときは、それはもう恐ろしいことになる。その点についても上手く操るのが女というもんよ、などと近くに住む肝っ玉母ちゃんを師事している珊は、着々とその手腕を身につけつつあった。


「風津殿であれば、拙者が離れた途端に遊ぶに決まってるでござる」

「信用ねえなあ」

「どこに信用する要素があるか、言うがよい!」


 そう言われてしまえば、風津は何も言い返すことはできない。

 だが、珊としても怒っているわけではない。彼女はそれこそ、風津を心から心配しているのであった。

 ダメ人間ぶりを発揮するのではないか、と。


「そこで、拙者の代わりに風津殿を見は……面倒を見る助っ人を呼んでおいた」

「いま見張るって言いかけたろ。あと、あんまり意味は変わってねえからな? それで、助っ人っていうのはどこにいるんだ」

「うむ。おうい、入ってよいでござるよ」


 珊が戸の方へと呼びかけるが、何の返事も返ってこない。

 風津が首を傾げて珊の方を見るも、彼女もまた同じように首を傾げていた。

 途端、風津は宙へ放り出され背中からひっくり返った。でんぐり返しの途中のような格好で、尻と足と天井だけが見えている。

 畳が持ち上がったのである。何がそうしたのかと言えば、一人の人影がそこにいた。

 片方に結んだ髪が見えた。しかしそれは後頭部である。少し土埃をかぶっているようにも見えた。

 その後頭部は、朗らかな声をあげた。


「妾じゃ! よろしく頼むぞ! ……ってあれ、姉上しかおらぬのか?」

「風津殿はおぬしの後ろでござるよ」

「おお、風津様! このようなところで寝られてはお身体に障るぞ! 温かくするのじゃ!」

「おめえがひっくり返したんだろうが! 普通に入り口から入ってこれねえのか!」


 風津が起き上がりながらそう怒鳴るも、くだんの人物は笑顔を浮かべている。

 この能天気な娘は見覚えがあった。この破天荒な言動にも、残念ながら、心当たりがあった。


「今日より風津様のお世話をすることになった、霧隠才蔵じゃ! 何でも頼むがよい! できることならしたい!」

「願望かよ!」


 こうして珊不在の、波乱の数日間が始まったのだった。




    *     *     *




 さて、珊が去ってから三日のときが経った。

 この数日で風津は、彼女の存在のありがたみというのを芯まで味わっていた。


「風津様! 朝じゃ!」


 ぐへっ、と変な声が喉から漏れる。

 布団からひっくり返されて風津は起こされたのだった。床にぶつけた背中の痛みを感じながら、ぼんやりと天井を眺めた。

 珊であれば、優しくゆすり起こしてくれるところであるが、才蔵にそんな配慮はなかった。遠慮のない大声を張りだしては、風津の耳がきんと鳴る。

 そして風津がひっくり返っている間に、異様にてきぱきとした動きで布団を片付けて盆とともに出されたのは味噌汁と漬物である。ただし米はない。

 この時代、庶民の食事は米と味噌汁と他にないのが常である。なにかおかずがつけば贅沢というものだ。風津と珊は、庶民的な生活をしているとはいえ収入のあった日は多少の贅沢を楽しむことを忘れなかった。特に食に関しては、手を抜かなかった。

 だが、才蔵の料理には期待せぬ、という両者の見解によって玄米と味噌汁でしばらく過ごそうということになっていたが、それでもこれはひどいと風津は頭をかかえる。

 漬物はまだいい。元から漬けていたものを出して載せるだけだ。それにしてもやたら山盛りで、水も切れていない。

 味噌汁はと言えば、ほとんど味噌の溶けていない……いいや、味噌を入れすぎていて、もはや味噌がそのまま出てきているような有様であった。


「……これは?」

「味噌汁じゃ。文句があるなら食わんでよいぞ」

「文句しかねえぞ! 汁どこに行ったんだよ! こんな一気に味噌使いやがって! あと、米はどこだ」

「三成様のお言葉にはこうある。……味噌さえあれば米はいらぬと」

戦時いくさどきの話だろうが!」


 確かに味噌を持っていれば戦の糧食には困らないものである。だが、それは食を十分に確保する余裕もないときの話だ。平時においてはもっとゆっくりと食事をしたいものであった。


「風津様、これは真剣な話じゃ。戦というのは恐ろしいものなのじゃ。妾はようく知っている。人を変えてしまうことだってある。ゆえに、日々の食の中に戦を見て、心に決めて生きなければならぬと」


 うんうん、と才蔵は頷いた。大坂の陣を戦った彼女は、何かしら思うところがあるのだろう。

 風津が生まれるよりも前のことである。徳川が天下をとったのは関ヶ原の戦いであるが、それはあくまで豊臣政権下における政争の大局を決めるに過ぎなかった。

 真に天下人となったのは大坂の陣を制したときであった。徳川が江戸での体制を整えるにあたって、主君筋である豊臣家はまさに目の上のたんこぶであった。その果てに両者は大坂において激突し、豊臣方は大敗を喫した。

 そのときに、豊臣方には恐るべき将とその部下がいた。

 真田幸村、そして真田十勇士である。

 日本一のつわものとその配下は、誰もが優れた技の使い手であった。その中で、特に優れた忍者がいた。

 それこそが猿飛佐助、そして霧隠才蔵であった。

 目の前にいる、幼い見た目をし不釣り合いな装飾をしているこの絡繰少女こそが、その人なのである。

 信じがたいことではあったが、そんな彼女の言葉であるから、風津としても無視しようがなかった。


「才蔵、お前……」

「だから風津様や、妾の飯に文句を言うな」

「それとこれとは話がちげえからな」

「な、なんでじゃ!」


 狼狽しながら才蔵は言った。風津は思わず拳骨を落としそうになるのを必死にこらえた。


「いや、待つのじゃ。これは至って論理的な話じゃ。妾は姉上の代理じゃ。つまるところ石川五右衛門自身ということ。そして風津様は姉上の尻に敷かれている。ゆえに妾が風津様を尻に敷くのは当然……あいたっ。痛いではないか、何も叩くことはないじゃろう!」

「うっせえよ。もう我慢ならんわ。台所に立つな。俺を起こさなくてもいい。わかったな」

「そ、そんな、せっかくの新妻ごっこが」

「本音を出しやがったな!?」


 風津がそう言うと、痛がるふりをしている才蔵がちらりと様子を伺うように視線を向けてくる。本気で怒っているわけでないことを察したのか、ぺろりと舌を出す泣き真似をやめた。

 そして朗らかな笑顔を浮かべる。


「やっぱり風津様といるのは楽しいのう。姉上が離れられないのがわかるというものじゃ」

「言っておくが、いま出した禁止令は本気だからな」

「な、なんとーっ!」


 才蔵の悲鳴がこだまする、そんな朝から二人の生活は始まったのだった。

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