新世界よコンニチハ(其の伍)
風津が医療屋敷に踏み込むと、切支丹たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。残ったのは珊とお通、そして有芭空士のみであった。
「返してもらう? 何をだ?」
答えたのはアンプロジウス有芭空士だ。彼は突然の闖入者に対しても冷静であった。まるで感情の波がない。
風津は目を細める。しかし、その視界を外套を纏った少女が遮った。誰何をするまでもなく、それは珊だとわかった。
「見ての通り、彼女は儂の娘である。決してお前のものではない。ほれ、お前も、返してやれ」
有芭空士の言葉に従って、珊は手裏剣のように何かを投げた。風津はそれを受け取る。手のひらにあったのは、初めて出会う夜よりも前に太夫であった珊から、のちに珊となる絡繰の少女へと渡った簪であった。
こんなものをいつまでも大切にするなんて、と思わないでもなかった。そもそも、この簪は珊に贈ったものではないのだ。珊太夫に対して、お手つきの印として買ったものである。いま思えば、こんな安物で気を引こうなどというのが間違いだったのかもしれない。口八丁で何とでもなる、と思っていた自分の浅はかさよ。
ぎゅっと握りしめて、風津はその簪を胸にしまった。そしてゆらり、と珊と有芭空士を見る。
「んじゃあ、あえて言わせてもらおうか。てめえの娘をもらいに来たぜ、ってな!」
刀を構えた。鞘からは抜いていない。珊を傷つけないように、という思いの現れであった。甘いと言われようとも気にせぬという気概でもある。
お通が驚いた顔をして、風津を見る。風津は軽く視線を返して、にやりとだけ笑った。
珊が顔を上げる。気づかぬうちに、般若のような、鬼を模した額当てを身につけていた。中心には十字架が描かれている。
そこにいるのは珊ではない。風津はとっくのとうに気づいていた。その者が誰なのかは問わなかった。その代わりに刀を真正面に突きつける。
「てめえに用はねえよ。引っ込んでな」
珊は腕を大きく広げた。外套が宙を待った。その下にあったのは露出の多い衣服である。腹の部分が大きく裂けて、臍を覗かせている。胸まで見えてしまいそうでさえあった。だが、かえってそれは彼女の機能を損なわないためのものであるのかもしれない。
地面をいくつもの線が抉る。それは鋼糸の軌跡であった。暴風が刃のように……鎌鼬のように風津へと襲いかかる。
風津はそれに対して、抜刀術で対応した。藤原四方の鬼にちなみつけられた名は風切。風津を切り裂かんと迫った鋼糸をすんでのところで解いたのであった。
しかし、珊は止まらなかった。彼女は軽い足取りで風津の目前にまで迫ると、徒手空拳を繰り出す。
珊の組み手を見るのは初めてであった風津はわずかにたじろぐも、すぐに刀と腕で防いでみせる。がちり、とはまった両者であったが、珊はひるむことなく畳み掛けた。
あまりに変則的な攻めであった。手刀を打ち出したと思えば、すぐに引いて足技を放つ。柔術について多少は身につけている風津であっても、その攻撃を見切り、防ぐので精一杯であった。
絡繰組手と呼ばれる技である。人にはありえぬ関節を持つ、絡繰ならではの術技であった。これは直接に絡繰に組み込むことはできない。なにせ、人はそのように動くことができないからである。この技はすなわち珊が、あるいは珊の体を操る何者かが身につけたものなのだ。
「しゃらくせえ!」
風津は刀を抜いて、柄で珊の腕を抑える。そしてもう片方の腕を鞘で止めた。これで完全に動きを止めたかに思ったが、珊の口が動く。
「絡繰起動……忍法・蝉筒」
「チィッ!?」
慌てて飛び退くと、風津がいた場所に刀身が三本伸びた。頭を首、心臓を狙って放たれていることがわかる。珊の体の中にあった仕込み刀であった。
躱しきれなかったのか、頬に傷が入る。血が口に入り、鉄の味が広がった。しかし、指で拭えばそれもすぐに治る。
「ほう、お前、鬼の力が強まっているのではないか? その治癒の力、尋常ではあるまい」
「言ってろよ!」
有芭空士の言葉に風津はそう返して、鞘と刀をぶつけて鳴らした。邪気を払う儀式である。それをごく短くしたもので、自身に対する暗示でもあった。
そして刀を横にし、地面に水平に構える。楢威流にある特異な防御の構えであり、名を水明の構えと言った。
「絡繰起動、忍法・烏杜」
そのとき、珊の背から翼が生えた。鳥のものと言うにはあまりにも無機質であったが、漆黒の翼は確かに烏のものであると言えなくはない。
大きく翼を震わせると、彼女は舞った。医院の中を縦横無尽に飛び交い、脚力の足しにして風津へと襲いかかる。
「絡繰起動、忍法・天狗の踵」
必殺の一撃が、風津を襲う。加速された蹴りが、杭によって破壊力を増して迫ってくる。一瞬で詰まる距離に、風津は反応をして見せた。
わずかに身をひねり珊の脚を脇へと抜けさせると腕を回してつかむ。そして回転しながら大きく投げ飛ばした。
宙に放り出された珊は翼をはためかせて姿勢を取り戻す。その顔はここで初めて感情を見せた。怒りか、悔しさか、判別はつかないがひどく顔を歪めている。
彼女は右腕を高く掲げた。目が妖しく光る。
「絡繰鬼道、忍法・八島」
瞬間、風津は気に呑まれる。辺りを満たすのは血の臭いと殺意だ。まるで戦場だ、と口にする。
そしてその中心にいるのは珊であった。彼女は赤く染めた目を風津へと向けると、両腕を大きく広げた。
風津を囲むようにして鋼糸が編まれていく。さながら網だった。漁師が獲物を捕まえるべく張った仕掛けだ。
それが少しずつ迫ってくる。風津の目に幻影が映った。それは骸の兵士たちが、その手に槍を持って迫ってくる図である。幻術か、あるいは現実か。境目がわからない。
だが、この術を破る術には心当たりがある。
刀を引き抜いた。水明の構えから、横に一閃。楢威流・山蜘蛛。かつて源頼光が己の熱病の原因たる怪異を討ったことから由来する技である。
ぷつり、ぷつりと鋼糸が切れていく。幻術も同時に霧散した。そこには無防備になった珊の姿がある。
「油断したな。俺はその鋼糸の技を、何度も見てんだよ」
あるいは体術だけで攻め続ければ、自分は負けていたかもしれない。そんな意味を言外に含める。
風津は鋼糸のいくつかをつかむ。それらを引っ張り上げると、珊の体が浮いた。
印を結ぶ動作で、その鋼糸を操った。宙で珊の身体が絡め取られる。腕が、脚が、翼が巻き取られ、偶然にも磔のような姿になった。
風津はそこへ駆け寄る。顔を近づければ、恨みがましい目が向けられる。
「いつまで寝てんだ馬鹿野郎が。寝坊するぞ」
そう言って、額を思い切りぶつける。珊がつけていた額当てとぶつかった。ぴしり、と音が鳴る。額当てに皹が入っていき、十字架の印を裂いて割れた。
珊の動きが止まる。力を失ってうなだれた。その額から額当ての欠片を払うと、そっと頭を撫でる。こんなやり方しかできない不器用な自分が、少しだけ情けなかった。
* * *
風津が背後へ振り向くと、有芭空士とお通がこちらをじっと見ている。
「よう、終わったぜ。この通りこいつは俺が連れ帰るんで、そこんとこよろしく」
「……ほざけよ、小童が」
そう言うと有芭空士は、お通の首に手を回す。短刀の切っ先を首筋に当てた。
「動くんじゃない、こいつがどうなってもいいのか」
「ありきたりな言葉をありがとよ。ったく、追い詰められた悪役ってのは、みっともなく足掻くか、崖っぷちで自白するかしかできねえのかよ」
そう言いつつも、風津は身動きひとつしない。刀を低く構えたまま、じっと待っている。
「酒吹佐之助、儂はお前のことをよく知っている。さすがは真性の鬼の子というわけか。絡繰という二百年程度の紛い物では未だ届かぬか」
「何を言いだすかと思えば。真性の鬼だあ? それは冥界の者どものことで、酒呑童子だって人から変じた鬼だろうがよ」
「さて、それはどうかな。武士が世を支配するより前は、この世とあの世の境界は曖昧だった。……だが、肉を持った鬼というのはそういなかった。酒呑童子の血を持つ者よ、お前自身がその証明だろう」
お通がハッとして、風津の顔を見る。彼女には未だ明かしていない真実だった。この日ノ本で、誰もが知る恐ろしき鬼の首魁こそが、風津の祖先であった。
動じず、風津は言い返す。
「だからどうした、ってんだ」
「お前の血が目覚めたのには理由がある。人を斬らぬ誓いを立てているそうだな。それは何のためだ。鬼にならぬためだろう? であれば、なぜお前は、人を斬れば鬼に近づくと知っている? それはつまり……そういうことだろう?」
この世にあって、人を斬ることは珍しいことではなかった。天草との戦は弓矢や銃が主流になっているが、船上とあらば白兵戦となる。あるいは辻斬りか、武芸者同士の果たし合いか、悪人の成敗か。いずれにせよ、剣を握る者であれば人斬りの業から逃れられぬのが今であった。
しかし、それだけではない、と有芭空士は言う。
「斬ったのだ、自らの友を。その名は又八。儂は知っているとも、ああ、知っている。お前がなぜ鬼になるのか! 酒吹佐之助! お前は自らを許せていない!」
有芭空士は笑った。高らかに、大きな声で。
ことここにおいて、その罪の暴露は意味を大きく持つ。その腕にお通を抱えている有芭空士は、知る仲の者の前で恥をかかせることが何よりも人を傷つける術であると知っているのだ。
始めは珊をけしかけ、風津に味方などいないと知らしめてから、お通を使って風津を傷つける。
この辱めを受ければ風津は堕ちる。鬼へと、堕ちていく。そういう目論見だった。
岡崎政次よりそのことを聞いていたのだろう。調べ上げ、自らの敵と定め、倒す術を講じたのだ。
お通は泣きそうな顔をして、風津を見た。行方の知れない幼馴染たち。一人は手紙などを寄こさぬ性質であった。だが、又八はそうではない。ある日を境に止まってしまった文の理由はわからなかった。だが、その真実は、もう一人の幼馴染が……。
「何を言うかと思えば」
しかし、それさえも風津は鼻で笑った。
「んなこと、てめえに言われなくてもわかってんだよ。俺は酒吹佐之助という男を許さん。それさえも抱えて生きていくと決めてんだ。口出しされるようなことじゃねえ」
「では、この娘はどうだ? お前のことをどう思う?」
「知ったことか! そいつの想いはそいつのもんだろうが! 俺がそいつに生きてほしいと願うことと、関わりなんかねえんだよ!」
いずれ沙汰を受けるだろう。せめてそのときまで、生きてみせようと決めているのだ。
「いま一度、名乗ろう。我が名は風津! 空を斬りし音にして、荒ぶる御魂を払いし剣の名也!」
風津は一歩跳びのき、剣を逆手に構えた。この奇怪な構えから放たれる大技は、数ある楢威流の技の中でも特に威力がある。
有芭空士は短刀を大きく振り上げた。お通が自らの死を目前にして、目を閉じる。
だが、短刀が振り下ろされることはない。その腕は宙で止められている。よく見れば、腕に絡まっているのは鋼糸であった。
風津の背後で、珊が顔を上げる。その顔は先ほどの冷淡なものではない。
「絡繰起動、忍法・蜘蛛拍子……!」
「お、おおおおおっ!?」
叫び声をあげる有芭空士の腕から、お通が逃れる。そうして隙だらけになった彼へと、風津の一刀が放たれた。
楢威流投剣術、大嶽丸。鈴鹿の山での一大決戦において、坂上田村麻呂が放った騒速を模した必殺の技だった。それは空を切り裂くような一条の流星となった。
刀が有芭空士の喉へと突き刺さり、貫通する。
「……やっぱりな」
有芭空士の首の断面から、鋼糸が見えた。
血は一滴も流れず。断末魔の悲鳴をあげることもなかった。
これはすなわち、彼の正体は絡繰であるということ。風津の目は決して誤魔化せない。修行によるものか、天性のものであるかに関わらず、神通力を得た者は鬼の在りかを看破することができるのである。
風津の隣に珊が立った。鋼糸を解いている。見た目には損傷は見られず、安堵した。彼女もまた笑みを浮かべている。
「佐之助! 珊ちゃん!」
お通が駆け寄ってくる。風津と珊をまとめて抱きしめると、声をあげて泣きじゃくった。
しばらくそのままにしようとも、普段であれば思うところだ。女が泣いているときは、黙って寄り添うのが風津のやり方である。
しかし、時はそれを許さない。風津は二人に声をかける。
「二人とも聞いてくれ。あと少しでここに公儀の奴らが踏み込んでくる。その前に逃げるぞ」
「どこへでござるか? ここから逃れることなど……いや、抜け穴があったでござるな。以前にも来たが、何からの術で隠されておったか」
珊が視線を送った。そこには地下へと続く横穴があった。何らかの仕掛けであれば、珊であれば気づけたようなものであるが、よほど巧妙に隠されていたのであろう。
「よし、あそこから……」
逃げるぞと風津が言おうとしたときである。有芭空士から四方へと火花が走った。それは屋敷の中を駆け巡る。そして爆発を次々と起こした。
途端に火の海となる屋敷に、風津と珊は、長くは保たないだろうと知る。
首の落とされた有芭空士の姿を見た。燃え盛る炎の中で、落とされた自分の首を手に持った彼は不気味であった。
「よくぞ、よくぞ倒してくれた、酒吹佐之助、いや風津よ! 確信したぞ、ああ、確信したとも! この胸にあるものの正体はキミだ! 今度こそ、全身全霊をもってボクはキミを殺そう!」
早口でそのように宣言して、高らかな笑いをあげる。老成した姿からは想像できぬ、若い笑いであるように風津には感じられた。
彼の笑い声と、屋敷の焼け崩れる音を背にして、三人はその場を逃れた。




