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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第陸話:新世界よコンニチハ
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新世界よコンニチハ(其の肆)

「俺を知ってるか。有名になったもんだなあ」

「知らぬ者はいるまい。かの柳生宗矩の後継だ」


 柳生但馬守三厳。

 その名は有名であったものの、父である宗矩と比べてしまえば名声は控えめであった。宗矩は無名の家である江戸柳生を一万二千五百石という大名にまでのし上げた人物であり、将軍家の剣術指南役という重要な位置まで占めるようになり、時に剣士として、時に軍師として、徳川幕府を支え続けていた。

 一方の三厳と言えば、その放蕩無頼ぶりが噂されていた。徳川家三代目将軍である家光に指南をつけた際に、あまりに乱暴な扱いをし家を追い出されただとか、隻眼は稽古にて本気になりすぎたため諌めるために宗矩が奪っただとか、醜聞ばかりが聞こえていた。

 だが、そんな噂は彼の前にいれば吹き飛んでしまうだろう。

 放蕩無頼ぶりも納得しよう。将軍家の者を乱暴に扱うことも、宗矩によって激しい戒めを与えられたのも、得心をえよう。

 三厳の気迫はまさしく風にそよぐ深緑そのもの。つかみどころはなく、舞い散っても際限がなく、ともすれば呑み込まれてしまうのではないかとすら感じさせる巨木を思わせた。

 果たしてそれを感じ取ったのは風津だけではない。シーラもまた、彼から尋常ならざる気配を感じたのである。


「それで、但馬守はいったいどのような用件でここへ?」

「俺はコンパンニアではなく、そこの赤髪に用があるんだ。なあに、手荒なことはしないさ。あんたらの客人にはね」


 そう言って、三厳は風津の前に立った。彼は人好きのする笑みを浮かべる。


「おう、お前が風津か。名前はよく聞いてるぜ」

「公儀に知られてるってのは、名誉なのか?」

「絡繰娘が大好きという話なんだが」

「ぜってえ不名誉なやつだなそれは!?」


 風津は思わず叫んだ。にんまりと笑う三厳を見て、彼の術中に嵌められているような感覚に襲われる。

 珊のみならず才蔵の顔も思い浮かぶ。いや、十中八九、才蔵のやつがおかしな噂を流したに違いないのだ。

 だが、否定ができないだけに、質の悪い話だった。


「いま公儀隠密はある屋敷を取り囲んでいる。そこは切支丹どもの隠れ家でな。花火大会に乗じて集結してるって話だ。お前さん、知ってるだろ?」


 笑顔を崩さないままに、三厳は言った。

 出会って間も無くこんな話を切り出すのは彼の持つ豪胆さか、はたまた何も考えていないか。


「……なんの話か読めねえな」

「んじゃ、黙って聞いておけ。かねてより脱出の計画があったことは知っていてな。この日に脱出も目論んでいることもわかっている。んで、踏み込もうと思った矢先に、何人かの御書院番が斬られたもんで、こいつはおかしいと思ったところだ。切り傷を見るに、流派は柳生新陰流、そして伊賀流」


 風津は自分の顔がこわばっているのがよくわかった。三厳が口にしていること、そのすべてに心当たりがある。

 すでに、お通を含めた切支丹たちの脱出計画は筒抜けだったのだ。そして柳生の技を使う絡繰たちについても。そして追い詰められていながらも、切支丹たちは抵抗を続けている。


「さて、聞かせてもらえるか。お前さんが珊と呼んでいる絡繰はどこにいる?」


 息を飲む。ああ、この男は知っているのだ。石川五右衛門と名乗っていた公儀隠密の絡繰少女が敵方に回っていることを。

 風津は首を横に振る。自分よりも三厳の方がよく知っている、という意味で。


「やっぱりな。ということはだ、俺らがいま相手をしている絡繰はあいつだってことだな」

「……知らねえよ。あいつはいま、家出中だ」


 もし、もし三厳が先に珊の元にたどり着いたならば、彼は珊のことを殺さなくてはならなくなる。

 御書院番とは将軍の親衛隊だ。公儀の中でもとりわけ力を持つ者たちである。その力は、単純な武力のことだ。この男ならば、珊を斬ることもできてしまうだろう。

 それよりも前に、風津は珊を助け出さねばならない。

 お通も助けるべきか、とも思ったが、それは贅沢と言うものか。だが、諦めきれていない自分がいるのも確かだった。


「そうか。なら、いいか。依頼の話だ」

「依頼? 見ての通り、俺は病床の身だぜ?」

「ということは、その胸の赤い傷は、名誉の負傷か」


 三厳が厭らしい笑みを浮かべて言う。

 胸にある赤い傷は斬られた跡などではない。いましがた、シーラによってつけられたものである。隣で黙って話を聞いていたシーラの顔が赤くなっていた。


「なに、敵が絡繰を用いていることなど百も承知。俺たちだって負けるつもりはねえが、その道の専門に任せた方が被害は少なくて済む。まあ、ざっと言えば、だ。俺らより先の乗り込んで、親玉をひっ捕まえればいい。切支丹どもの処理は俺らがする。どうだ? 報酬は弾むぜ?」

「ふうん……」


 風津は三厳の言葉を噛み砕く。

 シーラがこちらを見ている。口は意地の悪い笑みを浮かべていた。商人として、勝利を確信した顔である。


「いいぜ、乗った。それで、俺はどこへ行けばいい?」

「台場町の端にある、医療屋敷だ。いつかの騒動のときに公儀で取り押さえた場所だったんだが、奪われちまってな。やつらはそこを拠点にしている」

「あいよ。んじゃあ、行ってくるかね」


 風津はそう言って、着流しをシーラに寄越させた。

 二人を追い出していそいそと着替える。横たえられた刀はまごうことなき獅子丸である。

 気を失っても手放さなかったらしく、我ながら根からの剣士であると呆れた。

 扉を開けると、シーラの姿はすでになく、三厳だけがいた。


「ひとつだけ聞きたい、お前さんは珊のことを好いているのか?」

「ブフッ!? んだよ、藪から棒によ!?」

「年寄りの冷やかしとでも思ってくれ」

「意味わかんねえし、あいつはてめえより年上だろうよ」


 だけどまあ、と風津は少しだけ思うことがあった。

 珊と過ごして感じたこと。才蔵と出会って、比べて、同じところと違うところ。

 いろんなものを見て、思い出して、その結論を出す。


「絡繰ってのは、純粋なんだよ」

「純粋だと?」

「はっきりとしてなきゃ気がすまねえんだ。俺らが口を濁して、曖昧にしちまうことでもよ。待たねえといけねんだ。あいつがどういう答えを出すか。あるいは、俺たちがどうやって絡繰と付き合っていくべきか、だ。絡繰ってのは俺たちのことをよく見てるよ」

「なるほどな、なるほど。それで、お前さんは決めたのかい? あの子に見せる答えってやつを」

「はっ、あいつは出会ったときから俺のモノなんだ。だから、取り戻す」


 風津はそう言った。その答えに満足そうな笑みを浮かべて、三厳は言った。


「よかったよ、珊と出会ったのが、お前さんで」




    *    *    *




「天にまします我らの父よ」


 アンプロジウス、またの名を有芭空士という老人が祈りの文句を暗唱した。

 決まり切った言葉だった。最も重要とされ、最も唱えられた言葉だった。

 お通は彼の文言を聞きながら、別のことを考えている。

 場所は台場町の端にある医院である。正しくは医院だった場所だ。そこには信者である切支丹が二十人ほどいた。発つ前は百人といたものであったが、途中で倒れた者や、公儀に捕まった者も多くいた。こうして台場町へとやってこれただけ奇跡であろう。

 いまからこの隠れ切支丹たちは、さらなる博打に出る。この台場町からの脱出を試みるというのだ。


「願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」


 神への祈りは、平和への願いでもあった。神のおわす国、人々の誰もが等しく救われる国。

 そんな場所があるのだと言う。いいや、神に守られし国を生み出すべく、戦っている者たちがいるのだという。

 そこへ行くことが、お通の願いであった。

 父も母も死に、胸にあったのは幼馴染たちの存在であった。しかし、その幼馴染は自分の手を振り払った。そのために斬られた。あろうことか、彼の友の手で。


「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」


 恨みを込めた目で、お通は壇上に立っている少女を見た。アンプロジウスが言った。彼女は絡繰である。それは人によく似せて作られた紛い物の命であると。そして真に人を継ぐ者でもあると言っていた。彼の言っていることを理解できなかったが、珊は人ではなく、人の()()()であることはわかった。

 忍装束ではなく、外套を纏っている彼女の表情は見えない。笑っているのか、泣いているのかもわからない。まったくの無表情であった。

 アンプロジウス曰く、彼女は絡繰人形であるのだという。娘、とさえ呼んでいたからには、親子としての情もあるのだろう。人のような意思を持って動く絡繰と聞いて、恐ろしささえも感じた。だがそれ以上の憤りがあった。

 絡繰風情には、友情も、愛情も、意味をなさない。誰かに命じられればその通りに動くのだ。


「我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」


 祈りの言葉が終わる。みなが目を閉じて、思いを捧げた。

 顔をあげる。アンプロジウスは全員の顔を見回した。みなが言葉を聞く姿勢になるのを待っていた。


「これより我らは、我らが求める地へと向かう。そこには我らが主が降り立つに相応しい国にせんと、厭離穢土に座す者たちと戦う者たちがいる。天草四郎時貞様は、我らを快く迎え入れてくれるとのことだ」


 だが、ことはそう簡単には運ばない。


「我らの道を阻む者たちがいる。徳川の手下どもだ。彼らの手を潜り抜けるのは至難であると言えよう。しかし、バビロンから逃れたユダの者たちのごとく、あるいはファラオの元から逃れたモーセの如く、我らはこの穢土より逃れるのだ」


 はっきり言ってしまえば、お通はアンプロジウスの言うことのほとんどがわからない。いいや、ここに集まる信者たちはみなそうであろう。基督キリストの教えるところを知っていても、彼らの聖典など読めはしないし、遠い昔話のようにすら思えなかった。

 だが、かつて虐げられた者たちが逃れたように、自分たちもまた危地を脱してたどり着く場所があるはずだ。そう言っているのはわかった。


「皆の者、船へと向かう用意を整えよ。公儀の者がやってくる前に」


 アンプロジウスの言葉に頷いて、各々が用意を始める。それぞれが持ってきた十字架、あるいは十字架を秘蔵した木筒やマリアを模した観音像。誰もが最初に手にとったのは、自分の心を預けるものであった。

 お通もまた、同じように胸の十字架を取り出した。中心に「仏」の字が描かれている。仏教の信徒と見せかけるためのものであった。卍であっては取り回しが悪いからと言い逃れていたものであったが、これからこの地を脱すれば、このような偽りをせずに済む。

 一方で、迷いがあった。幼馴染を切り捨てたかのように思われて、罪悪感に襲われた。このような偽りの十字架を本物へとするために、自分の大切なものを切り捨ててしまった。

 斬ったのはあそこにいる絡繰だ。自分ではない。何度も手を差し伸べたのだ。それを断ったのは佐之助で……。自己弁護を重ねるたびに、自己嫌悪も大きくなっていった。


「え、え?」


 顔をあげる。そこには絡繰の少女がいた。珊という名の少女は、何も言わずお通の顔を覗いている。

 生のない瞳はまるで目の前にいる者ではなく、山の頂きから遠くにある城下町を見るように、睥睨している。

 お通は戦慄を覚える。一緒に団子を食した少女は、このような()()であっただろうか。珊は常に、相手と対等にあろうとした。このように誰かを見下すような目を向けることはなかった。もっと乙女で、佐之助と寄り添う姿は長年の相棒の域を超えていたようにさえ思えた。にもかかわらず、いまの彼女にそにような気配は感じられなかった。

 このときになって、ようやくお通は佐之助の言っていることを理解することとなる。


「あんたは、誰なの?」


 珊の姿をした誰かはにやりと笑った。


「聞きたいことがある」

「な、なによ」


 声音は珊のものとは思えなかった。彼女の特徴的な口調も失われている。むしろ相手を突き放している口ぶりであった。


「キミの抱えているその想いは、何だ?」

「どういうことよ。ちゃんと言いなさい」

「ボクの中には、ボクの妹……いいや、姉か? どうでもいいか。ともかく、もう一人のボクの想いがある。だけど、そんなものはボクにはわからない。ボクにとってはどうでもいいことなんだけど、ボクは『わからない』ということが何よりも不愉快なんだ。そしてキミの目には、そのもう一人のボクと同じものを感じた。教えてくれないか。その想いを、キミは何と呼んでいる?」


 饒舌なまでに語る。珊ではない誰かは、いままでずっと黙ってきたわりにおしゃべりが好きなようだ。しかし、核心を突くことはなかった。

 それでも、同じ女としてか、あるいは直感か、お通は珊の姿をした誰かの言いたいことを理解する。けれどもそれを口にしてしまうわけにはいかなかった。


「言わない、絶対に。珊ちゃんに恥をかかせてしまうもの」

「……嫌いだな、そういうのは」


 腕を刀のように大きく振り上げた。お通は手刀が自分に向けられていると理解しつつも、避けることはできない。

 目を瞑ったが、痛みは襲ってこなかった。その代わりに、大きな音が響く。何かが崩れる音であった。

 音のした方を見ると、砂埃が待っている。医院の扉が壊されたのだ、とわかるのはすぐだった。


「みな、地下へと逃げよ」


 アンプロジウスは言った。その言葉に従って、信徒たちは地下へと逃げる。いざというときのための抜け穴だった。

 お通もその一団とともに抜けようとするも、珊に取り押さえられる。きっと睨みつけるが、彼女は動じない。


「お前には役割がある」


 そう言ったのはアンプロジウスであった。だが、それだけでお通は理解する。この場において、自分を必要とする理由は一つしかない。

 砂埃の中から、一人の人物が現れる。着崩した着物姿に、赤い髪の男であった。

 彼ならやってくるだろう。不思議とそう思っていた自分がいることにお通も気づいていた。小さい頃からずっとそうだった。村の者たちに疎まれても、己の信ずるところを絶対に曲げなかった。そして決めたことは必ずやり遂げる男だと、よく知っていた。


「よう、返してもらいに来たぜ」


 佐之助は不敵に笑ってみせるのであった。

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