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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第陸話:新世界よコンニチハ
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新世界よコンニチハ(其の参)

 ある日の夢を見た。

 懐かしいとは思わない。それは遠くもなければ近くもなく、ずっと抱えているものでありながら、突き放していたものでもあった。

 雨の日だった。長州の山中のことだったと思う。

 ぬかるんだ土に足を沈めて、二人の男が対峙する。

 男たちは少年と言っても差し支えない。それぞれが握る、雨の中でも負けずに燃える松明が顔だけを照らしている。一方は精悍な顔立ちをしており、もう一人は赤い髪をしていた。


「又八……おめえ、なにを言ってやがる」

「佐之助、頼む、死んでくれ」


 赤い髪の男の瞳が揺れる。友の発した言葉の意味を理解しかねたが、又八の握った刃が揺らがぬ彼の意思であった。


「この先にある場所に、俺を連れて行くと言った。伴天連バテレンだ天草だなんだと、そんなもの俺には興味がねえ。だが、そこへ行けば俺は救われるんだって、おめえ言ったよな。それが、なんだこれは」

「俺が間違っていたんだよ、佐之助」

「見極めさせろ、又八。それが俺の救いになりうるか、見せてみろ」

「お前を連れて行くことは……できない」


 二人の会話はまるで噛み合っていなかった。すでにお互いの心は通っていないのだ、と気づけるほどに冷静ではなかった。

 このとき、風津は、佐之助は聞かされていた。この先にある地では、人の生まれなど関係がないのだと。幼き日に村で虐げられていた鬼の血を持つ佐之助であっても、平等に扱ってもらえると。

 見極めなければならないと思った。それは本当に、自分を救うものなのかを。

 自由、解放などという言葉は眉唾なものだった。人は生まれから決して逃れることはできない。

 すべて承知の上だと思っていた。しかし、このときになってようやく又八は気づいたのだ。気づいて、しまったのだ。


「向こうへ行ったら平等だ。全部が全部、関係なくなる。それって、力が全てってことだよな? 今までやってきたことなんて、どうでもよくて……ただ力だけが支配するってことだよな?」

「それはちげえ! 伴天連の教えってのは、そういうことじゃねえよ。血とか力とか関係ねえ、誰かを助けろって言ってんだ。そこに見返りがなくとも」

「だが、だとしたら、救われるのはお前だけなんじゃないか? 力を持つお前こそが、人々に求められ、天に最も近い存在になるんじゃないか?」

「なに言ってやがる、目を覚ませ!」


 もはや我を失っている。又八の言っていることは、まったく筋が通っていなかった。しかしその暴論であっても、風津を非難するに足るものであった。

 鬼への恐怖心というのは誰もが持っている。その正体を言い表すことを多くの人はできない。風津が師より習ったことの上では、鬼への恐怖心は根源的なものであり、力への畏怖であると。それはこの世に溢れる自然の脅威であり、ときにそれらを身につけたがごとき者を恐れるのだと。

 何度も見てきた。鬼の血を引いているのだと、そう呼ばれ続けてきた。小さな神社に封じ込められた風津のいた酒吹家は、冷たくあしらわれてきたのだ。

 又八やお通のみが、幼き日の風津を「佐之助」と名で呼んだ。そのことがどれだけ支えになったか。


「だから、お前は……」


 炎を映した刀身が怪しく煌めいた。

 投げ捨てられる松明が、煙をあげて炎を消す。八双の構えをとった又八は、風津へ向けて駆ける。


「死ね、佐之助、死ね!」

「おおお、おおおおおっ!」


 唸り声をあげて、風津は刀を抜いた。

 忘れもしない、そのときに振るった技を。抜刀術である。不意打ちに対する返し技であった。昔の豪族の藤原千方が使役する鬼である隠業鬼おんぎょうきにちなんで、名を隠業切おんぎょうきりと言った。

 剣を振るうと同時に巻き上がった強烈な風が、又八の動きを止めた。その風は陰気を払うものであり、無防備になった瞬間を剣閃が走る。

 逆袈裟に斬られた又八が、呆然とした顔で風津を見る。


「やっぱりお前は強いよ、佐之助」


 そう言った顔が、歪む。でも、でも、と続ける声が次第に高くなってくる。

 視界がぐにゃりとねじ曲がって、目の前に現れたのはお通であった。


「でも、私は、助けたい……」


 風津は思わず息を飲んだ。夢だ、何が起こっても不思議ではない。

 血まみれのお通は風津の目を見つめる。すべて知っているのだろう。自分が又八を斬ったことも。


「自分たちは佐之助を見捨てはしない、いまは無理でも、いつかはきっと迎え入れるようにする。三人でそんなことを話したよね。どうして佐之助は、救われようとしないの?」

「そんなこと、決まってるだろ」


 迷わなかった。いいや、迷いを断ち切りたかった。

 それだけは剣ではできないことだ。

 答えを求めるお通を風津は見つめる。そして、ふっと笑って、言った。


「おめえには直接言うさ。手遅れになる前にな」


 お通の姿が消える。その目はじっと風津を見つめていた。なにか言いたかったのだろうか。だが、所詮は夢だ。ここにいるのは本人なんかじゃない。

 これは自分の中にいる彼らとの、決着だ。




    *     *     *




 風津が目を覚ますと、そこにあったのは知らない天井だった。

 どうにも天井の作りが違う。檜で作られていたように見えるが、構造からして、南蛮屋敷のようであった。


「ああ、目を覚ましたか」


 声がした。目の前で金色の髪が揺れる。青い目があった。和蘭東印度会社、通称コンパンニアの副商館長のシーラである。

 彼女は微笑んで口を開いた。


「ここは私の部屋だ。安心するといい、公儀だって入ってくることを躊躇う場所だ」

「ははっ、そりゃあちげえねえ。天下で一番安全な場所だな」

「うむ。ところであの壁の上にある砲台が見えるか? あれは常にここを狙うようになっている。怪しい動きをしようものなら、一撃だろうな」

「前言撤回だこの野郎!? こんなところで安心して寝れるか! 俺は出て行かせてもらうぜ!」


 風津がそう言って身を起こすが、着流しを脱がされていることに気づいた。シーラが指をさすと、机の上に畳まれているいつもの着物がある。


「貞操の面なら心配しなくていい」

「心配なんかしねえよ。覚えてねえのが残念ではあるがな」


 着物に手を伸ばそうとすると、その手首をシーラに掴まれる。そして思いっきり持ち上げられると、全身をくまなく観察される。

 四方八方から体を見られると、さすがの風津であっても気恥ずかしくなった。


「お、おい、そういうのは夜にしてくれ」

「なんだ、そんな観念は持っていたのか。私が気になっているのはそこではない。傷だ。貴方を見つけたとき、肩から胸にかけて大きな傷があった。刀に斬られた、鮮やかなものだ。問題は、だ。死んでもおかしくない傷を抱えながらも海水に浸って気絶で済み、あまつさえわずか一日で塞いでしまうなど、並大抵ではないだろう」


 シーラがそう言った。詳しく聞くところによると、海を漂っていた風津は和蘭船に発見され引き上げられた。過去に数回、商館を出入りしていたのが功を奏した。その赤い髪を覚えている者が何人かいたのだ。急いで台場町へと戻った商船の者たちは、急いでシーラへ預けたのだと言う。

 傷の様子を見ていたシーラは、みるみるうちに快復する風津の様子に驚きながらも看病をしていたという。


「いやあ、感謝の念は尽きん。この恩はいつか返す、覚えてたらな。うん、だからその手をどけてくれ」

「逃げるんじゃない。答えろ」

「……言わなきゃだめか?」

「そうだな、あまり病み上がりの者を攻撃するのもよくない。私とて鬼ではないからな。だが、商人ではあるから、何かしら対価はもらわなければ割に合わないと思うが、違うか?」

「と、言いますと」

「そうだな」


 思案顔を浮かべるシーラは、何かを思いついたのか、悪戯っぽい顔を浮かべた。

 ひっ、と悲鳴をあげる風津をよそに、その顔を風津の胸板へと寄せる。そして強く吸ったのだ。


「ひゃん」

「おかしな声を出すな。うむ、これでいいだろう」


 風津の胸には、真っ赤な跡が残っていた。口で吸った跡である。満悦な笑みを浮かべたシーラに、ぶるりと寒気が走った。


「お、おめえ、なにしやがんだ!」

「対価だよ。貴方は何も持っていない。であれば、その代わりに身を差し出してもらったものだ」


 ぺろり、と舌を出した彼女を見て、風津は今後、彼女を敵に回すのは絶対にやめようと決めたのだった。

 ところで、とシーラは話題をがらりと変える。


「そっちは何があった。あの子は、珊はどうしたんだ」

「あー、まあ話せば長くなるってわけじゃねえけどよ。端的に言えば家出したんだ」

「……はっきりと言え。商談というのは、要求をきちんと伝えなければ如何様にも解釈される戦場だ。それを放棄するということは、死を意味するぞ」

「例えば?」

「珊を見つけたとき、私が預かっても問題はないということだ」


 なにせ、お前はいま、彼女を所有する権利を放棄したのだから。

 権利などという言葉を初めて聞いた風津は首を傾げるが、言わんとすることはわかった。


「それは困るぜ」

「ならば、言うがいい」

「さて、俺もはっきり理解しているわけじゃねえがな。どうやら切支丹どもがここから天草衆のところへと向かうみてえだ。詳細は知らん。だが、その頭領がどうやら珊を造ったやつみてえだな。有芭空士……知ってるか?」


 風津が名を告げる。しかし、シーラは首を横に振った。


「その者の名は聞いたことがない。しかし、信者たちがこの台場町から脱出か。ずいぶん思い切ったことをする。だが、できなくはないだろうな。花火大会は今晩だ。その間、台場町は警戒網が敷かれるだろうが、果たして海はどうかな」

「それは、どういうことだ? 海こそ警戒しなけりゃいけねえ場所だろうが」

「私たちが出払っている。その間に、海岸へ公儀の者たちを歩かせてみよ。数人ならいざ知らず、大勢を歩かせては、いらぬ緊張を与えるだろう?」


 シーラはそう言ったが、風津からすれば疑わしいものであった。表立って警戒せずとも、幾人もの公儀隠密を忍ばせているだろう。それだけ気を配されているはずである。

 いいや、シーラとてそんなことはわかっているのだ。その上で、足りない、と言っているに違いない。

 彼女は知っている。公儀隠密の警戒を潜り抜ける方法を。そしてその方法を相手が知っているならばどうなるか。

 その方法を教えてはくれないだろう。シーラにとって、東印度会社にとって切り札とも言うべきものであるからだ。

 二人の視線が絡まった。それぞれの思惑が、しかし互いを害さないように交わされる。

 扉の向こうから、異国の言葉が聞こえてきた。シーラを呼びかけたのだろう。彼女は扉に近づいて、いくつか言葉を発する。そして困ったような顔を浮かべて風津を見た。


「まずいことになった。だが、すぐにというわけではない」

「どういうことだよ」

「公儀の者がやってきた。ここに赤い髪の男がいるはずだ、会わせろと言っている」

「……ふうん、そうか、なるほどな」


 公儀の者に心当たりはない。風津は珊と霧隠才蔵を除けば、まともに公儀に属する者と話したことはないのだ。

 しかし、公儀の者が自分に話があるのだとすれば……。


「通してくれ、少なくとも話を聞かせてくれるのなら、価値はある」

「わかった、いますぐ呼ぼう」


 そう言って、シーラは使いを出す。

 しばらくすると、足音が聞こえた。しかしそれは一人のものである。もう一人、気配はあったが、あまりにも静かであった。

 ただそれだけで、訪れる人物の武芸の技量を知る。

 扉が開いた。そこにいた者は、風津の想像をはるかに超えた人物だった。


「お前さんが風津か。はじめましてだな」


 そう言って、軽薄な笑みを浮かべる男がいた。皺の具合から年齢は五十の前くらいだろうが、若々しく見えなくもない。厳つい顔をしているも、なによりも特徴的なのは左目を覆う眼帯である。

 隻眼の剣豪。そう言われて、誰もが一人の人物を思い浮かべる。


柳生やぎゅう但馬守たじまのかみ……三厳みつよし!」


 その幼名を、柳生十兵衛と言う者であった。

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