新世界よコンニチハ(其の壱)
花火大会である。
花火の起源は不明であったが、火薬を炸裂させることで厄払いができるだとも、遠方との連絡を素早く行うための狼煙とも言われている。
足利が将軍であった世のころに武士たちへの見世物となり、戦国のころには人々の見世物として広まったのが花火大会であった。
線のように打ち上げられていた火薬はやがて形と色を与えられて花となった。
花火の色は、火薬に混ぜる鉱物によって変わる。職人になれば、その形も色も自在に操ることができる。
それはまさに鬼道の術がごとし技の数々だ。鬼に頼らずとも、人は人を魅せるだけの技を生み出すことができる。
「なんて、講釈はもう聞き飽きたわけだが」
風津は机に肘をついてそう言った。
場所は台場町の大通りに面する、いつもの団子屋である。
看板娘のお福は忙しなく働いており、風津はそれを眺めていた。揺れる尻を目で追いかける。大福ではなく眼福だな、などとくだらないことを考えていると、頬を珊につねられる。
「痛え、痛えって」
「鼻の下を伸ばしてるからに、仕方ないでござるよ」
ふんっ、とご立腹の様子をみせる珊は、そっぽを向いた。風津はふてくされた顔をするも、しゃあねえだろう、とこぼす。
「おめえの花火の話は何度目だよ」
「なっ、おぬしが花火に興味を示さぬからこう言っているのでござるよ!」
「ばっきゃろう、俺がそんな、学を示されて興味を出すかってんだ」
「むう、確かに」
この台場町には、知を求めている者はたくさんいる。医学、薬学、兵法学、地政学などは、和蘭のものや大陸のものとを問わず集まっているから、彼らにとっては楽園であるとも言えよう。
学者のみならず、商人や地方武士なども知を研鑽しており、日ノ本全てを見てもこれほどまでに学の進んでいる場所はないと言える。
が、すべてがすべてそうではない。風津のように流れ着いただけの者だっているのだ。
「だいたい、花火の何が良いんだ。うるせえだけだろうが」
「いや、その……ともかく、拙者は見たいのでござるよ!」
珍しくそのように駄々をこねる珊に、風津はふうん、とじと目を向けた。
何かしら狙いがあるのかと思うも、それほどまでに欲深いわけではない彼女がこのような態度をとる理由に心当たりはない。
するとお茶を運んできたお福が、ふふっと笑う。
「いいじゃないですか、連れていってあげると」
「そうは言ってもよ、お福、おめえだって去年も台場町にいたろ。あの花火大会はどこにいたって聞こえるし見えるんだぜ。わざわざ見にいくほどのもんじゃねえ」
「それはそれ、よ。どんな他愛のないものだって、誰かと一緒に見ればまったく違う風に見えるんですから」
そういうものか、と風津は頷いておくことにした。
確かに珊のような、見目麗しい相手と出かけられるならばと以前の風津であれば思っただろうが、いまや日常に溶け込んでしまった彼女を連れたところで何の自慢にもなりやしない。
それに、人混みが苦手な方ではあった。昨今では花火大会と言えど、見えればどこでもいいだろうに、わざわざめぼしい場所を見つけては群がるというのは、どうにもよくわからなかった。
「で、なにをそんなに花火大会にこだわる? おめえだって、仕事があったりするんじゃねえのか。ほれ、あっちのよ」
「ないでござるよ?」
あっち、というのは公儀のことである。珊は公儀隠密の身である。風津が珊の所有者となっていても変わりはない。
花火大会には、天樹院を始めとして、多くの重要人物がやってくる。
そもそもからして、この台場町で行われる花火大会の目的とは、和蘭の商人たち、すなわち東印度会社へののご機嫌取りである。両国の国交を確かなものであると確認するために、などとは言うものの、幕府の者たちがどうにかして取り入ろうとする様が目に見えている。
であるから、公儀隠密である珊にもまた何かしら仕事が舞い込んでいるかと思ったものだが、そうではないらしい。
「……しゃあねえ、付き合ってやるよ」
「ほ、本当でござるか!?」
「そう興奮すんなって、らしくねえな。同居人のよしみだ」
花が咲くような、というのはいまの珊の笑顔のことを言うのだろう。彼女は目を開いて喜ぶと、団子を頬張った。それを見ていれば、まあ悪くはないか、と思う気にもなった。
ここの団子も腕を上げたなあ、などと思いながら風津も食べていると、列を成して歩いていく集団を見た。
さて、近々大きな工事でもあったかと台場町の光景を思い出してみるも、思い当たる場所はない。
「あれは花火の用意でござるよ」
「なんだい、花火ってのは、そんな大層な準備が必要なのかい」
「さて、拙者も詳しくはしらぬゆえ……もしかすると和蘭商館側が何か望んだのかもしれぬ」
「シーラはそんなこと言ってなかったがなあ」
「むっ、また会ってたでござるか?」
「おめえ、あいつのことが嫌いなのか」
風津はそう思ったままを口にした。シーラの名を口にすると、途端に不機嫌になるのが不思議で仕方ないのだ。
珊はもごもごと口だけを動かすと、ふんっと違う方を向いた。
「相手は副館長でござる。風津殿が上手い話に乗せられて、銭を落としてくるのではないかと不安なのでござるよ」
「へん、俺には商売の話はさっぱりわからん。心配すんじゃねえよ」
「博打はするのにでござるか……」
「それはそれよ。理屈っぽいのは好きじゃねえんだ。金は天下の回りものとは言えど、はっきり勝ち負けがわかるほうがどう考えても簡単だろうが」
「なるほど、これは別の心配が必要でござるな」
呆れたように、というよりも呆れて珊は言った。
勘定を付けにし、二人が店から出ると、人がぞろぞろと歩いていた。どうやら先ほどの列の者らしい。
移動を終えて休息を得たのかだろう。みな疲れた顔をしている。
力仕事をするというから、いくらか屈強な者たちを想像していたが、それは裏切られることとなった。
みなやせ細っている。長い旅のせいかとも思ったが、どう見ても食べ物が足りていないのだ。顔を見れば、やはり生気が込もっていない。
「ずいぶん遠くから来たのか?」
「さて、そんなはずはないはずでござるが。見れば、忍藩の者たちであるな。阿部忠秋殿を知っておるでござるか?」
「……さあなあ、知らんが。忍藩と言えば、重役が着く藩だったか」
「左様、拙者も何回か対面したことがあるでござる。まあ、藩の面目も立つし、信頼もおけるからには、当然と言えるが……。この頃、税を重くしたとも聞いておる」
珊の言葉に、風津は思わず顔をしかめた。
島原の乱がなぜ起こったのかを考えれば、それは下策であるとわかるだろう。
度重なる課税と厳しい罰による不満は、民衆に反乱を起こさせるだけの力となった。切支丹や葡萄牙などの事情は二の次だったのだ。
それを幕府の重臣が行うというのは、二の舞になりやしないか、などと考えるのは当然である。
「……佐之助?」
そんな声が聞こえたのは、風津と珊がその人混みを避けていたときであった。
大勢の人混みの中から一人、こちらを見ている女がいる。
佐之助、などという名前は在り来たりなものであるかもしれない。この頃、名のある家でなければ皆名前は似たり寄ったりであった。
しかし、それが自分のものであるならば話は別だ。
佐之助なる名は、風津の本名である。この世で自分の名を知る者は、そう多いわけではない。
そしてその顔も、記憶からはいくらか大人びているが、見覚えのあるものであった。
「お前、お通か?」
「うそ、佐之助、なんでこんなところに!?」
お通と呼ばれた女は驚いたように声をあげた。
* * *
踵を返して、再び団子屋の軒先に座り込んだ風津と珊は、目の前で団子を凄まじい勢いで食べるお通を眺めていた。
ばくばくと食べては、お茶で腹に入れるという仕草は、とてもではないが女らしさの欠片もない。一歩引く、などという考えは頭から消えていたようであった。
「よほど腹が減っていたでござるな」
「いや、こいつが大食いなのは元からだ」
風津がそう言うと、珊の瞳がわずかに揺らいだ……気がした。彼女の目は人のものとは違う。雫など流れることがないのだから、気のせいだろうと片付けることにした。
お通ははあ、とため息をついた。顔には生気が戻ってきている。すると生来の元気な娘の雰囲気を取り戻していた。
「いやあ、食べた食べた。こんなお腹いっぱいお団子を食べたのは生まれて初めて」
「ちったあ遠慮しやがれってんだ」
「おごってくれるって言ったのは佐之助でしょ。というか、なに、いまあんたお金持ちなわけ?」
「んなわけねえっての。少ない金でなんとかしてんだ」
「えっ、嘘! ……まあいいか。ごちそうさまあ!」
「よかねえよ!」
そう言いながらも風津はお通の食べた団子の串の数を数える。おおよそ、風津がこの店に付けているのと同じ程度だろうか。
いざとなれば、取り立てのときにに珊と夫婦喧嘩の振りをして追い返すことも厭わない。
腹をぽんぽんと叩くと、お通は背筋を伸ばす。彼女は珊の方を向くと、にこりと笑った。
「はじめまして。佐之助の幼馴染の、通と言います。あなたは、佐之助の……お友達?」
「うむ、拙者は珊と申す者。訳あって風津殿にお世話になってるでござるよ」
「ござる? 変わってるのね」
お通がそう言うと、珊は助けを求める目を風津に向けた。
こういうあけすけにものを言うところは彼女の美点であると同時に欠点でもある。
だが珊は忘れている。その指摘は、初めて会ったときに同じことを言った者が目の前にいることを。
「それで、『ふつ』ってなに? 佐之助のこと?」
「俺の、ここでの名だよ。その名で通ってるから」
「ふうん……変なの。私は佐之助でいいでしょ?」
「いや、まあ、うん、いいぞ」
歯切れ悪く風津はそう言った。風津呼びで慣れてしまった今では、本名で呼ばれて反応はできても、まともに受け答えはできなさそうであった。
「それにしても、へえ、佐之助がこんなところにいるとはねえ。まともに暮らせてるの?」
「んだよ、今更姉ぶってんじゃねえ。お互い、いい歳だろうが」
「あんたの場合、歳とった方が不安だっての。女遊びとか、博打とか、はまってないでしょうね」
うぐ、と喉から変な声が出た。図星どころか、先ほど珊に言われたことである。
今度はじとっとした目線を珊が送ってきた。
追加の団子が届く。看板娘のお福が気まずそうな顔をしている。決して修羅場などではないから安心してほしい、と言いたかったが叶わない。
「まったくさ、佐之助も薄情だよね。文のひとつもうちに寄越さないじゃない。うちのお父さんもお母さんも、心配していたんだから」
「していた? おい、もしかして」
「死んじゃったわ。だいぶ前にね」
そうか、と小さくつぶやいた。
自分のあずかり知らぬ間に、近辺は大きく動いていたようだった。
「あんたのところはまだ元気よ。会いに行ってやりなさいな」
「気が向いたらな」
など、その気もない言葉を吐いた。実家に帰るどころか、本当ならばお通の顔すら拝む気はなかったのだ。そもそも、この事態を想定していないのである。
「そのう、二人は同じ地の生まれ、ということなのでござるか?」
珊がちんまりと手をあげて言った。そうそう、と先に答えたのはお通だった。
「同じの村の、同じ年の生まれなの。でもこいつ、十も半ばを過ぎたころに出て行ったから。まったく、剣だなんだって、そんなに大切なのかなあ」
「そんな恨んでるみてえな顔すんじゃねえよ」
「だって、帰ってこなかったじゃん。又八だって、あんたを追いかけるって言ったきり、もう三年も文も寄越さないんだからね」
風津は思わず閉口する。
もう一人の幼馴染である又八の名は、風津の中で重いものとしてのしかかっていた。
その空気を察したのか、明るい声で珊が口を挟む。
「男子というものは往々にして、武勇だなんだと憧れるものでござるからな。そして女子はそれを心配するものでござる」
「珊ちゃんはよくわかってる!」
そう言って珊に抱きつくお通。苦しい、と腕を叩いている珊であったが、嫌がってはいなさそうであった。
「いやあ、でもよかった。佐之助もきちんと、自分の居場所を見つけられたんだね。こんな可愛い子と一緒にいるなんて、羨ましいなあ。ねえ、あなたはどこの子なの? もしかして、名のある家の生まれ?」
「い、いえ、しがない町娘でござれば」
「えぇ? 育ち良さそうなのになあ」
「ふ、風津殿! お助けを!」
その様子を見ながら、ははは、と笑っていると、けたたましい音が通りに響いた。
音のする方を見れば、人混みで溢れかえっている。
「おい、お珊や、何が起こってるか見えるか?」
「うむ……人が多くてよくは見えんが、なにか事故でござるな」
「行きましょう」
お通は立ち上がって、止める間もなく人混みの方へ駆けていく。野次馬根性が全開だった。
風津と珊はそのあとを追った。
人だかりの一番後ろにつくと、飛び跳ねて奥を伺った。大きな荷物は見えるも、あとはよく見えない。風津はたまたま近くに居た男を捕まえた。
「おい、何があったんだ」
「うん? なんだ、風津か」
男は赤い髪を見て、露骨に嫌な顔を浮かべる。風津の赤い髪は、忌み嫌われていた。
鬼を思い起こす、などは昔から言われていたことであった。それはこの台場町でもあまり変わらない。特に、彼を一目見て、名だけを知っている者はそういう思い込みをする。
その悪態を無視して、風津はもう一度尋ねた。
「それで、なんだこの騒ぎは」
「ああ、どうやら積み上げた荷物に押しつぶされたやつがいるらしくてな。身元がわかんねえそうなんだが」
「……亡くなったのか」
「ちげえねえ。ありゃあ、ひどいもんだぜ」
風津がそんな風に話していると、珊が袖を引っ張る。
彼女の顔を見れば、それは真摯なものであった。
「風津殿、状況はわかぬが、倒れているのは恐らく公儀隠密の者でござる」
「まさか、またか? こいつも何かの陰謀ってわけか」
「そう断じるのは早計であるが……しかし、我らのことはすでに筒抜けであると考えた方がよいと思っていた矢先のことでござる。様子を見てくるので、風津殿はお通殿を」
「あいわかった、おめえも気をつけろよ」
「承知」
珊は頷くと、野次馬の町娘を装って中へと入っていく。その移り身の早さは、さすが忍者と言ったところか。
その後ろ姿が消えるのを見送って、風津はお通の方を向いた。
「あんまりこんなところ、長居するもんじゃねえぜ。俺らは……」
そこまで言ったところで、風津は言葉を止める。
お通は顔を蒼白にしている。それは良い。問題は彼女の仕草であった。
黙ったまま風津はお通の手を引っ張る。小さく悲鳴をあげたが、戸惑うだけで抵抗もせずお通はついてくる。
喧騒から離れて、路地裏へと入ると、お通を塀へと押し付ける。
「な、なんなの、急にこんな」
「おめえ、何してた」
「……何のことよ」
「とぼけてんじゃねえよ。おめえ、あの手はなんだって聞いてんだ」
風津がちらりと見た、お通の仕草。その手の組み方を、よく知っている。風津はお通の手を借りて、強引にその形を再現した。
「こいつは、何だよ」
「それは!」
風津はその手を、お通の眼前に持ってくる。
両手を重ねて握り拳をつくるのは、切支丹の祈りであった。