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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第伍話:有頂天オルタナティブ
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有頂天オルタナティブ(下)

 男女逢引三番勝負。

 それは女を巡り男たちが争った際に行われた行事である。

 男同士であればこそ真剣によって斬り合い勝者を決めるものであったが、女は往々にしてそれを望まない。

 まして、男もまた相手の幸せを願うものであるから、よりよい相手たらんとする。

 その勝負を、いかに女を満足させるか……その究極にて決することは道理であったし、勝敗を配するのも女であることは合理的でもあった。

 形式は様々であったが、女が満足をした方をあげて勝敗を決める、というのは変わらない。

 金でものを言わせるもよし、その才覚で応じるもよし。経験から女が好むものを差し出してもいい。

 平和裏にことを済ませ、しかし当人たちにとっては真剣なやりとり。

 それこそが男女逢引三番勝負である。


「……でっち上げにも程がある」


 風津はそうぼやいた。以上は才蔵が説明した、男女逢引三番勝負である。

 かくして乗せられた風津は、珊と才蔵を連れて外へと繰り出したのだった。

 日は傾いて夕暮れ時であったが、まだ暑さは引いていない。珊と才蔵はともかくとして、汗も流れるというものであった。

 かく言う勝負の内容は、風津と才蔵が男の役で、珊が女の役として勝敗を決めるというものであった。


「それで、勝負の中身は、妾たちで決めようと思うのだが、どうじゃ?」

「お珊はどうなんだ」

「拙者は構わぬでござるよ……」


 もうすでに疲れた表情を浮かべる珊はそう言った。もはや考えることすら面倒なようにも見える。

 先にどちらが内容を決めるかは、蛇拳で決めることになった。

 蛇拳とは、三すくみ拳とも言って、三つの手の内から一つをお互いが出し、その相性によって勝敗が決まるというものだった。


「よし、いくぞ、そい!」

「ほい」


 風津が出したのは人差し指、すなわち蛇である。

 一方の才蔵は親指、すなわち蛙を出したのだった。

 この場合、蛇は蛙に勝るとみなされて、風津の勝利であった。

 ちなみに残る一手は小指を差し出す蛞蝓なめくじである。これは蛇に勝り蛙に負ける手だ。

 露骨に悔しがる才蔵であったが、彼女は拳を出すより先に手を作ってしまっており、振り上げたときには何を出すのかが筒抜けだった。あまりに残念である。


「ぬう、妾の負けじゃ……」

「こんなところで一喜一憂してどうするでござるか。まだ戦いは始まっておらんでござるよ」

「あ、姉上……妾は姉上の気遣いに感激したのじゃ。応援を頼むのう!」

「拙者は審判でござるからな!?」


 なんていう姉妹漫才を見せられているうちにたどり着いたのは、呉服屋であった。

 風津が挑む勝負とは、すなわち。


「服飾勝負だ!」

「そ、それはなんとも地味な勝負でござるな……」


 こちらにも呆れるように珊が言った。才蔵が現れた時点で彼女の厄日である。

 不敵に笑ったのは才蔵であった。


「くっくっく、それでよいのじゃな? こう見えて妾は、真田十勇士随一のお洒落好き。かの秀吉公と並ぶほどの盛装ぶりと謳われたものよ」

「おぬし、それは馬鹿にされてるのだぞ?」

「な、なんじゃと! そんなことはないはずじゃ! 幸村様も『おお、才蔵、背丈は小せえがなりはでけえなあ』とお褒めくださったのじゃ!」

「あの者の言葉を真に受けるでないわ! 阿呆が阿呆を抜かしてるだけでござる!」


 それで、と言葉を遮ったのは風津であった。


「ここで珊を着飾り、よりよい出来の方を決めてもらおうという算段よ」

「な、なんと……勝負の場を設けながらも、姉上の艶姿を見られるじゃと!? お前、さては天才だな!」


 異様に喜ぶ才蔵は、満面の笑みを浮かべた。顔を見れば姉に勝るとも劣らぬ美少女である。やはり笑った顔がいい。

 はしゃぐ二人に呆れる珊は呉服屋へと入る。そこにはすでに出来上がった着物が多く並んでいる。

 さて、呉服屋といえば多くは反物、すなわち着物になる前の布を売る商売である。人々はそこで反物を買い、自分の家で仕立てるか、専門の仕立て屋に頼むかである。

 ではこの店は何かと言うと、呉服屋である一方で古着屋でもあった。

 幕府はその政策に「新しいものを消費せよ」とした。街の表では古着は売られなくなったものの、古着屋は生き残るために様々な施策をした。金持ちから古着を買い、その下へと売るというのが一つ。新品の着物など高価であり庶民には手が出せないのだ。

 もう一つ、これは台場町にしか見られぬものであったが、古着を参考にし色合いを見るという方法だった。そこから新しい着物についてあれこれ考えるのである。


「では、妾が先攻じゃ!」


 そう言って張り切った才蔵は、さっそく珊にたくさんの服を重ねる。

 それも似合うかどうかを試していると言うより、次々と好みのものを上にかぶせているだけである。

 珊が黙ってこちらを向く。助けを求める瞳だ。風津はそっと視線を逸らした。このままで完成するものは目に見えている。

 才蔵を見れば、さらに手には簪を持っていた。珊の髪にやたらと差すと、こっちを振り向いた。


「出来た! みよ、この贅の限りを尽くした服飾を! 」


 珊の姿を見た。なんとも居た堪れない姿である。形容する言葉はすぐに思いついた。


「どう見ても神輿が十二単じゅうにひとえを纏ってるだけじゃねえか」


 ぶっ、と吹き出したのはこの呉服屋の主人である。

 逆におおっ、と感心の声をあげたのは才蔵だ。


「なんと! そんな目出度いものがこの世に!」

「てめえが作ったそこの怪物だど阿呆」

「な、なにおう!? 姉上を差して怪物じゃと!」


 そのように憤慨する才蔵をよそに、珊はふらっとしている。そうして頭の簪を揺らしてうなだれると、こぼすように言葉を発する。


「我が妹ながら、本当に救えん……」

「心中察するぜ」


 と慰めはするものの、風津はこの勝負の勝利を確信した。

 この霧隠才蔵は凄腕の忍者なのだろうが……いや、もはやそれすらも怪しいが……戦い以外はからっきしのようであった。

 かと言って、風津もまた勝負の舞台に上がらなければならない。

 ひとまず珊から着物と簪を取り、じっと見つめる。何が似合うか、などと口にしながらあちこちから見ていると、珊の頬に朱が差した。

 そして着物を何枚か手に取る。そしてその中でも地味目な藍色の着物を合わせたのだった。

 髪飾りには、かえって明るめの赤い花を添える。そうすることで彼女の顔が明るく見えるようになった。

 きわめつけに、一言を付け加える。


「綺麗だな」


 ぼっ、と顔を真っ赤にさせる珊を見て、風津はにやりと笑ってみせた。


「ぜ、絶対に乗せられているでござる、乗せられているでござる……!」


 そう言いながらも、珊はちらりと才蔵の様子を伺う。風津もつられて彼女を見た。落ち着きのない才蔵であったが、このときは神妙な顔をしていた。

 珊は迷うそぶりもなく、言った。


「この勝負……風津殿の勝利でござる」


 そう宣言するも、今度は才蔵に悔しがる様子はなかった。むしろいままでにない真剣な顔で、うんと頷くのみである。思いがけない反応に、風津の方の調子が狂った。

 才蔵はあっけからんと笑うと、言った。


「じゃあ、次の勝負じゃな! 妾が内容を決めるぞ!」




      *      *      *




 才蔵に連れられてやってきたのは、大きな広場であった。

 台場町でもまだ開発の進んでいない地域がある。その中心にぽっかりと空いた場所があった。

 二人を遮るものはない。風津は周囲を見渡して、はあと息を吐いた。


「それで、どうするよ。日が暮れるまでまだ時間はあるみてえだが、俺がとっとと決着をつけたいぜ」

「ふっふっふ、すでに内容は決めているのじゃよ」


 題して、と彼女はまたもや胸元から巻物を取り出した。いったいあの着物の中にいくつ仕込んでいるのだろうか、疑問に思うほどである。

 もしかすると絡繰であるから、その体内に隠しているのかもしれないが、果たして。

 開いた巻物の中に書かれていた文言は。


「舞踊勝負……?」


 風津は読み上げたものの、いまいち何をするのか理解できなかった。

 ふふん、と胸を張った才蔵は不敵に微笑む。


「簡単なことじゃ。妾とお前がともに舞を踊り、その優劣を姉上に決めてもらうのじゃ」

「ふうん、なるほどな。だが、いいのか? 俺は京は島原じゃ名の通った踊り手だぜ?」

「な、なんと……やはり妾が見込んだ男よ、並々ならぬ才能の持ち主と見る!」

「……島原と言えば足利から続く花街、もしや女の掌の上で踊らされているという意味でござるか!?」


 珊から鋭い指摘が入るが、二人には関係なかった。

 両者はお互いに距離を取る。ちょうど槍を突き合せるほど離れたところで止まり、振り向いた。

 風津は頭をめぐらせる。舞とはなんだ、と勝負を受けてからその考えに至った。

 舞踊などを見ることは少なからずあったし、座敷遊びの一貫として舞踊をしたことだってある。しかし、それで勝てるかなどと言われればわからない。

 才蔵は手をまっすぐ伸ばした。狂言にはそのような姿勢もあったように思う。本来ならば扇子を持つところだろうが、彼女は何も持っていなかった。

 手から腕が魚のようにうねる。まるで風津を誘っているようであった。その動きは素人のものであったが、しかし武術を究めた者の所作は舞にも劣らない優雅さを持っている。真田十勇士と呼ばれた才蔵であれば、その実力は申し分ない。

 代わりに、風津は刀を鞘ごと腰から抜いた。型を元に剣舞を見せようとした。

 才蔵の動きが止まり、わずかに目が妖しく輝く。風津はそこに、鬼道の臭いを感じた。


「絡繰起動、忍法・霧隠」


 冷徹な声が聞こえる。才蔵の苗字と同一するその技こそは、彼女が絶対の自信を持つものだろう。

 瞬間、彼女の腕から、足から、背から、板が跳ね上がる。まるで戸のようにして開いたそこから、霧が噴射される。

 風津は思わず腕で口と鼻を塞いだ。瞬きをしながらも視線だけは外さない。

 才蔵の姿がみるみるうちに消えていく。それも霧に隠れるにもによってではない。彼女自身の姿が揺らいでいた。


「くそっ、なんだ!?」


 風津がそう叫んだのもつかの間、直感が危険を告げている。

 これはただの舞踊勝負ではない。珊の妹とは言え、初対面の相手を信用する道理などはないはずだ。

 なにせ彼女は、霧隠才蔵。猿飛佐助と並んで武勇を馳せさせる真田十勇士の忍者である。只者ではないと、そうわかっていたのだ。

 凶刃が迫った。上半身を大きく逸らして風津はその刃を避ける。

 次いで、蹴りが飛んできた。彼女は自身の頭を軸として、逆回し蹴りを繰り出している。

 受け止めようにも、その脚から他の刃が飛び出しているのを見て取った風津は、飛び退くことで事なきを得る。


「おい、こりゃあはどういう了見だ!?」

「わからないかのう。お前が邪魔なんじゃ。疾くね」

「それがわかんねえって言ってんだろうが。てめえにとって、俺がなんだってんだ」

「姉上を奪うもの、それ以上のなにがある!」


 手裏剣が飛んでくる。数は三つ。ほとんど同時に放たれた絶技であった。刀の鞘でそれらを払い落とす。

 しかし、そのあとに飛来したのは鎖だった。いや、鎖鎌、その重石側だ。

 鞘に巻き付いた鎖は、馬もかくやという力で引っ張られる。踏ん張ることもできないうちに霧の中へと引きずり込まれた。

 刀を手放すまいと手に力を込めていると、鎌が降ってくる。風津は鎖が巻き付いたままの鞘でそれを弾いた。


「風津殿!」

「手を出すんじゃねえ! 俺が蹴りをつける!」


 珊の悲鳴に、そう答える。風津は目の前にいるはずの才蔵をじっと見つめた。

 乳白色の霧が辺りを包んでおり、もはや顔ひとつ分しか離れていないはずの才蔵の顔すらも見えないでいた。

 だが、風津の目は才蔵の鬼核を捉えている。いささか見えずらくなっているが、目を凝らせばどこにいるかはわからないわけではない。


「さすがは真田十勇士ってところか。だが、わからねえな。どうして俺を狙う。珊のため、だと? 馬鹿言ってんじゃねえぞ、それはあいつが決めることだろうが」

「……だからこそじゃ。お前の元においていては、姉上は死にゆくじゃろう。だから、妾の元に帰ってきてもらわねばならぬ」


 才蔵の声音は、むしろ優しげなものである。彼女の性根が表れているのだろう。

 珊を連れて帰らねばならない。もしかすると、自らの意思で死を選んでしまうかもしれないから。

 知っている。そんなことは。

 永尾格次郎と戦ったとき、彼女はその身を賭して絡繰土竜・怒利竜往転を止めた。

 天草衆との海上での戦いで、海坊主相手の一番槍を務めたのは彼女だ。

 辻斬りを討つため、単身で敵地に乗り込んだのは誰か。

 そういう人物なのである。

 風津は、それを止める術を持たない。珊の意思によってとられた選択に、止せと言うことなど到底できない。


「そして、妾は見たのじゃ。お前を見る姉上の顔を。見ているこちらこそが胸を締め付けられる……秀頼様を想う天樹院様の顔と同じ。姉上は、お前のためなら死ぬぞ」


 風津は思わず、目を見張った。

 いいや、それは決して、意外なことなどではない。珊であればそうするだろうという確信があった。

 あまりにも近くにいすぎた。風津がこれほどに側に誰かを置いたのは、生まれの地を別にすれば珊のみであった。


「妾はもう、失いとうないのじゃ。幸村様は討ち死に、秀頼様も大介殿もいなくなったこの世に未練があるとすれば、天樹院様の余命と姉上のことよ。妾は一人でなど生きとうない」


 才蔵はそう言って、より力を込めた。地面に膝をついた風津は、声をあげることすらできない。

 霧の中から才蔵の顔だけが見えた。彼女は目前までに迫りながら、風津とは対照に優しげな笑みを浮かべている。

 もしかすると、泣いているのかもしれない。しかし絡繰は泣けぬから、霧が溢れているのだ。


「風津殿、身を引いておくれ。そして姉上に言うておくれ。お前はもういらぬと……」


 鬼道の臭いはしなかった。まやかしなどではない。彼女は心から、そう請うていたのだ。


「才蔵、もうよい」


 言葉を挟んだのは珊だった。


「拙者の道は拙者が決めるでござるよ。おぬしに何を言われずとも。拙者はおぬしの姉であるがゆえに」

「姉だの妹だのの問題ではないのじゃ! 妾は血の繋がりがなくとも家族! その者を生かすためならば、妾とて人を殺める覚悟もある!」


 そう叫ぶ才蔵に、風津は、はあとため息をついた。

 想いは受け止めた。そして、風津の返答はこうだ。


「わりいなあ、おめえにはやらんわ」

「……は?」

「わかるぞう、俺とて人だ、故郷が恋しくなることもあるんだぜ」

「な、なにを言うてるのじゃ。鬼殺しの風津と言えば島のない風来坊と聞いておる。そんなお前が……」

「俺にだって帰る場所があるってことだ。だから、ここは譲れねえ」


 風津はそう言って、刀を鞘より抜いた。

 そして真下から上でと切り上げる。それは才蔵を狙ったものではない。周囲を包む霧を狙ったものだった。

 瞬間、霧が晴れる。煙を団扇で払ったかのように空の橙を取り戻したのだった。

 口を開けて驚く才蔵は膝をついた。自らの名を冠する技である。絶対の自信があったにちがいないのだ。

 風津は告げる。自らの手の内を晒した彼女に、敬意を込めて。


「楢威流剣術・大多鬼丸。霧を操る鬼を斬るための技だ。これにて、霧隠の首の代わりにしよう」

「なっ、妾を斬らぬのか!?」

「あたぼうよ。おめえ、自分と暮らしてるやつの家族を斬るってのは、よほどのことじゃなけりゃいけねえよ。さっ、踊ろうぜ」

「なにおう……」

「これは舞踊勝負だ、って言ったのはおめえだぜ?」


 にかっと笑って、風津は刀をくるりと回した。

 そして脚を振り上げると、前へと体のすべてを伸ばした。剣舞のつもりである。

 才蔵を置いてきぼりにして揚々と彼は一人、舞を続けている。

 それを見つめている才蔵は、立ち上がれないままにうな垂れている。


「妾の、負けじゃ……」


 才蔵が絞り出した声は、悔しさ以上に感嘆の響きが込められている。

 聞き届け、腕を振り上げた珊は宣言した。


「三番勝負二番、風津殿の勝利! よって、男女逢引三番勝負の勝者、風津!」


 そういえばそんな戦いの名だったな、と風津は苦笑いをした。

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