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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第伍話:有頂天オルタナティブ
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有頂天オルタナティブ(上)

 夏も半ばの頃のことである。

 風津はうだるような暑さにやられていた。そして昼間は家でごろごろとして過ごしているのである。

 流れる汗を手ぬぐいで拭き取って、水を飲む。

 そんな風津を団扇でぱたぱたと風を送っていたのは、浴衣に身を包んだ珊であった。彼女は暑さなどものともしないはずであったが、風津の気分に合わせて衣装を変えているようであった。

 この暑い昼間に、外を出歩く者もいなかった。仕事をする者だっていない。呉服屋なんかは特にそうで、衣を扱うからか暑くて仕方ない。であるから、朝早くや夕方などの涼しくなった頃に仕事をしているのが常である。

 とは言うものの、商人たちは買い付けなどはしているようで、海側に集まっているのを帰り道に見ていた。彼らのように忙しくない風津は、この日はのんびりしようと決めていた。


「しっかし、まあ、暑いなあ。くそっ。お珊、水をくれ」

「承知したでござる。……しかし、ここ最近、それなりの収入が入ったではないでござるか。御簾や浴衣の一つでも買ったらいいでござろう」


 呆れたようにものを言う珊に、風津は唇を尖らせた。


「おめえみたいなけちんぼとはちげえの!」

「そう言って、また賭博でござるか? あ、いや、おぬしが先ほど会ってたのはシーラ殿でござった。もしかしなくとも、彼女に貢いでたでござるな。わかるでござるよ」

「んなわけあるか! ってか、あいつが金目のものでなびく玉かっての。俺らよりずっと金を持ってるだろうしな」

「わからんでござるよ。どんな安いものであっても、もらったら嬉しいものだってあるでござる」


 そう言って、珊は髪をいじる仕草を見せる。そういうものかね、と風津は頷いて、そっぽを向いた。

 顔の方へ回り込むべく、珊が膝を擦って寄ってくる。それを風津は寝返りを打って躱した。


「もう! それで、結局、おぬしの財布はどうなってるでござるか!」

「う、うるせえ! 明日には三倍になってらあ!」

「やっぱり賭博でござるか!? そうでござるな!?」


 そんな風に言い合いをはじめると、外から声が聞こえた。その声は「ひゃっこい、ひゃっこい」と言っている。冷水売りであった。

 この台場では飲み水は貴重なものであった。井戸を掘れども、そこにあるのは塩水で何に使えるわけでもない。

 しかし、冷水なる贅沢品は、琉球より輸入された砂糖を冷たい水に溶かし、白玉団子を浮かべるという品である。これがべらぼうに美味く、登場して数年で台場における夏の風物詩となるほどであった。


「冷水でござるよ、風津殿」

「うーん、いまは甘いものの気分じゃねえな」

「と言うと、何をご所望でござるか」

「そうめんだ、そうめん。濃いつゆでつるりと食べたいね。こう、たっぷり茹でて浴びるように食いたい! 俺の夢なんだよ!」

「それはまた大きいか小さいかわからない夢でござるな……」

「おめえ、食うってのはすべてに通じるもんだぜ」


 風津がそう言うと、床に寝転がった。夏はこうして過ごすに限るのである。外を出歩くなど、正気の沙汰ではない。


「そういえば、聞いているでござるか? 東印度会社に、今日はやんごとなきお方が来られるそうでござるよ」

「んにゃ、聞いちゃいねえな。シーラ(しぃら)の奴は世間話してる余裕はなさそうだったが。なんだ、もったいつけやがって。おめえは知ってんのか?」

「ふっふっふ、聞いて驚くがいいでござるよ。天樹院殿でござる」

「天樹院? ……って、千姫様か!?」


 天樹院、千姫。そのどちらもが同じ人物のことを指す。

 父に二代目将軍徳川秀忠を持ち、過去に豊臣秀頼と本多忠刻を夫に持っていた。いまでこそ出家し、江戸城は竹橋御殿で暮らしているものの、豊臣から徳川へと移り変わった時代の中心にいた人物である。

 祖母は日ノ本一の美女と名高いお市の方……織田信長の妹君を持っており、織田の聡明さと美貌を誇っていると言われている。齢は五十を過ぎているはずだが、未だその姿は衰えることを知らないとさえ言われている。


「おいおい、どうしてそんな大物が急に台場町に来てんだよ」

「曰く、この夏の花火大会についてだそうで」

「……はあ、この戦時下に花火ねえ。平和なこった。どこにそんな金に火薬があるんだか」


 風津がそうぼやくのは、ある意味で当然と言えよう。

 いまだ天草衆との戦いは終わっていない。小康状態を保っているとは言え、未だ壇ノ浦では睨み合いが続いているはずだ。

 徳川が豊臣を大坂の陣で倒してから、平和は二十数年しか保つことができなかったのである。

 未だかつてない規模の戦いの最中にありながらも、そのときに生まれたものをずっと引きずっている。


「必要なんでござるよ、きっと。それに、和蘭とのこともあるでござる。ここのところ、いろいろ騒ぎがあったゆえに、少し和むようなこともあってようではないか」

「そういうもんかね。まあ、俺らは楽しむだけだがな」


 にしし、と笑う風津は、ふと天樹院とやらに思いを馳せた。

 想った相手を実の父に奪われ、その後も政の最中で気丈に振舞う彼女の存在は、この江戸では大きくある。ここのところは大奥でも力を持っていると聞いていた。


「なあ、おめえは会ったことあんのか。天樹院とやらに」

「む? 無論、あるでござるよ。彼女もあまり変わらないでござるな。見目もそうでござるが、歳を経るたびの落ち着きは増す一方、少しお茶目なところもあるお方でござる。よい歳の取り方をしているのでござろうな」

「ふうん、いい奴なんだな」

ふむ、しかし、いま彼女の側には……いや、口にしないでおくでござるよ。嫌な予感がするでござる」

「なんだよ、言えって」


 少し困った顔を浮かべる珊は、口ごもりながらも、ようやく語った。


「その、いま天樹院殿の側についているのは、拙者のい……」

「ふぅーはっはっはっはっはっ!」


 突如として、そんな笑い声が響いた。

 堂に入ってはいたが、どう聞いても幼い少女が悪ぶって張ってるだけのように聞こえる。

 がらがら、と音を立てて扉が開かれた。

 そこにいたのは、珊よりも幼く見える少女である。忍装束を身にまとっていながらも、両手には金属の容器に入った冷水と、大量の束となった素麺を持っているその姿は滑稽である。

 高笑いをあげながら、その少女は戸を開けてずっと立っている。ちらっちらっとこちらを覗いてきて様子も伺ってくる。まるで何かを待っているかのようだった。

 風津が珊の方を振り向くと、彼女は諦めたように首を横に振っていた。言ってやれ、という意味だろう。


「てめえ、なにも」

「何者かと聞かれては、答えてやるのが情けというもの! 仕方ない、これは、仕方ないことなのじゃ! なにせ妾は優しいからのう!」

「まだ言って」

「くくく、聞いて驚くがいい、妾の名は!」


 ででん、と太鼓を鳴らしたような音がどこからともなく鳴る。素麺を前に突き出し、格好をとった彼女は高らかに名乗った。


「百地珊太夫の弟子にして妹! 霧隠才蔵じゃ!」




      *      *       *



 沈黙が訪れる。

 夏の日差しが地面を焦がしてしまう音でさえ聞こえてしまうのではないかというほどの静けさだった。

 霧隠才蔵を名乗る彼女は、微動だにして動かない。明らかに反応を待っている。

 今度は珊の様子を伺うまでもなく、風津は言った。


「その、ででん、って音はどこから出てんだ?」

「聞くのはそっちでござるか!?」

「腹からに決まっておるじゃろ!」

「何が決まってるのか、拙者もわからぬでござる!」


 呆れたように珊は言うが、この手合いはまともに相手していては体力が持たないのを、経験で知っているのである。

 才蔵は満足したのか、手に持っているものを地面に置くと、ふうと息を吐いた。


「いやあ、久しいな姉上!」

「ええ、まあ、そうでござるな……」


 もう疲れてしまったかのような声音で珊は言った。そして風津の方に向き直ると、改めて才蔵を紹介する。


「こちらは拙者の妹()、霧隠才蔵。いまは天樹院様のお側に控えている身でござるが」

「いつも姉上がお世話してるのう!」

「そこはお世話になってる、でござるよ。……いや、合ってるでござるか?」


 そんなやりとりを聞き流して、風津は才蔵をまじまじと見た。

 言われてみれば、珊に近い見た目をしているように思う。しかし明らかに設定されている齢が違う。珊が十代の半ばから後ろであるが、才蔵はどう見ても十五を下る。十二かそこらに見えるのだ。

 無論のこと、才蔵と名乗るからには大阪の陣を戦った者であるから、風津より年上だ。

 横にひとつに纏めた髪が余計に才蔵を幼く見せていた。

 まさか戦国の世とは、こんな奴らが蔓延ってた世なのだろうか、と風津は恐ろしく思えた。魑魅魍魎より摩訶不思議な者たちである。


「それで、おぬしはどうしてここに来たでござるか? 天樹院様と東印度会社の商館へ向かったのでは?」

「姉上に会うためであれば例え川の中海の中井戸の中じゃ!」

「全部水の中でござる!」


 真面目に受け答えをする珊を見て、風津は疲れやしないか、とすら思うようなやりとりであった。

 どうやら絡繰の少女たちは作られている最中に、部品の一つでも落としているようだ。

 しかし、珊に抱きつく才蔵の姿をみれば、確かに二人は姉妹であるようだった。


「霧隠才蔵と言えば、真田十勇士の」

「おお、妾を知っておるのじゃな! 見どころはある……か」


 才蔵は嬉しそうに頷いた。その姿は珊によく似ている。

 日ノ本で知らない者はいないだろう。真田幸村とその配下である真田十勇士は大坂の陣で豊臣方の尖兵として戦った。

 それが知られている歴史であった。


「その霧隠才蔵様が、どうしてこんな貧乏人の家に来たんだよ」

「姉上姉上、あいつ、妾を様付けで呼んでおる。きっといいやつじゃ」

「才蔵、それは馬鹿にされているのでござるよ」

「な、なんじゃと!」


 そう言って憤慨する才蔵。話が一向に進む気配がなかった。

 ごほん、と珊が咳払いをすると、才蔵はとたんに大人しくなった。ところで絡繰は咳をすることがあるのだろうか。


「才蔵、おぬしは如何なる用でここに来たか、お聞かせ願えるでござるか」

「そうとも姉上! 妾はそれを聞いてほしかったのじゃ!」


 さっきから聞いている、と怒鳴りそうになったのを必死に堪える。このときばかりはお天道様も自分を褒めたに違いない。


「それはじゃな、風津、お前が姉上に相応しい男かどうかを見定めに来たのじゃ!」


 ででん、とまた太鼓の音が鳴った。

 ぽかんとしたのは、風津だけでなく珊もであった。


「才蔵、拙者の身はいま、風津殿の預かることになっているでござるよ。すべては拙者が不覚をとったがゆえに」

「それはおかしいのじゃよ! あの豊臣に反逆せし石川五右衛門を名乗った者が、うだつのあがらない貧乏人であるこの男の元にいるなどと! 惚れたわけでもあるまいし!」

「てめえ、貧乏は認めるがうだつのあがらないは余計だぞ」

「黙るのじゃ! 妾は認めぬぞ! お前は姉上に相応しくない!」


 などと啖呵を切ってみせれば、びしっと風津を指差す。

 風津は何と言えばいいのかわからず困った顔を浮かべる。一方の珊はと言えば、顔を真っ赤にして顔を伏せていながらも、もごもごと言葉を述べる。


「あ、あの、拙者は望んでここにいるでござるよ。余計な心配は無用でござる」

「姉上、何故そのようなことを……はっ、まさかこの男に鬼畜な調教を受けたのじゃな!?」

「ちょ、ちょうきょ……!?」

「夜な夜な……なんというか、こう、あれをこうして、こうというか、ああというか」

「な、なんと! そのような破廉恥なことはしておらんでござる!」

「何一つ伝わってこないんだが、二人は通じ合ってんのか」


 そもそも女忍者を屈服させるような拷問術など心得はなかった。

 二人が顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。このぽんこつ絡繰女忍者たちは、自分で言うならともかく、他人にこのような話をされるのに弱いようであった。

 ともあれ、才蔵がやってきた用件はわかったし、それには風津も納得するところであった。

 明らかに不釣り合いなのである。珊と言えば、公儀隠密でも重宝される絡繰の忍者である。戦国の世を生き、その性能を風津はよく知っている。

 風津は確かに鬼を殺す剣士ではあったが、彼女と比べれば『価値』が違う。いかに江戸が幕府のお膝元、台場町と言えど、長屋暮らしの小倅の元にいていい者ではない。


「まあ、言われてみりゃあ、そうだろうなあ」

「風津殿!?」


 珊は驚いた声をあげる。一方の才蔵は、満足げに頷いた。


「お、意外にも物分かりがいいのうお前。して、妾としては姉上をこちらに返してもらいたいところなのじゃが、しかしいまの妾はお上に仕える身じゃ。民草よりただで物をもらったなどと噂されようものなら、威信に関わるというもの。まして、それが見目麗しい女とあれば……」

「才蔵、一言余計でござる」

「し、失敬じゃ姉上。しかし本心じゃよ。まあ、それはよい。風津とやら、妾と勝負するのはどうじゃ?」


 勝負、と言われて心の踊らない男はいない。まして、女を賭けた勝負とあれば、乗らずして男を名乗れるかというものである。

 風津は俄然、乗り気になった。


「で、その内容は?」

「ふっふっふ、いろいろ考えているが、すべてまとめると、こうじゃ」


 そう言って、才蔵は着物の胸元を開いて巻物を取り出した。そこまで大きく開く必要はないようにも思えたが、思ったよりも……少なくとも姉よりも大きなものが見えたのでよしとする。

 巻物が開かれると、そこには達筆な字が書かれていた。書かれている言葉を見て、目を疑ってしまう。

 同時に風津と珊はその文字を読み上げた。


「男女逢引三番勝負?」

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