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大江戸ダイバーシティ(連載版)  作者: ジョシュア
第肆話:桃源郷インスタント
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桃源郷インスタント(其の参)

 珊が入った部屋には、人が寝ている。

 いいや、ただ寝ているならばよかった。医院である、そういうこともあるだろう。西洋風の医院であるならば、病人を預かることだってある。

 しかし、これは違った。寝台に横たわる者たちは皆一様に白い装束をまとっており、顔には呪印の描かれた札が貼られている。よく見れば寝台にも、寝ている者を中心にするように紋様が描かれていた。


「なんでござるか、これは……」


 彼らの顔を覗いて見れば、近頃に若返ったと噂される者たちであった。なぜこんなところで寝ているのか、という疑問が生まれる。彼らは確かに、街中にいたはずだった。

 寝台の並ぶ先に、机があった。大量の書物に埋もれてしまっているが、逆にそのことが、珊には手がかりがあるようにしか思えなかった。

 その書物はどうやら実験の跡のようであった。項目が書かれている。

 不老不死の実現。

 魂と記憶を同一とする個体は同一人物足り得るのか。

 意識置換の術、鬼核実験結果、技能模倣の術式、絡繰操作介入の実験。

 それらに目を配らせているうちに、この医院が何を行っているかが明瞭に浮かんできた。

 彼らは「若さ」を餌にして、実験台となる者を集めていた。そして行われたのは、絡繰の肉体に人格を写すことだ。すなわち、魂という唯一無二のものを絡繰というかりそめの肉体に移す実験である。この実験のほとんどは失敗したようであった。書によれば、少なくとも過去に三つ、成功した例があるのだそうだが、ここで行われた実験による成功例はただ一つしかなく、それを元にして行うも失敗ばかりであった。

 魂は肉体と分かたれた瞬間に、霧散してしまう。その魂をこの世に留めるには本人の意思……いいや、そんな崇高なものではない。怨念、執念、あるいは残念などによって鬼に変じる必要があった。ほとんどの者はその域に至ることなどできない。少なくとも、人であるうちには、だ。

 そこでこの医院は、別の方法を用いたのだという。すなわち魂をそのまま元の肉体にとどめるも、絡繰に意識をつなげること実験だ。これはほぼすべてにおいて成功している。結果が台場町に現れた、若返った者たちである。

 次に試されたのは、記憶を絡繰に転写することだ。かつて一つだけ成功した、人格を完全に転写してみせた絡繰を元に、いま行われている実験のようだった。

 絡繰を動かすこと自体は、その技術を持つ者にとっては苦ではない。鬼核という動力を元にして、四肢を動かすことはできる。

 そしてその動きの命令に使われるのは、書物であった。どのように命令すれば、どう動くのか。どのような状況で、どう判断するのか。そうしたものを書き記した書物があれば絡繰は動き、その精度が高いほどに、優れた絡繰となる。

 だが、人の意識を、記憶を転写するとなれば並大抵のことでは不可能である。書に記される内容もさることながら、その筆にさえ念を必要とする。想いを込めるだけの筆を、幾人が持つだろうか。ただそれだけで才能と呼ばれるだろう。荻原兼山が手伝わされていた仕事とは、まさにこの段階のことだろう。

 理屈の上ではできることが、念などという不可解なものによって左右されるのが、鬼道であった。

 この実験を推し進めていた者の名が、書物には書かれている。


「有芭空士……!」


 それこそが、この医院に身を潜め、実験を繰り返した者の名である。その名は珊の知るところである。謎の絡繰技師だ。誰一人としてその正体は知られず、ただ絡繰を提供し、姿を消していく人物。珊の言伝によって公儀の者を含めて国中を捜査しているが、ついぞ見つけられなかった者が、幕府の膝下である台場町に潜んでいたとあっては大問題である。

 そして、その名の横には見知った名もあった。


「お松殿、おぬしもでござるか」


 悲しみとしか言いようのない感情が湧き上がってきた。

 それらの書物を胸元にしまって、珊は眠る者たちに近づいた。

 若き日を夢見ている者たちを見て、いたたまれなくなる。どうして、なぜ、と聞きたい。若さとは、過去とは、それほどに甘美なものなのだろうか、と。

 珊もまた鬼道に通じる者、このような術を解く術も心得ている。指先に念を込めて、札を一つずつ剥がしていった。

 途端に、苦悶の声をあげる。それはそうだ、力溢れる元の肉体から引き剥がされ、老いた肉体に戻されたのだから。

 さらに言えば、彼らはしばらく飲まず食わずの状態だった。飢餓にも等しい身体では、絡繰の身体との落差に苦しむのも当然だと言えよう。

 あまりにも残忍な光景であったが、珊は容赦なかった。このままでは数日と経たずに、彼らは死に行ってしまう。元の肉体が死ねば、絡繰もまた機能を停止する。

 いいや、もっとひどいことが起こるだろう。例えば、昼の街中で元の肉体の死を察知した絡繰が、もともと仕込まれていた命令に従い、周囲の者を虐殺することだってできよう。

 そうして一枚ずつ剥がしていき、最後に残ったのはお松の身体であった。

 珊は少し躊躇ったあと、やはり同じように、札を剥がした。彼女は声をあげない。もしかしたら、他の者と比べて、絡繰に身体を置換したのが最近のことであったのかもしれない。

 ひとつだけ、気がかりなことがあった。珊の目的とする辻斬りについてである。


「とすると、岡崎正次殿はどこへ? ここに肉体もござらぬ。いや、まさか辻斬りとは!」


 そこまで口にしたところで、珊は背後より襲われた。

 もみ合いになって、地面に叩きつけられる。そして首を締められた。

 絡繰である珊に首絞めは意味がない。なにせ、呼吸をする必要がないからだ。

 冷静になれば、すぐに形勢を逆転できる。珊はそう思うも、見上げた顔を見て驚きを隠せなかった。


「お松殿……」

「私の名を口にするんじゃない!」


 彼女はそう言った。以前に出会ったときよりもずっと老けてしまった顔を怒りに染めて。




 *      *      *




 風津は絡繰たちを鞘で捌き続けていた。荻原を守るためである。

 弱ってしまった彼を抱えながらであったが、素人の攻め手など風津にとってはものの数ではない。

 しかしその合間に仕込まれる、お松の手裏剣は厄介であった。

 絡繰たちの背後から飛んでくるそれは、風津ではなく荻原を狙っている。どうやら荻原の存在は彼女たちにとって不都合なのだろう。

 若返りの秘訣。なんてことはない。その身を絡繰に置き換えただけだ。

  昨晩にお松に会ったときに感じた違和感、それは生気のなさである。その正体は触れてわかった。魂のない絡繰だったのである。

 はじめから若返りなんてものは嘘で、その彼女が珊に文を託したならば、何かある。そう考えるのは必然であった。

  そう考えていたそのときであった。

 突如として、絡繰たちの動きが止まる。そしてからんと転がった。糸の切れた人形とはまさにこのことを言うのだろう。

 そのことを不思議の思いながらも、この急場を凌いだことに安堵の息を吐く。


「おい、大丈夫だろうな?」

「な、なんとか……へへっ、お前、強いんだな」


 そう言うも萩原の容態は悪化するばかりであった。どうにも様子がおかしい。これはただの体調不良ではないとようやく察する。


「まさか、お前、毒を盛られてるのか!?」

「……俺のことはいい。早く公儀の者に伝えなければならない。台場町の西の端に、屋敷がある。そこへ連れて行ってくれ」

「西の端だな、わかったぜ」


 風津は荻原を背負って走り出す。誰もいない台場町の中を走り抜けた。

 西の端と言えば、江戸へかかっている虹橋のあたりである。いま風津がいる場所からは正反対であったが、自分の足ならばすぐだろうと思った。

 市中を駆け抜ける。夜の台場町に通行人はいないから、止まることなく行けるだろう。

 そう思った時であった。

 川に差し掛かる。そこにかかる橋の上に、誰かがいた。

 普段であれば通り過ぎていただけだったろう。しかし、風津はその気配にただならぬものを感じた。まして、昨今では辻斬りの騒動の真っ只中である。警戒するべきだった。


「おい、そこを退きな」

「無用な問いかけをするほどの猶予が、貴様にはあると思っているのか」


 男はそう言った。くぐもった声だ。

 彼の姿がはっきりと見えるようになると、風津は驚きが隠せなかった。

 その男は絡繰であった。しかし、珊やお松たちのような、人に似せて作られた絡繰ではない。

 確かに影の印象としては人であろう。二本の足に二本の腕、そして頭を持っている。だが、そこに肉はなかった。肌もなかった。全身が作り物であることを隠そうともしていない。

 絡繰の顔も硬質であり、のっぺらぼうに光る目が一つ付けられている。まさに一つ目の鬼と言ったところだろうか。せめて能面でもつければいいものを、と思うも、それはそれでおっかない。

 生物であることは微塵も伺わせなかった。

 まるで、人を演じることをやめているかのようだ。

 それが男への印象であった。

 同時に、彼が何者かなど、彼の言う通り問うまでもなかった。


「てめえが、てめえが辻斬りか!」

「如何にも、某が夜毎に人を斬りし者よ」


 そう言うと、彼は刀を抜く。その流麗な姿は、頂きに届いた剣士が見せる型のようでもあった。

 辻斬りなどはじめからいなかったのだ。そう考えていたのは珊であったが、事態はさらに悪くなっている。

 そもそもからして、辻斬りは柳生新陰流の達人を斬るほどの実力者なのではない。その柳生新陰流の達人、岡崎正次なのである。はじめから斬られてなどいなかったのだ。

 岡崎は切っ先を風津に向ける。


「楢威流の風津、いざ尋常に勝負されたし」

「はあ?」


 名を知っているのはいい。赤い髪の男など、台場町には一人しかいないのだから。

 しかし、なぜ流派まで知っているのか。風津はそこが引っかかった。


「ハッ、辻斬りが俺に何の用だ? てめえが狙うとしたら、この荻原ってやつじゃねえのかよ。公儀を狙ってんだろ」

「そんなものは、ついででしかない。全ては貴様と戦うための布石でしかない」

「んだと……?」

「全て、貴様と戦うためだと言った。この時をどれほど待ちわびたか」


 岡崎はそう言った。風津が睨みつけると、彼はさらに語る。


「始めは長州の山中であった。某は切支丹となって幕府に反旗を翻した者を追っていた。そして、そのうちの一人を斬り伏せたのは某ではなかった。貴様だ」

「てめえ、まさか、あのとき……」

「貴様は確かに人を斬った。それもあれは貴様の友であった男だな?」


 ぞくり、と風津の背筋に走ったものがあった。

 蘇ってくる光景。人を初めて斬ったあのときのことだ。そして、それが最後の人斬りでなければならないと誓ったあのときのことだ。


「某には関係のないこと。貴様が誰を斬ろうか知らぬこと。しかしその太刀筋を見たとき、某は思ったのだ。ああ、これだと。これこそが求めていたものだと。正義だとか、幕命だとか、もはやどうでもよい。貴様の剣を知りたいと思ったのだ」


 自分に酔っている言葉の数々が吐かれる。


「全てを捨てる覚悟で某は貴様に迫った。勝負されたし、と。しかし貴様は、友すらも斬った貴様はあろうことか、もはや人は斬らぬと申した」


 語気は強まった。彼は一歩、踏み出す。まるで空気が震えるかのような感覚を覚える。


「であれば、某が人から逸脱する他あるまい」

「まさか、その姿、いいや、その気配は、てめえ、人をやめやがったな!?」

「是、是、是! 某は人より抜け出し、修羅の道を歩むと決めた。人の身では叶わぬ願いならば、鬼ならばどうだ!」


 だがしかし、と岡崎は言う。


「鬼の力とは精細に欠けるものよ。その身においては某が生涯を捧げた剣術を振るうことは能わず。であればこそ、この通り絡繰の身体を得た」

「滅茶苦茶だぜ……」

「さあ、鬼殺しの風津よ、俺と戦え。貴様に理由がないというならば、くれてやる」


 そう言って、絡繰の男は手に何かをつかんで見せた。そこにあるのは薬包紙であった。

 風津は彼の言わんとすることを理解する。


「薬を賭けて戦えってのか」

「如何にも。この薬はそこにいる男の毒を癒すもの。真剣にて勝負を所望する」

「ちっ、やっぱりな。始めから若返りだなんだと、辻斬りってやつの元は同じだったのか」


 すべては仕組まれたことだったのだ。彼らの真の目的については皆目見当もつかない。しかし、辻斬りについてお松が珊に伝えたことと、そのお松が若返りの仕掛けに関わっていたとなれば、自然と二つを繋げて考えるものだろう。

 風津は荻原を近くの木に座らせる。


「少し待っていてくれ」

「お、おい、お前、本気で戦うのか。だってやつは!」

「わかってらあ。それでも、やらなきゃなんねえんだよ」


 そう言い残し、風津は橋へと足をかける。

 両者は対峙する。岡崎はくくく、と声をあげた。


「ようやくその気になったか」

「ハッ、選択肢を奪っておいてよく言う。薬を断れば、次はこのあたりの人を手当たり次第に手をかけるとでも言うだろうがよ」

「よく理解している」

「鬼の考えることだからな」


 そう言って、風津は刀を抜いた。そしてその刀身を見せつける。

 半ばより折れた刀身は、誰が見ても脅威ではない。しかし、それこそが人を斬らぬという風津の誓いを体現するものであった。


「剣の鬼に堕ちるほどの心意気に免じ、我が剣たる獅子丸の真の姿を見せよう。この刀は、かつて鬼と戦いしときに折れたもの。鬼があの世に持ち去ったものだ。これより先は冥界の持ち物であるがゆえに、この刀は鬼のみを斬ることができる」


 見えない刃は、見えぬ線を斬るためのもの。

 彷徨い消えゆく魂がこの世に留まるために結んだ枷を断ち切るものであった。

 鬼を切りし霊刀獅子丸は、刃を半ばにしながら完成形なのである。

 ほう、と唸った絡繰の男は、その単眼を光らせる。


「感謝しよう。その刀身、しかと見て取った」

「まあ、てめえが負けたときに、俺の刀身がどうのこうのって言い訳されちゃあ困るからな」


 風津はそう言って、強気に笑ってみせる。しかし、その内心は穏やかではなかった。

 ただ佇んでいるだけだと言うのに、何度も斬られているかのような感覚がする。岡崎の思考の内側で、自分の首は幾たび落ちているのだろうか。腕や脚は、どうなっているのだろうか。

 まだ刀を抜いただけである。まして、生身ではなく絡繰によってだ。剣技について言えば、間違いなく風津より上の実力を持っているだろう。

 高い実力を持つからこそ、剣を交えずともその実力を推し測ることができる、などと言うのは剣豪の戯言だと思っていたが、なるほど相対してみれば、恐ろしいほどに実力が伝わってくるものだ。

 しかしここで負けを認めて剣を納めることができたならば、こうして立ってはいない。少なくとも、相手は納得してくれはしないだろう。

 剣に生きる者のうちには、死に近づく中で剣を振るってこそ到れる境地があると信じている者は多くいる。そして、その道に目覚めてしまった者も。

 修羅なりし剣の道。死の先に見える地平に魅せられた者。そして、それを目覚めさせたのは、自分である。

 逃げてはならないのだ。彼は己の過去そのものだ。

 剣の道を過信し、その道に追いついていけぬ友を切って捨ててしまった自分だ。


 あの夜を思い出す。

 逃げ惑う友。あと一歩で壇ノ浦を越えられると言ったころ。説得するも、切支丹の道を捨てられない友を、剣を捨てられなかった自分は斬った。

 鬼へ振るうべき技で、斬ったのだ。

 誓いは未だ消えず、あのときの後悔とともにある。


 風津は刀を構えて、ふうと息を吐く。

 深い構えとともに相手を見据えた。絡繰の男は刀を抜くも、構えはしなかった。その様子を見て、彼が誰なのかを確信した。


「楢威流継承者、酒吹左之助……行くぞ、鬼よ」

「柳生新陰流免許皆伝、岡崎正次。来い、人よ」


 裂帛の気合とともに、風津は踏み込んだ。それこそが岡崎の術であると知りながらも、飛び込んでいったのだった。

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